資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ときめき百名城巡り~官兵衛が幽閉された有岡城址

2023年07月15日 | 城郭検定資格とその活用

 姫路城の後は、JR尼崎まで戻って、伊丹へ。空がうるさいと思ったら、この上は空港。伊丹の駅前に有岡城址がある。有岡城跡と官兵衛ゆかりの藤だって。

 官兵衛が幽閉されていて、藤の生命力に励まされたというのは大河ドラマにあった。実話かどうかは、怪しいそうだが、姫路城にあった藤の子孫樹を植樹して、記念にした、というので「官兵衛ゆかりの藤」になっている、何だかねえ・・

 有岡城の主郭部は、伊丹の駅前にあったそうだ。お城の敷地は、バカでかい。惣構えだそうだ。

 こっちは、城跡、きれいだから、復元だろうね。

 このお城の主人公は、あの荒木村重だ。そう言えば、直木賞の推理小説もここが舞台だったねえ。

 礎石と井戸跡。

 有岡城の石垣、これも復元かな。

 土塁。こちらは本物だろう。

 最後に、公園を外から。官兵衛の幽閉の城というから、また牢屋の址くらい残ってるのかと思ったが、こんなもんかねえ。ちょっと期待外れの城跡でした。

 

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ときめき百名城巡り~二百名城再訪、城郭検定のフォロー、姫路城

2023年07月14日 | 城郭検定資格とその活用

 六甲山、有馬温泉の後は、このブログ、しばらく空きました。翌日はお城巡り、まずは日本一の姫路城。姫路城は過去三、四度、旅行したことがあるが、お城に興味を持つ前のこと、百名城巡りでは、時間がなかったため、スタンプのみとしていた。

 ということは、城郭検定などでは、からきし歯が立たないのだ。いの門がどうしたとか、ろの門がどうだとか、もう一遍行ってみないと分からないな、と思っていたことろだ。

 まずは、出題のあった「菱の門」、表玄関の門だ。正面に名前の由来の「花菱」が飾られている。どれが花菱だ?

 

 次は、中村大佐の顕彰碑に目が行く。姫路城売却・取り壊しの際、難を逃れたのは中村大佐のおかげだ。これは過去問にあったな。

 続いては、三国堀。ここからは天守閣が映える。

 菱の門東方石垣、白漆喰で塗り込められている。

 十字紋瓦、黒田官兵衛がキリシタンだった影響で、瓦が十字に。

 扇の勾配、算木積みもしっかり入ってる。

 姥ヶ石、伝説上の石だ。築城時におばあさんが一番先に臼を持ってきて、協力したので、他の農民達も協力して城ができた、いう話だったっけな。網のかかってるのが臼。

 たぶん備前門あたり。

 二の丸に降りて、お菊井戸。ここは観光客が必ず寄る場所。

 しゃちほこは、耐久性がないようで、大修理の際は、取り換えるそうだ。明治、昭和、平成と歴代のしゃちほこ。

 戻って、太鼓櫓。

 井戸は内曲輪だけで、全部で33ヶ所あったそうだが、現在は11ヶ所残っている。

 黒田官兵衛の普請した、石垣。野面積みだ。こっちはあんまり人が来ない。

 最後に、東に廻って、帯郭櫓(腹切丸)。なんで腹切丸なんて名がついたんだろう、やな予感、調べないでおこう。

 というわけで、姫路城は、広すぎる。そのため、今日は天守には登らないで、門や石垣を重点に見た。もう一回天守をよく見ようかな。ところで、過去問で、姫路城で一番小さな門は? ってあったが、どれだろう。小さな門は幾つもあったからね。

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ときめき百名城巡り~続・百名城の登城完了証をいただく

2023年07月09日 | 城郭検定資格とその活用

 先日、続・百名城を完登して、日本城郭協会に申請しておいたが、完登証とともにスタンプ帳が返ってきた。順位は1345番目。百名城のときは、4867番目だったから、続になるとだいぶ減るようだ。

 さて、同封物に、城郭ニュースと認定証盾を買いませんか、ときた。やっぱりこれか。認定だけじゃ、財政的に厳しいからね。1つ15,000円。私の場合、購入するとしたら、百名城と続・百名城だから、合計30,000円だ。

