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落ちぶれた
モバイルの背に
手をかけて
波待つモスに
詩人はひとり
(折句「おもてなし」短歌)
長い雨の後の大きな水たまりの表面がゆらゆらとして物語が浮かんでいました。水の紙芝居のようでした。
昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいて昔話に花を咲かせていました。昔のことらしく幾らでも遡ることができるので、なかなか話は先に進みません。おじいさんに先に進めようとする意思はなく、おばあさんには遡るための引き出しが幾つもありました。引き出しを開けると、新しいおじいさんとおばあさんが現れて、新しい昔話が始まります。
「昔話は尽きませんな」
話が尽きない限り、時間はいくらあっても足りませんでした。先を急ぐばかりの若者は、話をろくに聞かずに町を出て行きました。残ったおじいさんとおばあさんは、昔話に話を咲かせます。そうして、おじいさんとおばあさんばかりが、どんどん増えていきました。
おじいさんとおばあさんがいなければ、昔話は始まりません。そして、おじいさんとおばあさんが増え続ける限り、昔話は増えていくのです。
おじいさんはそれはそれは大きな秋刀魚を買うと意気揚々と家に帰りました。何しろおじいさんは秋刀魚が大好きだったしこんなに大きな秋刀魚はこれまで一度も見たことがなかったのです。そして、秋刀魚が好きなのはおじいさんばかりか、おばあさんも秋刀魚が大好きだったものだから、それはなおさらのこと、そうしなければならなかったのです。何しろおじいさんは、おばあさんが美味しいものを食べている時の表情が一番好きだったのです。秋刀魚と同じくらいに好きでした。
おじいさんは秋刀魚を買って踊るようにして家に帰りました。玄関を開けて中に入ろうとすると、おじいさんは体が中に入らないことに気がつきました。大きすぎる秋刀魚のせいで入れないのでした。流石のおじいさんもこれには大層がっくりと肩を落としました。
「なんてこったい! こんなに大きな秋刀魚は初めて見た!」
それからおじいさんは気を取り直して、今度は秋刀魚を縦にしたり傾けたりしながら、どうにかして中に入れないものかと努力に努力を重ねました。その結果、どうにか道が開けるかもしれない。そういうことが今までにもあった。そうだ、あったに違いない。報われない努力があったことか。おじいさんは自らに言い聞かせながら、何度も何度も秋刀魚と共に家に入る努力を続けました。おじいさんは今までの豊富な人生経験から、努力が人を裏切らないことを、誰よりもよく知っていたのです。
そうしてまだ実らない努力を続けている間に、おばあさんが帰ってきました。おばあさんは手に大きな秋刀魚を持っていました。
「おじいさん。まあおじいさん。何を努力をしているの?」
おばあさんは手に大きな秋刀魚を持ちながら言いました。
「いやなに、秋刀魚がなかなか言うことを聞かないものでな」
「あらまあ、おじいさん! 私も秋刀魚を買ってきたのよ!」
「おばあさん! なんと大きな秋刀魚じゃ!」
おじいさんは、おばあさんの手にある秋刀魚の大きさに驚いて言いました。
「おじいさんの秋刀魚も、大きいじゃないの!」
「そうなんじゃ、おばあさん! 大きくて大変だよ!」
「それは大変ね!」
「何を言うかね、おばあさん。おばあさんの秋刀魚も大きいじゃないか!」
おじいさんとおばあさんは、お互いの秋刀魚を照らし合わせて、大きさを比べてみることにしました。するとどうでしょう。秋刀魚と秋刀魚が照らし合って、きらりと光り輝きました。それは二人の前に突然生まれた星のように光ったのでした。一瞬、二人はそのまぶしさに驚いて、顔を遠ざけました。
「おお! なんてまぶしいんだ!」
「だけど家の中には入れない」
その時、秋刀魚は二人の前で剣のように輝きを放ちました。
