kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なんだか2

2014-02-28 | 陸上競技
もう少し思うことを。

部活動において主体は「生徒」であるべきです。本当に「生徒」が「やりたいくない」と思っているのであれば指導する側だけが本気になって指導する必要はないのではないかと思います。100人いれば10人はすごくやる気がある。逆に70人は「普通にやりたい」と願う。残りの20人は「やれと言われるからやる」という状況が生じる。これも当然のことだと思います。クラブチームであれば「やる気のある者」だけが集まるので「やりたくない」という生徒は存在しません。学校の「部活動」においては少なからず混在します。

部活動よりも「クラス」の方が難しいのは当然です。「部活動」では「部活をやる」ということにおいて同じ方向性を向いていますが、クラスは本当に多種多様。「勉強」に向いている者(僅か)、「部活」に向いている者、異性関係に関心がある者、何となく学校に来ている者ect・・・。同じ方向を向くことの難しさがあるのはクラス経営だと思っています。その中で「共通するモノ」を見いだしていって進んでいく。これ以外に方法はないと思っています。

部活動ではある一定方向を向いている。が、細かく見ると全く違う方向だったりする。「強くなりたい」という気持ちがある。その「強くなりたい」がどのレベルなのか?日本一になりたい、インターハイに行きたい、中国大会に出場したい、県総体で決勝に残りたい、県総体に出たい、みんなで運動をしたい。それぞれが混在するのが今の現状。その中で一律の指導は本当に難しい。

どうするのがベストなのか?答えは見つかりません。選手は一生懸命にやっている。その事実は変わりません。一生懸命にやる選手であればサポートすることは惜しみません。競技をする中で多くのことを我慢します。「時間」は限られているのでその時間の使い方をどうするか?一方をとればもう一方はできない。限られた「時間」をどのように使うかというのは「人」次第です。

そこを「競技に使う」ということを求める。これが「悪」なのか?「正義」なのか?分かりません。強制的にやらせる「部活動」というのは面白みがないのです。もちろん、強くなるためには避けては通れないことがたくさんあります。30分程度身体を適当に動かして「日本一になりたい」なんてことはありえません。やりたくはないが強くなるためにはやるしかない。そこの「選択」だと思います。だから「やりたくないならやる必要はない」と思う。それは私の考え方であって「正義」か「悪」かではない。難しい部分です。

部活で結果を出したい、一生懸命練習するのは嫌、先生に何か言われるのはいらつく、身体は動かしたいけど学校のルールを守れと言われるのは嫌などのことが並列することは無いと思っています。やりたいことがあるのであれば絶対に「我慢」をしなければいけない。嫌だけどやらなければいけないこともたくさんある。そこを避けて通れるのか?不可能です。

我々が何かをやる。「やって当たり前」という風潮がある。それを私自身がきちんと受け入れることができるのか?今の自分の中でそこが釈然としません。「何を青くさいことを言っているのか?」と思われるかもしれませんが「納得できないことをやる」というのはものすごいストレスです。自分自身の人生や生き方について考えることを放棄して「やるのが当たり前」と言われるコトに対して強い憤りを感じます。今の現状で私が言われているのではない。ここだけは言っておきます。が、私個人が言われないのは「好きでやっているから」であり、それを自分自身が「苦痛」だと思わないから。逆にこちらが求める様な部活動ができなかった場合はどうなるのか?「強くなりたい」と言ってもそれに見合う努力ができない。「そんなに頑張らなくても良い」という雰囲気を持った選手が数人存在する。こんな時でも「自分の人生の時間を削って他の人に尽くすことが当然である」と言われてそのことを受け入れられるのか?大きな疑問です。

今37歳、今年38になります。60歳が定年だとしてあと22年。現在、3分の1が過ぎ去ったという状況です。本当にこのままで良いのか?自分の人生について考える必要はないのか?本当に教員という仕事が自分に合っているのか?根本的な部分から考えています。他者から「やって当たり前」と言われることが本当に「当たり前」なのか?感謝されるためにやっているわけではない。基本的に「自己満足」でしかない。そうであれば自分自身が「やってよかった」と思えるモノでなければいけないのではないか。自分自身が「満足」できないことをやり続ける。これを「やれ」と言われ続けたら・・・。どうなるでしょうか。

本当に面白くない内容ですが、結構真剣に考えています。一人の人間として。読み飛ばしてください。
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なんだか

2014-02-28 | 陸上競技
なんだか競技の話がほとんどかけていませんね。テスト週間ということもあり練習について詳しく書くほどではないのかなという気もしています。水曜日はなんと子供がインフルエンザにかかるという恐ろしい話が・・・。いつも一緒に行動をしている一番下の息子なので私も感染している危険性があります。できるだけ生徒や選手との接触を避けることに。万が一私が感染していたら他の人に迷惑をかけることになりますからね。

