思う事を少し。長いので興味がない人は読み飛ばしてください。
以前から強く思っている事を。blogです。他者批判をするつもりはありません。言葉の使い方によって嫌な気分になる人もいるかもしれません。最大限の配慮はしているつもりです。様々なblogを見て「不快な想い」をする人も出てくるでしょう。だからこそ最低限のルールを守りながら書いておきたいと思います。
本題へ。一般論として書くつもりです。今初めて思ったのではなく何年も前から考えていた事です。前にも書いた事があるかもしれません。
指導していく中で一番簡単なのは「言われた事をひたすらやる」タイプの選手です。指導者が「これをやりなさい」と指示したらそれだけをやる。勉強などもそうですが「ここを覚えてきなさい」と言ったらひたすら覚える。いわゆる定型業務を行うというのはやる方もやらせる方もかなりやりやすい。ここは最低限の話だと思っています。
その前の段階があります。「言われたことさえやらない」というタイプ。これは競技には向かないと思っています。強くなりたいという発言と裏腹に行動が伴わない。最後まで走れと言っても走らない。2m手前でスピードを緩める。補強をさせると苦しくなった場面で手を抜いてしまう。これはダメだと思っています。言うまでもありません。
それと同じくらいなのが「気分で練習をする」タイプ。気持ちが乗ったら練習をするがそうでなければやらない。好きな練習は一生懸命やるが嫌いな練習は適当にやったりあわよくばやらない。どれだけ才能があったとしてもこれでは「磨く」ことができないと思っています。指導された事を信じてやっていく。上手くいかない時も我慢してやっていくという姿勢が時として必要となります。少しやって上手くいかないからやらないというのが一番ダメだと思っています。
最近は色々な動きをやります。当然ですが上手くできない事もある。その時に繰り返し話をするのが「できない事が悪いのではない」ということ。できない事をやろうとしない事がダメだと思っています。最初から「できないから仕方ない」と思って諦めてしまう事は何も生み出しません。誰もが最初から色々な事が出来るわけではない。出来ないから出来るようにやっていかなければいけないのです。私は「やろうとしない」事に関してはかなり指導します。本来であれば「自分のためにやる」事ですから私があれこれいう話ではないのですが。
人は弱い。強くなりたいという意志があってもそのために最大限の努力を続けるのは難しいのです。私自身はどちらかというと「勝つために全てを犠牲にしてやる」というスタンスでした。ストイックな部分がかなりありました。今はありませんが。この部分に関して師匠からは「自分が現役で全力で競技をやっていた人間にはなかなか理解できない事がある」と繰り返し指摘されていました。私からすれば「やるのが当たり前」だと思っていたのですがそうではない選手もいる。
頑張りたいけど頑張りきれない。そんな時には指導する側がきちんと声をかけてモチベーションを上げていくようにしなければいけない。「言われた事さえやらない」という部分。「やりたいけど頑張りきれない」のか、「できる限りきつい事はやりたくない」のかでは意味が違います。こちらとしても考えて指導していかなければいけません。
で、「言われたことだけをやる」という選手。上述のように「指導するのが楽」です。しかし、このような選手はなかなか強くなりません。ある一定の所まではすぐに行くかもしれません。が、そこから伸びが止まってしまう。なぜなら「自分で考える」ことをしないからです。指導者に「やれ」と言われたからやる。それで少しずつできるようになるから深く考えない。「暗記型」や「パターン学習」が嫌いな理由はここにあります。考えることを放棄してしまい「とりあえず言われたことをやるやればいい」と思うようになるからです。言われたことをやっていたら怒られることもないし、ミスをする可能性も低い。
これで本当に力がつくのか?私が単に「足が速くなればいい」と考えて指導していると思われている方も多いのではないかと思います。それだけは絶対に違います。これまで部活で指導してきた選手達は「働き始めて他の人と感覚の差がある」という事があります。言われてから動くというだけではなく「自分から考えて何をするかを判断する」という必要があるからです。社会に出て言われたことだけをやっている間は「使えない」という判断をされます。自ら考えて自ら動ける選手にならなければいけません。
私は全てのお膳立てをしてあげるのは大嫌いです。全て準備して「やればいいだけ」の状態を作る。これはお互いに楽なのです。出来ていないところを指摘して「こうやらないとダメですよ」というよりはその場に行ったら自分自身は「やるだけ」で済む方がエネルギーを使わなくて良いから。でもそれは「誰のためなのか」という話です。社会人となり働き始めたら教員も保護者も手伝ってくれません。何かあったら誰かが助けてくれる。そんな環境で温室育ちをしていたら「生きていく力」は身につかないのです。
真面目で良い子。これが本当に社会が求める人物でしょうか?自ら活動できるようにならなければ「戦力」としては認められないと思っています。言われたことを機械のように繰り返すだけの人物を育てる気にはなれません。真面目なタイプで決められた事をひたすらやるような人物には私のようなスタンスは「受け入れ難い」でしょうね。
