kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

検事の信義

2023-01-30 | 陸上競技
写真を撮るのを忘れて返却してしまいました。柚月裕子さんの「最後の承認」の続きです。図書の先生に借りたのでそのまま何も思わず読みましたが、どうも「最後の証人」から「検査の信義」の間には2冊あるようです。無念(笑)。基本シリーズものは順番通り読みたいのですが。

このシリーズ「まっとうに罪を裁く」というのがめいんにあるようです。結果的に「有罪」になるとしてもそこに至るまでのプロセスがあって「きちんと自分が犯した罪で裁かれる」というのが根底にあります。有罪だからそれでいいというのではない。なかなか難しい部分です。読みやすい内容であるのは間違いないですし、「結果」だけではなく「何故そこに行き着いたのか」という過程が詳細に示されます。

結局、「目に見えるもの」と「見えないプロセス」です。「罪を犯した」という「結果」が同じでも「何故そこに行き着いたのか」という部分により物事の捉え方は全く違ってきます。普段読まない分野の話なので面白かったですね。できれば途中の2冊も読みたいなと思って図書室に行きましたがありませんでした。うーん。どうするかな。

単純に「人に対する感情」をどのような言葉で捉えるか。何度も書いていますが「好き」という言葉は聞く人によっては「許されない」という評価を受けます。例えば「教え子が好きだ」と書けばその文字だけを捉えて「これは問題だ」と言われる。恋愛とか感情移入とかではなく「好き」という感情が生まれる。そこに対して「教員が教え子に」といく批判の対象になる。こうやって文字にすると全てが批判の対象になるリスクを背負うのだと思います。

私はこういう性格なので「感覚が合う」人は徹底的に好きです。また、「尊敬できる部分」や「凛とした人」はこの上なく好きです。が、「非効率的な考え方」をする人は好きではありません。感情が最優先される人も好きではない。理知的というかスマートな考え方をする人に憧れます。惹かれます。

そんな感じで感情を表すと「失礼な人間だ」と言われるのでしょう。雉も鳴かずば撃たれまた」です。余計なことを言うから批判も受けるのだと思います。が、無駄なことを無駄だというのは必要だと思います。上手くいかないことをどれだけ続けても誰にもプラスにはならない。

まーそんな感覚の中で生きているので。

本を読むことで頭が活性化するのは確かです。これまで腐りかけていた頭の中枢が動き始めます。だからといって世の中が変わるわけではないのですが。それでも「結果」をどうするかだけではなく「そこに至るプロセス」がどれだけ大切なのかも考えさせられます。勝ちたくない者は勝たなければいい。勝ちたいと思う者はそれに見合うだけの努力をすればいい。単純な話だと思いますね。

画像がないのでどんな本を読んだのかを伝えられませんが。まー読んでいます。読書熱がめちゃくちゃ高まっています。

とりあえず記しておきます。自分の中の変化を周りがどう感じるかもある意味楽しみではありますが。まー分からないと思いますが。
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汝、星のごとく

2023-01-28 | 陸上競技

デジャブ。そんな感覚の中で本を読みました。自分自身が何を思い、何を感じるのか。ここは大きなことだと思っています。

 

薦められたので凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」を読みました。これまで「流浪の月」「滅びの前のシャングリラ」の2冊を読んでいました。どちらの作品も「明るく軽快な話」ではありません。軽く読んで読後感がすっきりする話ではない。それでも引き付けられるものがありました。今回「汝、星のごとく」を薦められて「読んでみよう」と思ったのは単純に「薦められたから」ではなく「引き付けられるもの」があったからだと思います。

純粋に感じたことを書き記しておきたいと思います。たぶん、それほど面白い内容にはなりません。内面的なことになるかもしれないので。でも、この作品と出会って自分自身の「心」がどのように動いているかだけは残しておきたいなと思います。いつの日か私もこのblogを書くのを辞める。それが自らの意思で辞めるのか物理的に書けなくなるのかは分かりません。「作品」を残すという気持ちはありませんが、人の感情や想いは薄れていく。それをそのまま受け入れるのか。でも、どれだけ時間が経過しても変わらないものがある。それを自分自身がどのように感じるか。「想い」とは何か。感じるままに。

