いま一つ盛り上がらない今年のWBCですが、こんな記事がありました。
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WBC3連覇を阻むのは「ボキャブラリーが貧困」な山本監督?〈週刊朝日〉
土壇場でイチローが勝ち越し打を放ち、ダルビッシュが抑えて連覇――。4年前の決勝、歓喜の瞬間は記憶に新しい。第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が、3月2日に開幕する。侍ジャパンには3連覇の期待がかかるが、4位に終わった北京五輪の二の舞いを危ぶむ声も漏れてくる。(中略)野球解説者の江本孟紀さんはこういう。「ネックは首脳陣に現役の監督、コーチがいないことです。第1回の王貞治監督、前回の原辰徳監督は現役で、選手との間に連帯感が生まれやすかったですけどね。今回は現場を離れている分、厳しい状況になったとき、首脳陣がガチガチになりかねない。その結果、選手にプレッシャーをかけてしまうと最悪です」。山本浩二監督にはリーダーシップを期待したいところだが、過去2度のWBCで日本代表に密着取材してきたスポーツライターは辛口だ。「王さんも原さんも、言葉で選手の心をつかんでしました。でも浩二さんにはそれが皆無。ボキャブラリーが貧困で、話の中身がない。求心力もない。そもそも帽子が似合ってないです」帽子のことまでボヤきたくなるほど、物足りないということか。
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WBCのチームを引き受けた山本監督を見ていると、確かに試合の時の存在感が無い印象があります。自由放任主義なのか選手と言葉を交わす姿も見ないし、ただ監督としてそこに居る感じです。親善試合も壮行試合もパッとしない結果で、それを見ていると監督の采配に不安もあります。でも、大事なのは本番です。今は、どのような戦略で行けば勝てるのかを試行錯誤している段階と見たほうが良いでしょう。結果が出なかったら、また次の戦略を考えればいい。今回のチームは、日本で一流の能力を持った選手達を選んでいるわけだし、今はシーズン前の「休みボケ」もあるわけですから、大会が始まれば本気になって頑張ってくれるでしょう。
しかしこの記事を読んで中身の無さに驚きました。
日本でも大リーグでもボキャブラリーが貧困な監督なんて沢山居るわけだし、それでも彼らは結果を出しています。帽子が似合うかどうかというのも記者の好みの問題で、この記事は山本監督の事を面白可笑しく書いているだけで、何の意味も無い。もし予想に反して、山本JAPANが勝ち進んだら「ボキャブラリーが貧困で帽子が似合わない監督が良い監督」ということになってしまいます。
中学生の頃、初めてカラヤンのレコードを買った時には、遂に一流の指揮者による演奏を手に入れたと感激したものでした。それはベートーヴェンの交響曲第7番で(「のだめ」でよく聞く音楽です)、家にあったモジュラーステレオで何度も聞いた覚えがあります。レコードには、暗黒の空間に目を瞑って指揮棒を握るカラヤンのポスターがオマケで付いてきて、自分の部屋にカラヤンを飾る喜びを感じたものでした。この本によると、カラヤンは本番のコンサートの前のリハーサルでレコードの為の録音を行っていたそうで、私が聞いた素晴らしい演奏は、ベルリンフィルの能力の80%ほどの力しか発揮していないそうです。今となっては、本番の演奏はどれほど素晴らしかったのか知る由もありませんが。
この本では、カラヤンが戦後の音楽界を席巻し挫折するまでの歴史を紹介しています。若干年代が前後して読みにくい部分がありますが、当時の音楽界と人間関係、その中でカラヤンがいかに帝王として君臨したかがよく判ります。カラヤンに興味のある方には面白い内容だと思いますが、もう少し日本との関わりについて詳細な記述があると良かったかもしれません。
