年末恒例の有馬記念レースが行われました。今年も期待通りの面白いレースで、最後まで楽しませてくれました。
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中山10Rの第54回有馬記念(GI、芝2500m)は、出遅れて後方から競馬となった2番人気ドリームジャーニー(池添謙一騎手)が直線先に抜けたブエナビスタを追い比べの末競り落とし、宝塚記念に続く春秋グランプリ制覇を達成した。勝ちタイムは2分30秒0(良)。半馬身差2着に1番人気ブエナビスタ、さらに4馬身差で3着に11番人気エアシェイディが入った。
ドリームジャーニーは栗東・池江泰寿厩舎の5歳牡馬で、父ステイゴールド、母オリエンタルアート(母の父メジロマックイーン)。通算成績は24戦9勝となった。
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最終的にはファンが期待した上位2頭で決着しましたが、事前のテレビやマスコミの予想は大きく割れて、なかなか面白かったと思います。予想が割れた理由として、秋のレースで勝ったカンパニーやウォッカのような強力な馬がいなかったことや、充実期を迎えるはずの四歳馬が故障などでエントリーしなかったこと、昨年活躍した馬(例えばダイワスカーレットやディープスカイなど)が引退してしまったこともあって、やや小粒な感じがあり、データでの予想が難しかったのかもしれません。
今回のレースでは、昨年のリベンジを狙うマツリダゴッホ、期待されながら無冠の3歳馬リーチザクラウン、そしてテイエムプリキュアに注目して見ていました。各馬とも2周目の3コーナー手前までは頑張っていたのですが、最初にプリキュアが脱落し、続いて4コーナーで先頭を走っていたリーチが馬群に飲み込まれ、そして一瞬先頭に立ったマツリダは最後の直線の坂で脚が止まってしまい、期待の3頭はいずれも掲示板に載ることはできませんでした。残念。日経新春杯から応援しているプリキュアは、今回はさすがに牡馬の強豪揃いで先行馬が多く、あまり見せ場を作ることができませんでした。前回よりも距離も長くて、2度も坂を登らなくてはいけないタフなコースで、最後はスタミナ切れを起こしたのか、ジョギングするような走りになってしまいました。まあそれでも最初から飛ばして、今年の皐月賞馬のアンライバルドよりも先着し、シンガリ負けにならなかっただけによく頑張ったと思います。この馬は、連対か惨敗かという極端な成績ですが、日経新春杯で勝ちエリザベス女王杯でも2着になったし、とても良い年だったのではないでしょうか。大負けしても、レースで目立ってファンに愛される馬もいると思います。リーチザクラウンもなかなか勝てない馬ですが、今日のレースを見ているとそういう1頭になりそうな感じもします。来年に期待したいです。
マツリダゴッホは今回で引退ですが、今日のレースはとても良かった。一瞬勝てそうな良い位置に来たのですが、直線での最後の伸びが足りなかったようです。去年と違って見せ場は作ったので、引退するには良いタイミング・場所になったと思います。これでリーディングサイヤーとして一世を風靡したサンデーサイレンス産駒のG1馬がいなくなってしまいました。今回3着のエアシェイディに頑張ってもらいたいです。
ちなみに、ウィキペディアで有馬記念について調べてみました。
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1955年まで暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにとファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式を導入。プロ野球のオールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法であった。第1回中山グランプリは1956年12月23日に中山競馬場の芝内回り2600mで開催された。なお、八大競走の中では唯一開催地変更が無いレースでもある。
しかし第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月9日に提唱者の有馬が急逝したため、有馬の数々の功績を称えて第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。このような経緯があるため、現在でもJRAの競馬番組表やレーシングプログラムでは競走名が「有馬記念(第○○回グランプリ)」と表記される。競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。(後略)
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有馬記念の名前は有名ですが、このレースの創設者・有馬頼寧のことはあまり知られていないようです。有馬頼寧は、九州の久留米藩主・有馬家当主で伯爵有馬頼万の長男として東京に生まれ、農政研究者、元農林大臣、日本中央競馬会第2代理事長として活躍された人物です。中山競馬場をはじめとする競馬施設改築、競馬国際協定加入、競馬実況中継放送の強化など、競馬の発展や大衆化に貢献しています。このことから特に中山競馬場とは縁が深いことになります。頼寧は「よりやす」と言いますが、当時正しく読める人は少なかったようで、「よりねい」さんと呼ばれることが多かったらしいです。本人は、名前を正しく読める人はいないと諦めていたのだとか。
それにしても偶然なのか、このレース名が「有馬」という「馬」の文字を含んだ名字を持つ人の名前が由来になっているのは、とても良かったと思います。これがよくある名前の「鈴木記念」とか「佐藤記念」だったら、何となくしっくり来ない感じ。