カプースチンの作品。
彼はピアノの名手でもあった。
8つの演奏会用エチュード。
ピアノ演奏家が弾きたがる作品のひとつ。
それをどうぞ♪
Kapustin plays Kapustin: Concert etudes = Никола́й Ги́ршевич Капу́стин: для фортепиано: opus 40
薪ストーブはありがたい。
長ぁ~い煙突で温まる。
1.煙突は可能な限り屋内で距離を長くとる
2.煙突は可能な限り垂直に近い状態にする
3.屋根の上に煙突を出したら、そこから先は短く納める
それが出来れば家の中をなるべく効率よく温めることでできて、煙突内にヤニが付着することを最小限にできる。
極寒な外気の中でも温まる屋内。
Aコープで購入した分厚い靴下。
この鹿の角は、昔スズキヤさん(長野県飯田市の肉店)で購入したものだ。
今の室温は23度。
理想的だね。
丸ぅ~く空気が温まる薪ストーブ。
電気やガスとはどこか空気が違う。
どこがどう違うかと問われれば説明に困るが。
「おひとりさまの老後」が大ヒットした上野千鶴子先生の著書のひとつ。
上野先生は八ヶ岳南麓の住人でもある。
南麓とは広大な八ヶ岳山麓のうち、山梨県側を指す。
上の画像の終わりから下の画像の最初にかけて、上野先生は以下のように書いている。
西麓には別荘地で有名な原村があり、古いだけあって管理がしっかりしていた。長野県は別荘地分譲の規制がきびしく300坪以下の分譲を禁止していたが、山梨県はほったらかし。50坪からの分譲もあったし、建ぺい率も高さ規制もなし。「どうぞこの土地にお好きなように建物を建ててください」と言われて、口あんぐり。なぜだか「週末は長野にいます」のほうが、「週末は山梨にいます」より、知的に聞こえるような気さえする(笑)。だが東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない。北に山を背負った南斜面がいちばん住みやすいのか、八ヶ岳南麓には古代遺跡がいくつもある。
上の文章の前半部分にある長野県は建築の規制が厳しく山梨県はユルユルであるというのは正しいが、山梨県側に建蔽率も高さ規制もないというのは間違いだ。いくら何でも・・・(笑)。
また近年は、長野県の新規大型別荘地開発における最小区画面積は300坪ではなく1,200平米(=約400坪)という規制がなされているところが多い。
大きな問題は先生の文章の後半にある。「東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない」という部分だ(笑)。
上野先生のお宅は南麓の標高1,000mにあるらしい。西麓の原村で標高1,000mというと、ちょうど下の画像のあたりだ。ここまで八ヶ岳連峰から離れると上野先生のお宅とほぼ似たような時間に朝日が昇るはずである。「東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない」というのは明らかな誤りである。
ところが我が山荘のある標高1,600mとなると、話は違ってくる。朝日を拝むのは相当遅い。山荘が八ヶ岳にあまりに近く、真東にある山々や木々が朝日を遮るのである。
しかも八ヶ岳に近過ぎるため、八ヶ岳連峰が広く見渡せないのである。山荘前の道路から、阿弥陀岳の頂上部分を見るのが精いっぱい(↓)。
八ヶ岳が好き過ぎてそれに近寄り過ぎると八ヶ岳が見渡せないという状況で、これは一般的に「八ヶ岳のパラドックス」と言われている(←うそ、そんなことは言わない)。
また上野先生ご指摘の古代遺跡については、山梨県側にもあるけれど、長野県側の方がはるかに多いだろう。縄文文化が花開きその文化を引きずって、一方でそこに神話が絡んで来るのが諏訪大社だ。特に上社ね。それは以前このブログでも書いたとおり。
ご関心ある方はこちらをどうぞ:
高名な社会学者が書いた文章が常に正しいとは限らないのである(笑)。
上野先生が書いた別荘地文化のまた別の話が、ガーデニング派 vs. 家庭菜園派である。
ガーデニングが好きな方は敷地内に菜園など作らない。逆もまた似たようなものだ。
別荘地でルールが厳しいところは、敷地内を畑にすることを禁じている。
上野先生の敷地は中谷耿一郎氏(著名なガーデナー)が手を入れたらしい。
お昼過ぎには屋内がまぁ~るく温まって、まったり。
ドガティ君はしっかり昼寝。夕方はボール遊びで忙しいからその準備かな?(笑)
そしてまた夕方が来て、ドガティ君はプライベート練習場に出かける。
「そのボールで遊ぶのですね」とドガティ君の期待が高まる。
ボールを追いかけるドガティ君。
そして今度は駆け下りてくるドガティ君。
「おとーさん、ボールを蹴ってください」
これを蹴ればいいの?