二人は秋刀魚の剣を握ったまま、かちかちとぶつけ合って闘いました。秋刀魚が剣士を作り、剣士にプライドが目覚めたためでした。閉ざされ玄関の前で二人は幾度となく剣をぶつけ合って闘いました。決着が着くよりも早く、二人が剣を置く時間が訪れました。剣が夜に恋して交わる内に、鱗が落ちて秋刀魚の顔が戻ってきたためでした。
「家に入って休みましょう」
「そうだ。そうしようじゃないか」
おじいさんとおばあさんは家に入ってしばらく休憩を取ることにしました。秋刀魚のことを完全に忘れたというわけではなく、休憩を取った後にまた改めて考えることにしたのです。いいアイデアが湧いてくるかどうか、二人に確信など微塵もありませんでした。そればかりか気まずい空気が流れていたのです。おじいさんは、窓を開けて新しい風を呼び込もうとしました。窓からは、風ではなく他ならぬものが入ってきました。それは他ならぬ気分的なもの、他ならぬ季節的なもの、他ならぬ昆虫的なもの、他ならぬ憂鬱なもの、他ならぬ演奏的なもの、他ならぬ感覚的なもの、他ならぬ他人めいたもの……。そして、二人にとって待ちかねた、他ならぬ閃き以外の一切だったのです。
おじいさんはいても立ってもいられなくなって、家を飛び出しました。そして、その後におばあさんも続きました。
外に出て秋刀魚を手に持つとそれは前よりも重みを増しているように感じました。やはり巨大すぎて玄関を通らないのは、前と同じです。その時おじいさんの頭に、待望のアイデアが閃きました。
「ここで焼けばいいじゃないか!」
「そうね! おじいさん!」
すぐにおばあさんも賛同しました。早速煙を起こし、秋刀魚を焼き始めました。なんとも言えないよい香りが、広がっていきます。それはこの世の秋を感じさせるもの、生きていて良かったと思わせるに十分すぎるほどの香りでした。けれども、その魔力的な香りに引きつけられるようにして、邪悪なものたちが迫っていることに二人は気がつきませんでした。
「そろそろ食べ頃かね、おばあさん?」
いよいよおじいさんの空腹も限界に近づいているのでした。
「なあ、おばあさん?」
煙の中に、おばあさんを見つけることができませんでした。
おばあさんが姿を消したことを知ったおじいさんは、一人寂しく秋刀魚を食べなければなりませんでした。
おばあさんに関する手がかりと言えば、ほんの少し前に野生の雄叫びのような声が聞こえたというだけでした。
一人になってしまったおじいさんは、おばあさんの気配を追って町中を歩きました。そして、町を飛び出して山の奥にまで潜っていきました。どこまで行ってもおばあさんの姿はなく、おじいさんは途方に暮れて座り込みました。その時、木陰から密かにおじいさんの様子を見ているものがいました。それは何か小さな存在のようでした。
「出ておいで」
おじいさんの囁きに安心したのか、イノシシの子供がゆっくりと姿を現しました。それは母親からはぐれた子イノシシでした。おじいさんはポケットの中から残りのチョコレートを取り出して与えました。すっかり日が暮れて、おじいさんが肩を落として山を下りると、後ろから子イノシシがついてきました。手で追い払うような仕草をしても、しっしっと言っても、まるで通じません。仕方なくおじいさんは子イノシシを連れて帰りました。どことなくおばあさんの面影が感じられたからです。
おじいさんと子イノシシの生活が始まりました。おじいさんは、どこに行く時も子イノシシと一緒でした。図書館に足を運んでは、イノシシのことについて学び、また子イノシシの方もおじいさんと共に歩むことで、人間の習性を徐々に学んでいったのでした。そんな互いの努力もあって、イノシシは一人前に成長し、すっかり町の人気者になったのでした。
多くの役割がイノシシに与えられました。一日警察署長、一日駅長、一日校長先生、一日コンビニ店長、一日動物園長、一日映画監督、一日大学教授。そうした一日一日が、宝物のようでした。おじいさんは、イノシシの後に、マネージャーのようについて回りました。
ある日、イノシシが死んでしまいました。葬儀には、町中からたくさんの人が押し寄せ別れを惜しみました。