 百名城の時もどうしようか迷ったが、そのままになっている。両方完登して、少し欲が出てきたが、締め切りもないようだから、懐と相談して、じっくり考えよう。

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ときめき百名城巡り~最後は二百城目、水城の五島福江城

2023年06月24日 | 城郭検定資格とその活用

 日本百名城を巡り始めて三年、最初が浅間山登山の帰りに寄った小諸城だった。そして今回の旅行、金田城に続いて、五島の福江城、ここが二百城目になる。もともと旅が好きだった夫婦、コロナで列車や宿がガラガラ、それもあって順調にスタンプを集めることができた。

 最後の五島福江城。幕末に外国船が来るようになって、その防衛のため幕府が許可し、できた城だ。ここは石垣と門、それに藩主の庭園だけが残っている。まず、搦め手門。

 石垣の裏の階段、雁木と言ったっけな、でもこれは、ただの階段かな。

 庭園の入口、ここに最後のスタンプがある。

 ここの藩主は、隠居してから庭園を造った。カメが好きで亀の石があちこちに散らばっている。

 切り込み接ぎ、幕末に作っただけあって、隙間のない精巧な作りだ。

 お城には珍しい、懸け作り。

 庭園を出て、石垣沿いに歩く。

 石垣の中は、高校になっている。

 こちらは大手門、枡形虎口だ。

 そして、五島観光歴史資料館、中に入ると、冒頭にビデオで五島の紹介、「バラモン凧」が紹介されていた。そして展示の方は、遣唐使と倭寇のことが印象に残る。中は撮影禁止のため、紹介できず残念。港の方から、舟入り跡。昔は、船で直接城に入れた。

 資料館前、記念タオルで撮影。文字がないため、どこかわからないのが玉にキズだ。やっぱり金田城の海と石垣をバックが一番いいかな。

 百名城・続・百名城のまとめは、また後日書きます。

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ときめき百名城巡り~最果ての古代山城、しっかり石垣が残ってる対馬金田城

2023年06月22日 | 城郭検定資格とその活用

 さて今回の旅は、百名城、続・百名城の締めくくりだ。初日は、対馬金田城。当初は、クラブツーリズムのツアーに申し込んでいたんだが、あまりにお高いため、個人旅行に変更。羽田空港から、福岡空港、そして対馬やまねこ空港と乗り継ぎ、タクシーで金田城へ。

 まずは文化会館(公民館)でスタンプをゲット。地図を見ると、お城はぐるりと城壁が囲んでいたようだ。

 職員の方に親切に教えてもらって、登城口へ。タクシーでもなかなか入りずらい場所だ。

 15分ほど登って、ビューポイントへ。対馬は、リアス式海岸だ。湾内でマグロを養殖している。

 そして山頂を目指す。砲台跡までは緩い登り。砲台跡は日露戦争の時、ロシアに対抗するため作ったものだ。ここだけじゃなく、ほかにも数か所あるそうだ。

 そこからは、城山山頂まで10分ほどの急登。登山経験者じゃないと厳しいかも。山頂の眺めは素晴らしい、景色をおかずに昼食。そして、達成記念タオルを広げる。ほんとは、199城目なんだけどね。

 一旦、四阿まで降りて、一ノ木戸~三の木戸へ。この木戸は、海からの入口にようだ。まず、ビンクシ山と土塁へ。

 お次は二ノ木戸。石垣は修復してあるようだ。

 続いて一ノ木戸。この石垣が一番の迫力だな。

 最後は三の木戸。

 ここから急な登りで、東南角(とうなんかど)石垣へ。この石垣が一番残ってるかな。

 そして、さきほどの展望所へ。

 ここでも達成記念タオルを張る。

 これで明日は雨でも大丈夫。今日は、登山口から山頂へ、そして一ノ木戸~三の木戸、東南角石塁を廻って、約4時間。結構な登山でした。これから今日の宿、対馬の中心厳原に行き、夕方と早朝の観光をする。

 

 