ここ最近強く考えることがあります。1週間くらい前にblogに書いた「中学校の部活顧問の話」についてです。このblogは炎上していました。賛否両論。「生徒のためにやるのは当然だ」という書き方、「公務員よりも一般企業の方がハードなんだから偉そうなことを言うな」という批判。「理不尽」に向き合う、声を大にして「おかしい」と発言したことの意味を称賛する、同業者が「分かってもらえない」という感覚を示す。多くの意見がありました。ここの部分というのは「相容れない意見」だと思います。どこまで行っても平行線。交わることはない。

このblogの内容について思っていることを書いていましたが、それに対して親しい指導者から意見がありました。長電話の中でですが。どれだけ陸上関係者がこのblogを読んでいるのか分かりません。「アクセス解析」という機能もあるのですがお金を払って「誰が見ているのか?」なんてことを調べても無意味です。一方的な投げかけでしかないblog、双方向性を持たせることは難しい。こうやって電話の中で意見を聞けるというのも大きいなと思います。よくもまあこんなに長い文章を読む気になるなという気はしますが(笑)。だったら端的にまとめろという話なのですが。

ここについて考え始めてから色々と思うことがあります。「誰かのために時間を使うことを強要される」ということに大きな違和感を感じるからです。自分が「好き」でやるのと「やらされる」事に関しては全く別物。それを「やるのが当たり前だ」と評価されるのは大きな疑問です。教員になったのは生徒のため、だからやりたくないことであってもやるのが当然。本当に教員になりたいのなら「強制的違法労働」も覚悟の上だろうという話。みんなが納めた税金で生きているくせに偉そうなことを言うな。奉仕の気持ちで働くのは当然だ。こういう意見を見ると今の仕事の在り方について考えさせられます。

勤務時間内の仕事であれば「やるのが当然」だと思います。「苦手だな」と思うことであっても職務として全うしなければいけないことはやる。当然です。ここを批判されるのであれば問題はない。議論の余地はありません。今の仕事は「人」を相手にする仕事ですから勤務時間はあってないようなものかもしれない。相手の状況によっては勤務時間外の対応が必要になる。そこも受け入れています。生徒指導をしているのに16時50分になったから「もう今日は終わり」ということはできないでしょうから。時間に関係なく生徒対応が必要になる仕事です。そこの認識はあります。

だからといって「勤務時間外の労働をするのが当たり前」と言われるのは絶対に違うと思います。必要があればやりますが、「自分の人生を犠牲にして行うことが当然の職務」と言われるのは違うのではないかと思うのです。土日祝日の部活動指導は「手当」が出ます。時給にすると微々たるものです。それが労働の対価として適切かどうかというと分かりません。やらなければやらなくてもよい。しかし、「生徒のために」という大義名分のもとに「やるのが当然だ」と言われる。それが本当に「正義」であり、土日に自分のやりたいことをやることが「悪」なのか?ここには納得がいかない。

今は部活動を「好き」でやっています。ここに関しては「自分の意思」でやっている。「やりたいからやる」のです。しかし、「面白くない」「距離を置きたい」と思った時、どうするのか?ここに関しても「おかしい」と言われるのか?「個」を全て否定されて「働くのが当然」と言われるのを受け入れるのか?「個」の存在を認められるかどうかというのは「生きる」という意味では大きいと思います。「個」の犠牲の上に成り立つ社会。うーん、どうなんでしょうか。

少なからず何かしらの「犠牲」は必要です。何かをやるためには「時間」が必要。その「時間」をどのように使うか?働いて「お金」に変える人もいれば自由に使って「生きがい」を作る。どちらか一方が「正義」でどちらか一方が「悪」ではないはずです。そこを「当然だろう」と他者から言われることに大きな違和感を感じる。今の仕事は「個」としての存在を無視されるものなのか。ここが自分の中で「釈然としない」のです。

こういう性格ですから。納得できないことが本当にできるのか。考えています。部活をしないというわけではなく「不条理な要求」を求め続けられるというのは絶対におかしいと思っています。

面白くない内容ですみません。「個」として考えています。こういう「公」の場に「個」の意見を書くことが「正しい」かどうかわかりませんが。考えます。
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電話する

2014-02-27 | 陸上競技
思うことがあってここ数日間かなり電話しています。まー最終的に「人任せ」にできる部分ではないのですが。しっかりと考える必要がある。それだけは確かです。

そんな中で「人生観」というか「価値観」の話になりました。こういう話は嫌いではありません。というかかなり好きです(笑)。自分の考えていること、思っていることを「言葉」にする。これは簡単なことではありませんが「コミュニケーション」という部分では避けては通れない部分。自分の感情を言葉にできるという人は実際のところそれほど多くないと思います。「知識」という部分ではなく「感情」です。何かについて知っているという部分であればいくらでも話はできます。しかし、自分が感じた部分や微妙なニュアンスを含むような事柄は「言葉」というツールを使って説明するのが本当に難しい。ずっとここは考えていました。

