kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

卒業式を前に

2013-02-25 | 陸上競技
今更ですがバタバタします。こんなに余裕のない生活を送っていたら精神的にしんどいですね。一切気を抜く時間がありません。

ここまで時間がないとは想像していませんでした。もっと何かできるかなーと思っていたのですがこのまま卒業式を迎えてしまいそうですね。これまで2度卒業生を送り出して来ました。今回が3回目です。その都度思う事がありますが今回も想いがあります。こういう性格ですから伝えたい事がたくさんあって感情移入してしまうことも多々あります。

伝えたい事、どれだけ伝えることができたかなと反省することもあります。本当はもっともっとこの子達の良さを引き出してあげることができたのではないかなー。そう思うと自分の力不足というが情けないですね。もっともっと私自身を磨くことができていたら何かしらを伝えることができたのではないかと。

結構ストレートに話をしてきたつもりです。一人一人としっかりと向き合うことができていたかというと不足部分があると思います。普段blogなどに偉そうなことを書いているくせになんだと思われるかもしれません。私自身が誰かから目標とされる人間にはなれていませんから。人から憧れの存在と言われるまでには今の仕事では定年を迎えているかもしれません。中途半端なら人間だと批判されるのは覚悟の上です。完璧に今の仕事ができているかと言われたら不十分かなーと。

生徒に何かを伝える。何でもかんでも許容する事は「嫌われないための手段」であり、本当に大切なことを教えることはできません。今日はある生徒に対して話をしました。部活もクラスも関係ありません。うちの生徒の一人です。良くない行動が見受けられました。場所が離れていたので放置するという人も間違いなくいると思います。私は注意をしました。これが我々の責任だと思っています。

注意をして指示を出しましたが行動に移しません。これはかなり問題。じっと我慢しながらみていましたがそれでも何もしないので呼んで指導。自分がやった事の意味が分かっていません。わかっていないだけではなく注意を受けた事、次に何をしないといけないか指示を出されても行動をしない。「指導に従わない」という状況です。同じタイミングで2人同じ行動をしたのでどちらにも指導。ダメなものはダメだと教える。更にその後の行動が良くない事も指摘。人は最初から全てができるわけではない。過ちを犯す事もある。だからといってそれを厳しく怒るだけでは何も伝わりません。もちろんそういう事も必要です。が、何が悪くて何をしなければいけなかったのかを伝えるのは絶対にやらなければいけない事です。

今のクラスの生徒にはこの辺りの事はずっと伝えてきたつもりです。何かあるごとに話をしてきました。他の先生方がどのように生徒と関わっているのかは私には分かりません。他の人が私の関わり方が分からないのと同じですね。何を持って普通と言うかは分かりませんが、多分普通の人とは違うと思います。その事をクラスの生徒がどれだけ感じ取ってくれているのか?分からない所があります。

本当に限られた時間しか残されていません。今の私に何ができるのか?正直者分かりません。本当に生徒の事を考えるというのは難しいことです。何が生徒のためになるのかを判断するのは「価値観」でしかないのですから。価値観の押し付けとなるのかもしれません。それでも「正しい」と考える事を伝えていくしかないと思っています。それが自分らしさなんだと。

綺麗事を言うつもりはありません。本心からそう考えています。正しい私の性格的な事、人との関わり方を分かってもらえない人には分かってもらえないと思います。

今週末は卒業式。残された時間で出来る事を全てやりたいと思います。限られた時間だからこそ出来る事があるのではないかと思っています。寂しいですがその感情だけで終わらないようにしたいと思います。前を向かないといけません。
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練習~土曜日~

2013-02-24 | 陸上競技
忘れないうちにとにかく記録しておきます。怪しいので(笑)

土曜日、この日は勉強をしっかりとさせたかったので練習開始を早くしました。平日は朝練をやりますから7時45分には身体を動かしています。土曜日とはいえ平日と同じ流れでやることは全く問題はありません。練習開始を少しだけ遅くして8時からとしました。

アップでサーキットをやらずにハードルを使った動きとしました。雨の日にやらせると汗だくになるくらい身体が温まっていたこともあり、準備などの手間も考えてこちらの方が効率的かなと。本当はしっかりとサーキットをやりたいのですが(笑)。そのままの流れで通常のドリルに入りました。これもしつこくしつこくやっています。本人達がどれだけ意識をしてくれるかで効果が変わってきます。

流れ的には通常と同じで。フレキやったあとにマーク走をしました。この動きの中で前日感じていた話をもう一度行いました。全体的にこの部分の意識が弱い気がしています。一つの走りの中で多くの意識は不可能です。しかし目線をどのように持っていくかである程度の部分は改善できると思っています。ここの流れをマーク走で意識させておきたいなと考えていました。

その後そこのつなぎの部分を意識したままタイヤを。60m程度の距離ですがここでも同じことを意識させました。身体が起きてくるのを我慢する練習です。中間に来た時には身体の前側でさばくという意識を持たせています。ここにくるまでに足が流れで後ろで回転しているようでは走れません。練習の中でしっかりとやっていかなければいけないと思っています。中間に入るまでの流れができていないとどれだけやっても走りにつながらなくなります。
身体が完全に起きないように我慢をさせる。繰り返し繰り返しやっていきたいですね。

