母が実家に帰るという一件があってから、その時、私が母の後追いをするという事態が全く起こらなかった事から、母の里でも母と私の現状を問題に思ったのだろう。今後の母のこの家での立場を考えて、私と母の関わり合いを多く持たせるようにとこちらの家に申し出が有ったのかもしれない。又は子供の事は親に任せよう、子の半分は母方の血筋なのだからと、こちらの祖父母の方で考えたのかもしれない。どちらにしろ現在迄に私と母の関わり合う機会は増えていた。その為、私は母からも母なりの教育を受ける事になった。案外、祖父母が私に世話を焼かなくなったのは、かつての彼等の言葉「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのが本音だったのかもしれない。が、実際、年老いた老夫婦には幼子の教育は骨だったのだろう、彼等は次第に私の教育には関わらなくなり、私の両親の育児に付いても構わなくなって行った。一応、彼等にとってあまりに目に余る時や、気力の未だ有る時には私の教育に熱心な事もあった。
そんな現在の縁側での出来事だ。私は祖母の言いつけ通り縁での演奏を取り止めた。すると、数日して母が、「お前最近、縁で騒がないね、如何したんだい。」と言う。もちろん祖母から注意されたから止めたのだと私は答えた。母は、お前は縁で騒ぎたくないのかいと訊いて来る。それは、勿論私にすると縁の演奏会は面白くて楽しい事に違いないのだから、それは騒ぎたいけどと答える。すると母は、
「したいならすればいいのに、変な子だね。」
私ならしたい様にするけど、馬鹿な子だね。とまで言う。そうだろうか?と私は思った。祖母の話では御近所迷惑という事だったのだから、縁で騒ぐ事はしてはいけない事なのでは無いか、それでも自分がしたい事をして良いのだろうか?したい事をしないのは馬鹿なのだろうか?父は馬鹿はダメだと言っていた。等々、私の思考はこんがらがって混沌としそうだった。最終的に祖母に従うべきか、母に従うべきか、私は迷った。『父に聞いてみよう。』これが私の出した答えだった。
「お父さん、」
と私は自分の悩みを彼に持ちかけた。祖母と母、どちらの言いつけに従ったらよいかと相談した。父は私の顔を見詰め、極めて生真面目な顔付で目を見開いていたが、そうか分かったと言うと、返事を待つ私に次の言葉を語る事無く、少し間を置いて母を呼んでくるように言いつけた。
その後、母は仏頂面をして私を睨んでいたが、祖母の方も祖母の方で機嫌が悪く、母に対して「お前さんのしたいようにすればいいじゃないか、お前さんの子なんだから。」と言うと、妙な感じで家の中は縁を挟んで不協和音を奏で始めた。私は恐る恐る縁を歩いたり。時にはゴトンと1回だけの音を立てて満足したりしていた。