「一つの事柄」に対して自分の考えを多方面から展開する。「自分の考え」を一方向からしか見れないというのでは視野が狭くなり大きな弊害を伴います。例えば「部活の在り方」。「強ければよい」という指導。これが本当に「悪」かといえば断定はできないと思います。「強くなる」ためには間違いなく努力が必要となります。その努力がなければどんなに才能があっても「結果」は出せないと思います。本当の力はもっと上であってもある程度の努力は「結果」を出すためには必要な部分です。「強くなるために努力する」という観点で言えば程度の差はあっても間違いなく「プラス」の側面がある。しかし、同時に「競技で結果を出せば何をしてもいい」と感じるような選手がいるかもしれない。海外の選手で「ドーピング」が横行するのは「結果」を残すことで「自分の存在を示す」という感覚もあるでしょう。「手段を選ばない」という方法で「結果」を求めることもある。

「人間的な成長」を求める指導。私はこのスタンスです。が、ある程度強くなってきて「結果」が見える選手であれば「これから強くなるためには人間的な成長が必要だ」と感じるかもしれません。ある程度力があっても「感情的」になりやすく気分が上下する選手も多くいます。そういう選手には「人間的な成長」の話をしても通じないかもしれません。難しい。それでも言い続けることは必要となりますが。「強くなりたい」という欲求があればある程度のことは「我慢」できるようになる。当然のことかもしれません。
逆に「それなりにやりたい」という選手に「人間的な成長」の話をしても通じないかもしれません。「そこまで本気でやるつもりはないし」という前提の選手に「このままでは強くなれないよ」というアプローチは無意味です。そこを求めていないのですからどれだけ話をしても入りません。同じスタンスであっても、同じことを求めているのであっても「条件」が異なればやはりアプローチの仕方は変わってくる。

「正解」というものがこの世に存在するのか?難しいですね。

「最近疲れてますね・・・」とも言われました(笑)。blogの内容的にですね~。まー結構疲れています(笑)。致し方ない部分もあるのですが。色々と考えながら生きています。表面的な部分だけではなく細かいところまで考えるとしんどいですね。

悩みます。
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月曜日、火曜日の練習

2014-02-26 | 陸上競技
月曜日、火曜日ともに勉強会を先に行ってから練習としました。こちらの方が圧倒的に効率が良いと思っています。暗くなるのが早いのでそこだけが問題ですが何度も着替えてから勉強するというのは無駄な気がしています。着替えの時間を短縮できればいいのでしょうがなかなかそうもいきません。効率よく時間を使いたいものです。

月曜日は普通教科の先生のご厚意により「補習」をしていただけることに。こちらからお願いしたわけではないのですが「補習やる?」と生徒に投げかけてくださり実施へ。本当にありがたいことです。勉強の面の心配までしてもらえる。本来であればこちらからお願いして行ってもらうべきだと思うのですが気にかけてもらっているということですね。テスト期間に入って何度か選手が書いて言いましたが「部活だけと言われないようにする」という感覚は大切です。部活だけやって他の部分が全くできないというのであれば気にもかけてもらえませんし、「足を引っ張る」ような発言も出てきます。応援してもらえる選手になるということは様々な意味で大きいと思います。

そういう部分もあって練習は18時前から。1時間程度という練習時間ですから16時からやっても1時間、18時からやっても1時間です。帰りの電車やバスの時間も計算に入れて行わなければいけません。動きの部分を簡単に行いました。「動き」というよりはアップという感じでしょうか。とにかく短時間で身体が動くような状態を作らなければいけません。スパイクを履いて走るまでに15~20分で。そのあとは並走を1本ずつ。ここからはひたすら30m&60mを時間が来るまで行いました。月曜日も火曜日も同じ。

この練習、休息時間がそれほど長くないので「スピード練習」だけではなくある程度の負荷がかかります。時間が許す限りひたすらやる。追い込んだ練習をしていないので全体的にスピード感がありました。疲れがなければある程度走れるという感覚です。1年生の200m選手がかなりスピードが出ていました。4継メンバーの中で少し置いていかれている感じがあって自分の中でもかなり苦しんでいました。この日の走りができれば他のメンバーと遜色なし(ちょっと言い過ぎ)。それくらいの走りはできていました。フワーと走っていたのがビュンと走れるようになってきました。これは感覚的な話なのでうまく説明できないのですが(笑)。

練習を見ながら各方面と電話することに。うーん、いろいろと考えさせれます。「何がベストか?」というのは誰にもわかりません。真剣に考えています。本当に難しい部分です。ここは書けたら書きますがたぶん無理(笑)。電話の中で感じることがあったのでその部分だけは書けるかなと思いますが・・・。

