kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

テスト期間の練習の違い?!

2019-11-30 | 陸上競技

テスト期間中の練習について。ここについて触れようと思っていたのに話がそれていました。書こうと思ったら色々と話が飛ぶ。いつものことですが。

 

今回のテスト期間からメニューの部分を少し変えました。このことは前の記事に書いています。実際に前のメニューも書いておきます。毎回変えるというのではなく「3パターンのローテーション」というのは同じです。メニューを毎回変えると時間がかかるので。

 

Aメニュー 

「バランス系」

「体幹補強系」 種目間はジョグ(有酸素系) 20分

「加速段階T走」 出力を上げて重心移動を作り出す 実施距離20m

「TDM走」 60BT-60T-60DM-60m 2サイクル

  

Bメニュー

 「BCT」 

「シャフト補強」 30m 6種目ずつ 

「スイッチング&片足スキップ」 B持ち×1ずつ DM持ち×1ずつ なし×1ずつ

「合流走」

「60mバトン」

 

Cメニュー

「軸系」 2人1組で実施 身体のラインを意識

「瞬発系シャフト」

「ハードルジャンプ」  瞬発系 一瞬で力を発揮して身体を浮かす 空中で重心移動

「片足キップ走」 50m 1本目:B持ち 2本目:DM持ち 3本目:なし

「チューブドリル」 シザースの動きをチューブでコントロール 空中でのタメ 速いリズム

「10バトン」

「25並走」

「走練習」  120-120-90


大きな流れとしては変えない。Aメニューに関しては大きく変えています。ここが一番「予備負荷」と「走練習」の繋がりが生まれてくるかなと。他の補強メニューもこれまでと変えています。種目を変えるのではなく「セット数」を、これまでは「補強は大切」という感覚でやっていたのでここは外せないなと思ってやっていました。


が、しっかりと考えていく中で優先順位が違うという部分が浮き上がりました。補強は絶対必要だと思います。それは「補強」という意味合いではなくです。考え方が難しいのですが。「予備負荷」としての「補強」にしたいなと。時間があれば2サイクルやっても良いと思います。が、1時間しかない練習の中で「補強」に大きな時間を割くというのは「主たる目的」に向かうには弱いかなと。


走るための「準備」としての「補強」にしたいなと考えています。これまでの練習は「補強をする」ということに重きが置かれていました。「筋力を上げる」という部分がメニューに出ていると思います。


あとは「枝葉」の部分があるかなと。チューブシザースなどは「膝の引き出し」と「重心移動」を生み出すための練習です。しかし、その前段階をしっかりとやる必要がある動きがあるのではないかと。時間があるなら「時々必要」かもしれませんが「絶対に外せない練習」ではない。


補強のサイクルを増やすのではなく「必要な刺激」として配置する。2学期の中間考査時は「補強をする」ことに重きが置かれていました。走りに繋がる補強になっていなかった。補強をした後に走ることで「走りにつなげていく」と考えていましたが、実際のところ「補強」と「走り」の融合が十分にできていなかったのではないかなと思います。


前の記事と見比べてみるとその辺りの差があるのかなと。この練習自体が悪いというのではなく「改善の余地があった」ということです。自分の中で一本のラインが出てきたのでそれに合わせてマイナーチェンジをしていきたいと考えています。


この違い。なかなか分かりにくいですね(笑)。とにかく考えます。何がいいのかを判断していきたい。常に最善を尽くしたい。やりたいことをどのように組み込むか。


楽しいです。

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共通する「考え方」について

2019-11-30 | 陸上競技

2年生女子が「練習をする」というので土曜日は学校に来ています。この土日に関しては「練習は見ない」と宣言しています。テスト勉強をする必要があります。学校に集めて「勉強会」をしてもいいのですが、「取り組みの姿勢」の部分がこれから先の競技の結果を大きく左右すると思っています。

 

金曜日の練習終了後に全体に話をしました。全体といっても欠席者と補習者で半分程度しかいませんでしたが。それはそれでいいと思っています。これから先、かなり本気で勝負しようと思っています。女子はそこに対する「基礎的な部分」ができてきたかなと感じているので。そうであれば合わせるのはどこか。考える余地はないと思います。

 

テスト期間中は「1時間程度」しか練習をしません。そうであれば「土曜日」に時間をかけてくるのがもったいない。それであれば家の周りで各自でやればいいと思っています。逆「1時間程度」の練習が自分でできない選手であればこちらがどのようなアプローチをしても効果は出ないのではないか。そう感じています。本気で競技をやりたいのであれば「自分のために時間を作る」ことはたいして難しくないと思います。「グランドに来たから練習をする」という部分の選手であれば「今からやろうとしていること」に対して理解できないと思います。

 

「やったほうがいい」という話はします。が、やるかどうかは各自の問題です。「結果」を出そうと思えば「やる」という選択肢しかないと思います。たった「1時間」の話ですから。それ以外の時間をすべて勉強に充てることができれば十分対応できます。しかし、「1時間身体を動かす」という選択ができない者は勉強時間の確保もできないと思います。スマホでゲームをしたりする時間は作れるが「勉強」と「身体を動かす」時間が作れない。それは顕著に結果と取り組みの姿勢に出ると思っています。

 

練習においても全く同じではないか。「技術的な要素」を練習に取り入れる。「走っておけ」という部分はグランドにおける練習ではありません。色々な課題を克服するための時間になります。見ていて「やろうとしてできない」選手と「はなからやろうとしていない」選手では行動が異なります。これまでは「何とかやらせよう」と思っていましたが、「競技」という部分を考えると「やらない者にやらせようとする時間」は生産的ではない。本当の意味で平等なのは「速く走る」ために練習をしている選手への対応だと思います。

 

テスト週間に入って「勉強が間に合わないから」という。ある程度は仕方ないと思っています。しかし、授業中の態度や取り組みなどを聞くと「そこでやっておけばいいのではないか」と感じます。提出物も含めて。これは「試合」にも当てはまると思っています。冬季練習などは試合が目の前にない。だから「それなり」にやる。「それなり」ならまだいいほうかもしれません。「やるだけ」になってしまう。が、試合が近づいてきたときに「やらないと結果が出ない」と慌てる。もちろん間に合うわけがない。選手自身は結果が出ないので「面白くない」と感じるかもしれませんがそれは明らかな「準備不足」です。

 

