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一気に書いてしまわないので何を書きたかったのか忘れてしまいます。とりあえず記録しておきたいなと思いながら。
ショートハードルのインターバルについて。これはなかなか微妙なところがあると思っています。強い選手を多く見る場合はそこまで考えなくていいのかなとも。レベルが均一になればなるほど距離感を考えなくても対応できる部分があります。この数年間ハードル練習会を実施してきて「競技力の差」や「経験の差」が大きい中での指導の大変さを痛感しました。県合宿レベルでもある程度の差はあります。しかし、「練習会」であればより顕著にその差が出る。せっかく来てもらって選手にどのような練習を提供するか。ここも考えなければいけないと思っています。
実際に自分の所でハードル選手を抱えるとそこに対して関わり方を考えるのは難しくないと思います。その時の状況に応じて対応できるからです。ハードルインターバルについて考えると練習のパターンも増えていきます。ヨンパとの大きな違いは「3歩の制約」です。ヨンパであれば「歩数」に応じて練習のパターンを変えることができます。16歩の選手はそのストライドに合わせての5歩ハードルの距離設定をする。切り替えであれば16歩のストライドの5歩と17歩のストライドでの6歩のように「歩数」が異なるのでそこに合わせてどのような距離設定をするのかが重要になってくる。実際の35mでの走りを何本も繰り返せないのでそれぞれに応じた設定が必要になると思います。大学生や社会人選手なら別の形で対応できると思いますが(経験値の差)、高校生に対応するためにはこちら側も「工夫」が必要になります。
しばらく時間をかけてヨンパのための練習について考えてきました。ある程度、設定できたかなと。ここもパターンを考えていく必要はあると思いますが。走力を上げていくことも同時にやっていかなければいけない。ある程度の走練習も必要ですね。
ショートハードルについて真剣に考えるようになったのはここ5年くらいでしょうか。前の記事にも書きましたが防府商工の時にはハードル選手がいましたが、「走力がない」ということでまずはひたすら走る(最終的には14秒台が12秒7)。走力がない中で「ハードルを跳びたい」というので試合前に少しだけ跳ぶというのを繰り返していました。転勤がきっかけで14秒台の選手に指導することに。それほど走力がないのでどうするか。あれこれ試行錯誤しているうちにあれよあれよと13秒93まで記録が伸びる。特別なことをしたわけではないですが。5歩ハードルを頻繁にやっていたのは間違いないですね。距離設定を見極めながら。
その子が卒業する時から少しずつショートハードルの選手がいました。ある程度のレベル差もありながら。3歩で届かない選手も出てくる。13秒台から17秒台までの練習をどうするか。当初は「画一的な練習」しかできていませんでした。なかなかうまくいかない部分もあります。秋くらいから「ハードルをやりたい」という選手が出てきてさらに幅広く対応が求められる。ハードル練習会をやっているので対応可能な話でしたが。
そうやっていく中で「インターバル」や「個人差」をどのように考えるかというのを重視するようになっていきました。「5歩ハードル」での距離設定。並べなおすのが面倒ですがそれでも「意味のある練習」にするためには必要なことかなと。また、目的によっても距離を変えるようにしています。これも前の記事につながるのですが。単純に「5歩ハードル」といっても色々と違ってきます。ヨンパの選手、16歩で走る選手は「12.2m」に設定しますし、17歩で走る選手には「11.7m」設定にします。ショートハードルよりも距離が長くなる。変な話かもしれません。スピードを上げればショートハードルの選手でも12mで行けると思います。少し大きく走れば問題なく届く。しかし、それは「実践向き」ではない。実際に「大きく走る」必要性がないからです。
ストライドに制約がある。16秒台の選手も13秒台の選手も同じ「3歩」になるというのが「制約」です。16歩の選手、17歩の選手でストライドが変わってくるというのとは違います。速くても「3歩」で走る。こうなると「刻む」という動きが求められる。単純に距離を伸ばして「走りやすくする」というだけではなく「窮屈な中で走る」という特殊な状況が生まれる。レベルが上がれば上がるほど、難しくなるなという印象です。単純にトップスピードが上がればそれで良いという状況ではない。