とにかく忘れないで書いておきたい。そのために書きました。内容が浅くてすみません・・・。
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忘れないように~土曜日の練習~

2014-02-25 | 陸上競技
忘れないようにしたいと思いながら更新ができていないのでほぼ忘れかけています(笑)。どうすのか??困ったものです。

土曜日は通常通りの時間から練習開始としました。2時間程度の練習を考えていたのでとにかくバタバタ練習をしていきました。この日の課題はスタート。大学生が1人参加してくれていたのでその選手のためにもスタートを。前日に簡単に行っていました。とにかくパワーで持っていく感じが強かったのでそこを何とかしなければいけません。

スタートのドリルをひたすらやりました。こういうテスト週間に技術的なことをやるよりは走るほうが良いとは思うのですが、ここ最近不足している感もあったので。疲労抜きという意味も含めてですね。とにかく繰り返し。前日に「スタートが上手く出れない」と言っている選手がいてその克服方法が思い浮かばなかったので練習の途中で相談。禁止されているのですが(これは身内ネタなので分かりにくいとは思いますが)、今回はお構いなしに電話することに。今のうちの選手の課題を話して色々とアドバイスをもらうことができました。

スタートの「頃合い」というのは考えないといけません。何のためにスタートするのか。無駄なエネルギーを使わないようにしなければいけません。スタート局面だけ速くても意味がない。トータルで見たときにどうするか?腰の位置やスタブロの位置、足運び・・・。とにかく多くのことがあります。ここをどうやっていくのかは「指導者の見方」です。構えでどこにポイントを置くのか?このあたりのことをひたすらやりました。

細かい部分は記憶が・・・。すみません。最後に30mと60mのスタートを行いました。大学生もかなり改善されてきていました。

スタート練習で細かいところまで意識しすぎて動きが作れない者もいました。ピストルに反応してスタートすると一気に改善されます。「考えすぎ」という部分もあるのでしょう。やることをすべて考えて練習をすると頭の中がパニック状態となり処理できなくなります。ポイントを絞る。さらに自動的にその動きができるようにしていく。この部分を大切にしなければいけないと思っています。何も考えないで練習をすると間違いなく結果は出ませんが、考えすぎて処理できなくなるとこれも走れなくなります。丁寧にやるところと集中して走ることは少し違うと思います。

うーん、忘れてますね(笑)。お許しを・・・。とにかく記録として残しておかなければいけないと思っています。お許しを。
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雑談2

2014-02-24 | 陸上競技
本当はこちらの記事を雑談としてアップしようと思っていたのですが前の記事が私の中では衝撃的過ぎて(笑)。どっちもたいした話ではないのでわざわざここにアップする必要性はないのですが。ひょっとしたら「kanekoは真面目なのではないか?!」と勘違いされてしまう危険性があるのではないかと小心者の私は気になったので通常通りのスタンスで書いておきたいと思います。Facebookにだけアップして終わろうと思っていたのですが…。

私は基本的にコンビニで買い物をすることが多い。みんなそうかもしれないのですがスーパーで買い物をする確率と比べると10倍くらいでしょうか。基本的にはコンビニで買い物をするとポイントたまるのでセブンかファミマで買うようにしています。セブンはnanaco、ファミマはTSUTAYAカードを使ってポイントを貯めるのです。少しだけでもお得な気分になりますからね。

nanacoは必ず1000円以上チャージしないといけません。資金に余裕がない時には1000円は大金です(笑)。昼飯を食べたお釣りでモノを購入する時には基本的にファミマ。セブンはnanacoで、ファミマは現金で購入します。別にどうでもいい話なのですが。

買い物をしてお釣りで2円とかになったらレジの隣にある「募金箱」に入れるようにしています。財布に小銭がたまるのか嫌なので。コンビニで缶チューハイを買うと350ml148円、500ml201円だったりします。350mlと500mlを買うと349円になる。これはかなりの頻度で買っているので分かります(笑)。350円を出して1円のお釣りをもらうというのもどうかなと思うのお釣りを渡される前にレジの人に「お釣りは入れてください」と募金箱を指して立ち去ります。

別にカッコつけているわけではなく、財布がかさばるのと待つのが嫌なだけ(笑)。少しだけでも善意の行動をしたいなという気持ちもあります。そんなにお金持ちではないですが何かあるごとに少しだけでも募金できたらと思っています。ほんの1円ですが塵も積もれば山となるという感じでしょうか。募金箱を見てみると1000円札が入っていたりしますがそこまではできません。本当に「気持ち」だけです。