この練習とタイヤ引きを組み合わせて行いました。ん?前日と同じ流れになってますね。ひょっとしたら金曜日の練習と土曜日の練習の記憶が入り混じっているんじゃないかという不安がありますが、土曜日の練習は覚えているのでこちらは正しいはずです(笑)。タイヤをやって動きを作ってからそのまま走る。バトン走をやると離れなうにしようとして普段よりも身体が起きてしまうのが早くなります。そこを自分の動きに集中して我慢する。

全体的にかなりいい走りができていました。疲れも多少は抜けているのかもしれません。自分の動きを作っていっていつでもこの走りが出来るようになってもらいたいですね。

ここで終わらずにウエイトをやることにしました。今週は1回しかウエイトができていません。この部分を補うためにはやはりやっておきたいと思います。通常は補助も合わせて数人のグループでやっていますが2人人組で回すことにしました。何人かはジャンプ系のトレーニングを。最低限必要なことはやっておかなければいけません。2時間半位かかったでしょうか。それでもまだ10時半、しっかりと勉強はできます。

午前中2時間程度、午後からは5時までひたすら勉強をさせました。以前と比べて集中して勉強ができるようになってきた気がします。ダラダラするところがなくなってきました。成長です。当たり前といえば当たり前なのですが、これまで勉強をするという習慣があまりなかった選手にとってはここまでくるのは大変なことです。家でやれといってきちんとできるのであれば前からできていたでしょう。練習が休みであった投擲選手達も一緒にやっていました。

勉強会終了時に帰宅してからも勉強をやること、不足している補強をする事をしつこく言っておきました。ある程度出来るようになったとはいえ、不安要素はあります。見えないところで努力が出来るようにならない限りは勝負はできない。頭で分かってもそれを行動に移すというのは本当に難しいことです。だから我々が言い続けていくしかない。根気がいる作業です。言われなくてもやるのが理想、簡単なことではありませんからこちらもサポートしていきたいですね。

私は投擲選手に頼まれてマンツーマンで勉強を教えました。昼食を取る時間が確保できませんでした(笑)。まー仕方ないですね。目の前で教えて欲しいと言っている子がいればやはり対応しなければいけませんから。食べようと思ったら食べられたかなーとは思いますが、買いに行く時間が惜しかったのでコーヒーを飲んで過ごしました。

長いような短い一日でした。
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練習~金曜日~

2013-02-24 | 陸上競技
日が過ぎていくにつれて劇的に記憶がなくなっていきます。金曜日の練習について書こうと思ったら何をしたか思い出せませんでした(笑)。キャプテンにメールで確認したらまったく記憶がないメニューが送られてきました~_~; そんなことやったかどうか不安になって何度か確認してみるとやはり打ち間違いだったようです。この手のことを選手に頼るというのは良くないですね~。できるだけ早く書くようにしないといけないですね。

この日は午後から中学校に生徒が発表に行くことになっていました。生徒任せにしていた部分があるのですが信頼がおける生徒を選んでいます。全く問題はないと思っています。色々とあって私も発表を見に行くことになりました。発表を聞くと私達が聞くと分かる内容なのですが中学生が聞くというにはちょっと話が難しいかなという気がしました。もともと課題研究の発表会というのは下級生向けにおこないます。それを簡略化したものを発表するのですがある程度専門的な知識があって初めて分かる内容です。私達の考え方が甘かったと反省しました。生徒は一所懸命にやってくれたのですが、私が方向性を少し見誤った気がしています。次の水曜日にもう一度発表があるのでちょっと趣向を変えてやってみようと思います。もっとシンプルにして分かりやすい内容にしたいと思います。

それが終わって学校に戻りました。既に練習はある程度進んでいました。私が到着した時にはドリル系が終わっていたと思います。すぐにスパイクを履いて走ることに。フレキをやってすぐにタイヤ引きを。ここ最近はひたすら短い距離のタイヤ引きをやっています。私が云々というより選手がやりたいと言っているのでそれに合わせている感じでしょうか。感覚的に良いのでしょう。タイヤ引きとバトン走を組み合わせながらやっていきました。数本タイヤをやってそのままバトンへ。バトンは併走にしています。これは単純にスピードを緩めないための意識です。しっかりと高いスピードを出すためにやっています。

見ているとタイヤ引きで身体か起きてしまう感じのある選手が数人いました。ここでもう一度やらないといけないことを話しました。短い距離で練習をしている意味を考えないといけません。加速段階から中間につなげていく感覚をつかまないといけないと思います。キーパーソンと考えている選手、加速段階は抜群に良いのですが中間に入るところのつなぎがめちゃくちゃ悪い。膝を引き出す意識をひたすらしていたようですから、身体の起こし方に意識を変えさせました。ドリル等でかなりやっているのである程度自然に動きはできるはずです。変に意識し過ぎてしまって思うような動きができないのかもしれません。難しいところですね。

加速から中間へのつなぎの意識を確認して走るとかなりスムーズに走れました。本人は「膝が出ていましたか?」と心配していました。その部分には意識をおいていなかったようです。それでも良い走りができる。ここはひたすらドリルをやらせている効果だと思いますね。

練習自体は少し引っ張って整備も含めて6時前となりました。この日は勉強会はなし。家で自分でやるように指示を出しました。少し意図的な部分もあります。勉強会という場所を設定されているから勉強ができるというのでは意味がありません。自分のために自分でやるという意識を持たないといけないと思います。本当に強くなりたいのであればこの辺りの基本的なことが自分でできなければいけません。「任せる」という話をしました。これを感じ取って本当にやってくれるかどうか?当たり前のことなのですが、「勉強会だからできる」という選手もいるでしょう。進学校であれば「当然」と言われるかもしれません。が、まずは物事に取り組む姿勢をしっかりと身につけさせる必要があると思っています。これが間違いなく競技につながるのですから。