最近の話。土曜日にレースがあったそうです。待機場所でひたすら検定試験の勉強をしている。その場面だけを見ると必死にやっているのかなという気はします。試合に集中できているかどうかは全く別問題ですが。そのときに「今必死に勉強しているが昨日の勉強時間はどうなのか?」と聞く。「勉強時間は0」とのこと。これが何を意味するか。前の日にまったくやらない。そして試合会場で「間に合わないから」とってやる。そこに大きな間違いがあるのではないか。「やり尽くしても間に合わない」のではなく「やっていないから間に合わない」だけの話。競技に対して真剣に考えることができればそのような選択にはならないと思いますね。

 

短絡的に「良い結果」を求めようと思う。それは誰にでもあることだと思います。しかし、本当はそんなに簡単に世の中は回らない。普段から言っていますが「すべては繋がっている」のです。簡単に「良い結果」だけを求めようとすることに対して「上手くいかない」ことを知るべきだと思います。これは何度言っても伝わりにくい部分かもしれません。「グランドだけ」で何かをしようと思ってもできないことのほうが多い。

 

「そんなことはない」といわれるかもしれません。しかし、物事に対する「考え方」はすべて同じだと思います。だから様々な場面で「取り組みの姿勢」について指導をすることになる。

 

競技のために「1時間」の時間が作れない者は結局「競技」の場面で「結果」を求めていないのです。考査のために「勉強時間」が確保できない者は「考査」の場面での「結果」を求めていない。求めているのに何もしないで「結果」が出るほど簡単ではありません。そこに関して今回のこの土日でしっかりとこちらも見たいと思います。大きな差がつくと思います。

 

2年生女子は「勉強を教えて欲しい」と申し出てきたのでこちらも時間を作ります。グランドで練習をしてから勉強ということ。グランドにはあえて行きませんでした。「自分たちでやる」ことにしていますから。私が行ったら見てしまうので。見ているからやるというのではなく「自分のためにやる」という感覚を持たせたい。そう考えています。

 

いつもと違うかもしれません。そこに意味はあります。「やらない者」にやらせる努力ではなく「やろうとする者」に手を差し伸べる。ここが本当に大切なことではないかなと感じています。勉強を教えながら自分のやることをしたいと思います。

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最低限のことをやる中で

2019-11-30 | 陸上競技

そういえば火曜日からテスト期間に入っています。これは少し触れたかもしれませんが。そのため練習に関しては「1時間程度」ということになります。無理する必要はないかなと考えています。2年生に関しては修学旅行があったのでほとんど練習ができていません。Saは県体終了後、体調を崩していたので修学旅行に行くまでの2週間も練習をしていない。3週間近くほとんど身体を動かしていないような状況です。

 

以前であれば「補う」ことを考えていました。しかし、慌てなくていいのかなと思っています。これからきちんとやっていけば対応できるのではないかなと。練習をしていた1年生であっても結局「正確な練習をしているかどうか」という部分で疑問符が付きます。練習をやったかどうかでいえば「やった」といえますがその効果のほどは?!と問われるとあまりない気がします。半年以上経過して動きの変化がほぼ見られない。これに全てが現れていると思いますね。

 

1時間程度の練習の中で何をするのか。「必要最低限のことをやる」ようにしています。「追い込む」という部分は止めました。短時間で負荷をかけることを考えると「往復走」が手っ取り早いと思います。心肺機能にある程度の負荷をかける。短時間でしっかりと走る。「身体を動かすこと」をメインに考えるのであればそれでいいのかなと。せっかくなのでこれから先にやりたいことの「基礎作り」に時間に充てようかなと考えています。走る量はほぼなし。「走る」という行為の前にどれだけ「予備負荷」をかけていけるか。それが走りにつながるか。

ABCという3パターンをローテーションでやるようにしています。これは検討の余地ありだと思っています。それぞれ「1時間」という限られた時間の中で「補強」「予備負荷」「走練習」をやる。このこと自体が「目的がぼやける」ことにつながるのかもしれませんが、方向性定めてやっているので問題はないかなと。

 

Aメニューは

「バランス系」

「体幹補強系」 種目間はジョグ(有酸素系) 8分

「DM投げ」 地面に力を加えそれを身体で受け止めるための練習 10分

「台ドロップ」 乗り込み動作&軸固定 連続5台 接地して固定の繰り返し 2ずつ

「縄跳びもも上げ」 その場 50回×2セット 膝締め&前回し意識

「ハードルドリル」 1のリズムで引き出した膝に重心を乗せるイメージを作る

「加速段階T走」 出力を上げて重心移動を作り出す

「10バトン」

「25並走」 

 

Bメニューは

「バランス系」

「BCT」 正確に行う

「シャフト補強」 40m  Aメニュー 6種目ずつ 

「ハードルドリル」 1のリズムで引き出した膝に重心を乗せるイメージを作る

「スイッチング&片足スキップ」 B持ち×1ずつ DM持ち×1ずつ なし×1ずつ

「合流走」

「60mバトン」

 

Cメニューは

「バランス系」

「サーキットトレーニング」 25秒運動+5秒Rest 基礎筋力向上 心肺機能強化 1サイクル

「シャフト補強」 40m  Bメニュー 6種目ずつ 

「ハードルジャン」プ  瞬発系 一瞬で力を発揮して身体を浮かす 空中で重心移動

「片足キップ走」 50m 1本目:B持ち 2本目:DM持ち 3本目:なし

「10バトン」

「25並走」  

「走練習」  120-120-90

 

「1時間」という決められた時間の中で「何をやるのか」という部分です。一見すると「要素が多い」という感じがあるかもしれません。自分でもそういう気はしています。が、「走る」に至るまでに「やっておく必要がある部分」はあります。これまでは「補強」をしっかりとやるという形でした。前やっていた練習に関しては次の記事に書きたいと思います。その差についてはそこで触れたいなと。

 

2サイクル目に入っています、Aメニューの効果はかなりあるのではないかなと感じています。必要な要素が詰まっている。そしてこれを「意識してやる」「理解してやる」ことで大きな変化が生まれると思います。声をかける部分としては「意識の徹底」です。「1ミリも緩めない」という言葉かけをしています。力を逃がさないためにどうするかという話ですね。この辺りのことも色々とか考えていきたいと思っています。

 

順序が逆になるかもしれませんがこれまでの「テスト期間のメニュー」も次の記事に記録しておきます。差は微々たるものかもしれませんが。

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練習の精査について4

2019-11-29 | 陸上競技

続きを。

 

練習を振り返っていく。その中で見えたこと。「練習の単純化」の必要性です。基本的に難しいことをやっているつもりはありません。mtm先生も言っていましたが「シンプルイズベスト」なのです。が、実際に目の前の選手を見ていて「単純化」することが本当にできるのかどうかというのは感じています。今のうちの選手には「やりたいこと」を明確にしてそれを「様々な形」で落とし込んでいくほうが良いのではないかと。

