6月1日(水) <5月28日(土)の続き>
東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー萬KENBUN録-ヨコハマ・パノラマウオーク VOL.3 『落武者と八百万の神』 '東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が、在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録で、定年1年前の今年3月に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまいましたが、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。
路地を通るのはお約束事です
YC&AC (横浜カントリー・&アスレティック・クラブYokohama Country & Athletic Club)
中区矢口台11-1
1868年に英国の商人達により創設されたクリケットクラブが前身で、日本で最も古い国際的スポーツ・社交クラブで元は横浜公園内(現横浜スタジアムの所在地)にあり後に現在の場所に移し、2012年には移転後100周年を迎えたそうです。
以前、訪れた時は周りから眺めただけでしたが、今日は内部見学が出来ます。
ボーリング場を見学中に思い出しました、何十年前でしたか?ボーリングが大ブーム
になる少し前に設計と施工の参考にする為見学に来た事がありました。
当時、横浜には此処と本牧のPX(進駐軍の基地内の売店)の処にしかなかった
記憶が?あります。
本牧山頂公園 来たことがありますが、見晴らしが良い処です 。
園内には日本画の大家下村観山の顕彰碑があります、三渓園で知られる
実業家原 富太郎(号は三溪)は美術品の収集家として知られ、
芸術家を支援・育成を行っていたので明治・大正時代の日本画家達と
横浜は縁が深いらしいです。
1989(昭和64~平成元)年、年号が昭和から平成に替わり日本中がバブルに
浮かれ、横浜博覧会が開催された年に郊外型巨大ショッピングモールの先駆けとして
オープンしたけどバブルの崩壊と交通の不便さも重なって衰退し現在は
イオンに吸収合併される形で消滅してしまいました。
この周辺は戦前のチャブ屋街 跡地
開港時から戦前までは港湾附近で外国人や船員を相手とする売春婦
をかかえている小料理屋を指したが、女性が接待するだけでなく
ダンスホールがあったりして外国文化の発信地でもあったらしい。
日本来航時に横浜周辺を測量したペリーは本牧の赤土の崖の色から
「マンダリン・ブラフ(オレンジ色の崖)」、現在の本牧市民公園周辺の崖を
「トリーティー・ポイント(条約岬)」と名付けたそうです。
本牧十二天社跡地 現在は本牧神社の名で本牧山頂公園の麓に移転しました。
この周辺は戦後のチャブ屋街で進駐軍兵士を相手にする歓楽街として再興したが
売春目的のホテル街となり多くのバーやキャバレーなどがあり売春防止法の施行でチャブ屋街は
無くなりましたが、今でも裏路地を行くと古い建物も残っていてはいます。
現在もライブハウスとして現役のゴールデンカップ(レストラン&バー)中区本牧町1-46
1960(S40)年代グループサウンズ全盛の時代にスパイダース・タイガース・テンプターズなどに
続いてデビューし「長い髪の少女」がヒットし全国的な人気になった
ザ・ゴールデン・カップスはここの専属バンドとして活躍していたそうで,
2年前にはディナーショーが開催されたそうです。
ライブに出演するグループがリハーサル中でした。
案内人の中川道夫氏(写真家) 高橋直裕氏(東京意匠學舎主宰)
横関さん(南区まちかど遺産探検隊員)ありがとうございました、
楽しい21,600歩でした。