誰のための練習か、誰のための勉強か。ここをしっかりと考えてもらいたいですね。
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練習~木曜日~

2013-02-23 | 陸上競技
木曜日、練習は落としです。結構量をやっていたのでこの考査期間中は落とし気味にやっていきたいと思っていました。基本的に練習量がおおいですから、思い切らないと休めません(笑)。

とはいえ、やっておきたいこと&やらなければいけないことがあります。火曜日の練習を少し変更していたのでトレーニングが不足しています。この部分は継続していかないと落ちてしまいます。不足を補うことも考え朝の時点でウエイトを行うことに。朝の30分の練習の中で最低限のウエイトを実施しました。ベンチとスクワットのみ。少し筋力的にきつかったようですね。やはり継続させなければいけません。

午後はシャフト補強のみ。30分程度で終了です。30分とはいえほとんど休んでいないのできつかったかもしれませんね。休む休むといって本当は休めていないのではないかと多少心配になります。とはいえ、通常の負荷から考えるとかなり減っています。こういう日を作っていきながら疲れを抜いていきたいですね。今年の冬は大きな故障もなくすごくスムーズに進んでいます。明確な理由は分かりません。この部分の分析もしてみないといけないですね。「たまたま」ではないと思います。

練習を早めに切り上げて19時まで勉強会。前日の分までですね。解散時に家に帰ってからもやるようにと確認をしました。当然と言えば当然なのですが、勉強会で満足して終わってしまうのでは意味がありません。部活を一生懸命やりたいというのであれば勉強も一生懸命やらないといけません。学校で2時間やったから今日はいいやという気持ちでは間違いなく強くはなりません。ここが「本物」になるかどうかの分かれ目だと思いますね。

私は18時から30分散髪に行き再び戻ってくるという変則的な行動。こういう時間がなければほとんど自分のことはできません。散髪に行ったのは多分去年の10月以来くらいでしょうか・・・。かなり短くしていたのが伸びたので良くわからないというところもありましたが(笑)。

少し休息を含めて・・・。という感じの一日でした。
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練習~水曜日~

2013-02-23 | 陸上競技
ここ数日間は練習に関して全く書いていないですね~(笑)。ということで忘れないうちに記録として書いておきます。

水曜日は比較的走りました。日程変更をしていますから当然といえば当然です。3年生の最後の練習となるのでできるだけ負荷をかけておきたいなと考えていました。とはいえ、特別な練習をするのは違うと考えています。日常通りの練習をする。良く考えてみると「練習で高校生活の競技が終わり」ということは今までありませんでした。何かしら大会に向けて練習をしていって最後にポイント練習をして終わりというのがこれまでです。今回は大学に進んでも競技をやるということでしたからこのような形になりました。

通常通りドリルをやってからフレキとスキップ&シザース。ここまではいつも通りです。通常であればここからマーク走を行うのですが、時間的なこともありましたし、走りの感覚を作りたいという気持ちが強かったのですぐにタイヤ引きにしました。先週末からタイヤを引くと感覚が良いという選手が多くいました。その感覚を本物にするためにはしっかりとやっておきたいと思い実施。タイヤをやってバトン走、これを繰り返しました。

最後は走練習。本数を追うというのは時間的に難しいので本数を少な目に設定して行いました。短短と短長分けても良かったのですが、分けて行うとタイミングが合わなくなることが多くなってしまうので全員で一緒に。こういう意味では「特別」な練習になっていたのかもしれません。3年生が最後だから一緒というつもりはありませんでした。3年生、最初の1本で爆走していました。ここ最近で一番いい走りだったと思います。これくらいの走りが安定してできれば大学に進んでも個人種目とリレーに出場するのは可能でしょう。一安心です。これで力尽きましたが(笑)。それはそれで良いのではないかと思います。「絶対に負けたくない」という気持ちは強かったでしょうから。それに引っ張られて下級生も良く走っていました。

2セット目に入った時点でキャプテンの動きにキレがなくなりました。元々本数が持たないタイプでしたがここ最近は少し休息を挟めばかなり走れるようになっていました。マイル云々の持久力ではないですが短い距離であれば持ちます。しかし、2セット目はフラフラでした。ちょっと過呼吸気味になっていたのかもしれません。これまでそのような状況になったことはありませんでした。この日の練習は「特別」だというのがあったのでしょう。翌日の練習日誌を見ると「特別ではない」「冷静に冷静に」と考えながら練習に取り組んでいた様子がうかがえました。この時点ですでに「特別」になっていて「冷静」ではないのですが・・・。ここはしっかりと考えないといけないですね。

練習をするときや大会の時には周りから多くの情報が入ってきます。集中を途切れさせる要因がたくさんあります。この時点で「集中、集中」と考える必要があるときにはすでに「集中が途切れている」のです。「集中しなければいけない」と考えるということはその前の段階で間違いなく集中が切れています。こういう場面では「今自分が行うことは何か」という考えが必要になります。レースに向けて何をしておかなければいけないのか、必要なことは何かを常に考えておく。ここに集中できていたら他のことは考えません。「次が一番大切なレースだ」とか「負けたらどうしよう」とか考えていたら本当にやらなければいけないことを見失ってしまいます。だからこそ「自分が何をやるのか」という部分にのみ力を注げばいい。自然と集中できます。