 

その日の中で課題を決めていくことが重要なのかなと感じてはいます。これまでの流れとして・・・

 

バランス系→DM投げ∞→セラバンド補強→ハードル股関節→台ドロップ→スイッチング ミニハードル→スイッチングラン→スタート5歩練習→前半マーク→TDM走→走練習(120-120-90)→スイッチングラン(タタタ)→合流走→走練習(120-120-90)→TDM走

 

こう書くと「雑多」な練習をしているなと思います。必要なところに刺激を入れる。そこから走る。この部分は変わりません。しかし、やることが多すぎて「ぼやける」というのはあります。

 

補強→動きの基礎→前半→中間→スプリント→補強→中間→スプリント→中間

 

こんな感じで多くの要素を配置しています。練習の中に「走るための感覚づくり」を複数混在させている。それにより「感覚」をつかむことができると。TDMであれば最初はT走をして進みにくい状況を作る。次にDM走をして前重心にする。最後にスプリントで短い距離を走る。「物理的な感覚の変化」を作り出すことで走りを組み立てようとする部分がありました。

 

スピード練習をする。さらに長めの距離を走る。そして補強をして中間の動き。こうなるとどこに焦点が当たっているのか分からなくなります。「感覚の変化を生み出す」ためにやっているのは確かです。が、こうなると考えること多すぎる。そのため「やること」で精一杯になってしまう部分も出る。練習メニューを消化すること自体が「目的」に擦り替わってしまうのではないか。

 

もっともっとやるべきことを明確にする必要があるなと感じています。「地面に大きな力を加える」というのが最大テーマであればそこがきちんとできなければいけない。それは身体の使い方にも影響してきます。「固める」感覚も必須。やっている方向性は間違っていない。が、もっともっと正確に単純化していく必要がある。やるべき動きは「どの練習でも同じ」という部分から始まってそれをすべての動きでやっていく。

 

「良い動きをする」ということが狙いであれば「使い方」や「力の発揮の仕方」がきちんとできれば結果的に「良い走り」になる。「走る中で動きを作る」のではなく「予備負荷」として「必要な動き」を徹底する。走りながら「地面に大きな力を伝える」というのは難しいと思うので。「必要な動き」ができれば自然に「地面に大きな力を伝える」ことができるようになる。これが「結果」という考え方だと思います。「地面に大きな力を伝える」ことを考えて走りながらそれをするのではない。前段階が重要。

 

思い切って「前半の練習」であればそこに特化する形のほうが「焦点が明確になる」と思います。「補強」をワンクッション置くこととして考えるのであればその前までは「加速段階」中心に考え「補強」をしてから「中間」をやるというほうが「シンプル」になる。もちろん、今のスタイルを完全に変える気はないので「加速段階」ならその「覚え方」が変わっていく。毎回同じメニューで作っていくというのではなく「刺激」を変えながら「同じことをやる」という意味です。

 

どうしても「詰め込み」になってしまう。それを自分の中で認識することで「削れる」のではないかなと。性格的に「全部やりたい」のです。もちろん、全部できた方が良いのだと思います。時間が無制限で体力的にも常にフレッシュな状況でできるのであればそれが理想なのかもしれません。が、実際はそれができない。

 

そうであれば「ポイント」を明確にする必要がある。常にその「ポイント」が習得できる形の練習を実施していきどの動きの中でも「ポイント」を意識すればいい。これまで「膝の引き出し」をかなり重視してきました。これからも変わりません。しかし、単純に「膝を出す」ことだけを考えれば「反発」云々は「ぼやける」と思います。本当は「膝は出てくる」という感じかなと。きちんと「反発」をもらってそれに対してタイミングを合わせることで「膝が出てくる」のではないかと。

 

これまでは「膝を出す」ことが「狙い」になっていました。走りの中で「膝を出す」から進む。もちろんそれは「結果」としては正解だと思います。膝で引っ張ることが出来なければ重心は進みません。が、「膝が出れば進む」のは違う。「脚だけ動く」ことになって前方向に進んでいないということが生まれる。

 

ここは「地面に大きな力を伝える」という要素が抜けていたのではないか。更に伝えた「力を逃がさない」部分とその「力の方向を変える」ことができていないから「重心が動かない」という現象が起きるのではないか。大きな力を加え、それを逃がさず、方向を変えることができれば勝手に前に進む。そう考えています。

 

「膝を引き出す」というのは前に挙げた要素がきちんとできれば自然とできる。狙いが「膝を出す」ことに偏っていた気がします。膝を出すためにどのような練習をするのかという話になっていたかなと。「走ること」が大きな目標ではありません。「速く走る」ことが狙いです。そこに着目して考えていくと必要なことは見えてくる。

 

「シンプル」にする。それは「狙い」を明確にすることです。断捨離をするほどまだ自分自身に確信は持てません。しかし、これまでやってきた練習の中で「ぼやけている」と感じる部分はその「狙い」を明確にして組み立てなおしたいと思います。

 

「流れ」を大切にしてきました。TDMであってもT走→DM走→Sという感じで1本ずつ感覚の変化を作り出すことが「変化」を感じ取るためには必要だと思っていました。しかし、それよりも「T走3本」「DM走3本」「S2本」のほうが徹底できる。TDMを2セットやることを考えるのであればやはり「動きを徹底する」ことが重要になるかなと。

 

時として「回復力を高めるための練習」を「技術練習」と別に入れていこうと思っています。普段の練習は全てが「技術練習」だと思っています。「速く走るため」に必要な部分の徹底です。が、それだけでは勝ち上がっていくことはできません。多くの学校ではこの部分が「混在」していると思っています。「速く走るため」にやることと「ラウンドで勝負する」ことは別の話です。そうでれば「走練習」でセット走のように休息をとってやっていくことの意味も出てきます。

 

もし「回復力を高めるための練習」をするのであれば色々な方法を考えていく必要がある。近畿地区とは色々な意味で違います。ハイアップのような練習も近畿を勝ち上がっていくためには必要だと思います。そこの部分の重要度と「速く走る」ことの重要度。今のうちにとってどちらが大きいかを判断する必要があります。

 

まだまだ完全に「練習を精査する」というところまではいっていません。ある程度のところまではできていると思っています。これをもう少し時間をかけながら考えていきたいと思います。「今まで通り」ではない。その場にとどまり続けることが一番安心感が得られます。しかし、それでは勝負するところまで届かない。本気で考えています。

 