おじいさんは悲しみに打ち勝とうとして仕事に打ち込みました。おじいさんの仕事は獣医でした。以前にも増して積極的に最新医療を学ぶようになり、またイノシシで儲けた資金を投入して、最新機器を次々と導入しました。そうした努力の甲斐もあって、おじいさんの動物病院の名声は、町だけに留まらぬ広がりを見せ、国中から名医の治療を求めて動物たちがワンワン、キャンキャンと押し寄せるようになりました。
「うちの子がとても苦しそうなの」
少女は狼を抱きかかえながら、駆け込んできました。
「何か変わったものを食べましたか?」
「わからない。わからないのよ」
何もわからないと言って、女の子は泣きました。
名医は次々と質問を浴びせました。女の子は泣いていて、一つも答えられません。名医はレントゲンを撮るため、狼を抱えました。とても苦しげに息をしています。
「これは何だろう?」
写真を見てみると何か得体の知れないものが写っていました。名医は手術台に狼を運び、鋭利なメスで狼のお腹を切り裂きました。すると中におばあさんが隠れていました。
「おお! おばあさん! こんなところにいたのかい!」
おばあさんを狼のお腹から取り除くと丁寧に縫いつけました。そして、今度はおばあさんを抱きかかえて、少女の元へと行きました。
「腹痛の原因はわかりましたよ。もう大丈夫です」
「ありがとう! 先生、ありがとう!」
今度はうれしさのあまり泣きました。
うれしいのはおじいさんも一緒でした。何しろようやくおばあさんと再会することができたのですから。間もなくおじいさんも泣き出しました。
「どうしたの? おじいさん?」
おばあさんが長い眠りから覚めて口を開きました。
「何だかおかしな夢を見ていたわ」
「どんな夢だね? おばあさん」
「秋刀魚を手にして戦っていたの」
「そうかね。それはおかしな夢だね、おばあさん」
枯渇の旅人が水たまりを飲み干すと紙芝居は消えてしまいました。おじいさんも消え、おばあさんも消えてしまいました。
「もっとシュートを!」
「僕だってシュートを打ちたいですよ、監督」
「相手にとって何より怖いのはシュートだ」
「枠の中に飛べばでしょ」
「打ってみないとわからないだろう」
「打った後ではわかるじゃないですか」
「人に当たって軌道が変わるかもしれないぞ」
「そのためにはゴールに向かっていることが必要ですよね」
「勿論だとも。ゴールに向かうからこそシュートなのだ」
「ですよね。やっぱりコースが重要なんじゃないですか」
「最初に打たないことには始まらない」
「コースを狙って打つということですね」
「前に打とうとして打つということだ。その上で、コースを狙うことは言うまでもないことだが」
「そのために必要なことは何でしょう?」
「まずはシュートを打てる場所にボールを置くことだ」
「はい。自分の足下に近い場所になければ、シュートが打てませんね」
「その通りだ。それで今、ボールはどこにあるのだ?」
「味方の足下に。いや敵の、いや味方の……」
「どこだ? 今はどこにあるのだ?」
「監督。今を受け止めることなんてできません」
「そうか」
「今、僕らはみんな動いているんです。ボールも、選手も、それに」
「ん?」
「応援してくれている人々の心も」
「そうだ。それが我々が生きているということに違いない」
「はい」
「それで、だいたいは今どの辺りにあるのだ?」
「あそこです。おーい、こっちへよこせ!」
「あれは敵の選手じゃないか」
「あいつがもたもたしているから……」
「どうやら中盤が落ち着きを失っているようだな」
「そうです。せっかく僕はフリーだったというのに」
「呼吸が合ってないんだな」
「僕はあいつの言うように動いたんです」
「どのように?」
「例えば、星のようにです」
「一番星か?」
「ゆっくりと現れる星ではなく、突然流れ出す星です」
「突然にか」
「その方が人の目にはよく映るでしょう」
「そうだ。動物とは動く物であり、動く物を見つける物でもある」
「はい。僕は最善のタイミングで動き出したはずです」