11.2mや11mでも狙いがあれば問題ないと思います。タータンや土でも条件は変わってきます。ここは基礎的な話になるのかなと。「5歩ハードル」という同じ練習であってもやはり「狙い」によって違ってくる。もちろん、選手のタイプによっても違ってくるとは思いますが。最大スピードでハードルを越えていくという「テーマ」があればそこに合わせて実施する。逆のパターンで通常のインターバルで3歩で行けない選手に「11.5m」で5歩で走るようにすることは「大きく動いて最後まで3歩で走る」という「テーマ」に対応できます。「遠くで踏み切って遠くに着地する」という流れの中で「5歩」で走ることが実際のレースにつながっていく。パターン化することができるかどうかは分かりませんが。
まとまりませんね。もう少し色々と記しておきたいなとは思います。興味がない人が大半だと思うのでお許しください。
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本当は前回のハードルの練習のことを詳しく書いておきたかったのですが。時間的なこともあり、自分自身の「意味」を考える部分もあってかけていません。もう1週間以上経過しているの今更練習のことを書いてもね・・・という気持ちがあります。
前回の練習会の時にはショートハードルとヨンパに分けて実施しました。どちらも工夫次第で色々な練習ができるなと思っています。練習の目的によってやる内容を変えることができる。ショートハードルで「ひたすら最初の段階を跳ぶ」というのではなく「試行錯誤」する中で「こういう動きができればいいよな」というのが出てきます。そうなると練習のパターンが増える。冬季練習でハードルをほとんど跳ばないチームもあると思います。試合が近づいてきてから練習を取り入れる。確かにそういうパターンもありなのかもしれません。冬季は「基礎体力作り」と「走り込み」がメインになるというのもわかる気がします。
今の学校に赴任してから「専門練習」を圧倒的に増やしました。これまでは「走練習」のなかでハードルを跳ぶというのはやっていました。防府商工の時には他の選手がタイヤ引きをしている間は「60mハードル」を。これは3歩ではなく基本5歩で。技術的なことというよりはひたすら跳ぶ中で感覚を作るというイメージ。スプリント系が120mを走るときには120mHを。特に「細かい部分」をやるのではなく走練習の中にハードルを入れるという感じで実施していました。それだけでも全然違うと思いますが。
この2年間はかなり細かくやるようにしています。目の前にそれを体現できる選手がいるというのもありますが。やりたいなと思っていることが実際にできることは大きいなと思っています。前半部分の練習に関してはひたすらやっている感じがあります。2回専門練習を入れるのであればどちらも「前半部分の練習」をする。ここは外せないかなと思っています。まだ試行錯誤的なところはありますが、大阪室内の結果にはつながっていると思っています。
あとは5歩ハードルを多用しています。先日、大学生に配った資料の一部を抜粋。これが正しいかどうかは分かりません。あくまで自分自身の指導の感覚でしかないので。3歩で走る練習も必要だとは思いますが、5歩ハードルのほうがスピードが上がります。効果は高いかなと。
・5歩ハードル(11.5) 6台 14秒5くらいからの選手はこの距離が理想
ハードル間を11m、11.2m。11.5mと自分の走力によって調整していく。
選手によって距離変更をすることが重要。
※この練習の狙いは「ハイスピードでのハードリング」の習得になる。1台目までを10歩で入り、そのスピードを最後まで維持する。間の5歩のリズムを安定させることで3歩のリズムの安定にもつながっていく。
※100mHはハードルインターバルが「8.5m」と決まっている。この距離をどうやって走るかは選手によって違ってくる。今の力に合わせてリズムを上げる練習をすることが重要。13秒台になると11.5mを少し刻みながら走る感覚になる。実際のレースでも同じように刻む感覚が必要になる。絶対に11.5m以上の距離ではやらない。自分が走りやすい距離にしてしまうとレースの時に刻めなくなる。
あくまで参考までにということで。これが絶対正しいという気はありません。ヨンパとはまた違った面白さがあると思います。中学校の指導の中で「ハードル間を刻む」というのをかなり前に聞きました。いやいや、普通の中学生のレベルで「刻む」というのはありえないと思います。スプリントがあって身長が高ければあり得ると思いますが、普通の中学生は「3歩で走る」ことができるかどうかの話になります。それならそれに合わせての練習が必要になる。