 

ネタバレになるようなことは書きたくないので。あしからず。

 

「強くありたい」と願う気持ちがあります。が、決して「強い」わけではない。それが自分自身分かっていて。誰もが「何か」を背負っている。それを捨て去ってしまえば軽くなる。作品の中に「越えてしまえば一瞬」というような表現があります。それを「越えられるか」どうかなのだと思います。「自分自身の人生を歩む」ということ。ここも何度も何度も出てきます。実際に私自身もある人からその言葉を聞いたことがあります。それは心から尊敬し、凛とした姿をもっている人でした。登場人物と重なる部分があります。誰かのために何かをする。誰かのために役割を演じる。それは「誰かのため」に何かをしているということで自分自身を保っているのかもしれない。これまでの自分自身の「生き方」を考えると結局「自分自身の人生を歩む」ということができていないのではないか。強くそう感じました。

 

私は聖人君子ではありません。誰からも尊敬されるような優れた人物でもない。今までの生き方を振り返ってみると結局「空っぽ」に近い人間だと思っています。器も中身もそれほどでもない。否定的にとらえるというのではなく実際にそうだと感じています。ただ、「自分がやりたいこと」を求めて生きていきたい。そう思っていたにも関わらず、「やりたいこと」が本当にできていない。全てを「置き去り」にして何かをやろうということができない。小さな小さな存在だと思います。しんどくて苦しくて。それをいつも自分の力で乗り越えることができなくて。自分の「心」を曝け出すことができない。それは誰もが同じなのかもしれません。自分らしく存在し続けられる場所。それは本当に限られているのだと思います。自分自身の「弱さ」を出せる場所。そこに出会えるかどうか。

 

この作品の中には「曝け出せる場所」がある。それがいつもそこにあると思い続けていて、実際はそうではなくて。現実は本当にしんどくて。でも「目に見える部分」にはそれが出てこなくて。誰もがそれを感じながら生きている。多くの人が「苦しさ」を持っている。でもそれを表に出さないだけなのかもしれない。人は「目に見えるもの」だけで様々なことを評価する。その評価基準は「自分自身の価値観」でしかない。相手の内情を考えながら行動を判断するわけではない。その人が発した「言葉」や「行動」にどのような「裏側」があるかなんてわからない。その場その場では「自分中心」で物事を見てしまう。そんな自分が「誰か」を救うことなんてできない。

 

今の仕事は多くの人と出会い、同じくらい別れを経験する。その中で「自分自身を曝け出せる」人と出会えることは限りなく0に近い。他の仕事のことは分からない。そう考えると本当に「狭い世界」で生きているのかもしれないなと思う。作品の中にも出てくる。「それは優しさではない、弱さだ」という言葉。心に突き刺さる感じがあります。私は「優しい人間」ではないと思う。「弱い人間」だと思う。だから「何か」を乗り越えることができない。周りから見える「自分自身」と私自身が持っている「自分自身」は明らかに違う。周囲が私をどのように評価するのかはそれほど気にならない。「弱さを見せない」ために虚勢を張る気にもなれない。しかし、本当の部分は「見せない」と思う。誰もが同じなのかもしれない。もっというとそこまで何かを考えて行動していないのかもしれない。

 

強くありたいと思う。が、それができるほど強くはない。それが現実。どれだけ時間がたっても「埋められない心の穴」がある。誰もが同じかもしれない。それを公言するかどうか。今の仕事をやっていて「誰かのために」と思うことが「当たり前」になっている。そういう仕事だと思うから。そうなると「自分自身の人生を歩む」ということが本当にできているのだろうか。結局は「誰かのために」という逃げ道を作って毎日を惰性で過ごしているだけではないか。全てを捨てて「自分がやりたいこと」を最優先して生きていける人は少ないのかもしれない。この作品を読む中で「自分自身」と「登場人物」の「想い」が錯綜する。本は「文字の羅列」でしかない。そこに対して読む側が何かを意味付けしている。自分以外の「誰か」に自分自身を重ねているだけなのかもしれない。

