kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

メリハリをつける

2015-10-30 | 陸上競技
前の記事、全く競技と関係ない話になっています。まーたまにはいいんじゃないかと思いますね。このblog自体は基本的に私思うようにやっているので(笑)。

水曜日の練習は山に行こうと思っていました。本当はグランドで練習をしたいと思っていたのですが練習道具の作成が間に合わなかったためお手軽に「山で坂道」という安易な流れ。とはいえ、そればかりやると面白くないですし単調になりますから「強制的に走る」という形をとることに。無理やり走るという意味ではなく「走らざるを得ない状況」を作り出すという感じでしょうか。

練習の最初にグランドで「鬼ごっこ」をしました。小学生か?!という話ですが(笑)。スペースを決めてその中でやる。鬼にタッチされたらスクワット。90秒という時間を決めてひたすらやります。結構走る。スペースが広いと逃げ切れてしまうので少し狭い範囲で行います。何セットかやったのちに今度は手つなぎ鬼。捕まったら鬼と手をつないで追いかけます。これも案外面白い。私も1セット参加。思った以上に疲れました(笑)。インターバル練習になります。こういう部分は楽しく。

その後、ダイナマックスを使ってスキップリレー。決められた距離を2往復。終わってからはテニスボールを使ってからの「反応」の練習。これも盛り上がっていました。どういう形であれこちらが狙いを持って練習計画を立てればそれなりに効果があります。遊び感覚でも反応を意識した練習や動き始めの身体の使い方の練習。変形ダッシュなどは典型的な練習です。冬季練習でこの練習ばかりするところもあると聞いています。単純に同じ変形ダッシュでは効果が微妙ですが・・・。まーそれはそれ。最後にダイナマックスでのスプリント。結構短い距離で身体を動かしました。

その後、山へ。いつも同じ場所だと飽きてしまうので別の場所で実施。階段を発見したのでおんぶ走。さらにはだっこ走(笑)。何人かは「走り」というよりは「歩く」という感じでしたが・・・。それでもひたすらやる。少し下半身を使ってからその階段を使ってダッシュ。ジプシーのように場所を移動しながら次の場所へ。ちょうど良い階段を見つけたのでそこで片足ジャンプを。これまでジャンプ系の練習が不足している感じがありました。そのためこれからはシンスプリントにならないように気を配りながら継続していきたいと考えています。

さらに移動して坂道。私も高校時代走っていた場所です。聞いてみると昨年は「土曜日の練習」はここで行っていたようです。シーズン通して坂道で練習。タータンを使って走るというのではなく試合前でも坂道だったとのこと。ある意味すごいことだと思いますね。「既成概念」から抜け出して新しい考え方かもしれません。今の私にはそれができませんが・・・。かなり長い坂なのですが「分割」してダッシュとウォークで上がっていくことに。これも先日話をしていて思い出したので実施してみました。決してきれいな練習ではありません。どちらかというとこれまで否定的にとらえていた「ひたすら走る」ような練習形態です。150m位の距離をダッシュとウォークで上がる。疲れていても走るという感じでしょうか。

この坂で練習をしていたら暗くて何も見えなくなりました。明らかに危険なので終了。走ればよいというわけではありません。安全の確保も必要になります。そのためさらに場所を移動。月曜日に走った場所へ。ここであれば比較的明るいので走れます。ここでは「短」「中」「長」という距離設定を行いピラミッド形式で走りこみました。選手が走っている間、いろいろとあったので選手に声をかけることはなし。これはどうとらえられるか分かりませんが。

これまでのスタンスとして常に声をかけながら選手を励ましていました。時には厳しい言葉をかけて鼓舞する。そういう練習の中で「弱さ」を超えていく。が、それが毎回ではだめなのではないか?これも正解はわかりません。いつもいつも放置して練習をさせるのは絶対に違うと思っています。「走っておけ」という流れの中でやっていく。これではロスが多い。しかし、毎回「私の声掛け」により乗り越えていくというのも違うのではないか。時には自分たちの「強い意志」で前に進んでいかなければいけない。支えあい乗り越えていくことも必要。

実際に少し離れた場所から練習を眺めていたのでどのような意識で、どのような目標を持って走っていたかはわかりません。自分自身が変わりたいと切に願ってやっていたか?単純に走れと言われて走っていたか?同じ走るという行為でもいろいろと違ってくると思いますね。まだまだやるべきことはたくさんある。「心」の部分が変化していかなければ先へは進めないのです。

練習の中であれこれやっていきたいと思っています。マンネリ化するのを避けたいというのもあります。前の記事にも書きましたが「自主性」という放任主義は嫌です。が、場合によっては「自分たちでやるんだ」という感覚を持ってもらいたい。難しいことを言っているのかもしれません。それでもやっていきたい。決まりきったパターンでしかやらないのではなく「正しいかどうかわからないが正しいと信じてやる」道を選びたい。これまでと同じ事やっていたら結果は見えています。そうならないように「大きな変化」を生み出したい。