「それで見過ごされた?」
「見過ごしたのか躊躇ったのか、だからみすみす敵の足下へとボールは渡ってしまった」
「あまりに星に寄りすぎたのではないか?」
「だったらどうなるんですか?」
「心が整っていなかったのかもしれない」
「願い事が準備されていなかったと言うんですか?」
「仮にそうだとしたら、見えていても出せなかった」
「考えすぎでは?」
「監督は選手以上に考えなければならない」
「そんなことはあり得ないことです」
「どうしてかな」
「僕たちの願い事は最初から決まっているからです」
「ゲームに勝つことだな」
「はい。このピッチに立つ者なら、みんなわかっていることです」
「大きく言えばそうだが。人間は一瞬の内に多くを忘れることもできる」
「そんな……。フリーズじゃないですか」
「願い事を細分化してしまったという可能性もある」
「それで一つを咄嗟に選べなくなったと言うんですか?」
「そのようなケースもなくはないということだ」
「考えすぎにしか思えません」
「あるいは……」
「今度は何です?」
「願うよりも早く動きすぎたのかもしれない」
「確かにあいつは動けと言いました。だけどその前には、あまり動くなとも言ったのです」
「なるほど」
「そいつは矛盾です」
「動くにしても早すぎた可能性もあるな」
「ベストだったはずです」
「止まっていては見逃してしまう。早すぎたとしても、やはり見逃してしまうだろう」
「監督は何が言いたいんです?」
「時とタイミングが重要だということだ」
「それは同じことじゃないですか」
「グリム童話を読んだことがあるかね?」
「子供の頃なら少しは」
「主人公が幸せになれるのはなぜだと思う?」
「特別な力を持っているからでしょう。魔法とか」
「それは違うな」
「英雄的な力を持っていて、どんな悪にも打ち勝てるからです」
「主人公はいるべき時にいるべき場所にいて、出会うべき援助者に出会うからだ」
「タイミングだと言うんですか?」
「そうだ。主人公はタイミングだけを見計らっているのだ」
「そういう筋書きだからでしょう。作り話じゃないですか。どうにだって書ける」
「なんてひねくれた子供だ」
「僕はもう子供なんかじゃありません」
「子供の時はもっと素直だったとでも?」
「誰だってそうでしょう。魔法だって信じられるほど」
「今は信じられないと?」
「わかりません」
「疑心暗鬼になっているのか?」
「魔法というものが、よくわからなくなってしまいました」
「確かに現代は魔法のわかりにくい時代だ」
「はい」
「何が魔法で、何が魔法ではないのか」
「空も飛べるし、手を触れずに動かすこともできるし」
「夢のようだったことも当たり前にできるようになった」
「はい」
「それでも人々は魔法を求めている」
「どんな魔法が残っていると言うんですか?」
「人は魔法を求める生き物なのだ」
「それは矛盾ではないですか?」
「ピッチの上に魔法をかける選手を望んでいるのだ」
「勝利よりも魔法が大事なんですか?」
「そうは言っていない。勝つことは何より重要だ」
「でも、魔法も大事だと?」
「勝ち負けならコイントスでだって決められる」
「それなら一瞬で終わりますね」
「そうだ。だがそれはただのギャンブルにすぎない」
「サイコロを振るようなものですね」
「決めるだけならそれでも済むということだ」
「はい」
「にらめっこだって決められるんだ」
「笑わなかったらどうなるんです?」
「そうだ。人間は笑わなければならない。そのためにこのような場所が必要なのだ」
「監督。僕たちはコメディアンではありません」
「その通りだ。君の言うことは正しい」
「ありがとうございます」
「だが、人々を楽しませるべき立場でもあるということを思い出してほしい」
「言葉ではなくボールを使ってですね」
「そう。舞台よりも低く広大なピッチの上で」
「ギャグではなく、パスやシュートによってですね」
「ゴールを決めた後は、どんなパフォーマンスをしてもいい」
「ピエロのようにおどけても?」