 

今回の作品は本当に心に強く残る。それは私だからなのかもしれない。他の人が読んで同じように感じるのかは分からない。が、今の自分自身にとって「強く突き刺さる」内容だった。作品の内容が様々な人と重なる。人は何を感じ、何を想い日々を過ごしているのか。自分の存在が誰かの「星」になれているか。誰が見ても同じ空にある「星」になれるのか。私と出会ったことを「良かった」と思ってくれる人がいるのかどうかはわからない。それほど大きな人物ではないのは当然わかっている。出会った人達にとって何かしらの意味を持つことができたか。

 

話の中に「互助会」という言葉が出てくる。そのような感覚。自分に足りないものを他の人が補ってくれる。他者に足りないものを自分自身が補う。「感覚の共有」とは少し違うのかもしれない。「足りない何か」を埋めることができる。考え方であったり、物質的なものであったり。自分が持っていない「何か」を埋めることができるか。それは同性だからとか異性だからとかではない気がする。作品中にも「同性愛」に関する内容が出てくる。今、この歳になって「恋愛」云々を語ることはない。誰かを好きになってという話ではないから。心が曝け出せる人は「同性」でも「異性」でも構わないのではないか。それは「恋愛」とは大きく違う軸の中にある。

 

今の自分が様々なことを考える。きっと多くの人が「表」には見えないけれど「内面」では考えている。それを「言葉」にするかどうかの違いはあるが、多かれ少なかれ「内面」で何かを感じながら行動を起こしている。自分自身の感覚は自分で分かる。が、それが他者から見るとどうなのか。全てを同じ「ものさし」で測ることはできない。そこに「正解」があるかどうかわからない。今の自分を過去に出会った人たちが見てどう感じるだろうか。5年前の自分が今の自分を見てどう感じるだろうか。情けない姿なのかもしれない。葛藤する姿を見ながら「きちんと進んでいる」と思うのかもしれない。これは分からない。「自分自身」が分かっているつもりでもきっと「自分のこと」は自分でもわからない。これまで時間を共有してきた教え子が今の私の姿をみたらどう感じるだろう。「おっさんやね」で終わるかもしれない。本当はそんな単純なことなのかもしれないなと思う。

 

上手く書けない。でも、「自分自身の人生を歩む」という言葉は大きく刺さる。それだけは確か。最近本を読むようになっている。そのきっかけをくれた教え子は「たまには自分のことを1番に考える時間を作ってもばちは当たらないと思いますよ」というメッセージを送ってくれた。救われている。世の中には「恋愛」感情だけで人を評価する部分もある。こうやって教え子からメッセージをもらうことはすでに「悪」だといわれる時代なのかもしれない。「繋がり」は目には見えない。救われているのだけは確か。今回、こうやって「汝、星のごとく」を読むことを薦めてくださった方にも救われている。一番しんどいなと思うときに「救い」がある。それは本当にありがたい、言葉では表現できない。

 

また書くかもしれません。書かないかもしれません。長くなりました。すみません。

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最後の証人

2023-01-26 | 陸上競技
またも読者のことを。図書室の本のことを話していたら「お勧めの本」ということで紹介されて3冊ほど渡してもらいました。基本勧められたら読む。今の自分自身の感情を上手くコントロールするためには自分のためだけに使う時間が必要なのだと思います。特別何かをするというのではなく。





柚月裕子さんの「最後の証人」です。シリーズ化されているとのこと。弁護士の話。ミステリー系なのかと思っていたら全く違いました。心情をそれぞれの立場から語る。人それぞれに表立って見えない部分があって。それをどう捉えるか。

正当な罪で裁かれる。重い言葉でした。若いから真っ直ぐでいられるのか。信念があるから常に前を向いていられるのか。ここは自問自答しながら読んでいました。私自身の本質がどこにあってどこに向かっているのか。他者ではなく自分自身の問題。中途半端な気持ちで何かをやるというのは周りを不幸にするのではないか。自分自身の感情とは別に「やらないといけないこと」があるのかどうか。

