ふと考える。なぜ、陸上競技の指導をしているのだろうか?選手が本当にそれを求めているのか?本当は「楽しく」やりたいだけなんじゃないか?それをkanekoが強制的に「中国大会へ」とやらせているだけなんじゃないだろうか、と。
心から強くなりたいと願う者もきっといるだろう。でもひょっとしたらそうじゃない者だっているんじゃないか?kanekoの役割は「脚を速くすること」ではない。それ以外の面の成長を促さないといけない。理想は「コーチ」としての関わり。それ以外の面は「できていて当たり前」であって欲しい。実際問題それは難しいのですが・・・。
求められていないものを「与える」のは・・・。これはうちの選手がどうこうというわけでなく、自分自身の問題です。必要かどうかをどう判断するかは難しい。
先日、「ボランティア活動」と「ボランティア体験活動」の違いについての話しを聞いた。「ボランティア活動」は自らの意志で進んでボランティア活動をすること。「ボランティア体験活動」とは学校側が「全員参加」でボランティア活動を体験させること。ボランティアは自らの意志で進んでやるから意味があるという考え方が多いようだが、実はこの「体験活動」に意味がある。人間は一度体験してみてその中でその活動に「意味があるかどうか」を判断する。経験がないのに「ボランティア活動」の意義ややりがいを伝えるのは無理だと。体験活動をしていくなかで興味を持った子が本気で取り組めれば良いんだというのがその人の話でした。
確かにね。人は経験した中から自分に合っているかどうかを判断します。経験がなければその判断は非常に難しいものになる。経験した中で「自分に合っていない」と判断することは決して悪いことではない。他の道を探せば良いだけだから。「脚は速くなりたい」でも「人間的な成長は求めない」というのは今のkanekoのスタンスとは違う。どうすることが子供達のためになるのだろうか?
「指導者は弱いところを見せてはいけない」と言われたことがある。今のkanekoにはそんな圧倒的な判断力はありません。人は悩み、苦しみながら成長していく生き物です。
部活動だけではなく教育という場面でも、何を求められているのかを考えなければいけない時代になっています。これだけ報道関係が「教育」や「教師」をバッシングすれば学校の「教育的価値」が本当にあるのかどうかを子供達が疑ってしまうのでないか?先日、未履修問題で取り上げられた学校の生徒に「なぜ学校に行くのか?」というアンケートをした結果がニュースで流れていました。なんだと思いますか?半数以上の生徒が「大学受験のため」と答えていました・・・。本当に悲しいことです。それなら学校に子供達が集まる必要はない。みんな進学塾に行っておけばいい。「高校卒業」の資格が必要?だから高校は卒業する?こんな社会で「人間」は育つのか?他者を批判してでも自分が良ければいい世の中では心が育つわけがありません。
学校という場は、「様々な経験をする場」だと思っています。その中で自分の将来について考える場だと。単なる通過点ではない。嫌なことも言わなければいけない。でもそれは、「その子のことを思って」発する言葉。今のままじゃ困るからもっとこうした方が良いよというアドバイス。聞き入れる姿勢を作ることは、学校教育以前の問題。「人から言われたことは素直に聞きなさい」というのを高校に入って教えるのか?自分に都合の良いアドバイスだけ聞き入れて他のことは聞かないと言うのであれば、何も成長はない。
「今」自分自身にできることは何だろう・・・。なんだか悲しい気分になるね・・・。
心から強くなりたいと願う者もきっといるだろう。でもひょっとしたらそうじゃない者だっているんじゃないか?kanekoの役割は「脚を速くすること」ではない。それ以外の面の成長を促さないといけない。理想は「コーチ」としての関わり。それ以外の面は「できていて当たり前」であって欲しい。実際問題それは難しいのですが・・・。
求められていないものを「与える」のは・・・。これはうちの選手がどうこうというわけでなく、自分自身の問題です。必要かどうかをどう判断するかは難しい。
先日、「ボランティア活動」と「ボランティア体験活動」の違いについての話しを聞いた。「ボランティア活動」は自らの意志で進んでボランティア活動をすること。「ボランティア体験活動」とは学校側が「全員参加」でボランティア活動を体験させること。ボランティアは自らの意志で進んでやるから意味があるという考え方が多いようだが、実はこの「体験活動」に意味がある。人間は一度体験してみてその中でその活動に「意味があるかどうか」を判断する。経験がないのに「ボランティア活動」の意義ややりがいを伝えるのは無理だと。体験活動をしていくなかで興味を持った子が本気で取り組めれば良いんだというのがその人の話でした。
確かにね。人は経験した中から自分に合っているかどうかを判断します。経験がなければその判断は非常に難しいものになる。経験した中で「自分に合っていない」と判断することは決して悪いことではない。他の道を探せば良いだけだから。「脚は速くなりたい」でも「人間的な成長は求めない」というのは今のkanekoのスタンスとは違う。どうすることが子供達のためになるのだろうか?
「指導者は弱いところを見せてはいけない」と言われたことがある。今のkanekoにはそんな圧倒的な判断力はありません。人は悩み、苦しみながら成長していく生き物です。
部活動だけではなく教育という場面でも、何を求められているのかを考えなければいけない時代になっています。これだけ報道関係が「教育」や「教師」をバッシングすれば学校の「教育的価値」が本当にあるのかどうかを子供達が疑ってしまうのでないか?先日、未履修問題で取り上げられた学校の生徒に「なぜ学校に行くのか?」というアンケートをした結果がニュースで流れていました。なんだと思いますか?半数以上の生徒が「大学受験のため」と答えていました・・・。本当に悲しいことです。それなら学校に子供達が集まる必要はない。みんな進学塾に行っておけばいい。「高校卒業」の資格が必要?だから高校は卒業する?こんな社会で「人間」は育つのか?他者を批判してでも自分が良ければいい世の中では心が育つわけがありません。
学校という場は、「様々な経験をする場」だと思っています。その中で自分の将来について考える場だと。単なる通過点ではない。嫌なことも言わなければいけない。でもそれは、「その子のことを思って」発する言葉。今のままじゃ困るからもっとこうした方が良いよというアドバイス。聞き入れる姿勢を作ることは、学校教育以前の問題。「人から言われたことは素直に聞きなさい」というのを高校に入って教えるのか?自分に都合の良いアドバイスだけ聞き入れて他のことは聞かないと言うのであれば、何も成長はない。
「今」自分自身にできることは何だろう・・・。なんだか悲しい気分になるね・・・。