自分にできることを見つけていきたいと思います。少しずつ少しずつですね。いい方向に進めていきたい。そう思います。このことを理解してもらえるかどうか。単純に「やればいい」といいう指導はしません。見ていてください。
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思い込み

2015-10-30 | 陸上競技
水曜日、公開授業でした。まだいまいち学校の仕組みが分かっていないので戸惑いながら。前日の練習後、選手が「明日は中学生が見に来るんですよね?」と言い出す。何のことか全く分からない。話によると公開授業は保護者向けだけではなく、中学校の先生方や中学生も見学可能だとのこと。その後、部活動見学もあると。

前任校では平日にやるのは避けて欲しいという中学側からの申し出があったと聞いていました。そのため夏休みにオープンスクールを行う。これとは少し違うのかもしれませんが。前年は中学校の文化祭の振替休日と重なっていたため参加者はそれなりに多かっだということですが今年は完全に平日のため参加者は少ないとのこと。まー当然といえば当然ですが。

授業の方はデザイン系の話だったのでこちらも少し準備。とはいっても基本普通の授業なんですが。アップルのロゴなどの話をしました。生徒に「アップルコンピュータのロゴを書いてみるように」と指示をしました。見てみると面白いですね。「リンゴ」というのはわかるのですがどのような形になっているのか記憶は曖昧です。もう少し時間をとって「twitterのロゴ」も書かせてみました。これはさらに酷い(笑)。「鳥」だという認識はあるのですが細かいところは覚えていない。その鳥がどちら向いているのかさえも曖昧。形で覚えている。何となくで覚えている。間違っていても大して困るわけではないから。

世の中の大半のことは「だいたい」なんだと改めて感じました(笑)。細かく細かくやっていても結局は「こんな感じかな」で終わってしまうことの方が多い。企業のロゴに関して言えばデザインのこともありますが、企業理念を込めて一生懸命作っています。ブランドイメージもありますから。それでも消費者は「形」でしか覚えていない。

例えば



このような図形があれば何となくこちらが伝えたいことは伝わる。

これは?



色合いがなくなって判断が難しくなる。

さらに


この図になると一目で判断が難しくなる。本当は色を完全に入れ替えたかったのだが、アプリで簡単にそこまでできなかった(笑)。そこまで必死になって色相を変える必要もないし(笑)。

多分最初の画像を見たときに、何となく「男女」を表しているのは分かってもらえると思う。が、モノクロになると一目で分からなくなる。さらには色を逆転させる(本当は女性の図形を青にしたかった(笑))。実際に図形が同じで色を逆転させたものをトイレの入り口に貼っているとかなりの確率で間違えて入ってしまう。人は細かい情報ではなく「なんとなく」で判断している部分が多い。この例で言うと「青は男、赤は女」というように自分自身の思い込みにより判断して決めている。それが「何を意味するか」ではなくなっている。

練習も勉強も同じだと思っている。人は慣れてくると「なんとなく」で過ごしてしまう。練習の意味を考えずに「これまでの流れ」でやってしまう。仕事も同じ。「これまで入ってこうだったから」という感覚でやってしまう。だから、細かいところ見失ってしまう。自戒の念を込めて(笑)。イメージで判断して行動する。結果、マイナスになることは多々ある。思い込みで細かいところまで考えなくて判断して後で困る。

1番最初に書いた「公開授業」も同じこと。自分の中で勝手に「保護者が来る」と決めつけている。細かいところ確認しないから慌てる。まー今回は慌てませんでしたがそれはそれ。きちんと知っておく必要があります。練習内容の選択も高校や大学の選択、就職先の決定も同様だと思います。「思い込み」で判断する。

練習の意図する事と全く違うことを意識してやっていたらプラスになるどころかマイナスです。進路や行動にしても「~だと思うから」という判断で一生を左右されてしまうこともある。だからよく考える必要がある。理解する必要がある。表面的に見える一面だけで判断したら実際違ったというのはよくある話。色が赤だからと思って入ったらそこは男子トイレで...。確認してみると「図形が違う」ということもある。

勉強するというのはこういう事も含めてだと思います。たまたまこういう授業展開だったのでそれの紹介も含めて書いてみました。何の話??って感じですが。まー授業で「思い込み」や「色から受けるイメージ」の話をしたのでその辺り紹介しておこうかなと。

公衆トイレに入るときはまず「本当にあっているか?!」を確認してから入ってください。間違えると大変なことになりますから(笑)。
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やりきる経験を

2015-10-29 | 陸上競技
火曜日、天候は雨。練習はトレーニングとしました。これまでやってきた内容をもう少し徹底していきたいという気持ちはあります。トレーニング、かなりやっている自負はあるのですがそれが結果として現れません。半年くらいやれば懸垂くらいはできるようになるのですが女子に関してはまだまだという感じです。やってはいるけれども「効果」として実感できるレベルではない。これは考え物です。同じことをやっても成果が出る者もいれば出ない者もいる。この差は何か?懸垂などは最初からできる選手もいます。努力したから懸垂ができるようになっているのではないという部分もあります。が、できない選手ができるようにしていくというのはすべての面での練習に大きく影響していくと思います。