理不尽があって、それにどう立ち向かうか。それと向き合うことがどれだけしんどいことか。そう考えながら読んでいました。他の本を読む前に思ったこと、感じたことは記しておきたいと思います。一気に読み終えました。本当に自分のための時間。他の誰かのためではない自分自身のための時間。

大切にしたいなと思っています。

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よるのばけもの

2023-01-25 | 陸上競技
前の本を読んで。その流れの中で「よるのばけもの」を読むことになりました。図書担当の先生と話をしていて、「住野よる」さんの作品を読んだと伝えたら、「よるのばけもの」も読んでみたら?と勧められました。基本勧められると読むようにしているので。



中学生の話。内容は「いじめ」に関すること。今の仕事をしているからとかではなく、やなり「避けては通れない」部分だと思います。感想を書くときにネタバレになるようなことは書きたくないなと思っています。この記事を読んで作品を読んでみたいと思う人がいたらその人の「感じるもの」を奪ってしまう可能性があるから。それだけは避けたい。

「ばけもの」ってなんなんだろう。今の自分の姿は本当の姿なのか?もっというと「本当の自分」ってなんなんだろう。強くそう感じます。そのことは今の私自身にも置き換えられるのではないか。「今」の自分は何者なのか。何を求めて生きているのか。存在価値があるのかどうか。時代の移り変わりに取り残されている「過去の遺物」なのではないか。そう感じる部分が多くあります。

読みながら考えさせられる部分が多くありました。「また、同じ夢を見ている」とは違う感覚です。あの時こうしていたら。そう思う後悔は常にあります。今の人生を選んだのは自分自信なんだと思います。その責任は自分自身が背負うしかない。その中で「今の自分」が本当の自分の姿なのか疑問に感じることが多くあります。答えはどこにあるのか分かりませんが。

考えさせられます。本を読むことで様々な感情が自分の中で渦巻いています。出口はあるのか。分かりません。

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また、同じ夢を見ていた

2023-01-23 | 陸上競技
全く自分の心が動かなくなっている。そう感じています。何かに喜び、何かに情熱を注ぐ。素直に喜び、心が苦しくなるくらい悲しくなる。

そんな気持ちにならない。これは自分の中で末期だなと感じていました。そんなタイミングで教え子からLINEが。この子は本当に真っ直ぐでキラキラしている。何度も何度もこの子の存在に救われてきた。今の私の現状を知ってか知らずか分からないけど。絶妙なタイミング。

本の話。最近読んだ本の話だった。


また、同じ夢を見ている




「幸せとは何か」というテーマ。自分の周りにいる「誰か」と話をすることでその「幸せ」の存在について考える。昨日、本を紹介してもらって今日図書室で本を借りて。一気に読み終えた。

まだ頭の中のモヤは晴れない。それでもこうやって私の不調を心配してくれて、気にかけてくれる教え子がいてくれるというのは本当にありがたいなと思う。まさに「また、同じ夢を見ている」の内容と重なる。

本当に久しぶりに本を読んだ。何ヵ月ぶりだろう。自分のために時間を使うことがほとんどなくなっていた。それは「やり続けることが必要」と思い込んでいる自分自身を解き放つきっかけになるのかもしれない。実用書が中心だった私が前任校の図書室で本と出会いそれまでと異なる分野の本を読むようになった。自分だけの時間。

本当にそんな時間がなかったなと思う。こうやって気にかけてもらえることは「幸せ」なことなんだと思う。小さなことなのかもしれないけど。私にとっては大きな幸せだなと感じる。

本を読みたい。そこなら没頭したい。心からそう思う。教え子に救われる。感謝しかない。

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エネルギー切れ

2023-01-22 | 陸上競技
なんかとてつもなく疲れています。あれこれやることがあるのは確かですが、人生の中で何度目かのエネルギー枯渇状態になっています。

今の仕事に対してモチベーションを維持するのが非常に難しくなっています。とはいえ、今すぐに転職するというのは難しいのはわかっています。金銭的な部分もあるので。コロナ禍により時代が変わってきているのは確かです。なんでもかんでもコロナだからで許される状況が生まれている。それを自分自身が上手く受け入れられない気がしていいます。

