
圏央道の路面の状況は、かなり粗い感じでした。最近は、雨が降っても水飛沫が飛ばないこのような路面が主流となっているようです。赤茶色と黒と白い線をじっと眺めていたら、どこかの国の国旗のように見えてきました。ということで、圏央道開通ネタは、これでおしまい。

足を踏み入れた証拠写真

中央分離帯

普段、何気なく高速道路を利用していますが、小さな橋にも名前が付けられているようです。歩いて見て初めて知りました。しかし、時速100Kmで走る車から読み取るのは不可能。読めるとしたら、故障してそこで止まった時かもしれません。そんな事態にはなりたくないですが。

20年前に流行った懐かしのカローラ・レビンが置いてありました。今も走り屋さんが大好きないわゆる「ハチロク」です。できれば、圏央道の「走り初め」でもやって欲しかった。

圏央道の川島ICの先は未だできていないのですが、この道路の先の様子を見ると、工場らしき建物が見えます。当然、避けて通るのだと思いますが。

高速道路の料金所を歩いて通過するのは初めての体験でした。
開通後は、人が歩いて通ることは無いと思いますので貴重な体験だったと思います。遠い将来、エネルギーが無くなりクルマ社会が消滅すれば、またこんな風景が見られるかもしれません。

SF作家のアーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)氏が亡くなったそうです。
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映画「2001年宇宙の旅」の原作者でも知られている著名なSF作家のアーサー・C・クラーク氏が現地時間で18日の午前1時30分、スリ・ランカで死去した。90歳だった。
クラーク氏は1917年12月16日、イギリスのサマーセットの農家で誕生。第二次世界大戦中はイギリス軍でレーダーの専門家として従事。第二次世界大戦後はロンドンのキングズ・カレッジで数学と物理学の学位を取得。その後、1946年に発表した小説「抜け穴(Loophole)」でSF作家としてデビュー。1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」ではクラーク氏が1948年に発表していた短編小説「前哨(The Sentinel)」が原作に使われたことなどもあり、SF作家として世界的な名声を確立。1970年代に入ってからはロバート・A・ハインライン(1907-1988)、アイザック・アシモフ(1920-1992)氏と並ぶ20世紀を代表するSF作家と見なされていた。クラーク氏はSF分野の活躍だけでなく1945年には静止軌道上に通信衛星を置くという構想「Extra-Terrestrial Relays - Can Rocket Stations Give Worldwide Radio Coverage?」を発表。現代の静止衛星の発祥者としても知られている。【Technobahn】
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彼の名前を知ったのは、1980年代に「2001年宇宙の旅」の映画のリバイバルを見たときでした。映画のほうは、現代の騒々しいSF映画とは違って、とても静かで神秘的で哲学的な内容だったと記憶しています。これを機に彼の小説もいくつか読んだのですが、実は映画ほど記憶に残っていません。これは個人差もあると思いますが、SFは小説よりも映像のほうが伝達手段として優れているように思います。おそらく小説だけだったら、彼もこれほど知られることはなかったかもしれません。

また米空軍のF-16戦闘機が墜落したらしい。
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米アリゾナ州ルーク空軍基地所属の米空軍のF-16戦闘機が14日、州内で訓練飛行中に墜落事故を起こした。事故機に搭乗していた操縦士は同日夜、アリゾナ州フェニックスから北西に80マイル(約130キロ)離れた砂漠地帯で発見されたが、死亡していた。(中略)ルーク空軍基地のF-16が墜落事故を起こすのは1998年以来、18機目。死亡事故が起きたのは2004年5月にルーク空軍基地で爆撃訓練を行っていたシンガポール空軍のF-16の墜落事故以来の出来事となる。
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最近、米軍機の墜落事故が多いようです。兵器の耐用年数が来て自然に軍縮が進むのは結構ですが、人の命が失われては意味がない。
2月末からの大腸出血のため入院生活を体験しました。辛い生活でした。
最初の一週間は、輸血・点滴生活で飲まず食わず。二週目は食べられるけれどお粥のみ。12日目にして歩行許可が出て歩けるようになり、17日にようやく退院することができました。
しかし病院には、政府が言ういわゆる後期高齢者の老人ばかりで、この人たちが退院できる日が来るのかと考えてしまいました。自分の最後の棲家が病院にならないように、健康管理には充分気を付けたいものです。