全く書けていません。こちらのモチベーションが上がらないのもあると思います。なんだかこちらの求めることができないというか「ギャップ」を感じています。私自身の問題もあると思います。火曜日に卒業生と話して以来、やはり大きな「ギャップ」をかんじています。過去と比較しても何かが変わるわけではありません。しかし、「卒業生」にできて「現役選手」にできないというのはどういうことなのか?卒業生が来るたびに「先生、ずいぶん優しくなりましたね」と言われる。これは練習の雰囲気を見ていて感じるのだと思います。当時とは雰囲気が違います。時代とともに変わっていかなければいけない部分と変わってはいけない部分がある。今はどうなんでしょうか。
水曜日は私は放課後ずっと会議でした。練習に顔を出したのは18時過ぎ。うーん、さすがにですね。3年生はシャフト補強だけで終わりにするように指示をしていました。翌日から卒業考査ですからしっかりと勉強させなければいけませんから。2年生しかいないので元気はありません。人数的な問題もあると思います。私が行ったときには予定していたメニューがほとんど終わりかけていました。そのためプラスアルファで補強を。
チームがなかなか成長しない状況を数年続けています。その中で「がむしゃらになる」という部分が不足しているという感じはしていました。強くなるために何でもやるという感覚が明らかにない。こういう書き方をすると選手も保護者も不快な気持ちになるのかもしれません。それでも今はチームとしては未熟だと思いっています。私自身ある程度の指導ができるようになってきたと思っています。今の技術的な指導や精神的な余裕があって数年前のチームが指導できれば確実に大化けしていると思います。以前はこちらがとめないとやりすぎてしまうという感じがありました。今はそこまで到達しません。こちらが念押しをしてもそれすらできない。「甘い」という言葉が出てくる場面が増えている気がします。
そういうこともあり意図的に「自分の内面と向き合う」時間を作りました。手を抜こうと思えばいくらでもできる練習です。その場でのサーキット。シャフトや砂袋を使ってのトレーニングです。火曜日に来た卒業生が在籍していたときにはよくやっていました。特に故障した選手が近くの森の坂で自転車練習をしてその後学校に戻ってきてから実施していたメニューです。当時は400mを意識していたので60秒で実施していました。この日は30秒で実施。しかし、30秒であっても途中からは「苦しい」「きつい」という雰囲気の中でやっていました。これが今の現状です。当時と比べても今の選手には分かってもらえないと思います。その子達がどれくらいやっていたかを知らないからです。そのことをどれだけ話しても全く伝わらないと思っています。イメージができませんから。
それでも時間は半分。半分の時間の中でも自分自身と向き合えない。苦しいのは当然わかっています。それでも「ここを乗り越えるんだ」という強い意志が見えません。苦しくなったらそのまま。これで強くなれるほど甘くはないと思います。男子が1人雰囲気を変えようとして声を出していました。今のチームでは唯一でしょうか。それでも当時と比べると「気迫」というか「なにがなんでも」という部分は見劣りしてしまいます。そういう中でどれだけ練習の質が上がるのか・・・。
以前は涙を流しながら練習をしていました。単に苦しいから泣くのではありません。「もっ負荷をかけたいのに自分の身体が思うように動かせないことが情けない」と感じて涙を流していたのです。今は「苦しい」だけで泣く。やりきったという満足感で涙を流す。随分、差があると感じないでしょうか?これを主観で見るのではなく客観的にとらえることで見えてくる者があると思うのですあ「自分たちの取り組みが全て」である今では客観よりも主観が大きくなってしまいます。これで戦えるほど甘くはないと思うのですが。
「一生懸命やる」と言葉では発します。それが実際の行動に出てきません。こういう苦しい練習の時に顕著に表れるのです。どうなんでしょうか・・・。ちょっと考えないといけないと思っています。
マイナス的な記事が多いですね。それでもここを越えないとなにもできないのです。やればいいとは思いません。これからどうすればいいのか。しっかり私自身考えていきたいと思います。
水曜日は私は放課後ずっと会議でした。練習に顔を出したのは18時過ぎ。うーん、さすがにですね。3年生はシャフト補強だけで終わりにするように指示をしていました。翌日から卒業考査ですからしっかりと勉強させなければいけませんから。2年生しかいないので元気はありません。人数的な問題もあると思います。私が行ったときには予定していたメニューがほとんど終わりかけていました。そのためプラスアルファで補強を。
チームがなかなか成長しない状況を数年続けています。その中で「がむしゃらになる」という部分が不足しているという感じはしていました。強くなるために何でもやるという感覚が明らかにない。こういう書き方をすると選手も保護者も不快な気持ちになるのかもしれません。それでも今はチームとしては未熟だと思いっています。私自身ある程度の指導ができるようになってきたと思っています。今の技術的な指導や精神的な余裕があって数年前のチームが指導できれば確実に大化けしていると思います。以前はこちらがとめないとやりすぎてしまうという感じがありました。今はそこまで到達しません。こちらが念押しをしてもそれすらできない。「甘い」という言葉が出てくる場面が増えている気がします。
そういうこともあり意図的に「自分の内面と向き合う」時間を作りました。手を抜こうと思えばいくらでもできる練習です。その場でのサーキット。シャフトや砂袋を使ってのトレーニングです。火曜日に来た卒業生が在籍していたときにはよくやっていました。特に故障した選手が近くの森の坂で自転車練習をしてその後学校に戻ってきてから実施していたメニューです。当時は400mを意識していたので60秒で実施していました。この日は30秒で実施。しかし、30秒であっても途中からは「苦しい」「きつい」という雰囲気の中でやっていました。これが今の現状です。当時と比べても今の選手には分かってもらえないと思います。その子達がどれくらいやっていたかを知らないからです。そのことをどれだけ話しても全く伝わらないと思っています。イメージができませんから。
それでも時間は半分。半分の時間の中でも自分自身と向き合えない。苦しいのは当然わかっています。それでも「ここを乗り越えるんだ」という強い意志が見えません。苦しくなったらそのまま。これで強くなれるほど甘くはないと思います。男子が1人雰囲気を変えようとして声を出していました。今のチームでは唯一でしょうか。それでも当時と比べると「気迫」というか「なにがなんでも」という部分は見劣りしてしまいます。そういう中でどれだけ練習の質が上がるのか・・・。
以前は涙を流しながら練習をしていました。単に苦しいから泣くのではありません。「もっ負荷をかけたいのに自分の身体が思うように動かせないことが情けない」と感じて涙を流していたのです。今は「苦しい」だけで泣く。やりきったという満足感で涙を流す。随分、差があると感じないでしょうか?これを主観で見るのではなく客観的にとらえることで見えてくる者があると思うのですあ「自分たちの取り組みが全て」である今では客観よりも主観が大きくなってしまいます。これで戦えるほど甘くはないと思うのですが。
「一生懸命やる」と言葉では発します。それが実際の行動に出てきません。こういう苦しい練習の時に顕著に表れるのです。どうなんでしょうか・・・。ちょっと考えないといけないと思っています。
マイナス的な記事が多いですね。それでもここを越えないとなにもできないのです。やればいいとは思いません。これからどうすればいいのか。しっかり私自身考えていきたいと思います。