ある日、私が縁側で遊んでいると祖母がやって来て言った。
「お前は一体何処から来たんだろうね。」
そんな事を言うのだ。覚えているかい?とも聞く。この時、私には祖母の質問が全く分からなかった。『何処?何処から来たのか?』。内心、祖母の言葉を繰り返すばかりだ。殆ど近隣しか出歩いていない私の事だ、遠い場所といっても母の郷里程度、そんな来た場所についての質問をされる意味さえ分からないのだ。
はて?、私の家はここだ。私は母方の里で生まれたので母の里から来たともいえるが、如何も祖母の質問の答えはそれではなさそうだった。
「思い出してごらん。」
最初彼女はそう言ってあっさりと去って行った。
その後も、縁側という場所に限って祖母のこの質問は続いた。そしてこの質問に掛ける時間が、回を追う毎に長くなっていった。
「今は忘れているけどきっと思い出せるよ。」とか、「自分がお前の歳には覚えていた。」「覚えてない?そんな事ではお前は大した記憶力じゃないね。」等々、私は彼女が問いかける自分の出自の場所をこのままでは必ず答えねばならないのだ、という様なプレッシャーを感じ出した。そして精神的に段々と追い詰められて行った。質問への切迫した苦しさを感じ出した。
『無理な事を。』私は困った。何しろ私の脳裏には、祖母の言うらしいどんな場所でさえもちらりとでも思い浮かんで来ないのだ。思い出そうとしても私の心の中では真っ暗な洞穴のようにその場所は闇に閉ざされていた。
「全然、何も思い浮かばない。」
何回目かの問いかけに私がそう言うと、祖母は、私が忘れているだけだと断定する。思い出そうと努力すれば私はきっと思い出せると言うのである。
『そうかなぁ?とても私には無理なんじゃないかなぁ。』
私の前から漸くの様に祖母が去ると、私は溜息と共に心の中でこの言葉を呟いた。
そんなある日の事、到頭、祖母の何時もの問い掛けが始まって直ぐに、
「私には出来無いの!。お祖母ちゃん、無理な事ばかり言う!。」
と、私は彼女に抗議のように云い放った。そして直後にワーッとばかりに泣き崩れてしまった。この時は、直ぐに「おい、おい、…。」と、縁側に私の父がやって来た。そして彼は自分の母に「母さん智は無理だと言っているじゃないか。」と、私の事を取り成してくれたが、祖母は
「いや、この子には無理じゃないよ。私の血筋が半分は入っているのだから。」
と、彼に譲らなかった。祖母は頑としてこの問いかけを止める気配が無かった。お前だってこの子の歳には覚えていて私に言えたじゃないか。と私の父である自分の息子に言い張った。私は彼女の頑なな迄に自分の息子に譲らないこの態度に、『祖母はそれほど迄して私に何を思い出して欲しいのだろう?』と返って訝るのだった。
「思い出してごらん。お前の歳に思い出しておかないと、もう一生忘れたままになるからね。」
祖母はそれだけ言うと、その日の質問は早々と打ち切った。
祖母を見送り縁側に私と共に残った父は、私に困ったなぁと言うと、「あの調子では母さん、お前のお祖母ちゃんは収まらないな。」と言う。そして祖父である彼の父に相談してみるかなと呟いた。