「勿論。魔法は祝福に値するものだ」
「魔法とは何なんですか?」
「それは力だ」
「いったい何の力なんですか?」
「ゴールにつながる力、勝利へと導かれる力だ」
「それで僕はどうすれば、どう動けばいいんですか?」
「動くべき時に動き、そうでない時には動かないように動けばいいんだ」
「動いてばかりでは駄目だと?」
「そうだ。動きすぎては無駄に体力を消耗しすぎる。つまりは腹が減りすぎる」
「はい。そう言えばお腹が空いてきました」
「ピッチの袖でバーベキューをすることはできない」
「はい。わかっています」
「おにぎり一つだって食べられないんだぞ」
「あまり食べ物の話をしないでください。集中できなくなります」
「そういうことができるのはどこだと思う?」
「キャンプ場ですか? レストランとか」
「例えばそれはコンビニだ」
「ああ」
「コンビニには行くのかね?」
「普通に、行きますね」
「どこのコンビニが好きなのかね?」
「だいたい近くにあるコンビニです」
「例えばそれはポプラかね?」
「ああ、まあそういう時もありますが」
「君は菓子パンとコーヒーを買いにコンビニに行ったのか」
「おにぎりと緑茶です」
「君は欲しいもの特に欲しくはなかったものを適当に手に取りレジへと向かった」
「はい」
「けれども、そこには店員の姿が見えない」
「そういうこともありますけど」
「君は当惑した様子で身を乗り出してバックヤードの方を見る」
「店員さんを捜さないと」
「すみません。誰かいませんか?」
「……」
「すみません。誰か、誰かいませんか?」
「いるんじゃないですかね」
「けれども、奥から店員は姿を現さない。なぜだね?」
「忙しかったんでしょうか」
「そこにいてほしい時にそこにいなかったからだ!」
「当たり前じゃないですか」
「ぽっかりとスペースの空いた陳列棚に、菓子パンを並べに行っていたのだ」
「なるほど、そういうことか」
「その時、彼は君の望みとは関係なく出し手の方に回っていたのだ」
「忙しいんですね」
「そうだ! コンビニ店員はとても多忙だ!」
「はい」
「そして、ポリバレントでもなければならない」
「何でもしないといけないんですね」
「そうだ! 便利さの裏には、何でもしなくてはならないスタッフの苦労が隠されているのだ」
「はい」
「どれだけの人が、その勤勉さに対して感謝の念を持っていることだろう。君は持っているのかね?」
「これから持つようにします」
「そうだ。君が目指すべきところはコンビニだ!」
「どういうことですか? 僕がコンビニだとは」
「何かが必要な時に人々がコンビニに足を運ぶように、君がパサーにとってのコンビニになれということだ」
「わかりません。監督。よくわかりません」
「まだよくわからないようだな」
「さっぱりわかりません。ポプラになるということですか?」
「この瞬間にすべてを理解する必要はないんだ。まだ時間は十分に残っている」
「ある者は動けと言い、ある時には動くなと言うし、またある者は星になれと言い、しまいにはコンビニになれと言う者までいます」
「それがポリバレントであるということだ」
「いったい僕はどの声を聞けばいいのでしょうか?」
「それでは、一番大事なことを教えよう」
「はい。それが最初に知りたかったことでした」
「舞い落ちる瞬間の木の葉を見よ。演奏に入る間際のピアニストの肩を見よ」
「何だって?」
「多くのものに惑わされるなということだ」
「はい」
「敵は敵の中にだけいるのではない。味方の言葉が常に信頼に値するとも限らない。ある者の言うことは、ある時には正しいのだ。だが、それは必要な時に君が取り出さねばならない」
「はい」
「自分の声に耳を傾けろ。自分の心の声を拾え」
「はい」
「そして今度は、自分の声を上げるのだ。ここによこせ! ほら、今だ! ここにパスをよこせ! と」
「俺によこせ!」
「そうだ! それでいいんだ」
「俺によこせ! ここに出せ!」
「そう。もっと、求めろ!」
「俺によこせ! 俺によこせ!」
「そう。もっと! もっとだ!」