普段何気なく使っているカレンダーですが、この暦が決まるまでには先人達の苦労がありました。地球は365日の自転で太陽の周りを廻っているわけではなく、365日とプラスアルファの時間が掛っています。そのプラスアルファをどのように処理するかで、暦の正確さが決まってきます。これは、地球が太陽の周りを廻っているという事実を我々が知っているからできることであって、このような仕組みを知らなかった先人達は、季節の周期と自分達の暦のつじつま合わせに大変苦労していました。暦は人間の生活にとっては無くてはならないものですから、国によって違う暦を使っていると不便で仕方が無いし、モノの取引も上手く行かないでしょう。統一された暦は、経済活動にも必要不可欠なツールなのです。
この本では、暦がどのように作られてきたかという歴史を紹介しています。読んでみると、歴史の勉強で年号を暗記することにどれほどの意味があるのか判らなくなってしまいます。そもそも初期の西暦は結構いい加減な暦なのですから、西暦を知らない日本のご先祖様にとっては、自分達の歴史を西洋のものさしを使って測られるのは不本意かもしれません。
アメリカの日本文学者ドナルド・キーンの自伝。
自身の生い立ちから軍人としての日本との関わり、コロンビア、ケンブリッジ大学での日々、日本人作家との交友、親しい人達との別れなど、自身の半生を振り返る。60ー70年代の日本の文壇に時々登場する人物として、名前は良く知っていたが、改めて自伝を読むと、いかに日本を愛し、日本の文化活動に貢献してきたかが良く判る。彼が初めて触れた日本人が書いた生の文章が、第二次大戦の日本兵の日記だったというのは意外だった。アメリカ人兵士は日記を書くことはなく、戦場に記録を残すことは機密上あり得なかったらしい。しかし、最前線の日本兵は、自分の生きた証として日記を残した。それが日本という国に興味を持つきっかけになったと言う。戦後、多くの作家と付き合ったが、三島・川端の2人を失ったことが大きく、三島の死は川端のノーバル賞受賞が何か影響を与えたのかもしれないと推測している。
執筆時89歳で、親しい多くの友人を失ったけれど、日本との関わりは、人生を幸せなものにしてくれたと結んでいる。彼は、日本人の秀逸な伝記をいくつか書いているので、機会があれば読みたいと思う。
このニュースを読んで、悲しい気持ちになりました。
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「10円とはいえ現金」賽銭盗んだ男に懲役1年 大阪高裁(産経新聞)
今年5月、和歌山県高野町高野山の金剛峯寺で地蔵の前に供えられた賽銭10円を盗んだとして、窃盗罪に問われた大阪府和泉市の無職、鶴原正文被告(66)に対する控訴審の判決公判が20日、大阪高裁で開かれた。 的場純男裁判長は、懲役1年8月(求刑懲役2年6月)とした1審和歌山地裁判決を「10円の窃盗でこの量刑は重すぎる」と破棄。その上で「10円とはいえ現金。刑事責任は軽視できない」として、改めて懲役1年の実刑判決を言い渡した。 弁護側は1審段階から、「賽銭で遊んでいただけ」と無罪を主張。これに対し、的場裁判長は判決理由で「弁解は不合理で信用できない」と窃盗の故意を認定した。判決によると、鶴原被告は今年5月13日午後、金剛峯寺にある織田信長供養塔で、地蔵の前に供えられていた賽銭の10円玉を盗んだ。
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この裁判はどう捉えたら良いのか、考えてみました。
確かに10円を盗んだ行為は許されるものではないし、窃盗の罪に問われるのは当然だと思います。被告に弁解の余地は無いと思いますが、その量刑が懲役1年というのは重過ぎるような気がします。その窃盗の罪に見合う量刑というのは課せられなかったのでしょうか。例えばアメリカでは、犯罪をその重さに応じてボランティア等で弁済するような量刑もあります。(日本の法律にはそういう考え方は無いのかもしれませんが)その程度の罪ではないかと思います。
また弁護するほうも無罪を主張していますが、普通に考えたら苦しい言い訳でしかないです。素直に罪を認めれば、もう少し刑が軽くなったかもしれないし、これは法廷で争う類の事件なのかという疑問もあります。だいたい裁判官や弁護士の費用とか、裁判に掛けた時間(2審まで)とか、裁判に関わった人の数とか諸々を考えると、10円の窃盗罪を争う裁判としては無駄が多すぎるように思います。なんともやるせない裁判の記事ですが、被告にとって不運だったのは、織田信長の供養塔という場所での盗みだったからもしれません。有名な戦国武将の10円の賽銭には、10円以上の重みがあったことを認識すべきでした。
お金を拾ってポケットに入れた経験は誰でもあると思います。でも訴える人がいなければ捕まらない。しかし、たとえ10円でも盗んだと訴えられると、裁判では懲役1年。この判決で解釈すると、たぶん1円でも同じ量刑でしょう。
普段、何気なく使っている10円の価値をとても考えさせられた記事でした。
アメリカ人の冥王星への愛着度が判る本。 日本人には、太陽系9番目の惑星としか認識が無い冥王星ですが、アメリカでは「冥王星の降格」は、大問題だったようです。何故かと言えば、この元惑星はアメリカ人が発見した唯一の惑星だったからで、ディズニーのキャラクターの名前としてもその名前が使われたほど「愛された星」だったからです。
