ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

大江戸歴史散歩(2019-5-② (城官寺・旧古河庭園・六義園を歩く)-4

2019-06-04 16:34:25 | ガイド街歩き

6月3日(月)<5月22日(水)の続き>

大江戸歴史散歩を楽しむ会 5月定例会-②

江戸東京の歴史散策に興味があり、健脚であればどなたでも気軽に参加できる「大江戸歴史散歩を楽しむ会」を開催しております。健康散歩や歴史探訪に好奇心がある趣味を同じくする、世間と折合いの付けられる人々が集い、江戸切絵図を片手に身近な散歩を楽しみながら懇親を深めることを目的としています。定例会は毎月の第2水曜日と第4水曜日の2回開催致します。どうぞ、お気軽に参加ください。

テーマ :  城官寺・旧古河庭園・六義園を歩く

ガイド :  渡辺功一大江戸歴史散歩を楽会)

コース : 南北線西ヶ原駅滝の川公園→平塚神社→城官寺→平塚亭→無量寺→

             旧古河庭園(春のバラフェステェバル(西洋庭園)

            日本庭園心字池(池泉回遊式庭園))→染井吉野桜公園

             六義園(築山泉水公園→大泉水周遊)→東洋文庫→駒込

 六義園

 

 

 

色んな場所の景色になぞらえてあるらしです

 

 

 

 

この後もう1ヶ処訪れるのですが、早退します。

渡辺さんありがとうございました、参加者の皆さんお疲れ様でした、

楽しい14,200歩でした。

 後日送ってもらった集合写真(旧古河庭園で)

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東京意匠學舎 相模湾巡りージュラシックパークから三浦水軍の城址を巡るー2

2019-06-02 12:55:01 | ガイド街歩き

6月2日(日)  5月25日(土)の続き>

東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)のガイドツアー 相模湾巡りージュラシックパークから三浦水軍の城址を巡る

今回は東京湾から相模湾の海辺へ、三浦半島の原生林が海につながるエコの聖地小網代の森。ミキモト真珠のルーツやトーチカ。油壷、三浦氏滅亡の海岸を歩く旅です。干潟の蟹ダンスも見られるかも・・・・。

'東京意匠學舎(主宰:高橋直裕)'は世田谷美術館元世田谷美術館の学芸員で教育普及課長だった高橋氏が在職中に世田美主催のイベントとして企画・実施・案内役を勤めていたガイドツアー建築意匠學入門・萬KENBUN録がルーツで、定年1年前に退職され落語家(遊興亭福し満)に転身されて終了してしまった催しを、常連参加者の要望で同じ趣旨で再開してくれたガイドツアーの会です。

案内役 :  中川道夫(写真家)  高橋直裕(東京意匠學舎主宰)氏

コース : 京急三崎口駅→(バス)引橋→小網代の森(ボードウオーク→中央の谷→源流の出合

     →シダの谷→浦の川→まんなか湿地→やなぎテラス→柳澤スワンプ(トンボ)→下流

              大湿地(カエル)→鉄バクテリアの溜水→アシ原→えのきテラス→河口干潟→リゾート跡→

              アカテガニ広場→眺望広場宮ノ前峠)→小網代湾白髭神社(カンカン石)→

         真珠養殖・海の教室漁港・(対岸)御用邸用地油壷験潮場旧建屋

              東大三崎臨海実験場油壷湾新井城跡白秋碑→東大実験場旧本館

              ・別館→荒井浜→ジオサイト海岸,海食洞,三崎・初声層→泥岩・砂岩・凝灰岩の磯→

              本土決戦トーチカ跡→胴網海水浴場→(対岸)特攻艇「震洋」洞窟基地→ 

        三浦義同(道寸)供養塔辞世の句→新井城碑→マリンパーク→(バス)三崎口駅

 

 

小網代の森の流れは小網代湾に注いでいます

湾に接してある白髭神社ここまでは何度か訪れています。

 

 

真珠養殖・海の教室

此処は養殖真珠研究ゆかりの場所だそうで、真珠を養殖により生み出すための研究の始まりは、株式会社ミキモト創業者御木本幸吉がこれから訪れる東京大学三崎臨海実験所初代所長箕作佳吉博士の出会いからで、その後の研究の成功により三重県で世界初の養殖真珠の量産が現在の株式会社ミキモトによってなされるようになったのです。

この湾でも1949(S24)から数年間、神奈川県による真珠の養殖事業が行われました。

幻の初声(はっせ)御用邸

 

小網代湾の漁港の体面の小高い森に昭和初期に建設が計画されたが昭和恐慌によって頓挫したそうです。

油壷験潮場旧建屋                        東大三崎臨海実験場

 

 東京大学地震研究所油壷地殼変動観測所

新井城址

  

 

油壷湾 名前の由来は油を流したように静かな入り江 

 

<続く>

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好古会 東京湾第三海堡展示場&追浜地区史跡巡り-3

2019-06-01 15:33:07 | 講座・講演会・勉強会

 6月1日(土) <5月24日(水)の続き>

好古会有志による三浦半島ハイキンク '東京湾第三海堡展示場&追浜地区史跡巡り'

お寺の裏側に続く台地は追浜駅の裏側の高台へと繋がっていた一連の山で、ここを武蔵の国と相模の国との国境線としていて、現在でも横須賀市と横浜市との市境とほぼ一致するそうです。

 

久遠山大悲院良心寺 浄土宗  横須賀市追浜南町1-27

 

 

首切り観音                                                 1830~43年頃頃天保の飢饉が起こり、飢饉が起こって生活が苦しい時に盗みなどの悪い事をした罪人の首をはねていたそうで、国道工事をしていた時に首だけの遺体が沢山出てきたので供養碑として建立されたもの。

暑いので無理せず浦賀道の難所 がらめきは中止して今日はここで終了。

案内役の方々、参加者の皆さんお疲れ様でした、楽しいい13,100歩でした。

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