kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ただ想う3

2024-03-03 | 陸上競技
卒業式を迎える。ここは毎回しんどいなと思います。生徒は学校を巣立っていきます。当然ですが。私は残される。当たり前の話ですがこれはキツイなと思います。生徒は「変化」のある生活になります。これまでとは全く違う環境で新しい生活を送る。が、私は取り残される。ここに対して寂しいとかではないのですが辛いなという部分があります。他の人がどう感じるのかは分かりませんが。

とはいえ、この2年間この子達が少しでも楽しめるようにしたいという想いが強くありました。周りに何と言われようとです。どうせ普段から好き勝手にやっていると思われているのだからこれからもやろう。卒業式の日に泣きながら終わるというのは面白くない。どうせ楽しませるなら最後まで楽しませて終わりたいなという気持ちが強くありました。何となく「高校最後の日」というだけではなくて。最後の日、楽しかったよねって思ってもらえる。記憶に残る事がしたいなと。

ということで久しぶりに動画を作ろうかなと。手の込んだことをするのは時間的にしんどい部分もあります。よく考えたら「素材」がないというのもあります。生徒からもらうことにしましたがこの手のフットワークが重い。素材が集まらないので作成するのに時間がかかります。本当に1ヶ月くらいかかったでしょうか。やっていくうちに写真や動画の素材がないので追加で連絡して集める。作成するとこだわりも出てくるので何度も作り直すことに。トータルで50時間は使ったのではないかなと思います。これはこれで思い出に浸れるので楽しい時間ですが。

合間に自分で録音したり教室の写真を撮影に行きました。やはり誰もいない教室は寂しい。






2月29日。この日は卒業式前の最後の登校。午後まであれこれやる事がありました。この前の登校日に「みんなで食べる最後の昼食になる」という申し出がありました。で、どうしたいのかと聞くと「みんなでピザ🍕を食べたい」と言い出す。もうめちゃくちゃです。まー楽しいんでしょう。ピザ高いやろうって話をしたのですが「持ち帰りにしたら半額になる」と。この子達はこういう情報に詳しい。「先生、取りに行って欲しい」と無茶苦茶なことを言い出す。いや、私もあなた達と一緒に体育館に居ないとまずいよね?みたいな話です。

こうなったら別の人に頼んで取りに行ってもらうしかない。副担任にお願いしました。この子達には事あるごとに言っていますが「やりたい」と思う事が全てでからわけではない。「やりたい」に対しては多くの人の助けが必要になるのです。今回はこれも伝えられることかなと思っていました。「ピザが食べたい」というだけではなくそこの裏側に何があるのか。自分達が楽しむためには多くの人の力があってできている。感謝の気持ちを持ちなさいという話をするだけではなく「やりたいこと」をするためには何が必要なのかを考えないといけない、感じ取れないといけない。その機会だと思っていました。

多分周りからすれば「何をやっているんだ」と言われるでしょう。常識的にみたら「普通やらないだろう」と言われる可能性は高い。でも「常識」ってなんだろうか。これまでの流れから世の中は変わってきている。それなのにがんじがらめの中で子供達を縛り付けるって面白くない。もちろんそれが人として許されることかどうかというのは大きいと思います。

最後だからみんなで思い出に残る食事がしたい。バラバラだったクラスの子達が一つの方向に向かうのであればそれは「教育活動」として意味があるんじゃないかなと。私自身が「枠の中」で何かをするというのが全てだと思っていません。小さな枠の中で何かをすることでは学べない部分がある。だから授業でも外に出て何かをさせるという経験をさせる。「教育活動」っていう偉そうな話ではなく。他の人に迷惑をかけるのでなければ問題はないのではないか。クラスのみんなが同じ空間でピザ🍕を食べる。家ではなく教室で。それは何年後かに「そういえば卒業式の前の日に教室でピザ食べたよね」って話せる。それがすごく大切なんじゃないかなと。

29日。ある生徒に「てるてる坊主」を作って欲しいと頼んでいました。クラス全員で。3月1日にどうしてもやりたい事がありました。それには雨が降ってしまったらできないからです。本来であれば29日はありません。この日は朝から雨が降っていました。うるう年だから晴れるかもしれないというチャンスを与えてもらったのです。だからどうしても晴れて欲しい。半強制的なところもありましたが全員で作りました。




更にどうしても見せたいYouTubeがあったので。全員で見ることに。これは夕張高校の昨年度の卒業式の時の様子です。PTA会長の挨拶。調べたら出てくると思います。この子達に伝えたいなと想うメッセージが詰め込まれているから。正直伝わるかなという不安もありました。しかし、生徒は一言も話さずに見入っていました。何人かは既に涙を流していました。別に泣かそうと思っていたわけではありません。今だからこそ伝えられるメッセージがあると思っています。

更に昨年副担任をしてくださっていた先生を教室に呼んでいました。退職されていますがぜひ来てほしいとお願いして。この子達の成長を見てほしいなという気持ちもありました。この子達を支えてくださった先生の話をきちんと聞くことも必要かなと。情報はネットでいくらでも手に入ります。そこにも大切な話はあります。が、やはり直接生の言葉を聞くというのは今しかできないかなと。

貴重な時間でした。私はこの子達のために何ができるかがすごく大切だと思っています。私が主役ではない。この子達が何を感じて何をしていくのか。そこがあればきっと生きていける。そう思ってやっています。

