その後、私は父が物事に集中してこの様に我を忘れた姿になり、1人凝り固まって動かない状態に陥るという事態を見る機会は少なくなった。そして遂には父のそのような姿は途絶えてしまった。
「親になるとじっくり物事も考えられないのか。」
父は不満そうに私の前で口にしたが、何だか嬉しそうだった。そうだ、私はあの様な父の姿に、泣きながら父に取り縋り「お父さん確り!。」と声を掛けて彼の体を揺すった事がある。彼の膝に泣き伏した事もあった。
その時の父の物思いは何だったのだろう。後日私の父は祖母に不満そうに不平を並べていた。…「それでは、私の時には何もしてくれなかったのか?。」「何故あれだけそんなに世話を焼くのだ。」というような言葉に、祖母はお前とは違います。とか、あれは一番上だから親の思い入れも違うのだ。とか、にべも無い答えを並べていたが、そうかと俯いた父の顔が、不満というよりも寂しそうな表情に変わって来ると、遂には「お父さんの方で何かなさっていたかも。私が訊いてみましょうかね。」と言うと、父の傍から離れて行った。
私が祖父母の話を聞いたところによると、これは私が態と聞き耳を立てていた訳では無いのだ、たまたま私がお八つを探して居間の茶箪笥の中を1人物色していた時に、隣の部屋から彼等の声が聞こえて来ただけの事なのだ。父、四郎の様な末の子の身の処し方ともなると親の介入は皆無であったらしい。祖父母は互いに連れ合いが息子の世話を焼いていると考えて、互いに手出しをしなかった様だ。
「お父さんがされていると思って、」「否、お前が万事手配していると思っていた。」と言い合うと、彼等は互いに呆れたように、「では、あれには何にもしていないんだね。」「そうなんですね。」と嘆息し合っていた。
「可哀そうに、それではお父さんが学校に頼んだ事にしておいてください。」
最後に祖母の明瞭な声が聞こえ、この言葉に「えっ!」と酷く驚いた祖父の声が響いて来て、後は部屋も静かになった。私は音を立てない様に箪笥の引き戸を静々と閉めた。
後日父は上機嫌だと分かる笑顔でありながら、言葉だけは困った事をしてくれてと言うと、「父さんがなぁ、私の為になぁ。」と、感慨深く呟くと、それで先生があんな事を言ったのかと、居間に座り込んで独り言ちていた。彼は居間の襖に貼られた真新しい白い障子を眺めていたが、その内私に言った。
「あの障子はお父さんが1人で張替えたのだ。」
年末の大掃除では、今度はお前にも手伝ってもらおうな。何を思ったのか機嫌良さそうにそんな事を言った。
「あれは当てにならないからなぁ。」