大江戸泉光院旅日記(石川英輔)という本を読みました。オンライン書店の案内には、「文化文政の六年間にわたり、日本全国を歩き回った僧・泉光院の見聞記には、江戸時代の庶民のくらしがこと細かに記されていた…。あなたのまちの昔の様子がよくわかり、歴史の通説にはなかった豊かな生活も明らかにされてゆく。“大江戸事情シリーズ”で人気の著者と、新しいアプローチで“江戸に学ぶ”一冊。」
とあります。 読んでみるとなかなか面白い日記です。
泉光院は、野田成亮といい宮崎の佐土原の高僧でした。この日記は彼の旅を克明に記したもので、江戸時代の庶民の生活を詳しく知ることができます。当時、庶民の交通手段と言えば歩くことしかなく、日が昇る前から歩き始め一日40kmも移動することもあったそうです。日記によると、別れの見送りに何里も付いて来たという記述もあります。高僧が来たということで、一筆書いてもらおうとその周辺の人達が押しかけたり、地元の知識人と問答をしたりと面白いエピソードが紹介されています。歴史の授業では、江戸時代の庶民の生活に触れることはあまり無いのですが、この本を読むと日本の歴史の中では一番良い時代だったのではないかと思えます。私も数年前に佐土原を訪問し、町の歴史資料館で泉光院さんの絵と対面しましたが、この日記から想像するよりも立派な人であったようです。
今年は、12月5日に新田原基地の航空祭があります。佐土原町はこの基地のすぐそばなので、この本を読んで、飛行機を見て、佐土原の歴史資料館に立ち寄るというのもいいかもしれません。現代最先端のハイテクと江戸のローテクを知る旅なんていうのはどうだろう。
ちょっと変な組合せだけど。(^^;)
入間航空祭Part2で「F2戦闘機に書いてある名前」のことを書きましたが、以下のことが判りました。「機付長」は、実は"きづきちょう"と読むらしい。
機体の整備士のことです。自衛隊の戦闘機パイロットは、自分が搭乗する機体は決まっていないのですが、整備員は自分が担当する機体が決まっているそうです。F15の場合、整備は機付長と機付員の2人が担当していて、機付長は機体整備の最大の権限が与えられ、それで名前が書込めるらしい。百億円以上もする機械に自分の名前が書込めるのは、きっと誇らしいでしょう。でもトラブルがあった時の責任もあるので、一概に喜べるわけではないけれど。
ちなみにサラリーマンが自分の名前を書込める物で一番高いのは、自分の家(表札)くらいでしょうか。ちょっと意味が違うかもしれませんが、、、。
マーティ・キーナートは、新球団楽天のGMです。
その昔、私は「太平洋クラブライオンズ」の大ファンでした。昭和40年代後半に、福岡に住んでいた野球少年は、セ・リーグなら巨人、パ・リーグなら太平洋が贔屓のチームでした。
(もう少し年上の人だと西鉄ライオンズだった)
「太平洋」のユニフォームは毎年のように変わり、ある年は背番号ではなくて胸番号だったり、またある年はノースリーブのユニフォームを着ていたりと、野球の成績は冴えないけれど奇抜なユニフォームが目立つ楽しいチームでした。選手も変わったフォームで打つバッターが多くて、レッドソックスのような野武士野球?が自慢でした。
そういうチームが私は大好きで、生まれて初めて福岡の平和台球場で見た試合は、「太平洋クラブライオンズVS日拓ホームフライヤーズ」という今は全く忘れ去られたチーム同士の試合でした。そのチームがクラウンと名前を変え、西武に買収されて九州を去った時は、本当に寂しかった。やはり野球チームが地元にあるというのは、どんなに弱いチームであっても少年に夢を与えてくれるものなのです。
では、何故キーナートGMかというと、彼が当時「太平洋」の運営に関わった経歴があるらしいのです。(もしかして彼が仕掛け人なのかもしれません。)ということは、楽天にも「太平洋」スピリッツを注入してくれるのではないかと、私は密かに期待しているわけです。
誕生日を機会にブログを書いてみます。
今日の気になる言葉「生きる」の定義。
「生きることが、もちろん人生最高の目標なのだ」
by グリルバルツァー「サッフォー」