1時間ほど会議があったので参加できず。事前にメニューに関して指示を出していました。シャフト補強なども距離が短くなってきているのできちんと40mでやるように。さらには「重心の移動を大きく」が狙いなのですが今は「きちんとした負荷をかけよう」という部分。やっていることの質を上げていかなければいけません。そこができて初めて次につながるから。まだまだ甘い部分があります。

見ていて感じた部分。種目を分けています。その分、休息が長くなっています。これは前から感じていました。レース後半での持久力。筋持久の部分です。ジョグなどをして持久力を上げるのではなくこういトレーニングの中で使える持久力を上げていきたいと考えています。が、気が付くと地味に休息が長くなり追い込むという感じではなくなっている。これも難しいところですね。選手が悪いとは思いません。人はやっているうちに緊張感が低くなりいつの間にか「慣れ」てしまう。この状況では質は上がりません。お互いに指摘しあいながらやっていければいいのですが「競技者」としてはまだ幼い。そこまではできないのです。

だからこそ厳しく指摘し続けました。そこまでして「やらせる」ことは自主性を生む部活動なのかといわれると違うと思います。が、「自主性」と「放置」は確実に違います。「自主性を育てる」というかっこいい言葉で誤魔化して結局「指導しない」という部分が往々にしてあります。それは避けたい。ある一定の競技者レベルになるまではこちらが主導権を握って取り組んでいく必要があるのです。自分たちでできるというのは机上の空論。少し前にも書きましたが「先達の存在」があって初めて分かることもある。今はわからないから私がリーダーのようにチームを引っ張っていかないといけないと思っています。

とにかく最後までやりきる。動きに関してもやりきらなければだめです。トレーニングに関しても最後の1歩まで丁寧に。そういう感覚を持たせたい。人は苦しい時に本当の姿が出てくると思います。表面的に「頑張る」といっても練習や勉強で苦しくなってきたときに「少しくらいいいや」と思った行動が出る。人はその「弱さ」を認めたくない。自分はやっていると思っているから。しかし、それでは成長はない。自分たちが「やっている事が全てではない」という感覚を持ってもらいたい。

そう考えてあえて30秒腹筋をやりました。もちろん、練習中に常に上述のような話をしながらめす。苦しいからやっぱり動きが小さくなったり、遅くなってしまう。ある程度は仕方ないことだと思っています。だからといってそれを認めるわけではない。キツイけどやらせないといけない。だから選手が腹筋をしている間はずっと話をしています。「勝手に強くなれ」というスタンスはとっていません。強くなるためのサポートを常にし続ける。それが必要だと思っています。

人はそれほど強くない。だからこそ「先達」がいて伝えていかないといけない。自分で自分をコントロールして貪欲に一切手を抜かない選手であれば技術論云々ではなく強くなります。大半の選手は「弱さ」を抱えているのです。だからやり切れない。挫けそうになった時にこちらが手を差し伸べて方向性を示す。時には「悔しい」と思わせることもある。考えて発言する事が多いですが、本当に頭にきて感情的になることもあります。様々な形で選手と向き合い、少しずつ背中を押していく。それしかないと思っています。

私にはわたしのスタンスがある。伝えたいものがある。私もやり切らないといけません。しっかりと。
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一から作り直そう

2015-10-29 | 陸上競技
書いているとまとまりがないのですが。とにかくあれこれ考えるようになりました。それなりに力がある選手であれば適度な練習で強くなります。まーこれまでそのような選手を預かったことはありませんからひがみなのかもしれませんが(笑)。普通の選手が強くなるためになにをするか。しっかりと練習をするしかないと思っていました。

大会の時にいつもお世話になっている指導者と話をしていました。「うちの選手は走る練習が不足していると痛感しました。もっと走らせないといけ。この冬は走りこませます。」と。すると「いや、うちも足りないと思うからもっと走らせる。」と言われていました。県体の1週間前に同じグランドで練習をしていました。その時、めちゃくちゃ走っていました。毎回合宿の時もヘトヘトになるまで走らせてもらっていますが(笑)。それでも「もっと走らないと」と言われる。うちの選手は青ざめていましたが(笑)

私自身が殻を破る。それが必要。これまでの自分の中の常識を打ち破っていかないといけない。昔の自分に戻ることが最低限の条件なんじゃないかと思っています。今がダメだというのではなく、感覚的に「インターハイで戦う」ことを考えていた時期と「県総体に出よう」と考えている時期との差なんだと思います。自分自身の感覚が高まっていくことは大切なことだと思っています。それが指導者としての成長だから。しかし、今は同じ練習ではダメ。その時々に合った練習があると思っています。