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目指せ五百資格~城郭検定準1級を受験、結果は微妙・・

2023年06月13日 | 城郭検定資格とその活用

 日本城郭検定準1級を受験した。会場受験である、東京会場は、池袋の電子専門学校。日曜の午後、池袋のメインストリートを抜けていくため、結構な混雑だ。

 そして試験、60分で100問。最初の1頁5問、1問しか分からない。徳島の一宮城だけ、焦るな。進んでいくうちに過去問題が結構出て来た、こちらは大丈夫。1問、重要文化的景観1号はどこか? 八幡山城が選択肢にある、おおそうか、行ったばっかりの近江八幡のお堀だな、一問得した。そして、10分ほど時間を余して終了。

 終わって、会場を替え、加藤理文先生の講演を聴く。加藤先生は、お城の世界では有名な先生、私は幸運にも、講演会の抽選に当たり、視聴することができた。

 冒頭、この試験の問題は、今まで私が作ってきたが、今回の試験は、私以外の先生も出題してもらったそうだ。従って出題傾向が変わってるんじゃないでしょうか、と。おおそうか。絵図や古写真の問題が何問が出ていたが、その影響か。

 そして約1時間、長篠の戦い前後の、二俣城、諏訪原城、高天神城の攻防について、深い内容が聴けた。徳川と武田の攻防の舞台、二俣城は、一度行ってみたいな。

 終わって、夕食時と電車内で自己採点。正解してるのが68問、不正解が24問、正解不正解が不明8問だった。どっちにしても合否ギリギリだろうな。不合格なら、また次も、お城ワールドを楽しめるよ。

 

 

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ときめき百名城巡り~巨大な山城、安土城のお隣り、観音寺城

2023年06月12日 | 城郭検定資格とその活用

 岐阜・滋賀のお城巡り旅、最後は観音寺城。百名城だが、実はまだ登城していない。この城はJR安土駅でスタンプが貰える。登城には登山の装備が必要とかで、じゃあ次回、となっていた。

 安土駅からの繖山(きぬがさやま)・観音寺山を一枚。全山が観音寺城になっている、山城だ。

 今日はその登山装備で挑戦。駅前の資料館で情報を入手。解体新書という冊子を百円で購入、コースは登山装備ということで一番きつい桑実寺(くわのみでら)コースを選択。そして駅前で電動レンタサイクルを借りて出発。

 桑実寺入口に到着。レンタサイクルを置いて、登城開始。石段がずっと続く。

 ようやく本堂に到着。入山料を支払い、本堂から登山道へ。

 40分ほどの山道、登山の場合は、この位の傾斜は普通だ。ただ、普段登ってない人にはややきついかも。そして、伝本丸に到着。

 案内板が薄い。

 山上に、虎口と石垣が残ってる。

 ウロウロして次がわからない。購入した解体新書の地図を見て、わかった。大石段を下りる。

 伝平井丸から伝池田丸へ。

 そして、急坂を下りて、大石垣へ。展望はいいが、大石垣ってどこだ?

 さらに下ると、大石垣が望める。そうかここか、さっきは大石垣の上にいたのか。ここは東海道新幹線からも見える場所。だから大きなノボリが立ってるのか。次、新幹線に乗るときには気をつけて見よ。

 この石垣は凄い。こんな山上によく築いたものだ。

 帰路は同じ道を戻り、レンタサイクルで貸自転車屋へ、途中、なぜか電動の電源が入らない。頑張って漕いで到着。サイクルのおばさんが五百円返してくれた。

 この観音寺城、城主は六角氏、地理的には、美濃と京都の間、信長に立ちはだかったが、実際に信長が来たら、すぐ逃げてしまったようだ。そしてこの観音寺城、スケールの大きさでは、山城で一番じゃなかろうか。

 岐阜・滋賀の城回り、おしまいです。これで、百名城+続・百名城は198城登城、残りは2城になりました。

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ときめき百名城巡り~秀次の城、琵琶湖を一望の八幡山城へ

2023年06月10日 | 城郭検定資格とその活用

 岐阜・滋賀お城巡り旅の続きを書く。近江八幡駅前のホテルに泊まり、朝から徒歩で八幡山城へ。徒歩で30分以上かかる。このお城は、秀吉の甥、秀次の城だ。秀次はご存じの通り、秀吉が子ができたため、秀次は邪魔、高野山に追っ払い、その後自害をさせた。そして一族は皆殺しとなった、悲劇の城だ。