まとまりませんが。残しておきます。

 

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練習の精査について3

2019-11-29 | 陸上競技

しつこいようですが。記録しておきます。

 

前の記事に練習が「ぼやける」という内容を書いています。一日の練習に多くのことを詰め込みすぎて「主たる目的」が「ぼやけている」のではないかという感じがありました。この感覚は分かってもらいにくいかもしれません。「色々とやる」ことがかえって「主たる目的」に集約されなくなっているのではないかという感じです。

 

誤解なきように書いておきます。「意味がない練習をしていた」というわけではありません。意味がない練習をしているのであれば競技力は上がりません。ある程度の走力が上がっているのは間違いなく「やりたい方向性」が間違っていないという証明だと思います。が、「よりよい練習」を目指すにあたってこれまでとは異なる部分にフォーカスする必要性があるのかなと感じたので。

 

1日の練習の中で「色々な要素を強化する」という部分がありました。加速段階も重要。中間も大事。さらには後半の部分の対応も重要。結局「必要ない練習」がはないのです。練習の中にそれらをはめ込んでいくと「全てをやる」という感じになってしまいます。そのため「練習時間」が長くなってしまう。そして「その日の主眼」が多くなりすぎてしまうために選手が「ポイント」を意識しにくくなるのかなと感じました。もっと工夫する余地がある。

 

「色々なことをやる」というのには2つの意味があると思っています。本当に「色々なことをやる」部分。これは「鍋料理」のようなイメージでしょうか。一つの鍋に様々な具材を入れて一度に似る。料理としてはおいしいと思います。ベースになる「だし」があってそれを様々な具材でより深いものにしていく。最後にご飯を入れて「雑炊」にするとこれはおいしい。が、結局具材の中で「メイン」が良く分からなくなる部分が出てくる。ひたすら「メイン」を食べ続ける鍋はないので。

 

私が計画する練習は「色々なことをやる」部分があります。鍋料理に近い部分があったのかなと。「幕の内弁当」を目指しているという話をしてきました。色々な要素を「少しずつ味わう」ことで飽きが来ない。それはそれで大きな意味があると思います。「牛丼」を毎日食べるのとは違います。「バランス」良く配置していくことで力が上がっていきます。

 

しかし、「幕の内弁当」は完全に区分けされています。それぞれの料理をおいしく食べるために「仕切り」があって別々に味わえる。それが最大の長所。が、そこを大切にしてきたのですがこうやって振り返ってみると「ぼやける」という感じがしました。

 

そうであれば「コース料理」のほうが良いのかもしれない。コースは「テーマ」が決まっていてその「テーマ」にそった料理を提供する。「ふぐ」ならその味をしっかりと味わうための料理を出せばいい。料理方法が違うだけで「ふぐ」を出し続けることで最後まで「テーマ」をメインに置くことができる。

 

料理の話になって何の話か分からないですが(笑)

 

これを実際の話に置き換えてみる。これまでは「いろいろなことをやる」という中で力を上げていく形でやっていました。それは重要なエッセンスだったと思います。色々なことをやる中で様々な力を上げていくことができる。それがレベルアップにつながる。もちろん「狙い」があってやっています。技術的なことはかなりやっています。しかし、多くのことをやることでその「狙い」自体がぼやけてしまっていたのではないかなと。

 

そうであれば「ポイント」を明確にしてそれを徹底する。同じ形でやるのではなく「やり方」を変えながら「同じポイント」を徹底する。練習の中に「速く走るため」に必要な要素を落とし込む。走る量ではなく「動きの徹底」を全ての練習に入れていく。そうなれば自然と「やるべきこと」ができるのではないか。

 

「縦の動き」「地面に大きな力を加える」「力を逃がさない」「力の方向を変える」という要素。これを徹底する部分が必要になる。これをいかにして「走る以外の部分」に落とし込むか。そこをやるために「練習の精査」をしたという感じがあります。

 

もっとシンプルに考えていくと「地面に大きな力を加える」ことと「力を逃がさない」ことがメインでそれをするためにどのような練習をしていくか。そこに尽きると思います。これを補強の段階から徹底的に意識する。それが実は走りを変えていくことにつながる。これまで「補強」と「走り」を繋げていくことを考えてきました。その組み立てもできるのではないかと思いますね。これが「コース料理」なのかなと。「やりたいこと」を様々な形で落とし込んでいく。その方法が異なっていくという感じだと思います。

 

量で追い込むというのではない。「繰り返しやる」というだけでもない。「目的」を明確にして「徹底する」ことが必要になる。こちらは「深い理解」をしながら選手に提供するのは「やるべきこと」だけにする。「任せる」形ではなく練習に中に置いて「ポイント」ができるかどうかを見続ける。そうすることで大きく変わってくるのではないか。そう感じています。

 

まとまりません。また書きます(笑)。

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練習の精査について2

2019-11-29 | 陸上競技

続きを。もっと早く続きを書こうと思っていたのですが。なかなか時間の確保ができなくて。練習の振り返りに加えて放課後は1時間程度の練習。さらに勉強会。勉強をされるのですが中には危機感が全くない者も。この期に及んで寝ます。置かれてある状況を理解することができていない。

 
練習の時にもしつこく言います。「教えて出来ること」と「自分んでやらなければいないこと」があります。やらないといけないことがあると言い続けますが、本人がそこに対して「やろう」と思わなければ絶対に変わらないのです。本当に私がそこまでやる必要があるのか。大いなる疑問はあります。
 
で、本題。合間を見つけて練習メニューの精査をしてきました。今の時点で令和元年8月末まで。一つ一つ見ていくのでかなり時間を要します。それでも今やっておくことが私自身の指導にとって必要不可欠だと。細かい内容まで見ることはできませんが「その日の流れ」は確認できます。
 
重なっていないメニューを抜き出してやっていくとかなりの種類になります。何回かやっていく中でブラッシュアップされてメニューが変更されている部分もありました。極力グランドで練習を見ることにしています。その都度感じたことをしっかりと生かしていく。
 
が、強く感じた部分がありました。「練習がぼやけている」という部分。これはなかなか分かってもらえないかもしれません。これまで色々と考える中で「走るために必要なメニュー」を考えてきました。それぞれについてはある程度の成果を上げてきたかなと感じてはいます。様々な動きをしながら走るための感覚作りをする。
 
が、1日の練習の中に「多くの要素を詰め込みすぎている」というのが明らかでした。「俯瞰」して自分自身が考えていることをを客観視する必要があると思っています。が、やはりメニューを作る時には「あれもこれもやりたい」という気持ちになります。飽きさせないことも視野に入れながらあれこれやっています。が、こうやって振り返ってみると「ぼやける」のです。
 