そんなこともあり、月曜日は普通に練習としました。試合の次の日なのにと言われるかもしれません。が、日曜日にレースに出た者はほとんどいません会場で練習はさせていますが多分短い距離を数本走って終わっているはずです。やると決めたからには即行動だと思っています。自分自身の意志が弱くなる前に行動に移しておかないといけない。こちらが妥協していたらなにも変わらないから。

7時間授業だったこともあり山へ。早く練習道具の作成をしなければいけません。タイヤ引き、タイヤ押しのための道具がないと練習になりません。ワンパターンの練習では選手は飽きてしまうかもしれません。ある一定の水準まで行けば違うと思いますが、今はどうやって練習負荷を増していけるか。一気に増やすことはできませんがこれまでのようなキレイな練習ではこれから先はないと思います。

階段などを使ってやっていきました。2時間くらいしか使えないのでその中であれこれやりました。これまで比較的決められたパターンの中でやっていたので思い切って思いつきでやっていくことに。おんぶをしたり片脚ジャンプをしたり。ひたすら走って上がったり。前時代的な練習かもしれませんが、科学的な練習云々ではなく泥臭い練習も必要になる。いつの間にか「無駄」だと思って排除してきた練習の中に大切な何かが埋もれているかもしれない。

これも感覚の部分です。選手を預かって長い間指導していると効率を重視するようになる。その中でより効果があるものを求めていく。どこかで誰かがやっていたからではなく、やっていく中で「こっちの方がいいな」と思う部分。でもそれは時として別の形で必要になる。一からやり直すというスタンスの中では捨てていったモノを拾い集めないといけないんじゃないかと思っています。感覚の部分なのでうまく説明できませんが。

ひたすらやってから坂道へ。暗くなってくると階段は危険なので。これまで練習の中で短い距離を中心にやってきました。これも変えるつもりはありません。しかし、少しはやり方を変えていかないといけない。技術的な事はやりたい。が、そこだけに特化していたらダメ。坂道に移動してから少しの間はスティックを使って動きを作るための練習をしました。こういう部分は外せないと思っています。

後半はひたすら走る。時間が許す限り走る。段差でスタートさせてひたすら前を追う。坂道ですから思うように走れない選手も出てきます。それでもやり続ける。アスファルトの上で走るので故障云々も気になる。が、そこを言い始めたらもう練習は出来ないという気がしています。今はとにかくやる時期。細かいことを云々ではなく走る。動きの要素を一切やらないと言っているわけではなくやるけどそこだけにこだわらないというだけ。

マイナス発言をする者が減りました。色々な意味で減りました。「走りたくない」「まだやるのか?」と言ったものに関しては練習参加させないという話をしています。やりたくない者にやらせるのは無意味だから。一人の問題ではなく全体をマイナス方向に引っ張るのであればやらない方がマシ。そう思って話をしています。

思うように走れなくて涙している者もいました。それで良いと思います。走れないから止めるじゃなくて走れなくてもガムシャラに走る。そういう経験をしていくことで「心」が変わってくる。大切な要素だと思いますね。良い練習が出来たと思います。一からやり直しですが、きちんと積み上げいくことが出来る気がします。

書きたいことはたくさんあるのですが長くなるのでこの辺りで。もうすでに長いですが(笑)
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ただガムシャラに

2015-10-28 | 陸上競技
前の記事がまとまらなかったのが私の中でショックで。前から文才がないんじゃないかと薄々感じてはいましたが本当にない(笑)。

人は時としてガムシャラにならないといけないと思っています。私は何度か書いていますが理系に憧れています。合理的でスマートな考え方。時としてドライになる。無駄なところにはエネルギーを使わない。そういう姿勢に強い憧れを持ってました。性格的に無理な話なんですが(笑)。

私の最大の長所は一生懸命になれることだと思います。昔から生徒や保護者に「熱血先生ですね」と言われていました。当時はそんな事はない、これは当たり前なんだと思っていました。が、よくよく考えてみるとそうではなさそうです(笑)。もっと早く気付けよという話ですが。今でもクラスの生徒には「教室が暑い」という話をすると「先生が入ってきたから温度が上がったから暑い」と言われる(笑)。私自身が一生懸命にならなければ生徒も選手も一生懸命になれるはずがない。

前の記事に書いていますが、いつの間にか「仕方ない」と自分自身を納得させていた部分がありました。これまでの流れの中であまりにも大きな変化を生み出すと歪みが生まれてしまう。少しずつ少しずつの変化が必要。きちんと考え方が浸透するのには時間というどうにもならない要素が必要になる。分かりきっています。焦るなと言われる。そういう部分もありかなり抑えていました。選手や周りからすれば「どこを抑えているんだ?!」と言われるかもしれません。が、親しい指導者達から見れば私が「死ぬ気でやっていた」時との差は見て取れると思います。

手を抜いているわけではない。今は今できる事を一生懸命やらないといけないのだと改めて感じた。「分からないから仕方ない」「言われてないから仕方ない」という感覚が自分の中にあった。しかし、それでは今後の問題は何ひとつ解決できない。そのうち出来るようになるだろうという感覚から抜け出していかないといけない。それが私自身の大きな課題なんだと思う。