私が何か発言する。それを額面通りにしか捉えられない。わざときつい事を言う事もあります。その本当の意味を理解できるようにならなければ社会に出た時に絶対に困る。「無菌状態」で社会に出す方が責任放棄だと考えています。
言われたことだけをやる。ここの部分から「何でやるのかを考える」という所までは育てないといけないと思っています。もちろんまだまだできない事がある。考えて動く事を求めながらもきちんと「このようにやりたいんだけどどうだろうか?」という相談させるようにしなければいけないと思っています。一件矛盾しているかもしれませんが必要な要素です。
例えば、考えて動くようになれば「足が痛い」という状況になった時に「どう動けば良いか」を考えるようになります。待っていたら治るという受け身のような状態では高校3年間という時間はあっという間に終わってしまいます。治療に行く事や別の形で鍛える事もできる。下腿が痛いのであれば自転車漕ぎも出来る。自分が今どうしたいのかをきちんと考えてそれを言葉にできる。そこに対して指導者がサポートをしていくというのが本来の姿だと思っています。
実際に前任校では練習がハードになった時には自ら整体に通って怪我をしないようにしていた選手が複数いました。足に違和感があったら「治るまで待つ」のではなく信頼できる治療院に連れて行ってもらって走れる状況を作る。本気になればやはり考えるようになるのだと思います。時間を有効に使うために考えて動かないといけないというのが自然に分かってくる。
私は陸上競技はツールだと思っています。本当にやらなければいけない事を伝えるツール。だからこそこちらも真剣にやります。何から何までやってあげるつもりは全くもってありません。冷たい?他の人はやってくれるのに?うーん。どちらが本当に必要なことなのかを考えられないといけないと思います。待っていてどうにかなる話ではないから。
「指導させてください」という気はありません。もちろん選手がいるから競技ができるという部分は感謝しています。「指導してやっている」という上から目線でやっているつもりはありません。だからといってへりくだって「練習してください」というのは違うと思っています。
言われたことだけをやる。ここから抜け出すことが人として成長につながると思っています。自分で工夫していく。考えて次に何をするか。ここだと思います。すぐに出来るとは思いません。しかし、それが出来るようにしなければいけない。
少し真面目な話でした。色々な人とこのことについて話をしたので忘れないように想いを書いておきたいなと思っていました。
以前から強く思っている事を。blogです。他者批判をするつもりはありません。言葉の使い方によって嫌な気分になる人もいるかもしれません。最大限の配慮はしているつもりです。様々なblogを見て「不快な想い」をする人も出てくるでしょう。だからこそ最低限のルールを守りながら書いておきたいと思います。
本題へ。一般論として書くつもりです。今初めて思ったのではなく何年も前から考えていた事です。前にも書いた事があるかもしれません。
指導していく中で一番簡単なのは「言われた事をひたすらやる」タイプの選手です。指導者が「これをやりなさい」と指示したらそれだけをやる。勉強などもそうですが「ここを覚えてきなさい」と言ったらひたすら覚える。いわゆる定型業務を行うというのはやる方もやらせる方もかなりやりやすい。ここは最低限の話だと思っています。
その前の段階があります。「言われたことさえやらない」というタイプ。これは競技には向かないと思っています。強くなりたいという発言と裏腹に行動が伴わない。最後まで走れと言っても走らない。2m手前でスピードを緩める。補強をさせると苦しくなった場面で手を抜いてしまう。これはダメだと思っています。言うまでもありません。
それと同じくらいなのが「気分で練習をする」タイプ。気持ちが乗ったら練習をするがそうでなければやらない。好きな練習は一生懸命やるが嫌いな練習は適当にやったりあわよくばやらない。どれだけ才能があったとしてもこれでは「磨く」ことができないと思っています。指導された事を信じてやっていく。上手くいかない時も我慢してやっていくという姿勢が時として必要となります。少しやって上手くいかないからやらないというのが一番ダメだと思っています。
最近は色々な動きをやります。当然ですが上手くできない事もある。その時に繰り返し話をするのが「できない事が悪いのではない」ということ。できない事をやろうとしない事がダメだと思っています。最初から「できないから仕方ない」と思って諦めてしまう事は何も生み出しません。誰もが最初から色々な事が出来るわけではない。出来ないから出来るようにやっていかなければいけないのです。私は「やろうとしない」事に関してはかなり指導します。本来であれば「自分のためにやる」事ですから私があれこれいう話ではないのですが。
人は弱い。強くなりたいという意志があってもそのために最大限の努力を続けるのは難しいのです。私自身はどちらかというと「勝つために全てを犠牲にしてやる」というスタンスでした。ストイックな部分がかなりありました。今はありませんが。この部分に関して師匠からは「自分が現役で全力で競技をやっていた人間にはなかなか理解できない事がある」と繰り返し指摘されていました。私からすれば「やるのが当たり前」だと思っていたのですがそうではない選手もいる。
