翌日、昨晩今朝と食事の時間は何事も無く過ぎていた。私は家族間の見た目が平常通りであり、各人に何ら蟠りが無く、全てを水に洗い流したという様子でいるのをやや不思議には感じていた。私はこの頃になると、大人というものは何か争い事が起きても、互いに波風を立てない状態でいるらしいという事を経験から薄々理解し始めていた。世の柵という物なのだろう。当人が嫌でもその状態にいる気でいるなら、互いに目くじらを立て合わない方が良いという事を相互間で理解していた様だ。
これは白黒はっきりつけたいタイプの私にすると、何となくこんな家族の様子が分かってはいても理解し難かった。そこでそれとなく拘りの強そうな2人、女性陣の祖母と母の顔色や様子を交互に見てはその心情を推し量っていた。彼女達のどちらかが少しでも顔を曇らせたなら、それはやはり彼女達に私の推察通りの胸に一物という物が残っているからなのだと考えられるからだ。私は私の推察が正しい事を立証したかった。
私の注目の視線の元、祖母は塞ぎ込むどころかにこやかに笑顔でいた。昼食後は祖父と2人自分達の部屋に向かうと、部屋からは彼女の楽しそうな笑い声さえ響いて来た。彼女は何時もより機嫌がよさそうに見えた。では母は、と、私は台所で洗い物をする母を居間の出口から遠目に覗いていたが、家事中の母の機嫌など推し量りようが無かった。母は平常状態だった。
夕刻に近くなった頃、私はまた居間の戸口から台所を覗いて見た。遠く裏口の降り口に母の姿が極めて小さく見えた。彼女は腰を掛けているのだなと私は推察したが、その小さな人影から沈んで肩を落としている様だとも感じた。私はやっぱりと思った。母は家族と揉めて気落ちしているのだ。
私があちらこちらと周囲に耳を澄ますと、父は家内や母の傍にはいないようだった。私は母に向かって家の奥へと歩を進めてみる事にした。母に近付いて行くと、やはり彼女は背を丸めて土間を見詰めていた。彼女の背は彼女がさっぱり元気が無い様子を物語っていた。そんな母に、私が声を掛けようか如何しようかと迷っていると、母は私の気配を感じたのだろう彼女の方から振り向いた。その顔はやはりやつれた感じで疲労感が滲み出ていた。
「なんだ、智ちゃんか。」
母は父とでも思ったのかもしれない。自分に近付いて来たのが私だったのでがっかりした様子だ。声に失望感がこもっていた。私がそんな母に何と言葉を掛けてよいかと考えていると、その私の煩悶する顔付をじーっと見て母が言った。
「まぁ、ここに座ったらどう。」
ぽんぽんと自分の横の登り口に渡された木材を叩いて見せた。私は言われるままに黙って彼女の横にちょこんと腰を下ろした。
あんたも何か言われたんだね。母は私が彼女に掛ける言葉に困っていた顔を、何か別の悩みを抱えた顔と思ったようだ。
「あの人本とに何でも細かくて五月蠅い人だね。」
五月蠅いと母は繰り返し、私に向いて同病相憐れむと言う目付きでニヤリとすると、
「知っているかい、五月蠅いというのを漢字で書くと五月の蠅と書くんだよ。」
と言った。漢字などという言葉さえ知らない私は眉根に皺を寄せて母の顔を見上げた。母はそんな私の困惑した顔つきにふふふと笑うと
「如何したの?箸の上げ下げでも注意されたのかい?。」
そう言って自ら言った言葉にはははと可笑しそうに笑い出した。母の元気が出たようだ。私はほっとするとにこやかに微笑んだ。