やっぱり、クールで二枚目は無理なようです。私は「無駄に熱い三枚目」でしか生きていけません。理想と現実のギャップ。改めて感じましたね(笑)。選手との距離もきちんと考えていかないといけません。あまりにも離れ過ぎていたら選手は付いてきてくれない。逆に近すぎるとまー色々と問題が出てくる。そこは私自身がきちんと見極めていかないといけないところだと思っています。

練習をしっかりさせる。自分達で勝手にやる、与えられたメニューをひたすらやるという練習スタイルではありません。しつこくしつこく指導していく中で成長していきます。更にいうと練習で追い込む部分にもエネルギーが必要となります。「少しくらい良いか」という感覚を私自身が捨てないといけない。これまでやってきた事を全て同じように出来るとは思っていません。しかし、大切にしなければいけない事は徹底。いつの間にかこの部分のしつこさがたりなくなっていたのかもしません。

年齢を重ねたからそうなったのか?これは違う気がします。感覚的に「一歩引いたところから見る」という感じだった気がします。私自身が遠慮している。もちろん今だから分かることです。7が月前にそんなことを感じる余裕さえなかった。そして、7が月前に同じ気持ちで「ガムシャラにやろう」と思っていたら大変なことになっていたと思います。まーそれなりに突っ走っていたので選手や周りは大変だったと思いますが。本当にやるぞ!と決めたらこちらは止まらずに進みたいと思います。

ガムシャラにやる経験。これを今の中高生や大学生が経験できるのか?何となく「必死にやることはカッコ悪い」という風潮がある。そして、そんなに熱くならなくても良いじゃないかと言われる。スマートに生きていたら見た目は良いかもしれない。が、本当に苦しい時に力が出せるだろうか?こちらとしては考えないといけない。これから先、子供達は自分たちの力で生きていかないといけない。その時に「柱」になるものを持ってもらいたい。

苦しくて諦めてしまいそうな時にその人の本当の姿が出てくるんだと思う。かっこ悪くてもガムシャラに前に進む。どんなに苦しくても諦めず努力を重ねる。そんな姿を見てきっと誰かが手を差し伸べてくれる。簡単に「キツイから無理だ」と言うような子供達を育てたくて今の仕事に就いたのではない。夢や目標を抱ける子供達。そのためには私がアホみたいに一生懸命にならないとダメだと思う。

やり切ろう。苦しくても絶対に諦めない。自分にできることをひたすらやる。そんな子供達を育てたい。練習量も増える。当然キツイ。でもそれを越えていける「心」を育てたい。

まとまらないなー。暑苦しいですかね?でもそれが私なんだと受け止めることにしました。綺麗に生きていくのは無理。練習に関しても生き方に関してももっともっと泥臭くひたむきにやっていきたいと思います。
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もう一度最初から

2015-10-28 | 陸上競技
今回の県体、色々な意味で自分自身の取り組みを見直すキッカケとなりました。これまでやってきた事、正しいかどうかは分かりません。客観的に物事を捉えようと思いながらも視野の狭さが浮き彫りになります。

レースで共通する事。動きの改善によりある程度前半は走れるようになっていたと感じました。しかし、後半の大幅な減速が見られる。共通しての部分です。この数年間、ある程度練習が精選されていました。この感覚の中で練習をしていた。気がつくとマイルでインターハイを狙っていた時期から比べると5分の1以下のレベルになっていました。ある程度選手が集まってくれていたのもあります。が、後半はいつの間にか練習量が減ってきていました。スマートな練習の方が自分のスタイルだと勘違いしていた。

これまで。中学時代の力から大きく伸びてきた選手。様々な部分で厳しく接してきました。涙を流しながら練習してきた事も数知れず。それがいつの間にかこちらが「技術的な指導さえやれば強くなる」と勘違いしてしまった部分があるのかもしれない。そんな感覚はない。が、明らかに練習量が減っている。私のスタイルをいつの間にか見失っているのかもしれない。

色々な話をする中で前任校の1番最初を思い出した。あまりキツイことをやってしまうと「選手がかわいそう」という感覚と「選手が辞めてしまうかもしれない」という保守的な考え方があったと思います。今はそこまで求めてはいけないという感覚。これは良いのか悪いのか分かりません。環境が変わった中でいきなり「強くなるための練習」をさせる事はできない。性急にならないように気を使っていたつもりだったが周りから見たり、本人たちからすれば「これまでと違う」という違和感があったのではないかと思います。それに合わせていた部分。自分のやりたい事を押し殺している自分がいました。

が、今回の大会。見ていてこちらがやりたい事がきちんとできていないため選手がきちんと力を上げられていないというのを痛感しました。選手の取り組み云々もありますがこちらとしても「仕方ない」と考えていた部分があります。楽して強する方法を私は知らない。そう思っていたのに。いつの間にか「今はそこまでしてやらさなくても良いんじゃないか」という感覚に変わっていた。周りから批判されても押し切らないといけない部分があったのかもしれない。