3年生も最後まで走りました。120mだけしか行いませんでしたが「最初の60mまでは負けないこと」と言って走らせました。こちらもフラフラでしたが・・・。それでも最後まで手を抜かずに走りました。こういう選手と一緒に練習をする中で他の者が何を感じ取るかです。「真面目にやる」というだけではありません。「自分のために一生懸命にやる」という姿勢を肌で感じながら練習をすることができたはずです。言葉ではなく「姿勢」から学ぶものがある。今のうちの女子チームが存続しているのはこの子がいてくれたからです。色々とありましたが一人で保ってくれていました。「伝統」というのは途切れてしまったらなかなか元に戻りません。2年間本当に難しい時期でした。それをなんとか保ってくれたというのを下級生は感謝してもらいたいですね。多くの卒業生たちが少しずつ積み重ねてきた「チーム」としての「想い」があります。それが途切れずに下級生に引き継がれたというのは大きなことだと思います。

最後に下級生から「感謝の言葉」がありました。こうやって言葉で想いを伝えることも大切。それ以上に大切なのが「恥ずかしくない行動をすること」です。卒業生たちは卒業していってもうちの陸上競技部を気にかけてくれます。それだけ思い入れがあるのです。後輩の様子はずっと気になります。陸上部の存在は気になります。「まともな行動ができない」というチームになってしまったらそれが一番失礼な話だと思います。「引き継ぐ」という意識をもって一つ一つの行動に責任を感じながら生活をしてもらいたいですね。

3年生、これで終わりではありません。これからがまた大変になると思います。しっかりと勝負できるようになってもらいたいですね。「お疲れ様」という言葉を送るには早いでしょう。これからに向けてしっかりと取り組んでもらいたいですね。私もこの子から多くのことを学びました。感謝しつつそれを多くの選手に還元できたらと思います。
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「怒る」と「叱る」~その2~

2013-02-23 | 陸上競技
続きを。

「勝てないこと」に対して感情的になるというのは違うのではないかと書きました。技術的なことに対しても「できない」ことを責めても一向に問題は解決しません。「やろうとしない」事に対してはきちんと「叱る」必要があります。何故なら「強くなりたい」という意志と「やろうとしない」行為は一致しないからです。「何となく練習をしている」というのは良くありません。「勝つために練習をしているわけではない」「そこまでして練習をする必要はない」というのであれば「競技スポーツ」とは違うと思います。学校の部活動は「競技スポーツ」なのか「趣味のスポーツ」なのか。ここは一概には言えないと思います。全国で優勝を目指そうというチームがいてそこに「自分は1週間に3回だけ健康づくりに参加します」という話にはなりません。ある程度「同じ方向性」を向いた集団にならなければ活動はできないでしょうね。

話があちこちいっていますねー。すみません。何が言いたいかというと「本人が最大限やっている」かどうかだという部分が大事なのではないかということです。「自分なりの一生懸命」ではなく「できることを全てやっている」かどうかというのは本当に大きいことだと思います。試合で負ける。ここで「何で勝てないんだ」と怒る。または、「勝てなかったのは・・・という原因があるのでは?」「取り組む姿勢が不十分なところがあるのでは?」と叱る。選手にとっては同じ「注意を受ける」という風に捉えるかもしれませんが全く意味が違うと思います。

もちろん、教員も「聖人君子」ではありません。時には「主観」で物事をみていることもあるでしょう。何もかもが正しいとはだれも思っていません。しかし、「こちらのほうが良いのではないか」という指摘は必ずできると思います。この部分が「叱る」という行為になるのだと。

部活動などに所属するとかならずルールがあります。そのルールを守れない場合は「叱る」という行為が間違いなく必要になります。「時間を守らない」「自分勝手な判断で動く」「周りに迷惑をかける」というのはそのまま放置するというのは良いことではありません。私は基本的に技術的なことで「怒る」ことはほとんどないと思います。しかし、取り組む姿勢や行動、考え方などで「ちょっと違うのではないか」ということがあればしつこく叱ります。服装がきちんとできていないことを野放しにするというのは良いことではない。部活動を行うのであればやはりきちんとした日常生活を送れないといけないと思っています。

「勝つために」というのではなく、「当たり前のことを当たり前にやる」ということで「叱る」のです。授業中に携帯電話を使用した。これは「個人の自由」でしょうか?ばれなかったから問題はない、他人に迷惑をかけていないのだから関係ないという視点で良いのでしょうか?ここは「叱る」必要があると思います。授業中の態度が悪い、自分勝手行動をとるなどの行為に対して「仕方ない」と考えるのは違うと思っています。そんなの当たり前ではないかと言われるかもしれません。でもそれが「当たり前」でなくなっているのが現状なのではないかと考えています。

感情的に「怒る」行為ときちんとできていない部分を「叱る」行為。これが同じように扱われています。そこに大きな問題があるのではないかと考えます。注意を受けた生徒にとっては「怒られた」という感じでとらえられます。自分が他者から何か言われるのは気分のいいものでありません。たとえ自分が良くないことだなという自責の念があったとしても「注意を受ける」という行為で自分の弱い部分を指摘されるのは嫌なのです。もっと言えばその行為が「良いことではない」という認識がない場合もあるのです。だから注意を受けても「何がいけないのか?」ということになる。自分は「悪い」と思っていないのですから「言われる筋合いはない」という認識になります。だから「なんなんだ」という流れになる。当然といえば当然の結果だと思います。ここが「価値観の違い」という部分だと思います。