土曜日、練習に行く前にセブンでコーヒーとパンを買っいました。nanaco残金が微妙だったので現金で支払うことにしました。レジで残高が足りなくて「ピー」となるのはすごく恥ずかしい。一人なら良いのですが後ろに人が並んでいたら「この人残高足りないんだ。だったらチャージしろよ。」と思われるのはさすがに恥ずかしいですよね?!買い物が298円だったのでいつものように「お釣り入れてください」とお願いしてセブンカフェの所へ。普段はファミマなのでそのまま立ち去ります。この日はセブンカフェを購入していたので入口近くでコーヒーを注いでいました。セブンカフェ大好きなのでかなりの頻度で購入します。缶コーヒーに同じお金を使うならセブンカフェの方がいいと思っています。

コーヒーを注いでいると店員さんが私のところに来て「本当にいいんですか?」と話しかけられました。いやー、2円くらいですから大きな問題はない。そう思ってお釣りを見てみると202円。無意識のうちに500円玉で支払っていました。普段セブンで現金で買うことがない。ファミマで現金で購入した場合はすぐに店を立ち去るのでその辺りのことを気にしたことはありませんでした。たまたまセブンカフェを買っていたので店を出ずに残っていたため店員さんが気を使ってくれたのだと思います。


なんともカッコ悪い(笑)。「お釣りは入れてください」と言ってその場を立ち去ったにもかかわらず、2円ではなく202円だったために店員さんが「本当に良いの??」と気を使ってくれたのだと思います。そして202円募金箱に入れるほど裕福ではないので「本当ですか?!」と言って素直に受け取る(笑)。とにかくカッコ悪い(笑)。恥ずかしいこと限りなし。このタイミングでまだコーヒーは入っていないので恥ずかしいという気持ちのままで店の中に1分くらい1人で立ち尽くす。この様子を想像してみてください。どれだけ恥ずかしいか?!(笑)。

偉そうな事を書いていますが「202円が寄付できない」というちっぽけな人間です。特別ではなく普通のおっさん。自覚しています。重い内容を書き続けていましたが、なんて小さな人間なんだと痛感しました(笑)。まーそんなもんなんですよ。本当にカッコつけが出来るなら「202円?寄付してください!」と言えるのですが202円あったらコーヒーもう一杯飲めるじゃん!!という小さなことしか考えられない。情けない話ですが。

本当に雑談なのでBlogに書くのは気が引けましたが、思い記事ばかり書いていて「真面目な奴なのか?」と思われるのはちょっと違うかなと思ったので。普通のおっさんというのを書いておこうと思いました。まー本当にたいした話ではないので読んでもらって申し訳ないのですが(笑)。

まーこんな感じです(笑)。どうでも良い内容ですみません(笑)。
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雑談

2014-02-23 | 陸上競技
この数日間の内容が重すぎる気がするのでちょっとどうでもいい話を書いておきます。本当にどうでもいいのでBlogに書く話ではないと思いFacebookにだけ書き込んだのですが、Blogが重すぎるので(笑)

その前に「重すぎる」に関して。身内ネタのようになってしまうのでどうかと思うのですが。Facebookに卒業生が近況していました。滅多に投稿しないのでなにかな?と思って見てみるとライフイベントの更新でした。ライフイベントとは結婚記念日や子供が生まれた日などが登録されているもので、人生に起きたイベントを書き込みます。

その内容が「交際終了 期日:明日」となっていました~_~; いや、こんなところで恋人と別れることを宣言するのか?!それも書き込んだ日は本人の誕生日。サラッと重い話を誕生日に書くか?!それも明日別れるという話を。その後も「最近Facebookが重いからTwitterだけです」という発言。いや、あなたのライフイベントへの書き込みの方が数倍重いですから。

あまりの衝撃に「更新の内容、重すぎるよ」とコメントしてしまいました。すると「先生も重いの?最近Twitterも重くなってきてるからイライラする!」という返信がありました(笑)。このかみ合わない会話、どうなんでしょうか。一応冷静に「交際終了、明日って重すぎるね?!」とツッコミを入れておきました。すると「あー12月に別れてた(笑)。友達にライフイベントが交際中になってたから変更しただけ(笑)」という軽い返事。

投稿の内容と本人の軽さのギャップ、「重い」の勘違い、そして私がBlogに「想い」を書いていた時の出来事だったので私的にかなり面白かったのです。まーわざわざBlogに書くほどの話ではないというのは分かっていますが雑談として「軽く」書いておきます(笑)

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忘れないように~金曜日の練習~

2014-02-22 | 陸上競技
金曜日、この日は少しいつもと予定を変えました。朝練を行わず朝の時点で勉強会。45分程度ですが勉強時間の確保をしました。毎日毎日朝勉強でもよいかなと思いますがこれもなかなか難しい。

午後は会議もあり練習の最初に参加できず。この日は大学生が3人参加。毎日のように来てくれています。感謝しなければいけないことだと思いますね。うちのように部員がそれほど多くない学校ではどうしても元気が出ません。大学生が来てくれることによって刺激となります。その刺激で選手も普段とは異なる気持ちで練習に臨めます。大学生が大きな声を出して盛り上げてくれるとは思っていません(笑)。さすがにアウェイですから普段の自分は出せないと思います(笑)。それでも来てくれるだけありがたい。そう思っています。

