その後の事だ、翌日であったかもしれない。父は私を伴って縁側にやって来た。彼は徐に懐から懐中時計なる物を取り出した。彼がこれはな、と、そう説明したのだ。そしてこんな便利な物が有るのだとにこやかに言うと、本来の使い方とは違うが、こんな便利な事にも使えるのだと言った。彼はにこにこして、さてとと、私の前で懐中時計の鎖を伸ばしてみせると、その丸い時計を私の目の前で振り子の如くに揺らし始めた。…。父は何やらあれこれと時計の説明や世間の話を語りだした。
「…という事だ。」
そんな事を言って、父はこれでお仕舞いだと言うと、ほくそ笑んでその時計を自分の懐に収めた。
「時計は私に返しておくれ。」
隣の部屋から祖父の声が聞こえた。
その晩、私は不思議な夢を見た。薄っすらと暗い中に人の声らしい話声がする。私は誰だろう?、どんな話だろう?と思うが、ハッキリとした人の姿や声は分からなかった。声だけが闇の中に響いている感じだ。声が漂っていると言った方が当たっているかもしれない。目覚めた後、私は生まれて初めてこの様に変な夢を見た事を訝った。不思議に思うと首を傾げた。
お陰で、その日の私は朝から妙な顔をして首ばかり傾げていた。1人の時間が出来ると必ず思案顔をしていた。朝食後、何となく何時もの様に縁側にやって来た私だったが、全く遊ぶ気が起こらなかった。縁の端にちょこんと腰かけてしんみりしていた。そんな私に祖母が如何したんだいと声を掛けて来た。ここは縁だ、またいつもの祖母の質問が始まるなと、私はちらりと考えて嫌に感じたが、そんな事さえ気にする気持ちが起こらない程、今朝の私は妙な夢の事に気を奪われていた。
変な夢だ。あんな夢今迄見た事が無い。私の夢は何時も綺麗に彩られていて、花や虫や鳥、あらゆる自然の万物等、今まで私が目にして来た物が見たままの姿形で出て来ていたのだ。あんな暗いだけの実態の分らない声だけの世界なんて…。私は私がこんな夢を見た事自体が奇妙な事であり、不思議な出来事に思えて仕様が無かった。
「変な夢を見たんだけど…。」
私は祖母に正直に見た夢の話をした。すると祖母はそんな事は無い、それは変な夢ではないと言うのだ。そして彼女は奇妙な顔をするどころか明るく嬉しそうに微笑んだ。彼女は今からだねと言うと、「これからもそんな夢を見たらお祖母ちゃんに話しておくれ、お願いだよ。」と合掌して私に依頼すると、ほくほくとした感じで私の元から去って行った。
私はその彼女の嬉しそうな丸まった背が縁側を進んでいく後姿を見詰めていたが、その姿が妙に心に引っ掛かって来た。私にはその時の祖母が今までとは違った風に感じられたのだ。私はそれが何故なのかと不思議に思った。『大好きな祖母だったのに…。』何となくそんな事を思った。何故そう思ったのかもその時の私には理解出来無いでいた。