何度も書いていますが私の価値観がすべて正しいとは思いません。しかし、感覚で考えていわけではなく多くのことを学びながらそれで自分自身の価値観を培っています。感情論で「怒る」のではなく論理的に考えて「叱る」ことを心がけています。生徒にとって耳触りのいい言葉かけだけをするのは違うと思います。間違ったことをしていても「君は悪くない」と味方になるというのは本当に良いことなのでしょうか?当たり障りなく人と関わる。本人にとって「嫌だな」と感じることは一切口にしない。間違いなくこういう人は「良い人」と言われるのでしょう。だから批判を受けにくい。しかし、将来のことを考えた場合「ダメなものはダメ」と教える人がいないことは絶対にプラスにはなりません。「怒る」のではなく「叱る」のです。同じ行為かもしれませんがきちんと「区別」して考える必要があると思います。

こんなことを考えているというだけで「面倒な人間だ」という感じですね(笑)。こんなことを考えなくてももっと適当に生きていけばいいのですが性格的にできないですね~。それを他者に押し付けるつもりはありません。でも、「ダメなものはダメ」と伝えていける人間になりたいとは思います。それが「押し付け」と言われたらそうなのかもしれません。今の「教育」というのは本当に難しいと思います。

長々と書いてしまいました。すみません。
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「怒る」と「叱る」~その1~

2013-02-23 | 陸上競技
ここ数日間のblog、完全に陸上競技の内容ではなくなっています(笑)。お許しを。競技に関して書きたいこともたくさんあるのですがそれ以上に書きたいこと、考えることがあって・・・。「陸上のことを書け!!」と思われるかもしれませんが、この「考え方」の部分を含めて私だと思っています。真面目な話ばかりで重いのですが、ちょっと考えることがあるので書きます。

体罰関係や学校の教育関係で取り上げられている生徒との関わり方。この部分はどれだけ書いても「職種の違い」という部分があるので分かってもらえない部分があると思います。毎日毎日目の前の生徒と向き合おうと思えば色々なことが見えてきます。「家庭」で数人の子供を見るのと「学校」で複数の生徒を見るのでは間違いなく違いがあります。「個性」という部分もあります。ある「家庭」の考え方と別の「家庭」の考え方は違うはずです。1つの「家庭」では全く問題ないことであっても別の「家庭」では「絶対に許せない」ということだってあります。これが「価値観の違い」だと思います。この部分を「個性」だからといって放っておくのは良いことでしょうか?

その場の感情で「怒る」というのはあまり良いことではないかなと感じています。感情的になりすぎて本当に大事なことが見えなくなってしまう可能性がある。しかし、悪いことをしたり間違っていることをした場合は「叱る」必要があります。それを放置して許していくのは良いことではない。「怒る」と「叱る」、生徒にとってはどちらも「文句を言われた」というレベルで終わってしまうのかもしれませんが、全く違うと思っています。

競技場面でのほうが例えやすいし、イメージしやすいだろうと思うので練習やその他の部分を例に挙げます。

指導している者が技術的なことを話す。選手は「はい」と返事をする。なんとなく普通の風景ですね。で、実際にやらせてみるとできない。何度か話をするがそれでもできない。ここで頭にきて「何でできないんだ!」と激しく叱責する。これは間違いなく「怒る」ということです。自分がこれだけ一生懸命に教えているのに何でできないんだ!!という感じですね。先日の体罰問題、「女子に負けるなんて」という理由で手を挙げたという風に取り上げられていました。これは完全に「怒る」という話です。技術的な部分の差があれば勝てません。小学生が高校生と試合をやって勝てない。「何で勝てないのだ」というのと同じです。

教えている指導者が技術的なモノを求める。技術的な部分で「前の選手はできていたのに」と比較するのはちょっと違うかなと思います。もちろんそれだけではないと思います、「技術的なこと」や「勝ち負け」を取り上げて「なんで」というのは一生懸命にやっている選手であれば「どうすればいいの?」となるでしょうね。勝てないことに対して「なぜ勝たないのだ」というのは指導ではないと思います。これに対して「怒る」のはどうにもできない部分では?取り組む姿勢の部分で「前の選手は・・・」と言われるのとは違うと思います。

ここで「勝つためにやってるわけではない」という部分について考えたい。「勝ち負けで怒るというのは違う」と書きました。しかし、練習は「勝つためにやる」のです。楽しく練習をするというのは趣味のスポーツです。競技スポーツとは違います。レクリエーションとしてのスポーツと競技スポーツは違うと思います。この部分が混同されているのはちょっと違うかなと感じています。先日も書きましたが、うちの陸上競技部は「競技をする」というチーム方針です。やりたい時に楽しくやるのとは違います。勝つために必死でやるからこそ見えてくるものがある。ここを度外視していたら成長はないと考えます。

それはなぜか?「勝つためにやっているわけではない」としたら、負けても手を抜いても「別にいいじゃないか」ということになってしまうのです。勝つために全力で取り組むから見えてくるものがあるのです。「そこまで本気でやらなくてもいいじゃん」という風潮があります。いや、適当にやるのであればそれは競技ではないと考えています。できることをしっかりとやっていく。そこができなくて負けたのであればきちんと反省してその原因を探るというのは必要となります。そこは「怒る」のではなくきちんと話をして理解させることが大事だと思います。ここは「叱る」という部分だと思います。そこのプロセスで「やらなければいけないことをやらない」のであれば指摘されるのは当然のことだと思います。「競技スポーツ」という視点からですね。本当に「勝ちたい」と思うのであれば自ら工夫します。「勝たなくても良い」と思うのであれば単に身体を動かす程度で終わってしまいます。それも「スポーツ」です。競技スポーツと趣味のスポーツを同じ視点で見るから問題が大きくなるのだと思います。