また書きます。

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ただ想う2

2024-03-03 | 陸上競技
一気に書かないとなかなか気持ちが記せないですね。

3年生も引き続き担任をやらせてもらっていました。進路が決まる大切な時期。とはいえ、そこだけをやらせるつもりはありませんでした。とにかく様々な経験をさせたい。授業などを通じて普通科では学べないことを学ぶ。実践的な活動をやりながら自分の力を高めてもらいたいなと。

もちろん、全員が付いてくるとは思っていません。「こんなことやっても意味がない」と感じる生徒もいたはずです。無気力に何もやらないとか打算的に意味があるかどうかを勝手に決める。それでも指導は続ける必要があると思っています。これから外に出た時に困るだろうから。高校生には分からないことが多いと思っています。実社会に出たら「やりたくないことはやらない」なんてことはまかり通るはずがないのですから。

ある程度の自由を許しながらやっていく部分がありました。とはいえ、ダメなものはダメだと想う部分もあって。1月末くらいの話だったか。2月になって家庭学習日になる前。1ヶ月間、ほとんど学校に来ません。気も緩むでしょう。この段階で髪の毛を染めたりピアスを開けるというのもあるかもしれない。それは許さないという話をしました。3月1日の卒業式が終わってからは好きにしても良いけど、学校に来る3月1日までは我慢するようにと。こんな話聞く気もないという生徒もいるでしょう。この時代ですからほとんどのことが許される世界になっています。私はダメなものはダメだと思っています。友達ではないからきちんと伝えないといけない。

とはいえ、クラスの生徒の私に対する態度はなかなかのものでした。友達ではない。が、教員という感じでもない。まー子供と同じ年代というのもあって「保護者」という感じがあったかもしれません。教員になった時は26歳だったと思いますが今の状況は想像できなかったですね。保護者に対して反抗的な態度を取る部分は高校生だからあるかもしれません。クラスの子達は反抗的な部分は私にはありませんでした。適度な距離感があるからかもしれないですね。ワーワー言いますが一応私を立ててくれる部分があるんだろうなと。

「先生はクラスのことが好きだから」みたいなことを生徒には言われていました。どうなのかな。自分自身のことはよくわからない部分があります。当たり前の話ですがこの子達が不利益を被るのは許せない部分があります。徹底的な対応します。それって当たり前のことなので「好きだから」という表現が正しいのかどうかは分かりません。もっというとクラスの生徒の前で「あなた達のことが大好きだから」みたいな表現をするとあっという間に炎上するかもしれない。「好き」という言葉だけが一人歩きするでしょうから。恋愛感情ではない「好き」であってもそれを口にした瞬間に叩かれる。私はクラスの子は「特別」だと思っています。「贔屓している」と言われたら「当然」だと言い返すと思います。他のクラスには他に面倒を見てくれる人がいるはずです。私は自分のクラスを最優先にやるだけ。間違っていない。

だからこの子達が望むことに関しては最大限応えるようにして来ました。2年生の文化祭の時には私の写真などを使った「展示会」をする。これって誰が喜ぶんだ?!と思うようなことでもこの子達が望むのであればそれで良いなと。3年生では時間が全くない中で「動画を作る」ということで夜の学校に集まって真っ暗な校舎の中で恐怖の動画を撮る。校内放送で怖い音楽を流したことで近隣に響き渡って恐怖を与える。寮生は大泣き。責任問題になるかなというのもありましたが、なんとか今を迎えることができた。

担任をした当初はどんよりしていました。生徒同士がギスギスしているところがあって。人数が多いので性格的に合わないというのも当然ながらあると思います。それでも同じクラスとしてやっていかなければいけない部分はある。真面目におとなしい子もいればワーワーいうのが好きな子もいる。お互いに微妙な距離感はあると思いますがそれでもやらないといけないことはあると思います。いつも同じグループにならないようにあれこれやっていきたいなと思っていました。次第に雰囲気も変わっていったんじゃないかなと思っています。

繰り返しになりますが。私はこの子達に好かれようと思ってやっているわけではありません。それが担任としてやるべきことだから。この子達の居場所を作ってあげること。それができないと上手くいかないと思うので。その反面、担任としてこの子達に受け入れられる部分があるのかというのは常に葛藤でした。また私が勝手なことを言っているという批判的な感情もあったのではないかなと。全てを与えない。自分達でやるべきことはやらせる。でも、できないことはこちらがある程度力を貸す。当たり前の話ですがそこだけは譲れない。それで受け入れないというなら仕方ないなと。そこまでして受け入れてもらう必要はないと考えているので。

そういう部分がメインだった気がします。2年間、同じクラスの担任をすることで見えてくることもあります。一方的にならないように距離が近くなりすぎないように。そこも含めて子供達に対応して来たつもりです。できる限り一人一人に向き合えるように。それは特別なことではない。元々担任をやりたくて今の仕事をしている部分がある。給与面や待遇面でそれほど恵まれているとは思いません。どちらかというとブラック企業だと思っています。それでも「誰のためにやるのか」というのが重要で。やりがい搾取に近い部分もあると思っています。目の前の子供達が笑顔になれるかどうか。ここは本当に大きなことだと。

そんな気持ちをずっと抱えながらやっていました。熱量が違うという部分は常にあると思います。好かれるためにやるわけではない。なんのための高校生活なのか。忘れられない思い出が作れる空間であれば良いなと。面白くないことが多いけど学校に来てワイワイやる事があれば前向きになれるかなと。学校行事やイベントはこの子達に与えてあげられる「貴重な時間」だと思っています。

またもまとまらないまま書き続けてしまいました。何の話なのか。
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