J.S.Bach Cantata BWV169。この曲は中学生の頃、ヘルムート・ヴィンシャーマン/ドイツ・バッハ・ゾリステンのレコードで、冒頭のシンフォニアを聴いてから好きになった。オルガン協奏曲のような印象で、メロディラインが素晴らしい。この演奏が忘れられず、2000年12月10日に大宮ソニックシティで行われたヴィンシャーマンの演奏会を聴きに行った。曲目は違っていたが、昔レコードで聴いた演奏家に会えたことがとても嬉しかった。
調べてみたら、今年94歳で未だ現役で健在らしい。凄い人だ。
「モルダウ」と言えば、中学校の合唱コンクールで演奏した曲。
中学2年の時の合唱コンクールで、この曲を指揮したことがある。実は音楽は大好きだったが、歌うのが下手な自分に(つまり音痴)、先生から指揮をやってほしいと言われて喜んで引き受けた。一生に一度はやってみたかった合唱指揮と、歌わなくていいというメリットを感じてやってみたが、思った以上に大変だった。指揮台に登って全校生徒に挨拶する時や、演奏中にクラスメートに凝視される時の緊張感、何が何だか判らないままに腕を振り、終わった時の脱力感を感じたことを覚えている。指揮するよりも、口パクで合唱していたほうが楽だったかもしれない。でも当時はカラヤンに憧れていたんだよね。指揮者というカッコイイ職業の誘惑には逆らえなかった。
オーケストラのモルダウ演奏には、歌詞が無い。合唱で歌ったあの歌詞は、誰が付けたのだろう。
立花隆の書評は自分の好みに合うので、このシリーズが出た時は読んで書籍購入の参考にしている。今回は2006年以降の書評をまとめたもの。冒頭の東大図書館の教授との対話は、あまり印象に残らなかった。デジタル本のあり方は今後も議論されると思うけれど、それぞれの特徴を生かして共存するのだろう。
彼の興味の対象は幅広くて、このシリーズは世の中にはいろいろな面白い本があるといつも感じさせてくれる。この中で紹介された本で興味があるものは読むようにしているが、今回はあまり読みたくなるような本がなかった。
この間の彼の大きな関心事は原発問題で、多くの書評が紹介されている。エネルギー効率の良い原発を完全に廃棄するのは難しいという立場で、福島は古い原発だったが、新しい原発システムはそれほど危険ではないらしい。原発本は立場によって書き方が異なるので、どれが正しいとは言えない。国家経済やエネルギーの観点では必要だし、世界環境の観点では不要だろう。但し、現在の便利な世の中に慣れた人達が、エネルギー効率の悪い太陽光や風力発電を受け入れて、不便な社会に耐えられるかは疑問だ。既存の火力発電所も環境面、コスト面で良いとは思えない。次世代発電が確立するまで、現状の原発を使用するのが良いと思う。一時期、彼の関心があった科学書の紹介が少なくなったような気がするのが残念。
「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスの自伝。2部構成の第1部のこの本では、ドーキンス家の由来から、彼の生い立ち、『利己的な遺伝子』出版までの経緯を紹介する。
彼のいくつかの著作を読んだことがあったので、彼がどういう人物なのかに興味があったので読んでみた。読んだ印象として、まず彼の記憶の良さに圧倒された。裕福な家庭に育った幼少期から科学者になるまでの友人の名前や出来事、数十年も前のエピソード等を克明に記述し、また当時の自己分析も併せて、科学者らしい緻密な内容の自伝になっていると思う。また知人友人には現役の科学者も居るためか、若い頃の著作にあるような批判的な文も少なく、関係者への配慮も伺える。彼の人生においても、全体として多少紆余曲折はあったようだが、その振れ幅はあまり大きくない印象を受けた。ドーキンスのファンや彼を支持する人にとっては、彼自身が語る事実や興味深い数多くのエピソードが紹介されていて面白く読めると思う。
来年、第二部で『利己的な遺伝子』以後の人生について紹介するようだ。
追記:読んでいる最中に思ったことだが、彼の文章の特徴として、非常に回りくどい文章が多く、馴染みの無い詩や例え話、隠喩も多くて、判らないところを何度も読み返すこともあり、正直読み疲れてしまった。彼は自分の生い立ちに誇りを持っているようで、何代も前の先祖の話や祖父や父の話に何章も割いている。(自伝には珍しい家系図も記載)ご先祖様から続く自分の遺伝子(いわゆる血統)の良さを認識していたのだろう。さすが進化生物学者。