また長くなってしまいました。ということで記事を変えます(笑)
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学ぶ~その2~

2013-02-21 | 陸上競技
前の記事の続きを。長いので読み飛ばしてもらって構いません(笑)。

競技の指導に関して見直さなければいけないと強く感じました。それと同時に「外に出よう」という気持ちが強くなりました。これまで「自分がやってきたこと」の視点でしか物事が見れていなかったという深い反省がありました。色々な人の考え方を学ぶという姿勢を持っていたつもりでしたが知らず知らずに自分の世界で終わっていました。ここで気づけたというのは大きいと思います。この時点でもある程度指導ができていたと思います。全くできていないとは思いません。

ここで考えないといけないのは、教員というのは採用されたその日から教員になるということです。これまでの経験が云々ではなくどのような考え方でやっていても教員は教員なのです。自分自身に危機感を感じていてもいなくてもそれなりに仕事はできます。これはどの職種でも同じです。また、「親」になるのも同様。子供ができて生まれた瞬間から「親」としての行動が求められます。精神的に成熟していなくても「親」なのです。「学校教育が・・・」とか「家庭の教育力が・・・」という部分がマスコミや報道で大きく取り上げられます。考えてみればどちらも「不十分さ」が残ったままでその「役割」を求められているのです。大変な事だと思いますね。

「教員」の価値観がおかしいと言われる。それはどこの立場から見ておかしいのか?保護者が「この教員の考え方はおかしい」と非難する。確かにおかしいのかもしれません。しかし、その保護者の価値観が世間一般から見てずれている可能性はないのか?誰から見た価値観が正しくて間違っているのか?判断は本当に難しいと思います。私は現在36歳です。36歳の価値観は間違っていて50歳の価値観は正しい。これは本当でしょうか?

書いている内容、誰かを否定するつもりはまったくありません。分かりにくいかもしれませんが哲学的な考え方だと思っています。20歳の若者であっても世の中の原理原則を学ぶことができていれば考え方もしっかりとしてきます。

最も尊敬し師事している方がいます。この方との関わりが深くなってきてから「学ぶ」ということが今まで以上に必要だと感じるようになりました、同じ時期に義父からの勧めで「孫子の兵法」について読むようになりました。孔子や論語、松下電器の創業者である松下幸之助、京セラの稲盛和夫、哲学者の池田晶子、教育学者の斎藤孝の本などをひたすら読み漁るようになりました。人に何かを伝える仕事をするのであればこれまで以上に多くの価値観に触れる必要があると考えたからです。これが学ぶという事ではないかと。

以前はスポーツに関する本やトレーニングに関する本を読む事が多かったと思います。その辺りにある書店よりは本を持っていると思いますし、専門的な内容があると思います。しかし、出会いをきっかけにトレーニングの部分から考え方や生き方を学ぶことが優先されるようになりました。こちらの本物数え切れないくらい読んだと思います。保管しておく場所がないくらいの量があります。

世の中には原理原則があると思っています。時代が移り変わっても変わらないものがある。何百年も前から本当に大切なものというのは変わらないのです。論語や菜根譚(中国の故事)などを読むとわかってくることがあります。物事を上手く進めていくためには変わらない大切なことがあるのです。そこを学ぶことが今の仕事にとっては大切なことなのではないかと思います。

県内に留まらず自ら外に出るようにしました。先程書いた師事している方の仲介もあって素晴らしい指導者に会って話を聞く機会を持つことが出来ました。昨年は以前から行って見たいと思っていた宮崎の商業高校の指導者の方に会って話を聞くことができました。練習に参加させてもらうことで選手も大きな刺激を受けます。同時に私も考え方、生き方を学ぶことが出来ます。貴重な体験です。本当に素晴らしい方でした。

共通して言えることは優れた指導者は間違いなく「人格者」だということです。選手のことを考えて生活を送っておられます。偉ぶる事は絶対にありません。それどころか包み隠さず様々な話をしてくださいます。育てるという感覚が強くあるのだと感じました。

人と関わるのであれば多くの考え方に触れる必要があると思います。大企業の創始者は間違いなく自分なりの「哲学」を持っています。本を読んでいくと分かるのですが、その「哲学」は別々のものではなく多くの部分が共通するものなのです。その部分を子供達に伝えていく事が教育の根底にあるのではないかと考えます。自分なりの価値観を押し付けるのではなく、原理原則を知った上で他者に伝える事が出来なければいけないと思います。

だからと言ってその考え方が常に正しいとは限らない。更に多くの価値観に触れていく必要がある。自分自身が成長していかなければいけないと思っています。

私自身の存在を正当化する気はありません。まだまだ未熟だと思っています。だからこそ留まる事なく学んでいく必要がある。そこができなくなったら人に何かを伝える事はできなくなると思います。

我ながら面倒な性格だと思います。回りくどいというか(笑)。こんな内容を書いても文章力が無いので上手く伝える事が出来ているか分かりません。高校生にはきっと分からない内容だと思います。それでも何を想い人と関わるようにしているのかは何となく感じてもらえたらと思います。