練習は短い距離を中心に。私が練習に顔を出した時にはフレキを始める前でした。時間がない時だから基本的なことをやる必要はないという気もするのですが、丁寧にやっておく必要はあるのかなと。本当に全く時間がない時は基本を省略してすぐに走るというのでも良いとは思いますが。翌日が休日ということもあり気持ち長く練習をできると考えていました。そのための朝勉強です。朝練をやらずに始業時間に間に合うように登校させる。これも一つの考え方ですが規則正しい生活を送りたいと考えていますから考査期間中も早めに集めています。その時間を有効に勉強に充てる。この日は「勉強45分」を朝確保しています。少し長めに練習。

そのまま並走を行い30m&60mを2セット。ここからバトンパスをやろうと考えていたのですがそこまでやると間違いなく時間オーバー。キャプテンと相談して止めました。やりたいことはたくさんあります。しかし、それをすべてやるのは不可能。優先順位を付けてできることをやる。性格的に「あれもやりたい」「これもやりたい」と思うタイプなのでこういうところは気を付けないといけないと思います。そのままスタブロへ。本当であれば少しだけやっておきたいという感じだったのですが、時間の関係で「中間マーク」と組み合わせることに。

スタブロから出ての60m。本当は前段階でしっかりとスタートの確認をしておきたいのですが時間的に難しい。中間マークもやりたい。悩んで一緒にしました(笑)。スタンディングで中間マークは何度もやっていますがスタブロからの中間はまだやっていません。大学生もいるのでどうなのかなと思うところもありましたが本数を限定してやることに。スタートの動きも見たい、中間の動きも見たい。難しいですね。どちらも一緒に見ることはできないのでこの日は中間を重視。意識するポイントだけ指示を出しながらやっていきました。大学生も前回と違ってきちんと走れていました。良い傾向です。

この練習中に少し選手と動きの話をしました。本人の感覚を確認するためです。スタートが上手くいくと中間以降の伸びがない。スタートでもたつくと中間で爆発的な伸びを見せる。本人の感覚では「その場足踏みになると進む」というのです。スタートが出たときは中間以降で腰ア残る感じがする。この部分はすごく大切な感覚なのではないかと思っています。結局、腰が残って脚だけの動きになっている。それでもパワーで進むから中間でエネルギーが不足する。また、腰が残っているので中間で身体がきちんと起こせない。結局減速するのです。逆に上手く進んでいない時は腰のポジションがちょうどいい場所に来る(表現は微妙ですが)ので最初もたつく感じはあるが抜群に伸びる。いや、難しい話です。禁止されている「師匠への相談」しかないと勝手に決めました(笑)。

うちの選手は早めに終わらせてまたも大学生は居残りで練習。短時間だけでしたがスタート練習をしました。卒業生、びっくりするくらい動きが雑になっています。仕方ない部分かなと思いますが。それでも本人の意識次第で対応できるはずです。少し時間をかけて確認をさせました。無理やりパワーを使って走っている感じが強くあり「足音」がすごい。元々そのような走りをする選手なのですが、完全に動きが遅れています。後半は何とか持ち直してきたかなという動きをしていました。やはり時間は必要です。400m系の選手も一緒に。パワーを使わずスムーズに加速できないといけません。爆発的にスタートで力を使ってしまうとエネルギーが足りなくなります。18時半くらいまで行ったでしょうか。

結局、陸上競技と関わっています。それで良いと思っています。「一生懸命やりたい」「強くなりたい」と思って競技に取り組む選手のサポートをしたいですからね。なんとなくやっているのではなく「全力でやりたい」という選手とともに進みたいというのが「条件」という感じですね。忘れないで書けました(笑)。安心(笑)。
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忘れないように・・・木曜日の練習

2014-02-22 | 陸上競技
書きたいことを書いていたら「練習」について完全に疎かになっていました。性格的に「視野が狭い」ので(笑)。

木曜日、この日から学年末考査です。勉強時間の確保は絶対にしなければいけません。その中でどうやって工夫するか?大きな課題だと思います。通常であればトレーニングを実施するのですがすべてやろうと思ったらなかなか難しい。その中でやらなければいけないことは何か?できることは何か?という部分です。

結局、朝練の時点でバランスディスク系の練習を終わらせることにしました。本来であれば筋肉に刺激を与えた後にバランス感覚とつなげていきたいと思っているのですが、朝からシャフト補強をさせるわけにはいきません。可能と言えば可能なのですがさすがにヘロヘロの状態で授業を受けさせるわけにはいかないかなと。優しさです(笑)。バランス系の練習をした後にダイナマックスのキックを行いました。これは思いつき練習なのですが結構いい練習なのではないかと思っています。股関節周辺に大きな刺激が入ります。