本当は「加速段階」の練習がメインだったとする。ここに関してはかなりのことをやる。本当はそこだけに焦点を当ててやっていけばいいのに「中間の動き」に関してもやろうとする。加速練習をしてその後にTDMなどを入れて中間の走りを作ろうとする。全ての要素を強化していく必要があるとは思います。しかし、今やっていることは「全部やりたい」というだけになっている。
 
更に走練習も。玉石混淆。色々な要素が入ってしまっています。誤解なきよう書いておきますが練習メニューとしてはかなり考えてやっています。単純に走るだけのメニューはない。本数を追うようなメニューもない。極力レースで力が発揮できる形でやりたい。同じ練習であってもここは考えてやっています。
 
が、走練習では140T-120-90-60のようなメニューがあります。これ自体が意味がないとは思いません。意図があって組み立てています。しかし、少しずつ形を変えながらこれを3セットやることに本当に「練習効果」があっただろうか。セットの形にすると「休憩時間」が生まれます。そうしないと走るスピードが落ちるので。が、「速く走る」ことを考えると10分ちょっとのレストで最大スピードを出す練習になるのか。
 
ここに関しては色々な考え方があると思います。最大スピードを出せない状況もあると思います。しかし、その前段階である程度の負荷をかけて「正確な動き」の中で走るのであればそれは「速く走る」ための練習になる。スピードレベルを落として追い込むことは目的が変わっていく。
 
そうならないように考えてやっています。それなのに気が付けば練習の後半に「目的があやふやな練習」が入っている。その部分だけを切り取ってみてみると「明確な目標」があるメニューです。しかし、一日のトータルで見たときにやはり「本当にこのメニューがここで必要か」という部分はある。色々な要素が入りすぎていて結果として「ぼやける」感じがあります。もっと「単純化」していく必要があるなと。この「単純化」という言葉が独り歩きするのは避けたいなと思っていますが。
 
この部分についてはもう少し書きたいと思っています。また書きます。
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練習の精査について

2019-11-28 | 陸上競技

走ることについて考えていました。この手の話を時間をかけて聞いてくれる人もおらず(笑)。独り言のようにblogに綴っています。それで良いと思っています。訳の分からないことを書いてると思われるかもしれないですね。

 
色々と考える中でもう一度練習の精査をしてみようと思いました。これまでやってきた練習自体を見直してみようと。実際にやってきたメニューを抜き出してみることに。毎日メニューを明確にし始めたのは平成29年11月からでした。放課後、選手が勉強会をしている間に少しずつ分類を。合間に質問に来るのでその対応をしながらなのでそれほど捗りませんでしたが。平成30年の9月中旬くらいまでのメニューは見直せました。
 
単純にメニューを一つずつ見るというのではなく「何をやっているか」というのを確認する。メニューを構成する要素を抜き出してまとめることに。「コントロール系」「トレーニング系」「走練習」と分けていく。途中で「走練習」に関しては「加速段階」は別にしました。「走練習」に関してはまだごちゃ混ぜ状態。ここは狙いごとに分類したいと思っています。
 
練習の流れをみると少しずつ変化しているのが分かります。その時その時で自分の中でのテーマがある感じがします。練習がブレているとは思いませんが様々な要素が詰め込まれている感じがあります。しっかりと精査したいと思います。
 
例えば「同じような要素」を一括りにする。「狙い」があるのだからそれにあったグループ分けをしていけば良い。ひょっとするの「やること」を大切にしていて本来的な目的が果たせていなかったかもしれない。そこを冷静に見直す。
 
余力があれば毎日のメニューの「一番の狙い」を書き上げていくと良いなと思いました。それはかなり大変な作業ですが。そして自分の中で「狙い」としていたものが実は全く異なる結果になっている可能性もある。毎日同じメニューを消化するタイプの指導ではないのでこの辺りは細心の注意を払う必要があると思います。
 
「走練習」や「トレーニング」。ここは本当に精査しなければいけないと思います。「速く走るため」にやっていく内容にならなければいけない。それが「負荷をかけるため」になっていないか。難しい表現になるのですが。
 
何度か書いていますが「ウエイト」をすることに関してずっと考えています。ベンチプレスやスクワットで高重量でやることの意味と効果。筋力を上げるために一番手っ取り早いのはやはり「ウエイト」だと思います。筋肥大するために大きな刺激を入れることが早い。が、そこに対してずっと疑問がありました。競技場面と異なる力の発揮の仕方なのに生かせるのか。
 
もう20年以上前の話でしょうか。自分自身はかなりウエイトをしていました。今考えると種目特性に合っていなかった気がします。ベンチプレスで100kg挙げていましたが不要だった気がします。重りになっていたのではないかなと。本当に必要だったかというと疑問が残ります。当時はすべて自分でやる状況だったので「俯瞰」することができなかった。主観でしか考えられなかったと思います。
 
当時、「ハムストリングを強化する」というときに大きな疑問が残っていました。学校にあったのは「レッグカールマシーン」でした。これは大腿二頭筋を鍛えるもの。しかし、筋力の発揮が「収縮しながら力を発揮する」というものです。学生でしたが「本当にこのトレーニングに意味があるのか」はずっと考えていました。理由は簡単。「走るときと筋力発揮の仕方が違う」からです。
 
走るときに一番ハムストリングを使うのは接地してから重心が前に運ばれるときです。「伸展しながら力を発揮する」という形です。ハムストリングの肉離れが起きるのは基本この局面。レッグカールと真逆ではないか。レッグカールをすることで「足をたたむ」ということが強化され「逆効果」になるのではないか、と。実際の筋力発揮と異なる形がどうなのかなと。
 
「パワーは筋肉の断面積に比例する」という部分があるので「まずは太くすることが大事だ」と言われました。それが正しいのかどうか当時の私には判断できない部分がりました。「太くする」ことでパワーが上がる。それが「速く走ること」につながるのだといわれていたので確証を持たずに実施していた自分がいました。
 
今考えるのは「本当に必要か」という部分です。パワーが「筋断面積に比例する」というのは間違いないと思います。単純に「地面に大きな力を伝える」ことを考えると筋力があるというのは大きな武器なのかもしれません。しかし、「実践に応じた筋力発揮なのか」というとわかりません。ベンチプレスのような筋力発揮をするということはスプリントの局面にはない。
 
「断面積に比例する」という考え方であれば「腕ふりを力強くするためには大胸筋を大きくするほうがいい」ということになります。筋力は高ければ高いほどいい。本当にそうなのか。「ウエイト」に関する疑問はこの辺りから尽きませんでした。
 