独りよがりの文章かもしれません。それでもここ最近は教育って何か?という部分をひたすら考えています。思っている事をきちんと記しておきたいと思ってこのBlogを始めました。日記です。

公の場での日記がBlog。これにより賛同を受ける事もあれば批判される事もある。そこは覚悟しておかなければいけない部分です。誰かに何かしらのメッセージが伝われば良いと思います。

長々とすみませんでした。御許しを。
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学び~その1~

2013-02-21 | 陸上競技
思うことを。「読みたくない」という方は読み飛ばしてもらって構いません。あくまで「私見」ですから。

これは大学時代から考えていたことでもあり、今も同じく考えていることです。私はかなり前から「人の考え方を学ぶ」ということが好きでした。高校時代からなんとなくですがエッセイなるものをかなり読んでいました。これは難しい話ではなくちびまる子ちゃんの作者「さくらももこ」が書いた「もものかんづめ」や「さるのこしかけ」、柴門ふみのエッセイ、ダウンタウンの松本仁志の「松本」や「遺書」などの本です。なぜ読んでいたのか今となっては分かりません。前から「人がどのように考えるのか」を考えるのが好きでした。変わってますね(笑)。本を読むのが好きですが小説などはほとんど読みません。どちらかというと「物事の進め方」や「人の考え方」「生き方」に関心がありました。

大学4年生を終えたときに「運動心理学」を学びたいと思い大学院に進みました。この辺りは普段からの「考え方」が大きく影響していたのではないかと思います。そこで「行動心理学」や「不安の心理学」など「学問としての人の心」を一般的に学びました。これも講義で学んだというよりは自学自習的なところが多かった気がします。その代りといったらなんですが「遊ぶこと」ができません。友人たちと遊びにいったりという経験がほとんどない。こういう意味では「面白くない」人間だなと反省しています。

競技に関しても「スポーツ科学」について深く学びました。バイオメカニクスであったり運動生理学であったりとかなりマニアックに学びました。手当たり次第に「最新の技術」「最新の科学」を読み漁っていた記憶があります。これまでは「漠然と競技をやっていた」という感じがありました。通常の大学生よりは「知識」があったと思います。それが「自慢」となっていた部分もあったのではないかと。競技後半は乳酸測定を行ったりして自分の練習についてひたすら考えるという時期もありました。スポーツをしていくうえで「経験則」に頼ることが多い世界です。ここから少し脱出した気がして気持ちも高まっていました。今考えるとめちゃくちゃ恥ずかしいですが。

卒業して働くようになってしばらくは「スポーツ科学」が最優先だと思っていた時があります。「自分がやって成功したからやる」という練習は良くないと考えていました。これは単なる思い込みです。目の前の選手を見たり生徒と関わるなかで見えてくる「本当に大切なこと」を学べなかった気がします。陸上の指導ができるようになって数年は「自分は指導ができる」と調子に乗っていたかなと思いますね。大した指導もできないのに思い込み「良い指導者」だと考えていました。県外の大学に陸上競技の勉強に行かせてもらったりもしました。指導実績云々ではなく「選手としての実績があった」というところで評価を受けていました。たまたま指導し始めて数年後に0からスタートした陸上部が中国大会に行くようになったのでそこで更に勘違いがあった気がします。今がどうなのか自分自身では判断が難しいところですが当時から比べると大きな差があります。それでもある程度の「結果」が出ていたというのが恐ろしいところですね。

顧問となり初めて中国大会に進んだ後、「出会い」がありました。今でも師事している方と一緒に練習をさせてもらうことができるようになりました。これまでの自分の指導が本当に「小さいもの」だったことが良くわかりました。「選手」と「指導者」は違う。選手としての感覚と指導者としての感覚は全くの別物です。「成功体験」を他の選手に当てはめるというのは違うなと思っていたにも関わらず、知らないうちに自分自身がその「型」にはまっていた気がします。情けない話ですね。「選手」としての評価を「指導者」としての評価と勘違いする。実は良くあるパターンです。指導していてたまたま力がある選手が入学してそれなりに指導していたら上の大会に進んだ。自分は「指導力がある」と思い込んでしまう。本当は全く違うんだけどそれに気づくことができないのです。

指導者として本当に必要な事は「選手時代の感覚を捨てる事」だと師事している方に言われました。当時全く意味が分かりませんでした。情けない話ですが(笑)。感覚で教えている部分はほとんどないと思い込んでいたのもあると思います。客観的に見たら当時の私は選手の立場に立った技術指導はできていなかったのだと思います。情熱だけで選手と関わっていたのかなと。他者の考え方を学ぶというのが私の中では大きかったにも関わらず本当はそれができていなかった。今から8年くらい前の話になるのでしょうか。妙な自信があった時期だったのではないかと思います。

この方との出会いが私の人生を大きく変えて行ったと考えています。上手く書けませんが。人は他の人との出逢いの中で何かをつかみます。逆に全くつかまない人もいます。ここの差は人生を歩んでいく上で本当に大きな部分です。きっかけを自分でものにできるかどうかだと。実はできない人、ものにしようとしない人が大多数を占めているのではないでしょうか。こういう意味では私は本当に恵まれていると思います。

長くなるのでちょっと切ります。また別に。
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最後の練習

2013-02-20 | 陸上競技
水曜日、この日から学年末考査のテスト週間に入りました。色々と事情があってこの日を考査前の最後の走練習としていました。今まで練習を一緒にやっていた3年生がこの日で高校での練習を終えるということになっていました。下級生からの最後の日は一緒に走練習をしたいという申し出が1週間前にありました。少し変則的な日程になりますが前日の練習を少し早く切り上げ、この日の練習をしっかりとやろうという事にしました。