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一昨年のベストセラーになったアメリカ・ハーバード大の人気講義本。多くのテレビ番組で紹介されて話題になった。ひととおり読んでみたが、様々な事例と解釈を提示され「正義とは何か」を考えさせられる。著者は本文中ではなかなか自分の考えを示さず、あなたはどう考えるかというスタンスで問うため、読んでいてとても疲れた。例えば、司法職にありながら犯罪者の弟をかばい続けた兄と、テロ実行犯の兄を通報した弟という極端な事例を出して、正義とは何かを考えさせる。普段の生活の中で、そういう極端な問題に遭遇することは少ないと思うけれど、この本を読んで正義に対する考え方をシミュレーションしておくことは有意義かもしれない。「正義」とは、個人の思い込みかも。一通り読んだだけでは理解できない部分も多かったので(ハーバード大生じゃないので無理です)また改めてじっくり読んでみたいと思う。
アメリカでは忘れられた戦争と言われている朝鮮戦争ですが、この本を読むと戦後の東アジアが成立するまでの政治状況と、その後のアメリカが介入したベトナムやイラクやアフガニスタンなどの戦争で苦戦した理由がよく判ります。
朝鮮戦争が起きたのは、太平洋戦争のわずか5年後なのですが、当時の米軍は第二次大戦を経験した兵士が退役して若返った後だったので、兵士のほとんどが経験不足でした。北朝鮮が破竹の進撃で、釜山の近くまで攻め込んだため米軍は参戦しますが、当初は戦闘で逃げる兵士が続出していました。軍隊(陸軍)というのは新陳代謝があって、兵士は常に入れ替わってますから、彼らのレベルを維持するのはなかなか難しい。朝鮮戦争に参戦したのは、韓国、英、オランダなどの連合軍でしたが、戦闘になると逃げてしまって任務を果たさず、少なからず当てにしていた米軍は大変だったようです。
マッカーサーや彼の取り巻きも、前の大戦で強い米軍を率いて優位に立った経験からか、作戦は机上の空論、武器の優位性や人種偏見から北朝鮮や中国を格下に見くびる態度、自軍の強さを信じた楽観主義が蔓延していたようで、中国参戦の気配や負け戦の情報が信じられない。現場の状況把握ができず、学校で教えられたような彼らの古臭い作戦で多くの兵士が犠牲になりました。結局、著者もマッカーサーやアーモンド将軍の無能振りには辛辣です。
毛沢東は参戦を決意した時、米軍の核の使用を覚悟していて、数十万の犠牲は仕方ないと考えていたそうです。それは国家存亡の危機には、それくらいの犠牲が掛るという認識があったからで、百人単位の兵士の損失でも重大と受け止める米軍とはスケールが違ってます。もしマッカーサーが主張したように、数百万人の中国軍を相手に全面戦争していたら、おそらく勝てなかっただろうというのが筆者の考えです。
「朝鮮戦争」は、学校では全く教えられることのない戦争の歴史ですが、現代の軍事や政治にも通用する教訓があってとても勉強になりました。歴史の表舞台に出てこない兵士達の真実の声も織り交ぜて、朝鮮戦争での米軍の状況はよく判りました。でも筆者はアメリカ人であるせいか、戦場となった朝鮮或いは朝鮮民族への言及が少ないのが気になりました。この土地はもともと戦場ではなく、彼らの国だったわけですから。
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会社のイベントで、屋形船に乗ってきました。
凍えるような寒さで、こんな日に寒風が吹く東京湾に出て屋形船に乗るのもどうかと思いましたが、滅多に無い事なので行くことにしました。会社から片道1時間半、屋形船に2時間、帰路も2時間。移動だけで結構疲れて、屋形船のもんじゃ焼きはセルフサービスで、外にも出られず景色もよく見えずで、これなら近くの居酒屋のほうが良かったという人も居ました。
屋形船を楽しむならもう少し日が長くて暖かい日のほうが良いかも。
大黒屋光太夫のロシア漂流を追う、シベリア横断の旅。
大黒屋光太夫のロシア漂流は、井上靖の「おろしや国粋夢譚」で読んだことがあります。三重から漂流し千島まで流されてロシア人に助けられ、帰国の許可を求めてシベリアを横断してサンクトペテルブルグの女王に会いに行きます。結局帰国が許されて北海道に送り届けられますが、日本では幽囚の身となって余生を送る実話です。
この本は、20世紀に生きる著者がその経路を追った旅行記です。大黒屋光太夫の記録には無い、生のシベリアの姿が伝えられてとても面白い。20世紀であっても、シベリアの厳しさは昔と変わらないのかもしれない。夏場の蚊の来襲に悩まされ続ける一行の記述がシベリアの過酷さを感じさせる。シベリアを行くなら、やっぱり蚊に襲われないシベリア鉄道でしょうか。"蚊酷な"旅は勘弁です。ちなみに一行には、ロシア語翻訳家でエッセイストだった若い頃の故米原万里さんも参加していたようです。