午後は1時間程度の練習と思っていました。自然とやる種目も限られます。ダイナマックスとシャフト補強。これのみとしました。大学生も2人参加していたので種目説明を簡単にしながら実施。とはいっても私は最初会議だったので選手が説明しながら行うという形になりましたが。体幹トレーニングの部分は絶対にやっておきたい。学校によっては考査期間中は「一切の部活動禁止」というところもあります。うちは「1時間程度」部活動をやることが認められています。「想うこと」でひたすら書いていてた部分とは逆行するのかもしれませんが。1時間程度やってその後は勉強会というのが流れです。私の拘束時間も長くなります。繰り返しになりますが別に「苦痛」だとは思っていません。普段練習をひたすらやらせているので、考査期間は「勉強時間の確保」をさせないといけません。家でやらないかもしれないという「不安」があるので強制的に勉強をさせています

選手が勉強会に移動した後もしばらく大学生にトレーニングをさせました。「好き」でやっているので「強くなりたい」と望むものは拒否する必要はないと思っているので。これは選手に対してのスタンスと変わりません。「強くなりたい」「一生懸命にやりたい」と選手が望むのであればそれに応えたい。一生懸命になれないのであればお互いに苦痛だと思うだけです。これがうちの選手だろうが一般の人だろうが「陸上競技を真剣にやりたい」という人であれば関係ないと思っています。それこそクラブチームの指導のほうが向いているのかもしれませんね。多様な生徒を受け入れるのが「部活動」というのであれば現時点では受け入れが難しい状況ですから・・・。

18時半までトレーニングを行いました。普段やりなれない練習ですからきついと思います。それでもしっかりとやっていくことが重要。うちの選手は19時まで勉強会。どれだけ集中してできたか分かりませんが。効率の面から考えると「勉強会」が終わってから「練習」の方がスムーズです。この時期は暗くなるのでなかなか実施が難しい。もう少し明るくなってくるとそちらの方が良いのですが。まーこれもバランスを見ながら実施していきたいと思います。

保護者の皆様、一応学校で勉強させています。それでも足りなくなるのではないかと思うので家でも「勉強した!?」と確認してやってください。「帰ってから3時間は最低でもやるように」と言っていますがなかなか実施できていないのではないかと思うので。

ある選手が「部活だけやっていると言われる選手になりたくない」と日誌に書いていました。こういう意識は重要だと思います。学内においても学外においても「陸上だけやればよい」というのは違うと思っています。生活の中心に「陸上競技」があるのは間違いありません。しかし、それだけやればよいというわけでもない。全てのことをきちんとやっていく姿勢を身に付けてもらいたいと強く願っています。全ては「選手の成長のため」です。「自己犠牲」というつもりはありません。これも「個人の思想」の話ですから。しっかりと取り組ませたいと思っています。
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想うこと4

2014-02-22 | 陸上競技
更に。実際にこうやって書こうと思った理由は「blog」ではなく今回のオリンピック報道について感じることがあったからです。「想うこと1」に書いた内容は前から書いていました。ひょっとしたら炎上する危険性もあったのかもしれません。何度か複数の方からコメントをもらったこともあります。ここに関しても考えるべき内容があるのかもしれないと思っています。繰り返しになりますが「100人いて100人に受け入れられることはない」のです。私のやり方に「同意」してもらえる人もいれば激しく「批判」される人もいる。当然の話だと思います。実際に生徒や選手がどのように感じているのか?選手&生徒が100人いて本当に100人に受け入れられる指導ができるのか?永遠の課題だと思いますね。

フィギュアスケートの浅田選手のSP(ショートプログラム)の演技が終わった後にインタビュアーが質問をします。浅田選手は自分の演技が全くできずに茫然自失。何が起こったのか自分自身でも把握できない状態。それでもインタビュアーは質問をしなければいけません。「ちょっとまだ私たちもなかなか気持ちの整理がつかないですけども、」との前置きをした上で、「この雰囲気の中の演技というのは、どうだったんですか?」と質問しています。浅田選手はほとんど答えられない。インタビュアーもそれを察して2問程度で終わり。

このことがyahooの記事となり批判の対象となっていました。「まだフリーがあるのにあの質問の仕方はなんだ?」という批判。もっと言葉を選べというもの。ここまできたら「何が正解なのか」という部分が完全に不透明になります。「プロなんだから聞き方があるだろう」と言われる。確かにそうかもしれませんが今までに見たことのない浅田選手の演技を見てインタビューアー自身も「何が起こったのか分からない」という状況だったのではないかと推測されます。浅田選手を心から応援していたため「感情移入」していたのだと思います。良いことがどうかはわかりません。