 この城は以前、スタンプは貰ったが事情があって、実際はま登城していない。案内図を観ると、建物はなさそうだが、石垣は残っていそうだ。

 そこで、今度はロープウエーで登城する。

 ロープウエーを降りると、お寺さんかな、花頭窓がある。この窓は、装飾性の高いお城にある。まじかには見たことはないので一枚。

 お城は石垣がぐるりとと囲んでいる。

 そして、琵琶湖が見える位置へ。なかなかの展望だ。

 本丸直下の石垣。

 ここは恋人の聖地だそうだ。でも旅行地理検定上級の学習中、ネットの「恋人の聖地一覧」では、ここは出て来なかった。同じ恋人の聖地でも、指定が違うようだ。

 八幡山城からは、安土城、観音寺城の山々が見渡せる。右側の大きな山が観音寺城の山、左側の山の手前の丘は、安土城。昔は安土城まで琵琶湖の水が迫っていたそうだ。

 八幡山城は、廃城の後、秀次を弔うお寺が建てられている。石段は当時のもの。

 両側から当時の石垣がせり出している、スタンプにもなっている場所なんだが、雑草とランプで隠れてしまっている、もったいないな。

 簡単な資料館がある。発掘当時の秀次の館、礎石などの写真が展示されている。

 最後に、この城は続・百名城、もうちょっと資料が充実してるといいんだが、これじゃ、あんまり人は来ないな。

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ときめき百名城巡り~百名城じゃないけど、木下藤吉郎の墨俣一夜城

2023年06月08日 | 城郭検定資格とその活用

 岐阜・滋賀のお城巡り旅、続きです。郡上八幡から岐阜へ、岐阜と大垣の中間にある、墨俣城に登城。模擬天守とはいえ、立派だ。

 

 墨俣城は、百名城ではない、さらに秀吉が造った城は、砦程度のもの。後世に天守を模した資料館を作った。また、昭和52年に発見された「武功夜話」という資料をもとに、木下藤吉郎の墨俣築城等を解説している。館内に入るとVTRで解説がある。

 藤吉郎が造った墨俣城は、砦程度のものだ。築城の用材を組み立てるだけのため、短時間で櫓などを造ることができた。

 天守からは、濃尾平野、墨俣は木曽川、長良川など河口に大河川が集まっている場所だ。水害も多かったんだろうね。

 ここからは、岐阜城が眺められる。

 墨俣城築城後、秀吉の馬印はひょうたんになったそうだ。城の外には、そのひょうたんがズラリ。

 もう一度、墨俣城を眺めて、次は関が原に行く。

 

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ときめき百名城巡り~198番目、日本最古の木造復元、郡上八幡城に登城

2023年06月04日 | 城郭検定資格とその活用

 美濃金山城に続き、郡上八幡城へ。このお城は日本最古の木造復元のお城だ。まずは郡上八幡の城下から大手門跡。

 続いて、少し登って中腹、山内一豊とその妻千代の像。妻の千代は、城主遠藤盛数の娘だ。

 山頂駐車場へ、昭和8年4層5階建ての模擬天守だ。

 最近、地震対策などの修復作業を行って、先月、新装開城した。

 いよいよ登城、石垣がいいね。

 天守が見える位置。このお城は、撮影スポットが明示されていて、撮りやすくて助かる。青空に映えた天守、いいねえ。

 力石。ちからいし、あしたのジョーのライバルじゃないよ。

 このお城は、幾つもの戦いの舞台となった。最後、遠藤氏は、関ケ原の戦いで東軍について二万七千石に封ぜられた。その後城主は井上、金森、青山と何代も代わっていき、明治維新を迎え、明治3年にお城は取り払われた。

 天守の下で。

 天守の内部は資料館になっている。古写真によれば、明治中頃には石垣だけだったようだ。館内には、他に郡上一揆、明治維新の凌霜隊のことも。

 そして、天守から郡上八幡市内を見る。

 木造だけあって、階段を登ると、ギシギシ音がする。写真は5階の様子。

 下に降りて、一枚。

 最後は、人柱伝説、人柱のおよしさんは、自ら人柱になったようだ。日本百名城・続日本百名城合わせて200、そのうち198番目の登城、青空に映える郡上八幡城、マジック2となりました。

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ときめき百名城巡り~197城目、森蘭丸の美濃金山城に登る