ウエイトをしなくってから「補強」の部分をかなりやるようになっていました。振り返ってみると「補強をやることが目的」になっていた気がします。「補強をやって基礎筋力を上げる」ことが大きな目的になっていた。そうであれば「ウエイトをして筋肉を肥大させる」ことと何ら差はないのではないか。実践に生かせるトレーニングになっていないのであれば効果は最大限に引き出せない。
 
シャフト補強。効果があると思ってやっていました。距離を変えてみたり負荷を変えてみたりとマイナーチェンジをしながらですが継続的にやっている。選手としては「シャフト補強はキツい」という感覚があります。その言葉を信じていたので「良い練習になっている」と判断していました。が、よくよく考えてみると「走り込みで追い込む」部分と大差ないのではないか。ひょっとしたら「走りにつながる補強」になっていなかったのではないかと感じました。
 
数年前、シャフト補強を「重いもの」と「軽いもの」に分けて2サイクル実施していました。これは本当にきつかったと思います。「重いもの」でやることで「筋肥大」につながり「軽いもの」でやることで「速く動かす」というイメージでした。しかし、本当に「速く走るため」の練習になっていたのかどうか。「負荷をかける」ことが狙いになっていなかった。
 
また意味の分からない話を書いているでしょうか。それでも「練習の精査」をすることで確認することができています。根本的な考え方から考え直していかなければいけないのではないか。「明確な目的」に向かって何をするか。ここはしっかりと把握しなければいけないと思います。
 
えー。まとまらないのでまた別に書きます。
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走ることについて考える4

2019-11-27 | 陸上競技

前の記事の続きになるかどうか。

 

「走る」ということは本当にシンプルです。余計な動きをしない選手は速い。これは真理だと思います。小手先の技術をどうするのかだけを考えるのではなく、「根本」をどうするか。例えば「踏切が弱い」と言うような話になる。だったら踏切局面を強く意識すればいいのか。本当は「踏切」自体は「方向を変えるだけ」の動きだと思っています。その局面だけを強化しても結局うまくいかない。もっと別に要因がある。

 

脚の動きに関して。関東では「回す」ようなイメージがある気がします。これは私がそう思うだけで実際は違うのかもしれません。が、「回転運動」を意識するとどうしても「後ろで回る」気がします。本当は「身体の前で動かす」という部分ができることで「乗せる感覚」や「重心移動」が生まれやすくなる。足運びについてある場所で習ったことがあります。最初の部分は納得がいく。師匠から教わった部分と同じなので。そこから「明らかに回転運動になる」という「足運びのドリル」となっていました。「締めながら前に出す」というイメージで考えていたのが「締めてから前に出す」という動きになる。それは「現象」を追うことで「異なる動き」になっているのではないかという視点で見る必要がある。


動きを考えるとどうしても「目で追う」ことが増える。見た目の動きがどうなっているかを見続けてしまう。しかし、動き自体が実は「結果」だという視点で見ていけば「どこにポイントを置くのか」だけを考えられるのではないかなと思う。走りについて考えなければ選手に対して「最適解」を提供できないのではないか。


ここ数回の記事で書いているが「補強」の位置付けについても考えていく必要がある。「腹筋背筋」をする。どこでもやる補強。逆にやらないチームはないのでは?という話にまでなる。が、その「腹筋背筋」を練習で実施する意味がどうなのか。意味があるならやれば良いと思うし、意味がないならやらなければ良いだけの話。


取捨選択をする中で「本当に走りに必要な補強」は何かというのを考えていかなければいけないのでないか。「仕事率」の話を聞いてからしばらく考えていました。今やっている練習は様々な補強をします。何がプラスになるのか分からないという部分はあります。が、「絶対に外せないモノ」があるのではないか。


補強、実際やっている中で「負荷をかける」ことが主眼になっている部分がありました。しっかりと負荷をかければ速くなる。そういう思い込みがあったと思います。どこよりも補強を工夫してやっていくことで「速く走れる」と考えていました。それがある程度の結果につながっていると思います。基礎筋力自体はかなり上がってきています。


が、それで本当にいいのか?もっと工夫の余地があるのではないか。そう考えていた時にrknでの練習を見る。あの練習を取り入れるのではなく「うちの練習スタイルに合わせる」ことで今よりも「意味のある練習」にすることができる。これまでやってきたことを精選して「走るために必要な補強」を徹底しようと。


ここも表現が難しいのですが。これまでやってきた補強が「意味がなかった」とは思いません。しかし、もっとこだわってやっていく必要があるかなと。「地面に大きな力を伝える」「力を逃がさない」というベースの部分をどうするかを考えて補強をしたいなと。もちろん「身体を上手く使う」という部分と並行してやっていく必要があります。必要以上の筋肉はつけない。中身を詰める感覚の中でさらには「力を逃がさない」という感覚を磨く。


ここを徹底するだけで負荷は自然に上がってくると思います。常に走りを意識して補強をしていく。繋がりを明確に示す。そこができることで筋肉には大きな刺激が入ります。バランス良く鍛えていくことが求められますが、それだけではなく「力の発揮」に合わせた練習ができるようになるとそれが走りに出てくるのではないか。きちんとした補強をすることが「走りを作る」ことにつながっていくのだと考えています。


補強も走りも同じことなのかなと。「走り込み」が何を目指すのか。「こんなに走ったから強くなる」という精神的な支えにはなるのかもしれません。走練習の時に普段以上に走ったら「やった感」は出ます。キツくて最後にジョグレベルのスピードになったとしても「こんなに追い込んだんだ」という自分の中での満足感は高くなります。本数や距離で負荷をかけることで「やった感」が高くなります。それが本当に「速く走るため」につながっているかどうかは全くの別問題だと思います。


スピードが鈍った中で走り続ける練習。時として必要だとは思います。「自分の中の殻を破る」という機会は必要です。「できるはずがない」と思っている練習であってもそれをやり切った時の達成感は大きい。みんなで苦しい練習をやっていったことが「良い思い出」になると思います。精神的な部分はあるのかなと。「満足感」「達成感」は獲られる。時として必要だと思います。


が、普段の練習の中で毎回その手の練習をすることが本当に「速く走るため」に繋がるのか。疑問があります。高いスピードを出さない練習の中で最大スピード向上を狙う。それは変な話ではないか。そうであれば「速く走るため」に本当に必要な練習をするべきではないか。補強も走練習も全てはそこに集約されなければいけない。