時間が必要だったのは間違いないと思います。いきなり私の指導スタイルを全開にして、質も量も求めるような練習にしたらチームは崩壊していたと思います。だからこの県体までの約7ヶ月、私の中でモヤモヤしていたものがあったのだと思います。これまでの流れを生かしながらも変えていかないといけない。それを分かっていながら足りないことがあった。1番覚悟が足りなかったのは私なのかもしれません。

中学時代に力がある。そのような選手が高校でストレートに伸び続けるか。逆に中学時代力がなかった選手が高校になったら競技をやったらダメなのか。どちらも違うと思います。やはり「やらなければいけない事」を徹底していかないといけないのだと思います。力があってもなくても「本当にやらないといけない事」は同じなんだと。どこの学校でやるか?ではなく、「何を目指してやるのか」なんだと思います。もちろん「どこの学校でも強くなるか」と言われたら違うと思います。チームとしてきちんとできるようにならないと結果はついてこないと思います。

この冬は私自身もう一度やり直したいと思います。ひょっとしたら付いてこれなくて選手が減ってしまうかもしれません。うちの学校は部活動は全員加入です。何となく個人種目だこら入りやすいと思って選んだ子もいるはずです。でも実際は違う。当然の話だと思います。強いから入って欲しいというのではない。強くなるために、心を鍛えるために、人として成長するためにうちの学校のうちの部を選んで欲しい。それだけの覚悟があればこちらも全てを賭けてやっていきます。

今入っている選手たちは少し違うかもしれません
。そんな事を求めては部活に入ったのではないかもしれないから。でも、どうせやるからには全力でやった方が面白い。勝ち負けも大切だが過去の自分よりも強くなろうとする姿勢が大切。

もう一度。厳しいと言われていたkanekoに戻りたいと思います。もちろんこちらも変わってきているのでどうなるのかは分かりません。キツそうな姿を見見たり、「キツい」と負のオーラを出していたらこちらも追い込めませんでした。が、わたしも変わります。8年前くらいと同じ練習はしません。が、やっぱりガムシャラにやる練習も必要です。普通の事をやっていたら勝てないのは当然だから。

だからやり切る。何があってもやり切る。甘さが出た時に真剣に選手と向き合い、きちんと指摘したい。やりっ放しではなく強くなるために逃げないように。私も心を強く持たないといけない。キツい事をさせたらやはりこちらもキツいから。でも、本当にやろうと思えば関わる全員が覚悟を持たないといけない。「やり切る」事を全員できちんとやらないといけない。

覚悟を持って。強くなるための練習をしていかないといけない。他校と比べてというのもあるがこれまでの価値観を大きく変えていきたい。明らかに量が減っている感覚。これを埋めていきたい。そこが変えられた時、チームとしても大きく変わる。このことに関してはまた書きたいなと思っています。私自身の感覚を変えていきたい。できた時にまた大きく変わっていく。そう信じている。

話がまとまらない。ちょっと内容を見直してまた書いてみる。文才ないなー。
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一つのことに対する想い

2015-10-27 | 陸上競技
思う事をつらつらと。

県体、一応中心はリレーだと考えていました。現時点では個人種目で勝負をするのは厳しい部分がある。もちろんリレーでなさーい勝上がれるほどの力もない。だな、こそ、みんなで一つの事をやるんだという意識付けをしていきたいと考えていました。そのため県新人が終わってからはバトン中心。メンバーに入りそうな選手もそれ以外も全員でバトン練習をやっていきました。

県新人の時、20mオーバーゾーン。初めてのことでした。かなり練習をしていましたがやはり練習の適当さがこういう場面で出る。細かい事は書き上げませんが「なるべくしてなる」という感じがありました。終わってから私の所に状況説明にも来ない。ホテルに帰ってから少し何か言ってきたくらいでした。

なかなか分かってもらえないかもしれませんがオーバーゾーンをしないという基本的な指導はかなりやっています。それでもこのようなことになる。なるべくしてなるという典型的なパターン。多分次にやっても同じ事を繰り返すだろうなという感覚がありました。

そこでメンバー変更。故障していた選手がやっと走れるようになってきたので少しはなんとかなるかなという感覚。走力的に上から4人で組めるかなという感じがありました。が、春からきちんと練習が積めない者をメンバーに入れらかどうか悩んでいました。走力的には2番手。が、どれだけ話をしてきてもなかなか伝わらない。自分の行動や置かれている位置が分からない。それでもラストチャンスを与えていたのですが限界。走らせないことにしました。

そのため走力的には6番手の選手を投入。ここの裁量は私個人にあると思っています。普段の練習の様子を見ているのは他の誰でもない。私が見ていないところで明らかに手を抜く選手もいました。これまではそれでも何とかやらせないといけないと考えていましたが我慢の限界も来ていました。マイナスの方向にチームを動かすようでは強くなるはずがありません。