この日に選手が提出していた日誌に数名気になる事を書いていました。先輩が参加する最後の練習だから良いものにしたいという趣旨の内容が記されていました。これまで一緒に練習をやってきた先輩とこれからは別々の道を進んでいく。だからこそこの日の練習は特別なものにしたいという気持ちがあったのでしょう。

この事に関して私は違うのではないかと感じていました。これまでの私であれば感情移入してしまっていた部分があるでしょう。ほかの者よりも1年間付き合いが長いですし、この子に対する想いはかなりあります。辛い事を何度も乗り越えここまで来ているのです。その選手が高校生活最後の練習をチーム内で行うという状況。普段通りの練習をするというのは簡単ではありません。分かっていることです。

しかし、本当に3年生に良い練習をしてもらおうと思うのであればこの日の練習を感傷的になって涙を流しながら練習をするのは違うと思います。先輩と一緒に練習するのが最後。良い思い出にしたい。その気持ちが前面に出てしまう練習であれば雰囲気も間違いなく暗いものになってしまいます。その日一日だけの感情で練習をするのは違うと思います。これまでの練習が先輩と一緒にやって来た大切な練習であれば最後の日であっても通常通りの練習がきちんと出来ないといけないと思います。日誌のコメントにそういう意味合いの内容を書いて伝えました。どこまで伝わったか分かりませんが感じ取ってもらいたいと思います。

ほとんど口を出さずにやって行きました。技術的な話は何度かしましたが気持ちのコントロールの話は一切言わず。キャプテン、3年生との関係がかなり深かったと思います。他の者よりも思い入れがあるでしょう。頭で感情のコントロールをしないといけないと分かっていても簡単には割り切れないでしょう。力は間違いなくついているのですが最後のひと押しは気持ちのコントロールだと思っています。走練習の2セット目が終わった時点でキャプテンが疲れ果てていました。普段よりもチカラを使っていたのもあるでしょう。更に感情的になり過ぎていたのではないかと思います。過呼吸まではいきませんでしたが通常とは違う様子でした。仕方ない部分だとわかってはいますが他の者も集めて話をしました。

こういう時だからこそ当たり前の事を当たり前にやらないといけないのではないかと思います。特別だというのはほかの者以上に分かっているつもりです。3年生本人もかなり感情的になっていたはずです。全体が雰囲気に流されて感情的な練習をしてしまうというのは良くない。3年生の事を本当に想うのであればここはきちんとした練習を最後までする事が大切だと思います。きちんと練習をする姿勢を示すということで感謝の気持ちを示すことができる。感情的になって普段とは違う練習をしてしまい練習の質を下げてしまうのはお互いにとってプラスにはなりません。

また、特別な場面だからこそ落ち着いてやっていく必要がある。このことを3年生が教えてれているのだと感じていました。この場面で平常心を失って感情的な練習をする。これは間違いなく今後の大会でも同じようなことになるでしょう。本当の勝負になった時、ここで勝ったら上の大会につながる、負けたらお終いだと考えてしまったら本当の力は出せなくなってしまうでしょう。興奮したり通常とは違う場面ではなかなかチカラが出せません。その場面が特別だと自分自身が思い込んでしまうからです。だからこそこういう場面で本当にやらなければいけないことをやる習慣を身につける必要があるのです。

この部分感覚的にも感じています。が、他の指導者よりは心理学の勉強をしてきました。今までの私であれば学んだことは知識として残っているだけで感情が先に動いてしまっていたと思います。これでは自分自身も同じことを繰り返してしまう。冷静にやらなければいけないことを判断できる人間にならなければいけないと思っています。同じようなミスを繰り返すわけにはいきません。経験則だけで物事を言っているわけではなく、多くの情報を自分の中にインプットしてから本当に必要な事をするという部分です。書いていて分からない人には絶対に分からない感覚だろうなーと思ってます(笑)。

最後の最後に3年生が教えてくれたのだと思っています。これから自分達が何をしなければいけないのかを勝負がかかった試合よりも前に身を持って体験させてくれたのではないかと。キャプテン、やはり普段とは違いました。個別にも話しましたかここをコントロールできる冷静さが必要になるのです。力が付いてきてもその力をきちんと出し切れるかどうかでまったく変わってきます。そこを最後の最後に教えてもらったのだと。

このことを心で感じられる選手になってもらいたい。この場面を特別だと感じられない選手にはなってもらいたくない。何も感じずに練習をやるような選手では絶対に強くならないと思います。お世話になった先輩と共有できる時間、高校生活で最後になるということの意味を心で感じられるようになるというのは大切だと思います。そこを感じていながらも冷静になる、難しいことを求めているのは分かります。高校生にそこまで求めるのは求め過ぎなのかもしれません。それでも本当の勝負をしようと思ったら必要になるのです。それを考える機会を与えてもらえたというのは最後の最後まで3年生の存在は大きかったなと思います。

書きたいことはたくさんあります。今はこの辺りまででお許しください。

上手く書けないことが多いです。思いつくままに書きました。練習中に自分自身で自分の感情をコントロールすることの大切さも感じました。この辺りのことはまた書きたいと思います。3年生のことも。

今は私自身寂しい気持ちが強いです。頭を整理してから書けたらと思います。御許しを。
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