これから先の社会を考えるとあまり明るい展望が持てない自分自身がいます。本来であれば子供達に目標を持たせてそこに向けて努力させるのが必要になるのだと思います。が、明らかに「目標を持つ」ことさえできない子供達が増えています。そこに対して何ができるのか。

教育を志した時の想いは強くあります。が、今この状況であればその「想い」は空想的な感じになってしまいます。多くの生徒と出会って自分自身も様々なことを感じてきました。かけがえのない存在だった気がします。その時と同じ思いで今の仕事と向き合えているか。時代が変わり、全ては生徒中心になっていく。保護者に対して常に低姿勢で受け入れなければいけない。

それは一時的には良いのかもしれません。しかし、長いスパンで見たときに間違った方向に進んでいないか。何もかもが「生徒目線」という綺麗事で成り立つ。社会に求められる力というのが既に変わってきているのかもしないなと思います。そんな時代の中で教育に携わってやっていけるのか。

生徒指導、教科指導、部活指導。その中で色々な変化があります。そこに対して順応できない自分がいるのかもしれません。それを自分自身が受け入れられない感覚があります。私自身が意欲的になれないからなのか、全体的に意欲的に取り組む生徒が減ってきているからなのか。ここもわからないのですが、大きな心の負担を感じるようになりました。その中でどうやって自分を保つのか。

娘が教育に携わる仕事に就きます。息子も同じように教育に携わる仕事を目指すようです。少なからず私の影響があるのかもしれません。嬉しいなと感じる反面、これから先の教育関の未来が見えない時代の中で大丈夫なのかという不安もあります。

なかなかエネルギーが湧いてきません。言葉にして吐き出していくことで何か変わるかもしれません。面白くない内容なので不快に思われる人もいるのかもしれません。1人の人間として負の部分も受け入れていかないといけないなと感じています。

なんだか前向きになれません。難しい。
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なかなか・・・

2023-01-21 | 陸上競技

かなり時間に追われています。自ら検定のために授業変更をお願いしたのもありますが。元々授業時数が多いうえに今回検定のために多めにやる。同時並行で修学旅行の計画、見直しなども入ってきます。これはなかなか・・・。

 

時間的に余裕がないので疲労度が半端ない。何度も書いていますが「働き方改革」って何かなと思う部分が多々あります。「前例踏襲」というのが世の常みたいなところがあります。コロナ禍で大きく時代が変わってきている中で「必要なもの」「不要なもの」がある程度わかってきたのではないかなと思います。不要なものを削っていかないととにかくやることが増えます。

 

タブレットなどが配布され「これまでになかった業務」が生まれています。それに対して「削られたもの」の少なさ。一時期は不要なものが実施されずスマート化されるのかなと思った部分がありますが。結局元に戻る。「今までやっていたから」という流れに乗っておくのが楽です。考える必要がないですから。

 

リモート云々というのが数年前に出ていました。これをやるために莫大お金と時間が使われています。今はどうか。ほとんどやっていない気がします。

 

検定の勉強でさえ「やっておけばいい」という雰囲気もあります。なんとか合格しようと最大限の努力をする生徒が減ってきている。これは全国的にその傾向があると思います。どこに向かうのか。

 

「微熱がある」「咳が出る」「体がだるい」というのを主張すれば「出席停止」になります。こういう中で「きちんとやる」というのを求める意味があるのか。教育関係の仕事がこれ以上発展性があるのか。親しい人たちで何人かは「数年後に辞める」と言っています。それほど「魅力」がない仕事になっているのかなと思いますね。

 

働くということ。これは必要な部分です。「やりがい」があるから働くというのも必要ですし、「生活の糧」のために働くという流れにもなるのかもしれません。20年前と同じ気持ちで働けているのか。自分自身の中で大いなる疑問を感じます。

 