だからこそ「突き詰めてやっていこう」と考えています。補強とスプリントを組み合わせる。必要な要素を抜き出して徹底的にそこを鍛える。「地面に大きな力を伝える」ために必要な筋群を強化してそれを上手く使えるようにする。伝える力の方向を定める。伝えた力を逃がさないように固定する。ここにこだわって練習のを組み立てることで「走る」ことだけではない部分で「速く走るため」の動きを身につけられるのではないかなと。


考えることで自分の中である一定の方向性が見えてきました。これまでの流れをずっと遡って見ることで「自分の中に足りないこと」に気づくことができた。誰にでも効果のある練習というのを見出していかなければいけない。普通の選手が全国で戦うために何をするか。「県で勝ちたい」という話ではないと思います。現在県で一番の選手がこれからも県で一番で満足するような指導は絶対にしたくはない。もっと上で戦える。そう思ってやっていこうと思います。


やっていることはこれからも書いていきたいなと思います。抽象的なことを書いているので分からない部分も出てくると思います。可能な限り画像を残していこうかなと。幸い「速くなりたい」と思って練習に参加してくれている選手がいます。こちらがやろうとしていることに対してきちんと理解してやってくれる者が何人かいる。それに応えるだけの努力をしていきたいと考えています。


しっかりとやるべきことをやりたいと思います。訳の分からない話を書き続けました。結構本気です。「周りと違うこと」をやるという部分を目指しているのではない。本当に必要だと思ったことをやろうとしているだけです。やるべきことをきちんとやれば「走りは変わる」と思います。全力でやります。

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走ることについて考える3

2019-11-27 | 陸上競技

少し話が変わるかもしれませんが。思うことを。

 
走っていると目に見えて気になる動きが出てくる。ここについてその場面だけ修正しようと思ってもなかなか治らない。そこに対して「対処療法」のような対応をしても根本的な問題が解決しないので動きは変わらない。
 
顕著な例が今うちにいるHoの走り。なかなか独特です。膝が開き気味になって上半身がローリングする。体幹が弱いからとか肩を振ってしまうからとか様々な指摘があります。ここは難しい部分です。走りの中で修正しようと思ってもなかなか変わりません。正確にいうと「ほぼ変わらない」のです。そのこともあって「走ること」について考えているというのもあるのですが。
 
不器用な選手なので指摘した部分がすぐに改善できないというのがあります。だからこそ短期的な変化ではなく長期的に見て走りを修正していければいいなと考えていました。コツコツできる。入学当初は14秒5くらいかかっていましたが秋のシーズンには12秒台へ。ある程度の成績は残せたのかなと。が、走りの部分としては体幹のブレは治りませんでした。
 
色々考えてみる。性格的に走りながら動きのことは意識しているはずです。「意識が足りない」という部分を指摘されるのかとしれません。いやいや、かなりやっています。それでも目立った変化がない。そこには明らかに別の要因があると感じていました。
 
元々膝が内側に入り内股のような状態になっていました。内転筋が弱い部分もあるのだと思います。そこに関してはかなりやってきましたが改善ができません。もちろんですが走る中でそれを修正することを目指していますができません。複雑な動きの中で何をするのかという部分。
 
冷静に「力の方向」について考えて見た時に「足首の方向」は重要な要素だと思います。内股になり爪先が内側を向く。そうなると地面に伝えた力は進行方向ではなく外側に向かっていく。走りたいのは真っ直ぐ。それなのに力の方向は外に向かう。地面に伝えた力が外方向なので進む方向は真っ直ぐではなく内側に向かっていく。
 
それを修正するのが上半身なのだと思います。スタビライザーのような機能を果たしているのではないか。力の方向がズレているのでそれを真っ直ぐの方向に軌道修正する。だから体幹を鍛えても身体を保つ意識をしても「上半身のブレ」は治らない。根本的な問題を改善しない限りは上半身は保てない。
 
「前に進んでいるのだから良いのでは」という考え方もあると思います。しかし、明らかなロスです。10伝えた力を進行方向に10伝えられていない。それでも12秒台に入ったのであれば問題ないというのか、いやもっと行けるというのか。ここは価値観だと思います。私は「本当はもっと速く走れる」と考えます。
 
そうであれば「走りながら修正する」というのは不可能。根本的な「内転筋の弱さ」と接地した時の足首の方向を速い動きの中で改善するというのは難しくなる。そうであれば「走る」前の段階でそこを修正していく必要がある。短期間ではできないと思います。一冬かけてそこの部分を徹底する。「走る」という練習以外の部分でここを矯正していかなければ変わらないだろうなと。
 
地面に大きな力を伝える。伝えた方向を変換する。そこには「縦の力を横へ」という部分があります。それだけではなく「真っ直ぐ進む」とあうのも重要な要素だと思います。爪先の方向が進行方向を決める。そうであればこの部分は絶対に修正しなければいけない。かといって「走る」という行為の中でそこができるのか。
 
単純に「爪先の方向を真っ直ぐする」という意識でやったからといってそれは改善できないと考えています。骨盤の傾きや股関節の筋力、内転筋の強さ。この辺りが複雑な絡み合って「接地局面」が作られる。「意識したら治る」という部分ではないのかなと。
 
「意識」と「現象」。「原因」と「結果」。上半身がローリングするというのが「結果」でればその「原因」を発揮ししなければいけない。「結果」だけを修正しようとしてもその前段階に「原因」があるのだから修正はできない。「ローリングしないようする」という「意識」で走ったとしても一番の「原因」が改善できないのであれば変わらない。
 
ハードルは抜き足が円運動をします。リード脚は直線的に動きますが抜き足はどうしても方向が異なる。それをコントロールするために上半身が回転運動をするようになる。体幹を強化することでそれを補おうとする。強い選手になれば抜き足がかなりコンパクトになります。大きな円運動で抜き足を持ってくる選手が少なくなる。「上半身のローリング」を抑え込むため「体幹を鍛える」だけではなく「動きそのもの」が効率化していくのだと思っています。
 
ハードルでの上半身のローリング。これは競技特性上仕方ないことだと思っています。これも「走りながらコントロールする」部分も必要ですが「抜き足の改善」によって「結果」として最小限に抑えることができるようになるのではないか。そう考えています。技術的な修正が走り自体を変えていく。
 
一連の動きの中で「局面」だけを抜き出して何かをしようと思うと無理が来ると思っています。連続写真の「一場面」を抜き出しても改善できない。その前の段階に明らかに「原因」があると思います。そこを改善していくことが「結果」としてそれぞれの「局面」の変化につながる。
 