結果的に1組目のトップで走る事が出来ました。45秒7。まータイム的にはどうなのかって感じかもしれませんがこの価値が分かってもらえるか。何だか分かりませんが親しい人たちからは「よく走ったね」と言ってもらえました。最近親しくさせて頂いている長距離の先生からは「あのバトンはどうなのですか?」と質問されました。blogも読んでくださっているようでうちのチームに注目してくださっているとのこと。ありがたいことです。

走力的には厳しい。現時点では分かりきっています。11秒台が1人だけ。平均すると12秒2くらいだと思います。走力だけで組んだらトータルタイムは0.5くらいは上がるかもしれません。それでも今のベストメンバーはこのメンバー。多少走力があったとしてもバトンが渡らなければ全く意味がありません。今回1年間で初めてバトンが渡りました。適当にやっていてもバトンは渡る。渡らなかったのには理由があるのです。もちろん私がそそこまでの細かい指導ができていないからこのような結果を招いていたという部分は背負わなければいけないと思います。

勝ち負けという視点から見ると負けています。しかし、そこだけを見ているわけではない。もちろん選手は勝ちたいでしょう。負けるよりは勝った方が楽しいから。しかし、今はそこだけに注目していたらダメだと思っています。そんなに簡単に勝てるわけではないから。勝てないかもしれないがしっかりとやっていく。その結果少しずつタイムが短縮できていくのです。

同時に女子はバトンミス。失格でした。1週間は体調不良者が出たりして思うようにバトン練習ができていない部分がありました。それでもきちんと渡る練習はしてきたつもりです。それができなかったというのはやはりそれなりの理由があるからだと。レースが終わってから報告に来ました。「走れていなかった事」と「早く出た事」が理由。ある程度の分析はできています。が、それでもきちんと渡す事は出来た。

本人達には話をしました。バトンが渡らなくて悔しかったか?終わってから「仕方ない」と感じなかったか。本当にきちんと練習をしていたら渡らなくて失格した時に「涙が出るくらい後悔する」のではないかと。それだけの「想い」を持って練習が出来ていたか?これは失敗する中で見えてくる事だと思います。練習の中でどこかしら「甘さ」があった。指摘してきた内容がこういう舞台に立った時に分かってくる。分からないまま終わる選手もたくさんいる。しかし、気づくチャンスはある。痛い目に会う事によってわかる事もあるのです。

話をしている時、良い表情をしていました。変われると思います。きちんとやっていけば必ず変わる。そのキッカケをこの大会で手に入れることが出来た。それだけで大きな意味があるのです。

全てが上手くいくわけではない。でもそれが長い目で見た時にプラスになればいい。そう信じてやっています。感じる事はたくさんあります。また書きます。
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やらないといけないこと

2015-10-26 | 陸上競技
県体の際、いろいろと感じることがありました。前日に少し指導する部分があったのでその様子を見るという意味も含めて。

1か月前、県新人がありました。そのとき、あろうことか「競技場に自分の宿泊道具を置いて帰る」という事件が発生。帰宅される顧問の車に荷物を載せいたので降ろして載せ替えるように指示が出されていました。が、そのことが徹底されていたかったのか体育館の前に宿泊荷物が置きっぱなしになっていた。「誰かが積んでくれるだろう」という感覚があったのかもしれない。本人たちが荷物を降ろさなかったのかもしれない。だとしても「競技場に荷物を置いて帰る」というのは考えらえないと思います。降ろした者がほかの車に自分の荷物だけ載せたのかもしれない。だとしても「待っていたら荷物が届く」ことはないのです。

結局この日はたまたま他の先生が競技場にまだいてくれたのでお願いして持ってきてもらいました。これも私の指導不足かもしれません。が、感覚的にこれまで「自分の荷物は自分で責任を持って運ぶこと」という指導は必要ないと思っていました。私の中では「当たり前」の話。「やってもらって当たり前」ではないから。その部分の指導をしないといけない。日常生活や通常の行動の指導をしなければいけない間は競技の指導はできないと思っています。ベースとなる部分をきちんと身に付けなければ先には進めないからです。

そこで指導したつもりでしたがそれから1か月間、難しいなと思うことがありました。練習道具の運搬に関してです。私の車はそれほど大きくないので大きな荷物を運ぶことができません。運ぶためにはもう一人の顧問の先生の車に載せて運んでもらわないといけなくなります。県新人の時のことがあるのでこちらからはあえてその話をしませんでした。全体に「やってもらって当たり前ではないのだ」という話をしていたのでもう一度念押しをする必要はないと。

が、最後の最後まで練習道具の運搬を顧問の先生に頼みませんでした。女子1人だけは個別に頼みいいって運搬してもらっています。こちらから「他の者に言わなくてもいい」と伝えました。ある選手は専門練習をする。他の者は専門練習をしない。これがなぜなのかを本人たちが気づかない限りは「指導することの意味」もなくなると思ったからです。結局。専門練習を1度もしない。体調不良で長期欠席する部分もありましたから「出場しない」という選択をしました。一生に一回しかないその学年の県体。出場させないという選択が正しいかどうかは分かりません。批判があれば甘んじて受けます。