愚痴に近い内容ですが。記録しておきます。

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エビ水槽の話〜稚エビの成長〜

2023-01-18 | 陸上競技
記録として。

稚エビが孵化してしばらく経過しました。最初は小さすぎて発見する事が難しい感じがありました。水槽の中をしばらく探してやっと見つかるという大きさ。1ミリくらいしかない感じではありました。

やっと肉眼ではっきりとわかる感じになってきました。







この写真は大人になっている個体との差です。明らかに大きさが違いますね、この辺りを見ていると時間をかけて育てていく必要性を感じます。



前回もこれくらいまでは大きくなりました。が、この後「できるだけ水換えをしないほうがいい」というネット情報に惑わされて失敗。結局、稚エビは全滅。大きなエビ達も半滅してしまいました。あれからなんとか立ち直してここまできました。

残念ながら大きな水槽では2匹☆になっていました。ここは難しさを感じます。水質が少し変わる事でエビにとっては大きなダメージなのだと思います。その辺りも含めて色々勉強しないといけません。

現在、検定指導のために他の授業との入れ替をしながらかなり詰めてやっています。それに加えて色々とストレスを感じることもあって。自分を保てる唯一の癒しはエビです。

記録として。

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膝を出すこと

2023-01-16 | 陸上競技

陸上競技のことが全く書けていません。それはそれなのかなと。気持ちが盛り上がってくるという感じもそこまでなくて。淡々とやっている感じでしょうか。天気も微妙になっていますし。

 

金曜日。天気は雨。この状況では屋外で走るというのは難しいなと感じていました。修学旅行の業者との打ち合わせもあり、時間的にはかなり厳しい。これまでここまで修学旅行について考えたことはなかった気がします。

 

練習に関してはピロティで。他の部活動も練習をするので限られたスペースのみの練習となります。できることが限られる。走ることができないというのを頭に入れてやっておく必要があります。「走れないからどうしよう」ではなく、「走れないならできることを」という感じですね。割り切らないとどうにもならないので。

 

上半身下半身を入れてから移動スペースがない中で練習。縄跳びを使っての二重跳びをやってから反発系の練習を。これも合宿でやっています。普段の練習の中ではほとんどできていないのでこういう時間がある時にやっておきたい内容です。地面に大きな力を加えるという部分も大事ですが、その力をどのように活かすかというのが重要かなと思っています。力の方向を変えるというのもあるので。

 

ある程度やってから「接地」の部分の確認。これも合宿で実施していますし、前日の木曜日にもやりました。「片足」ドリルですね。直線的に引き上げて良い角度で接地する。開いたり前接地になったりしないようにする。お互いに見合いながら確認。そこからは通常通りの動きを。ハードルを使ってのドリルの時にkrkくんが話をしていた動きの部分の復習をしました。

 

連続抜きもワンステップハードルも。リード足を前に出したときに身体が進む。同じように抜き足を前に出したときに身体が進む。特に抜いてきた足をすぐに落とさないという感じでしょうか。これは片足ドリルの時にも話をしています。

 

結局、身体が進む時というのは「膝が前に出る」時です。跳躍の跳びだしの感覚も同様だと思います。膝が前に引き出されて前方向への推進力が生まれている間に身体が進む。身体の前で足が動くという話もしますが、すぐに足が落ちると結局回転が後ろになります。自分の身体の前で足を動かそうと思えば、前に引き出してそこで動かす感じになります。直線的に足を動かすこと、膝を締めて動かすことは結局ここの部分につながっていきます。少ない労力で前に進むためには「無駄な動きをしない」ことが必要です。

 

片足ドリルも見ていると「前に進みたい」というのがあって膝が開いて持ってきたり、引き出してすぐに足が落ちる選手がいます。kd先生が言われる通りですね。重心移動が伴うとこの辺りが難しくなります。これまでかなり丁寧にやってきたつもりですが、それでもできない部分があります。krkくんが「ため」の話をしていました。落とさずに「ため」ができればその時間に重心が移動する。前に進むのです。

 