しかし、「頑張ってほしい」と応援しているから失敗をして茫然としている浅田選手へ「なんと声をかけていいのか分からない」という状態。それが「私たちも気持ちの整理がつかないのですが」という言葉に率直に出たのではないかと思います。「プロとして」と言われると確かにそうなのかもしれません。全てを想定して質問を考えておく必要がある。が、「感情移入」するとどうしても目の前のその人の様子を見てしまいます。仕事としてそこ(失敗)に触れなければいけない状態。心苦しいものがあるでしょう。だから質問は最低限にしたと思います。それに対しての「批判」が生じる。マスコミもここに対して煽るような記事を公開しますからさらに炎上します。

何年か前、うちのリレーがインターハイに限りなく近づきました。選手も私も本当にインターハイに行くことだけを考えていた。主力選手の故障もありましたが何とか中国大会の決勝へ。が、目指しているものには届かず7位。タイムはずっと目標にしていた4分を切って3分59秒。涙が止まりませんでした。これだけやってきても最後届かない。あと一歩。本当にあと一歩。この状況で「よく頑張った」と選手たちに声がかけられるでしょうか?私にはできませんでした。一緒に泣き崩れるだけ。「私の力が足りないからインターハイに導いてあげることができなかった」と詫びるしかできませんでした。声をかけることさえもできない。そのような状態が目の前にある。顧問です。みんなを元気づける発言ができなければいけないのかもしれません。そういう立場を求められていたのかもしれない。インタービューとは違いますが「選手の気持ちを考える」なら何かしら声をかけてあげなければいけなかったのかもしれない。できませんでした。

また、2年生でインターハイに出場した選手が3年生となり再びインターハイを狙う場面がありました。春先から全く調子が上がらず。それでもインターハイを目指すという本人の背中を押しながら中国大会へ。中国の準決勝で敗れインターハイへの夢は絶たれました。その時も声をかけに行きましたが何もできず。本人は「すみませんでした」と泣いています。「先生に何も恩返しができなかった」と言われました。この言葉、私こそ本当に申し訳ないと思いました。私が力不足で何もしてあげられなかった。前年と同じように「私の責任だ」と詫びるしかない。選手は頑張っています。それでも「届かない」ものがある。それに対して私は何もしてあげることができない。この時の気持ちを察して納得できる言葉をかけることはできませんでした。

更に翌年(昨年)、中国大会を賭けた県総体の決勝。ランキング3位で決勝に残った4継。まさかのバトンミス。最も信頼していた1走と2走のところでした。目の前で見ていた私は茫然。その現実を受け入れることができませんでした。一番辛いのは選手です。1走はキャプテン。「個人で戦うのは厳しい。4継にすべてをかけろ。」という話をしていました。厳しい言い方だったかもしれませんが自分が一番輝ける場所を示すという意味でこの4継にかけていました。が、中国大会の勝負の場に立つ前に終わってしまう。さらに2走は個人でも中国が狙える実力がある。目の前で起きている現実が「夢だったら」と強く願いました。が、変わりません。泣き崩れて動けない2走に「100mがあるから」といって召集所に連れて行く。どれだけしんどいことか。「出たくない」という気持ちがあるのは当然です。それでもこれで今までやってきたことすべてを終わらせてしまうわけにはいかない。そういう話はしました。

この私の行動、批判されてもおかしくないのかもしれません。有名選手がテレビの前で失敗してしまった。TVで取り上げられたからインタビュアーは叩かれる。私も保護者や関係者から「なんでもっと適切な言葉をかけてやってくれなかったのか」と言われる可能性もあるのです。何度も書きますが100人に受け入れられるのは不可能。その時その時に最善だと思って関わるしかないのです。今回のインタビュアー、本当に批判されるべき行為だったのでしょうか?私にはわかりません。

何かを発すれば誰かに「気に入らない」と言われる。全てが完璧で非の打ちどころがない人物になるしかない。そんなことは可能でしょうか?私のようなちっぽけな人間には不可能です。到底そのレベルまで届きません。そう考えていました。だからこんなに長々と書いている。人はそれほど「完璧」になれるのでしょうか?教員になると「弱い」部分を持つことは許されないのでしょうか?世界大会に出る選手がミスをすることは国民から非難されるべきことなのでしょうか?考えさせられます。

インタビューの方法よりももっと叩かれるべきことはある。「大切なところで必ず転ぶ」という発言。これを許容することが本当にできるのか?叩いたら問題が解決するわけではない。手抜きをしていたわけでもないし、一生懸命にやった結果です。そこに対して何か発言するのはどうなのか??大いなる疑問です。

危ない記事ですね。あくまで私見。これに対しても様々な意見があると思います。繰り返しますがあくまで「私見」です。私個人の考えです。ひっそりとここに書き続けていけることを祈ります。炎上したらそこで終了。火消しにあたって弁明し続ける気もありません。

長々と書いてしまいました。読み飛ばしてください。
コメント
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