高校生でも持ちタイムが「16秒台」の選手がハードルインターバルを11.5mで走ると届きません。水平方向への推進力がないので当然だと思います。練習の意図によって11.5mでやってもいいと思います。しかし、「ハイスピードでのハードリング」を狙いとするなら間違いなく11.5mでは届かない。通常ショートハードルはハードルインターバルが「3歩」になります。競技レベルによっては「4歩」の選手もいると思いますが。ある程度上の競技レベルでやるなら「3歩」という制約の中でハードルインターバルを走らないといけません。13秒台の選手も16秒台の選手も同じ「3歩」です。その「3歩」の中で求められる「技術」や「走り」に関しては明らかに異なります。最終目的は「8.5m」をどのように走るかです。「リズムを上げる練習」として位置付けるのであれば走力によって「距離設定」を変えていく必要があると思っています。
さらに13秒中盤くらいになったら「11.8m」にするほうが「走りやすい」というのが出てくると思います。確かに水平方向への進みが大きいので「走りやすい」とは思います。しかし、「8.5m」の制約がある。この距離で刻みながら走っていくことを考えると無条件で距離を伸ばしていけばいいというものではないと思います。11.5mという制約の中でどう走るのかというのも重要になってくるのかなと。表現が難しいですが。「走りやすいから距離を伸ばす」というのではないかなと。
個々の兼ね合いは難しいと思っています。本当に最大スピードを出してハードルを越えようと思えば間違いなく「11.8m」のように距離を伸ばすほうがいい。16秒台の11mにも同じことがいえると思いますが。11mであれば自分が出せる最大のスピードでハードルを越えていける。しかし、これを「8.5m」の「3歩」にした時には「届かない」という状況が生まれます。元々走力がないので「8.5m」の距離に対応できないからです。同じ5歩ハードルでも「11.5m」にして実際のレースに近いインターバル感覚で走らせることも必要になってくると思います。少しオーバーストライド気味になると思いますが、それは「実践的な練習」として位置付けられる。
何でもかんでも「5歩にしたらいい」とは思っていません。その条件や狙いを明確にしながら「5歩ハードル」をやる。1台目までのアプローチを8歩ではなく10歩にするのも「ハイスピードでのハードリング」を実現するために必要な要素だと思っています。この手の練習は「より高いスピードレベルを求められる選手」に効果的になるかなと。5歩ハードルも狙いによって「距離設定」を変えてあげることが必要になってくると思っています。「11.8」まで伸ばすとハイレベルの選手は進みやすくなる。が、より刻むのが難しくなるという問題点も同時に生まれてくる。「届かない」と「刻む」では全く狙いが違ってきます。進む中でハードルを越えていくときにどうするかです。14秒5を切るくらいからは「11.5m」のリズムが実際のレース間隔に近いのかなと思っています。だから時々は11.2mでやらせたりもします。少し早く動くイメージ(刻む)感覚を持つためです。
うーん。意味わからないですよね。長くなったのでいったんここまでにしておきます。書き始めたのでこのことに関してゃもう少し続きを書きたいなとは思います。
ここ最近、強く思うことがあります。
自分が生きている間に誰かに影響を与えることがあるのか。別に誰かに尊敬される必要はないと思っています。そのために何かをする気はない。が、「教育活動」に関わる中で「意味があるかどうか」を大切にしたいなと。環境的に様々な変化がある。これまでの教育が形骸化しているにもかかわらず、そのことに対して本当に気付かないのか、気づかないふりをするのかも含めて「従来通り」でやっていく。それって本当に意味のある活動なのか。
私自身は色々なことを発している。それは言葉かもしれないし、活動かもしれない。決して自分本位にならないように気を付けたいなとだけは思っています。それでも周りからは「勝手なことをやっている」といわれるだろう。本当に勝手かどうか。「閉鎖的な社会」を打破するのは難しい。
陸上競技の指導をする。このことに関しても「今のままでいいのか」という感覚がある。色々なことに落胆している部分はある。「諦め」かもしれない。結局は「私が何かをする」というのではなく「選手がどうするか」なのだと思う。こちらが引っ張ってやっていくというのはもう時代に合わないのかもしれない。だからそういうスタイルは完全にやめている。無理強いはしない。「結果」を導くのは自分自身でしかない。多少なりと影響を与える可能性はある。が、根本的に「本当に強くなりたい」と思って行動ができるかどうかは本人次第だと感じている。