2023年05月30日 | 城郭検定資格とその活用

 百名城、続・百名城合わせて200、今日は197城目になる美濃金山城へ。なかなか行けなかった城だ。南関東にいた午前中は雨、岐阜県に着いた午後は、晴れ。ついてるなあ。

 さて、スタンプを貰いに、可児市観光交流館に入る。おっと、机の下に忍者がいた。

 先客がいるため、スタンプを押して早々に登城にかかる。交流館を出て城戸、それらしい地名だ。そしてその城戸坂を登り、大手道へ。

 蘭丸広場への登りは、岩だ。この山、岩の山か、ということは石垣が豊富ってことか。

 この城は、戦国武将、森可成(もりよしなり)とその子、森長可(もりながよし)、森蘭丸(もりらんまる)で有名だ。森可成は信長からこの城を貰った。森長可は、小牧長久手の戦いで秀吉方だったか、家康方に討ち取られた。そして森蘭丸は、信長の小姓、イケメンで知られ、本能寺の変で死んだ。蘭丸の産湯の井戸がある。

 さて、ここからは山登り、蘭丸広場から、美濃金山城を見上げる。

 三の丸、二の丸、南腰曲輪と登っていく。もしもという意味で持参してきたトレッキングポールが役に立つ。礎石と石垣が残ってる。そして、破城の痕もある。

 ほどなく、本丸に到着。石碑がある。

 下界は木曽川だ。

 そして、搦め手道から下る。下に降りて、最後は米倉跡、ここに高い石垣が残っている。

 そばまで近寄って一枚、すごいね。でもここが米倉って、城の下だから、すぐに敵に取られてしまうんじゃないかな。

 時間が余ったため、山城ミュージアムへ。模型が展示されている。ここ、天守があったんだね。

 そして森可成の肖像だ。

 もう一枚、それに遺書だ。現代語訳もあって、○○の茶器は○○に譲れなどと書かれている。

 愛知県に岐阜県、それにその次に行く滋賀県あたりは、名城が多い。天下取りに関する武将が多かったせいだろう。この城、登山好き、石垣好きにとっては、結構よかったですよ。

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ときめき百名城巡り~大名ランキングを入手

2023年05月24日 | 城郭検定資格とその活用

 お城巡りをしていて、大名の石高がよく登場する。この石高、どの数字が大きいのか小さいのかが、私は、よくわかっていなかった。九州のお城巡りで、いいものを見つけた。諸侯一覧表、大名ランキング。印刷物だ、購入して保管したままだった。

 江戸時代なら、温泉番付けがよく登場するが、こちらは大名ランキング。時代は慶應年間というから、幕末だ。諸侯は全部で270ほど。一万石以上が大名だからそんなもんか。10万石以上は49、30万石以上ならたった12か。

 ちなみにベストテンは、①加州前田家102万石、②薩州島津家77万石、③奥州伊達家62万石、④肥後細川家54万石、⑤筑前黒田家52万石、⑥芸州浅野家43万石、⑦長州毛利家36万石、⑧肥州鍋島家36万石、⑨因州池田家32万石、⑩勢州藤堂家32万石の順だ。

 ふ~む、ほとんどの大名は数万石以下だ。結構貧乏だったんだね。ちなみに私の出身は石川県、子供のころから加賀百万石と言われ、地元では自慢だっようだが、今思うと、この百万石、大変な自慢になるね。前田家は徳川幕府から睨まれないようにと、大変だったんだそうだ。

 

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目指せ五百資格~城郭検定準1級の学習進捗、1サイクル目を終了

2023年05月09日 | 城郭検定資格とその活用

 今年の連休9日間は、企業研修と資格研修準備に2日、動画収録に2日、検定受験(LGBT検定)を1日、登山が3日と、結構バランスの取れた使い方となった。この合間に、城郭検定準1級の学習を続けていた。

 4月から学習してきた、日本城郭検定準1級、学習の進捗を書く。連休中に、手元にある教材の1サイクル(1回目)が終わった。出版されている問題集や「なごやチャンネル」の過去問題は、680問中425問の正解、前半は50%ほどだったが後半になって70%程度にアップしてきている。平均の正解率は62.5%。1回目としては上々。