接地している脚は「軸」だと思っています。接地面を支点に股関節を回転軸として身体が前に運ばれます。この視点で見ると「軸足で進む」という感じになるのかもしれませんが、推進力を生み出しているのは「遊離脚」「フォローレッグ」です。この足が地面からの力を前方向に変えます。それが落ちると「移動距離」が小さい中で何度もその動きを繰り返さないといけません。

 

「軸足」は地面からの反発をきちんともらうための「道具」でしかない。ここが曲がるとそこで力が逃げるので前に進む力になりません。合宿などで話をしますが、地面に叩きつけたボール(垂直方向の力)を前方向に進ませるためには「水平方向」の力が必要です。話をするときには手でボールを打ちますが走る時は「遊離脚」がその役割を果たします。タイミングよくスイングすることで前に進めます。

 

この部分を理解させるためにもハードルドリルは有効だと思っています。ワンステップハードルなどはそれが顕著に出ます。遅れてしまうと進みません。股関節が弱くてもそれができません。前任校ではワンステップハードルを3段階でやっていました。徐々に水平方向への移動を大きくする。感覚でつかむためです。今は時間の関係で2段階しかやっていませんが。抜いてきた足が前方向にしっかりと引き出せれば確実に身体が前に進みます。あとはこの時の接地の角度になるのですが。これはまた別の機会に。

 

終わってから一歩ハードルへ。スプリント系もハードルも跳躍も一緒に。最初はハードル間を10足で始めました。狭い感じですね。そこから1足ずつ広げていって13足長まで。ハードル系の選手はもう少し伸ばしてもいけそうでしたがスプリントの選手がバタバタして動きが崩れるのでここで終了。どうしても抜き足が遅れるのでそこをどうするかだと思っています。距離が遠くなればそれに合わせて踏み切りを強くする。ハードルは専門練習ができていないのでその部分を補うためにもここはしっかりとやっておきたいですね。

 

最後に補強サーキットをやってハードル股関節をやって終わり。走らなくても負荷をかけることはできます。サーキットをしっかりとやることで心肺機能にも負荷はかかります。こうやってできることをやっていくことが重要だと思いますね。疲労はそれなりに蓄積していると思います。何もしないで回復するほど甘くはありません。先を見越して予定を入れていく必要があります。けがをする前に何をするかが重要だと思います。

 

とりとめもなく書いています。まとまりませんが。記録しておきます。

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身体を動かす

2023-01-16 | 陸上競技
土日と連続で舎監。土曜日は練習が午前中のみ。午後からと日曜日は特別やる事がありません。これはかなりの精神的ダメージ。

朝は通常通り起きるので少し身体を動かすことに。ずっと走り続けるのはしんどいので休みを挟みながら。今回は4分歩いて6分走ることに。




日曜日の朝は少し遠くまで。約1時間半でした。ひとまず12キロ。暗い時間帯に動いていますから景色は全く分かりません。同じ道ばかり走ると面白くないので色々と走りながら。山口市内は平坦なところが多いので走りやすいですね。

その後、職場で仕事をしてから息子と食事に行って駅伝を見てまた仕事。2月に修学旅行に行きます。色々な事があって不安しかない。調べていくうちにこの日程で本当に楽しめるのかという気にもなってきました。課題となるところを書き上げながらですね。かなりの量になります。これだけ不安がある中でやっていけるのか?!分からないことは現地に詳しい人たちに色々聞いてみる。

初日は神戸の辺りに。最終日は大阪市内へ。知らない場所ばかりなので近くにいる人、いた人に聞いてみる。分からん(笑)

月曜日の朝も少し走ることに。




今からも仕事なので少なめに。授業が移動してきていたり、検定課外があったりと酷使されます。やるしかないのですが。

できれば継続的に身体を動かしたいなとは思っています。数年前から考えると5キロくらい体重が増えています。衰えていくというのもありますがこれは良くない。身体を動かしながら何かできたら良いなとは思いません。マスターズには出ません。誘われても断固断ります(笑)。県内の若手集団に走らされそうになっているのでそこは丁重にお断りしておきます。

また書きます。


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