指導が悪いから伸びないといわれることもある。逆に指導者がいない手でも驚くほど伸びる選手もいる。そこの「差」は何か。「考え方」だと思う。物事に対する「とらえ方」だと思う。「誰かに何かをやってもらおう」という姿勢は「学習」においても「競技」においても同じ結果を招く。これは全ての「活動」に当てはまるのではないか。結局は「教育活動」というのはそこを伝えていくことなのではないかなと感じている。
別に「教育者」になろうという気はない。常に教育を語るような生き方はしていない。それでもここ最近は「このままではよくないな」と感じることが多い。特に「礼」と「義」に関することができるようにならなければいけない。そこは譲れないなと。そして「見えない力」を育てていきたい。その「きっかけ」を与えることができればいいなと思う。
面白くないことを書いていますが。自分自身の「Misson」について考える。そこから生み出されるものはなにか。そこまでしっかりと考えていきたい。面白くないですが。
完全に私的な用事で休みを取りました。2月10日と12日の2日間。11日は祝日だったので実際は3日間ですが。
私が2日間休んだことで「病気説」が流れていたということ。それもどうかと思うのですが。用事があっても「仕事をする」ことが当然の姿と思われているのかもしれません。時には「自分事」を優先させてもらうことがあってもいいと思っています。結局、代休などは全て消化できずに期日だけが過ぎています。こういう時のために残しておいてもらうことはできないののか。どうでもいい話ですが。そこまで「熱量」をもって何かに取り組む必要性がどこまであるのか。それを強いられることに対して嫌悪感があります。
出かけたのでラーメンを食べました。
古賀SAで食べた一蘭。
山口県出身の方が家族で経営されている「ツミキ」。
評価が高かった「きしや」。
3軒。おいしかったです。さすがに全食ラーメンというわけにはいかなかったので。夕食は別のものを食べましたがそちらは「残念」という感じでした。これなら長浜ラーメンを食べればよかったなと痛烈に後悔しています。
合間に太宰府天満宮にも。
めちゃくちゃ人が多くて・・・。近寄らないようにしました。自分の車がないので代車での移動。慣れません。
別の日。目的地の周辺を歩ていると声をかけられました。以前、定期的に練習会に来てくれていた学生でした。私らしき人物が歩いているのを発見して追いかけてきてくれたようです。ありがたいことです。こういうつながりは大切にしたいなと思っています。
なんとなく3日間を過ごしました。比較的時間があったような気もしますが。それでも気が付けば何もできていませんでした。有効に時間を使わないといけない。強くそう思います。生きている時間は限られていますから。
やはり色々と疲れています。ここまでして何かをする必要性があるのか。
「礼」と「義」は大切にしたいと思っています。
gooの辞書によると・・・
「礼」社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。礼儀作法・制度など。
「義」人として守るべき正しい道。道義。道理。条理。
このことについていつも感がています。これまでお世話になった方に対してはこの2つの部分は最優先事項だと思っています。園田学園女子大学が山口に来られた時には全力でお手伝いする。これはこれまでの経緯から考えれば当然のことだと考えています。何かの見返りがあるからではなく「当然のこと」だと思っています。逆に自分自身が「必要ない」と感じたことに対して何かをするというのは違うなとも思っています。
これまで多くの時間を使って色々なことをしてきました。自分自身の感情は押し殺して。それが当たり前といわれてきて、感情を表に出すと批判を受ける。そういう社会情勢だったと思います。今でもすくなからずあると思いますが、何かすれば「〇〇ハラスメント」といわれて批判される。「相手に寄り添う」ことが当然出会って自分自身のことは二の次。
かなり限界が来ました。我慢することを強いられる。それに耐え続ける。だったら「やらないほうがいい」という感じさえしています。「礼」と「義」に関することに対してはやはり続けていくことが重要だと思っています。それ以外に関して私がどこまでも我慢を強いられるのは違うのではないか。今強くそう感じています。
色々と考えたいと思います。
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