そしてまた上へ。
次は別の遊びになる。
カラマツ林の間で号令がかかるのを待つドガティ君。
離れたところで待つおかーさん。おかーさんの左側には少し離れてボールがある(↓)。
おかーさんが「おいで!」と呼ぶ。
するとドガティ君が走って来てボールを取る(↓の画像の左端)。
そんな簡単な遊びを繰り返す。
こちらが今年26年目を迎える山荘と前の道路。よく通ったよね。
ここは登山道でもある。このまま登れば阿弥陀岳まで行けるよ。
そこへご近所さんが散歩に来られて、ドガティ君の相手をしてくださった。
このご近所さんは、私のブログを読んでくださっているらしい。
先日の香草庵の店主さんご家族といい、この方といい、みなさんにいろいろと読んで頂いてありがたい。
おかーさんとドガティ君の遊びが続いた。
ここは別荘地の終点だ。
ドガティ君は「もうボール遊びは終わり?」と不満げ。
さすがに遊びすぎです。
また疲れてずっと寝ていることになるよ。
疲労しているのに、遊びたい気持ちが勝ってしまう、ガキなドガティ君。
私はビール。
ドガティ君のセーターは雪でぬれたので、ストーブで干す。
このビール、私の好みじゃない(笑)。
限定醸造の文字につられてしまった。
味がどうもいまひとつ・・・。
夕方になり外はどんどん冷えて来たが、屋内はホッカホカ。
ここからは温度調節が難しくなる。
放置すると屋内が温まり過ぎるからね。
原村のAコープで買ったおつけものやお惣菜を並べる。
あっさりと晩御飯だ。
ごはん、サラダ、大根のおつゆ、ザーサイ、高菜漬け、かつおの刺身、切り干し大根の煮たの、ひたし豆。
上野先生の続き。
上野先生の作品のうち最大のヒットは例の「おひとりさまの老後」である。
どんな暮らしをしていても、最後にはひとりになることが多い。
シングルアゲインな女性を、ずっとシングルだった上野先生は歓迎している。
シングルアゲインって言葉の使い方がいいね。
『「いっしょに暮らそう」という悪魔のささやき』と言って、子が親に同居を言い出した時の危険性を、先生は戒めている。
子も子の生活があり欲もあり、子は自分の生活を守り、より良くしたいと考えている。
だから二世帯住宅というのは曲者だ。親は家やお金を餌に子供を釣って、子供に自分の面倒を見させようとし、子供も自分で家を買うのはしんどいし、親に頼ればいろいろと楽が出来るから、親が差し出す二世帯住宅という餌に釣られる。
しかしそんな同居状態が当初はうまく行ったとしても、その期間は意外に短く終わることが多い。親世代も子世代も孫世代も歳をとり、どんどん生活のパターンがバラバラな方向に変化するからだ。
親世代がまず健康を損ない介護なしでは生きて行けなくなり、やがて家を出て施設や病院行きになる。子世代はますます多忙になり遠隔地や海外に転勤したりあるいは離婚したりして、そこには住めなくなることもある。孫世代はすぐに成人して元気に独立する。
二世帯住宅が完工当時計画されたとおりの二世帯住宅としてきちんと機能する期間は短く、それを過ぎると二世帯住宅は却って使いにくいだけ。そんな例を私もたくさん見て来た。
家族構成の現状に合わせて、中古住宅をどんどん買い替えて行くという文化は日本にはあまり定着していない。一軒の家が流通市場に出て長い間にいくつもの異なる家庭により所有されるということが滅多にないのだ。そもそも我が国の住宅の建替えサイクルは悪名高い短さだ。
そんなことを考えると、おひとりさまは気楽かもしれない。とにかく面倒がない。
我が家もそうだが、夫婦はどちらかが先に死ぬわけで、その時はおひとりさまが残る。さてどんな暮らしになるのでしょう。どんな暮らしをしている人も、みなそれぞれに問題があるのですねぇ。
【つづく】