頑張りたいけど頑張りきれない。そんな時には指導する側がきちんと声をかけてモチベーションを上げていくようにしなければいけない。「言われた事さえやらない」という部分。「やりたいけど頑張りきれない」のか、「できる限りきつい事はやりたくない」のかでは意味が違います。こちらとしても考えて指導していかなければいけません。
で、「言われたことだけをやる」という選手。上述のように「指導するのが楽」です。しかし、このような選手はなかなか強くなりません。ある一定の所まではすぐに行くかもしれません。が、そこから伸びが止まってしまう。なぜなら「自分で考える」ことをしないからです。指導者に「やれ」と言われたからやる。それで少しずつできるようになるから深く考えない。「暗記型」や「パターン学習」が嫌いな理由はここにあります。考えることを放棄してしまい「とりあえず言われたことをやるやればいい」と思うようになるからです。言われたことをやっていたら怒られることもないし、ミスをする可能性も低い。
これで本当に力がつくのか?私が単に「足が速くなればいい」と考えて指導していると思われている方も多いのではないかと思います。それだけは絶対に違います。これまで部活で指導してきた選手達は「働き始めて他の人と感覚の差がある」という事があります。言われてから動くというだけではなく「自分から考えて何をするかを判断する」という必要があるからです。社会に出て言われたことだけをやっている間は「使えない」という判断をされます。自ら考えて自ら動ける選手にならなければいけません。
私は全てのお膳立てをしてあげるのは大嫌いです。全て準備して「やればいいだけ」の状態を作る。これはお互いに楽なのです。出来ていないところを指摘して「こうやらないとダメですよ」というよりはその場に行ったら自分自身は「やるだけ」で済む方がエネルギーを使わなくて良いから。でもそれは「誰のためなのか」という話です。社会人となり働き始めたら教員も保護者も手伝ってくれません。何かあったら誰かが助けてくれる。そんな環境で温室育ちをしていたら「生きていく力」は身につかないのです。
真面目で良い子。これが本当に社会が求める人物でしょうか?自ら活動できるようにならなければ「戦力」としては認められないと思っています。言われたことを機械のように繰り返すだけの人物を育てる気にはなれません。真面目なタイプで決められた事をひたすらやるような人物には私のようなスタンスは「受け入れ難い」でしょうね。
私が何か発言する。それを額面通りにしか捉えられない。わざときつい事を言う事もあります。その本当の意味を理解できるようにならなければ社会に出た時に絶対に困る。「無菌状態」で社会に出す方が責任放棄だと考えています。
言われたことだけをやる。ここの部分から「何でやるのかを考える」という所までは育てないといけないと思っています。もちろんまだまだできない事がある。考えて動く事を求めながらもきちんと「このようにやりたいんだけどどうだろうか?」という相談させるようにしなければいけないと思っています。一件矛盾しているかもしれませんが必要な要素です。
例えば、考えて動くようになれば「足が痛い」という状況になった時に「どう動けば良いか」を考えるようになります。待っていたら治るという受け身のような状態では高校3年間という時間はあっという間に終わってしまいます。治療に行く事や別の形で鍛える事もできる。下腿が痛いのであれば自転車漕ぎも出来る。自分が今どうしたいのかをきちんと考えてそれを言葉にできる。そこに対して指導者がサポートをしていくというのが本来の姿だと思っています。
実際に前任校では練習がハードになった時には自ら整体に通って怪我をしないようにしていた選手が複数いました。足に違和感があったら「治るまで待つ」のではなく信頼できる治療院に連れて行ってもらって走れる状況を作る。本気になればやはり考えるようになるのだと思います。時間を有効に使うために考えて動かないといけないというのが自然に分かってくる。
私は陸上競技はツールだと思っています。本当にやらなければいけない事を伝えるツール。だからこそこちらも真剣にやります。何から何までやってあげるつもりは全くもってありません。冷たい?他の人はやってくれるのに?うーん。どちらが本当に必要なことなのかを考えられないといけないと思います。待っていてどうにかなる話ではないから。
「指導させてください」という気はありません。もちろん選手がいるから競技ができるという部分は感謝しています。「指導してやっている」という上から目線でやっているつもりはありません。だからといってへりくだって「練習してください」というのは違うと思っています。
言われたことだけをやる。ここから抜け出すことが人として成長につながると思っています。自分で工夫していく。考えて次に何をするか。ここだと思います。すぐに出来るとは思いません。しかし、それが出来るようにしなければいけない。
少し真面目な話でした。色々な人とこのことについて話をしたので忘れないように想いを書いておきたいなと思っていました。