分かりにくいですね(笑)。だからこそ自分の中で整理をしたいと思っています。大丈夫。正常運転です。大丈夫。
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走ることについて考える2

2019-11-26 | 陸上競技
前の記事の続き。今回書いている内容はかなりディープな話だと自覚しています。この日と大丈夫なのかな?と思われる可能性がある。が、私としては正常運転(笑)。ちょっと不安になって親しい指導者に「分かりますか?」と聞いてみる。同じ系統の人に聞くと自分が正常な気がしてきます。互いに変な方向に寄っている危険性もあるのですが。


走ることについて。「走る」という行為は実はすごくシンプルな話だと思います。「前に速く進む」事が求められているだけです。見た目の動きが変でも進めば勝ち。そこに関しては「タイム」で争う種目ですから当たり前の話です。走り方は千差万別。身長体重、骨格や筋力など様々なモノが複雑に絡み合って生まれるのもです。ここに関しては「型にはめる」意味はないと考えています。

が、本当に速く進もうとすれば共通する要素が幾つかあります。バイオメカニクスはそこに意味づけをします。「速い人の動きはこうなっているから」という理由付け。前にも書きましたが本人たちがそこを意識しているかどうかは別として「アウトプット」はそういうデータになる。

東京世界選手権の後だったか「速い選手は膝関節の伸展がない」というデータが示されました。地面を蹴っていないという話だったと思います。速い選手が膝関節が云々を考えて走っているのかと言われると当時は絶対に違ったと思います。そういう感覚がないので結果的に膝関節の伸展がないというアウトプットになっていた。

その動きができたから速くなったのか。速いからその動きになったのか。卵が先か鶏が先かと同じ感じになるかもしれません。正直分からない部分があります。目に見える動きだけを追うと「意識」と「現象」の違いを見失うことになります。

rknに行って練習を観ていました。やるべきことは本当にシンプルなんだと改めて感じました。「使いたい所を使うために使いたくないところは使わない」という部分の徹底。先ほどの「速い選手に共通する動き」に必要な要素を徹底していく。元々速い選手が集まってきている部分はありますが、その選手たちが「速く走るために必要なこと」を徹底してやるからもっと速くなる。

同じことをしていても追いつかないなど感じました。元々「練習を真似る」ために行ったわけではありません。ある意味別世界の話です。「普通の選手」に対してどうアプローチするか。そのためのヒントがあると信じて。

そのエッセンスを自分の中で整理しました。やはり「縦の動き」の部分が必須だなと感じています。「縦の動き」をして「地面に大きな力を伝える」という部分ができるかどうか。難しい話になるかもしれませんが「強い接地」をしたいというのではなく「大きな力を伝えたい」のです。

「落とす」という感覚とは違う。落とす動きを意識するという感じはありません。「強い接地」という表現をすると「強く落とす」というイメージになります。そうなると結果的に「蹴る動き」になってしまう。強く落とすことが目的にってしまうので重心移動が生まれにくい状況に繋がる。結果的に「落ちてくる」と思っています。

話が逸れてきている感じがありますが。

で、やはり大切なのは「縦の動き」をしながら「地面に大きな力を伝える」こと。そこに「力を逃がさない」という部分が加わって「方向を変換する」という要素が入ってくる。複雑に書いているように思われるかもしれませんが「やりたいこと」は非常にシンプルです。

これまで「膝の引き出し」をかなり意識してきました。間違っていないと思っています。しかし、「膝の引き出し」自体は「方向を変換する」要素です。ここだけで進もうとしても根本的な「地面に大きな力を伝える」という部分が足りなくなります。小さな力の方向を変えるのではなく大きな力の方向を変えるほうが進む。

ハードルドリルの時に「戻すような動き」になる選手が出てくると書きました。これでは大きな力は地面に伝えられません。「縦の動き」の中で「地面に大きな力を加える」必要がある。地面に力が加われば後はその力を逃がさずに方向を変えてやる。タンブリングをする事でそのことが分かってきます。力を上手くもらってタイミングを合わせてやることで自然に膝が出てくる。無駄な力を使わずにそれができる。

で、本題(笑)

そうであれば「速く走るための要素」に関してしっかりと準備していく必要があるのではないかと。走ることで出来ることとそこまでにやっておかなければいけない「予備動作」がある。走る中で地面に大きな力を加えるというのはなかなか難しいと思います。「走っていたら速くなる」という部分ではないかなと。

走るための準備。これは「ドリル」ではない。目標とする動きを追うのではなく「必要なこと」をしていけば結果として「やりたい動き」になる。そうであれば走ってばかりいたら目の前のことだけにとらわれてしまってやりたいことが出来なくなるのではないか。

「縦の動き」「地面に大きな力を加える」「力を持って逃がさない」「方向を変える」という要素をしっかりと走る前の段階でやっていくことで「力の発揮」がきちんとできるようになる。その中で走ればフォームの矯正云々ではなく自然に「やりたい動き」になるのではないか。これが動きの自動化なのかどうかは分かりません。事前に「やりたい力の使い方」を徹底することで走る時に自然に「やりたい動き」ができるようになる。

これまでは補強と走練習が微妙に繋がっていない感覚がありました。補強自体がどこに繋がっていくのかという部分が明確にできていなかった。それを全てを「速く走るため」に繋げていきたい。もちろんサーキットなどでは「速く走るため」に必要な筋群を強化していくことになります。しかし、それだけではなく「どう使うか」という部分も明確にしたい。

単純に補強をすれば速く走れるようになるという話ではない。方向性を定めて練習をしたい。もちろん、様々な動きを入れながらマルチな身体の動かし方を学ぶことで変わっていく。ここもうちだからできる練習なのかなと思います。

そう考えて「走る」練習に時間を割くだけではなくそこに至るまでに「準備」をしたい。予備動作なのかもしれません。ドリルとは違うと思います。これまでやってきたことを精査して「準備」をしたいなと。

これまではTDMやBDMなどを行って「走る中での感覚の変化」をしてきました。これからもやっていきます。が、その練習をする前に「準備」しておくことでその効果は高くなると考えています。

分かりにくいと思います。必要があればもう少し補足はしたいと思います。数日間ですがこの形の練習に切り替えています。短期間では結果や明確な変化には繋がらないと思います。こちらが理解しているからこそできることがある。「他の学校と違うことをしたい」というのが一番の狙いというわけではありません。考えていたら違う練習スタイルになったというだけです。

走ることについて考える。このことについて議論する機会はなかなかありません。きっと「この人何言ってるの?」という感じになるだろうか(笑)いや、本当に真剣に考えています。
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