今年のスーパーボウルは、レーベンズが優勝しました。
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レーベンズ12季ぶりV 史上初の兄弟監督対決は兄に軍配
米プロフットボール、NFLの第47回スーパーボウルは3日、ルイジアナ州ニューオーリンズのスーパードームで行われ、レーベンズ(アメリカン・カンファレンス=AFC)が34―31でフォーティナイナーズ(49ers、ナショナル・カンファレンス=NFC)を振り切り、12季ぶり2度目の優勝を果たした。レーベンズは最優秀選手に輝いたQBフラッコが前半だけで3TDパスを決め、第3クオーター開始早々のWRジョーンズのキックオフリターンTDで28―6とリードを広げた。停電による30分以上の中断後は49ersの反撃に遭い、第4クオーターに2点差まで追い上げられたが、FGで突き放した。史上初の兄弟監督による対決で、レーベンズは兄ジョン・ハーボー、49ersは弟ジム・ハーボーが指揮を執った。(共同)
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朝起きてテレビのスイッチを入れたら、スーパーボウルをやってました。
90年代にサンフランシスコ・フォーティナイナーズが強かった時代によく見ていましたが、名QBのジョー・モンタナが引退した後は、あまり見ていませんでした。今回は初の兄弟監督、フォーティナイナーズの復活ということもあって話題も多く、アメリカンフットボールの醍醐味を味わえる素晴らしい試合になりました。
前半はレーベンズの攻撃が面白いように決まり、第3クオーターのキックオフリターンTDが決まった時は、これで試合が終わったような感じでした。しかし、停電の中断の後はフォーティナイナーズの方に流れが変わり、レーベンズは防戦一方で2点差まで詰め寄られましたが、そこから粘り、攻守の駆け引きがあり、結果として時間配分を考えながら戦術を駆使した兄ジョン・ハーボーに軍配が上がりました。この試合は、アメリカンフットボールのあらゆる戦術、意表を突いたプレー、時間戦略、流れを変えたミス等、いろいろな要素が含まれていて、特に後半が面白かった。試合で鍵になったのは時間の使い方です。最後のレーベンズの攻撃は、どんなプレーをすれば勝ちに持ち込めるかという点だけに的を絞ったプレーで、基本となる陣地挽回のプレーではなく、ボールを持った選手が時間を使うために「逃げ回る」というプレーに徹したことが勝利に繋がりました。相手に反撃の時間を与えないことが、最大の課題で、それを達成するためのプレーを心がけたという事でしょう。まあ、相手には狡賢いプレーに見えたかもしれませんが、ルールに従っている限りどんなプレーでも終わってしまえば不問にされるのがスポーツです。その点で兄の監督の方が一枚上手だったように思います。
とにかく、スーパーボウルの名に相応しい面白い試合でした。
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鉱物の楽しみ方を指南する本。
90年代に鉱物ブームがありました。そのきっかけになったのがこの本と、同じ著者による鉱物図鑑です。鉱物の鑑定方法から採集の仕方、鉱物の集め方まで、代表的な鉱物の事例を紹介しながら解説しています。鉱物について少し勉強しておくと、自然の見方が変わります。もともと鉱物収集は、欧米貴族の趣味であり、化学の知識とフィールドワークの経験が必要とされたようです。今はそれが手軽に楽しめる良い時代になっています。この本ではアマチュアの鉱物の楽しみ方を紹介しています。
中学生の頃に、山登りをしている時に拾った岩石や黄銅鉱などの鉱物を集めていたことがあります。当時は何の知識もなく、集める楽しみはあっても、それをどう見たらよいのか分からず捨ててしまいました。この本のような鉱物学の指南書があったら、自分のコレクションにも価値を見いだせたかもしれません。惜しいことをしました。