「お前あの時妙な笑い方したなぁと思ったんだ。」
それでかと言いながら、父は縁側にいる私の所へとやって来た。
その日私は変な夢を見る事無く朝の目覚めを迎えホッとしていた。機嫌よく朝食を食べて、縁側で1人遊びをしていた。最近置かれた祖母の鏡台等弄くっていた。鏡台自体はかなり古い物で、多分祖母の嫁入り道具の一つなのだろう。今まで何処にあった物か、私が気が付くと、この明るい縁側に引っ越して来ていたのだ。年代がかっているだけに、その引き出しには色々な古い小間物がびっしりと入っていた。それらは私にとって初めてみる物ばかりだったので、私の興味を著しく引いた。特に長い柄の先が尖った櫛等形が面白く、祖母の仕方を見よう見真似で真似してみると、大きな鏡の中の自分の顔を覗き込み、ニコニコして自分の短い髪の毛を持ち上げるようにすいたりしていた。そこへ父がやって来たのだ。
「ああ、こってり絞られた。」
これでは脂汗も出やしないというものだ。そう父は言って、はははと私に快活に笑いかけた。父の妙に明るいその様子はカラ元気という物の様だった。少しして落ち着くと彼はじわじわと涙が出て来たらしい。私の傍には愉快そうに賑わしくして来た父だったが、座って暫くして妙にしんみりと静かになった。
私は父のその沈んだ静けさが気になり、見るとも無しにちらりと父の顔に視線を送った。すると彼は半べそを掻いた様な顔をしていて、目が赤かった。私は何だろうと思い、それとなくちらちらと父の顔色を窺った。父の目にはじわりじわりと涙が溢れ、つつつ…と、その涙の粒が頬に伝わる頃になると、これは私にも彼が泣いているのだという事がはっきりと分かった。
「お父さん、泣いているの?。」
私が驚いて尋ねると、父は片手で涙を拭い、泣いてなどいる物かといった。
「子供の前で父親が泣くなんて、そんな事がある筈がないだろう。」
そう普通の声音で言って、彼は片腕で顔の上半分を覆い隠すと、私の視線から涙を隠して空威張りして見せた。
私はと言うと、父がそういうのだから彼は泣いていないのだろうと単純に思った。この点、目の前の現実より人の言葉の方を信じるという単純さだった。私は安心して父の方には関心を払わずに、また祖母の興味尽きない鏡台の探索に掛かった。
少しして、落ち着いた父がお前何をしているのだと言う。私は祖母の鏡台の中を見ていると答えた。面白い物が一杯あるのだと言うと、父は顔をしかめて、そんな事をするとお祖母ちゃんが怒るぞ、そしてそのとばっちりが私に来るのだと独り言の様に愚痴をこぼした。
「子の責任は親に来るんだ。」
そう言った父は「止めなさい!。」と言うと、私を叱責に掛かった。すると
「いいじゃないか。」
と祖父の声が障子の向こうから響いた。そしてがらりと障子戸が開いた。縁の隣の自室から祖父が姿を現した。
「叱る気が有るなら、あれの事だ、もうとっくに叱っているさ。」
そう祖父は自分の息子に言うと、私のしたい様にさせておくといいと助け舟を出してくれた。父は「父さんがそういうなら。」と、不承不承で私の顔を睨みながら引き下がり、縁側からも引き下がって何処かへ姿を晦ましてしまった。祖父は何だか愉快そうだった。私が祖父の顔を見ると、やや彼の片側の頬がほんのりと赤く、淡い明るい紅色に色付いていた。