 もう一つの教材 「姫路城完全観光案内所」のほうは1頁に5~10問あり、それが何と140頁もある。問題は3級~1級まで混合しているので、得点は計算しずらい。1千問ほども解いただろうか、とにかくものすごい数の問題を解いた勘定になる。

 そして連休の最終日には、城郭検定協会のアーカイブ動画と模試試験に挑戦。模試は35問中21問の正解で70点。加藤理文先生の模試解説と準1級合格対策ポイント解説を視聴、だいぶ知識がついてきた。

 さて、次は2サイクル目、学習期間はほぼ1ヶ月。学習計画を割り振った。週に2日で、一日200問。連休明けからスタートする。受験直前の正解率の最終目標は平均80点、2サイクル終了時点で平均75%程度を目指す。

 連休明けから5月末までは、企業さん向けの資格講座が6日間(泊りがけもある)、ガスの動画収録が4日、新人研修が1日、これで11日。加えて、森林インスタラクターのオンライン講座が4日、山も5月に入ったから2千m級の山にも登っておかないと、それにお城巡りもあるし。この間に検定の学習、6月には、城郭検定、信長戦国歴史検定、日本旅行地理検定上級と3つの検定が控えている。中小企業診断士の研究会の月例会もある。スケジュール表を書いてるんだが、入りきれない、何とか詰め込もう。忙しい月になりそうだ。

 

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ときめき百名城~夏草の賦、長宗我部元親の岡豊城

2023年05月01日 | 城郭検定資格とその活用

 

 

 四国の続・百名城巡り、最終日は雨だ。特急で中村から、土佐くろしお鉄道&JRで、高知へ。次はバスで行こうとも思ったが、途中下車してかなりの距離を歩かないといけない。パソコンを背負った荷物も重いので、しようがないタクシーを利用。

 まず高知県立歴史民俗資料館に立ち寄る。ここで続・百名城スタンプをゲット、この資料館では、長宗我部元親の本陣が再現されていて、ここでVTRで元親の前半生がわかる。なかなかのアイディアだ。さらに元親の兜や、手紙が沢山展示されている。外には元親の像がある。

 そして、いよいよ岡豊城に登城。平山城のようだ。二の段、詰下段、詰、三の段、四の段までを散策。いずれも曲輪だけだ。そして雨だから歩きにくい。

(二の段)

(詰、だったと思う。詰とは、いくさの時に籠って戦う城のこと)

 (三の段)

(城の石碑)

(横堀)

 長宗我部元親と、その妻奈々が住んだ形跡はあんまり感じられない。しかし、この地がそうだ。雨のため早々にタクシーに戻る。タクシーの運転手さんと交渉、待ち時間はカウントしないで走行距離だけで料金を支払うことで、次の龍河洞も連れて行ってもらうことにした。龍河洞と坂本龍馬歴史館の記事は次の機会に。

 続・百名城巡りは、これで四国も終了。残りは4城。岐阜と九州の離島が残っている。終わりが近づいてるって、寂しいねえ。

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ときめき百名城~百名城スタンプは山の上だ、山城の河後森城

2023年04月30日 | 城郭検定資格とその活用

 宇和島から一両編成のJR予土線に乗って、松丸駅で下車。ここの駅には温泉や足湯がある。次の列車は2時間半後。この時間で山城に登る。この城は、愛媛県と高知県の県境近くにある。

 このお城は宇和島伊達家の家来の城だ。駅から徒歩20分で、風呂ヶ谷登城口へ。山城である、登城開始。

 山城らしく登る、尾根に出るまでが一苦労だ。

 西第十曲輪に到着。この建物内に続・百名城スタンプがある。195城目をゲット!

 そして、第九、第八、第七曲輪と登っていく。

 第三、第二曲輪の間には、堀切が。ちょっと狭い気もするが。

 本郭に到着。近代のお城で言うと天守だ。建物の址だけが残っている、下界の景色は素晴らしい。

 本郭から古城へ。ここは戦国時代から岩を切って、乗降しやすいようになっていた。

 古城に到着。冠木門が復元されている。

 さらに新城へ。新城からは、西第十曲輪が見える。この城山は、大きく湾曲しているのがわかる。ここで昼食休憩。

 ツツジの群生が見頃。

 下って、石碑。

 最後は、JR松丸駅に戻り、時間まで、足湯で一息。所要2時間の登山のようなお城巡りでした。

 

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