が、試合というのは「発表会の場」だと考えています。きちんと練習をしていないのにレースに出て何の意味があるのか?集団に所属していたら出場するのは当たり前なのか?私は違うと思っています。普段の取り組みがきちんとできているからこそ試合に出る意味がある。欠席が多かったり練習への取り組みが酷い者を使ってレースに出ることに意味があるとは思えないからです。

これまでの指導の中で「部活の休みが多い」とか「練習で手を抜く」というのは全くと言って良いほどありませんでした。しかし、そこを受け止めていかないといけない。そういう者にどうやってきちんと競技に向かわせるか。いや、向かわせる必要が本当にあるのか。本人が求めていないことをこちらが押し付けるのは違うのではないか。色々と考えます。

荷物を運ぶ。練習の指導をする。これは決して当たり前のことではないのです。そこの理解がなければ何をやっても同じことになる。それを指導するのは私は当たり前だと思っています。もちろんそれが当たり前ではないのかもしれない。競技指導をする事だけではダメだと思っています。

全体にも話をしました。中学時代の練習から比べるとひょっとしたら大きく負荷や取り組みが変わっているかもしれない。これまでの取り組みが1だとしたら今3の努力をしている。これまでの3倍。自己評価としたらかなりの部分。同時に私が求めてやってきたことが10とする。今は3になっている。私の中の自己評価とすれば3分の1となる。そうなれば当然物足りなさが生まれてくる。3倍やっている!と感じる者と3分の1しかやっていない者であれば当然大きなギャップが生じる。

ここを受け入れて10の方向に向かわせていきたい。指導されずに自由にやるのは違うと思います。ダメなものはダメだと指摘していきたい。それがなければ部活動は「烏合の衆」と化して何をやっているのか分からなくなる。これまで通りでやっていたらお互いにダメになる。ギャップを埋めていくのは大変な作業です。それでもやっていかないといけない。

こちらも覚悟を決めないといけないと思っています。ある程度の方向性を示しながら。
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県体終わる

2015-10-26 | 陸上競技
今シーズン最後の試合が終了。目に見える結果というのを残してあげられないシーズンとなりました。これも全て私の力不足かなと思っています。blogにこうやって偉そうに書いている割には何もできていないではないかという批判もあるかもしれません。正にその通り。

結果を出させてあげたい。そう思っていました。あれこれ話をする中で考えさせられる事もありました。「結果を求めているのは私自身なのではないか」という部分。指導者として他者に認められたいが故に少しでも早く結果を出したい。チームとして周りから評価を受けたいが故に焦る。そういう部分があるのではないかと。自分ではそんなつもりはありませんが、一人の人間として気がついたら周囲からの評価を意識しているところもあるのかもしれない。どこかで「自分はきちんとやっているのに」という狭い枠の中で物事を考えていたのかもしれない。

一気に結果が出せるんじゃないなと簡単に考えていたのかもしれません。そんなに簡単なものではない。分かっていたつもり。が、つもりで終わっていたのかもしれない。まずはそこの部分の見直しが必要になる。こちらが求める水準が高すぎるのかもしれない。随分ハードルを下げたつもりだったがそれでも。

競技で1番になれと求めていることはない。過去の自分よりも少しずつ成長していければそれで良いと思っている。それでも難しい。選手を批判するつもりはない。これまでの「基準値」の違いがあるから。選手に非はない。分からない環境の中で求められていることがこれまでとは違うのだから。

部活動は「レクリエーション」だと考える人もいる。「教育活動」だと考える人もいる。「自己研鑽の場」と考える人もいる。価値観は人それぞれ。「そんなに一生懸命にやらなくても良いじゃないか」と言われたらそこまで。事実だから。誰かに強制されてやるものではない。でもある一定の水準までは「無理やりにでもやる」事も必要なんじゃないかなって思う。選手の「やりたいこと」に合わせているだけではダメなんじゃないかと。これは分からない。正解なんて一つではないから。

私は私のやり方を見直しながら進んでいきたい。多くの人の意見に耳を傾ける。が、ブレないように進みたい。それができなければ組織作りはできないから。組織として集団が機能し始めればチームは強くなる。まだまだ日常生活や練習に対しての取り組み方を徹底しないといけない。練習に遅刻してはいけません、練習を休むときには連絡をしましょう、先生が見ていないから練習をサボるのはやめましょう。そういう話をしている間はチームとしては機能しない。これは上級生が引退したときには毎年毎年やり直さないといけない部分ではあるが。

組織作り。そこが出来ないとチームは変わらない。そこが大切。考えていきたい。

書きたいことは山のようにあるのでちまちま書いていきます。多分。
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お許しを

2015-10-25 | 陸上競技
めちゃくちゃ疲労度があって更新に到達できず。

書きたいことは山ほどあるのですが今日は無理ですね。お許しを。

色々と感じることがある数日間を過ごしました。
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