この本では、降格させてしまった当事者の一人である著者が発見から惑星降格までの経緯と、何故冥王星が惑星として相応しくないか、冥王星はアメリカ人にいかに愛されていたかを紹介しています。冥王星は日本人には馴染みが薄い星ですが、実はエピソードに溢れた魅力ある星だったようです。
現在、NASAの探査機が冥王星に向かっており、数年後にその全体像が明らかになるそうです。打上げた時は、「惑星」に向かっていたはずの探査機ですが、残念ながら「惑星探査機」の座からも降格されてしまいました。
あまり関心の無かった昨日の選挙ですが、国民の義務として投票に行ってきました。
先週は毎日入れ替りで朝から駅前で候補者の立会演説会をやっていましたが、通勤時間帯は仕事に向かうため素通りするしかなく、候補者が何を公約したのか全く分からず仕舞でした。結局、投票所までどの党、誰に入れるか決まらず、投票用紙を見ながら悩んでしまいました。できれば投票所の前に候補者の選挙公約の一覧を表示するとか、そういうサービスがあっても良いのではないかと思います。
夜は全てのテレビ局で選挙番組が放映され、開票してすぐ「当選確実」のテロップが流れ、万歳三唱を叫び、記者がレポートを入れ、党首が喜んだり苦渋の表情を浮かべたりという光景も昔から変わらなくて、デジタルの時代になった今でも選挙だけは昭和のアナログな時代のままです。
投票方法も相変わらず紙で、投票所に行って投票するするのも変わらずです。地デジやインターネットが普通に使える時代になっているので、これからは忙しい人や若い人向けのデジタルな投票方法を考えて欲しいと思いました。
著者はNHK大河ドラマファンという文筆家。
自分が著者と同じ世代ということもあり、大河ドラマを見始めた時期も同じなので、なかなか面白く読めました。内容は大河ドラマの入門書というより、むしろ大河ドラマと著者の付き合い方という感じで、ややミーハーな見方でドラマをザックリと紹介しています。
原作とキャスト、音楽、史実との関係などのまとめ方になっていますが、キャストに割かれたページが多すぎて、読んでいてやや退屈でした。(著者の好みの女優の話は、いらない情報です)それ以外は、手短に要領よくまとまっていて面白かった。最後は今後の大河ドラマに対する期待となっているけれども、本としての構成は、やや尻すぼみの印象です。大河ドラマが好きだった時代が著者と被っていますが、アイドルタレントや歌手を起用し始めた頃から興味が無くなり、今は全く見ていません。大河ドラマは、人気取りではなくて硬派な歴史ドラマであってほしいと思います。
今朝の情報番組で、ネガティブモデルの栗原類が出ていました。
「シザーハンズ」「チャーリーとチョコレート工場」で有名な映画監督ティム・バートンへのインタビューという企画で、どんなインタビューになるのか心配しながら?見ていましたが、普段の内気そうな彼とは違う堂々としたインタビューで驚きました。
小さい頃アメリカに居たということで、英語も流暢に話せるし(実はハーフらしい、当然?)、気が利いたアドリブもできるし、映画の内容もよく抑えていて、監督のコメントをうまく引き出していたように思います。また、スタッフのために通訳する気配りや、怪獣好きの監督へのキングキドラのプレゼントの贈呈の演出など、18歳とは思えないベテラン顔負けの良いインタビューでした。ティム・バートンの映画は、皮肉が効いた大人のためのファンタジーが多くやや好き嫌いが分かれますが、栗原類は彼の映画が好きで、その世界にフィットしそうなキャラクターを演じているような気がします。ネガティブを装っていて異常なくらい謙虚なだけで、実はいろいろな才能を秘めているようです。変なタレントだと思ってましたが、ちょっと見直しました。彼の今後の活動が楽しみです。
小沢昭一の道楽三昧の半生記。
数多くの遊びから学んだと言す彼にとって、道楽と仕事は紙一重であったようです。とにかく話の内容がとても面白くて、一気に読めました。
彼の子供の頃の遊びは、虫・コマ・メンコ・ビー玉・飲む打つ買う・落語・演劇・映画・俳句・競馬・写真など自分の世代でも同じ遊びの経験があって共感できる部分が多かった。(飲む打つ買うは例外だけど)子供の遊びは、自分達で遊びを発明するから楽しいのであって、テレビゲームのような与えられた遊びしかできない今の子供は、彼の目には気の毒に見えるらしい。また大人の遊びとしての競馬について、一般に競馬好きには「馬」が好きな人と「ギャンブル」が好きな人が居ますが、彼の競馬は「ギャンブル」派で、写真で見る外見からはイメージが違っていたのが意外でした。彼のようにいろいろな趣味に興味を持ち、自分らしく遊ぶ愉しみを覚えれば、人生も退屈しないでしょう。ちょっとだけ、憧れる人生です。
数年前、会議の中でやたら「いまいま」という言葉を連発する人が居て、何で「今」と言わないのかと不思議な感じがしました。
「オトナ語の謎」にはそういう言葉が数多く収録されています。オトナが使う奇妙なビジネス用語ですが、自分でも普通に使っている言葉が収録されていたりして意外な感じがしました。気になった「いまいま」の解説も記載されており、この本を読んでやっと納得しました。でも正直、このような言葉はビジネス以外では使いたくない。また、早くも死語になった言葉もあるようです。
本には「オトナ語」として収録されていますが、使いすぎるとコドモっぽく見えてしまいます。世代間で通じない言葉もありますので、もし「オトナ語」を使いたい場合は「オトナ語」がちゃんと理解できる大人を探して使う必要がありそうです。