日曜日は検定。この検定終了後2人を呼び出して話をしました。前日「あまりにも理解できていない」と感じることが重なったのできちんと話をしていく必要があると感じました。とはいっても、これまで何度も何度も繰り返し話してきた内容です。「言われたことだけをやる」というのは最低ラインですが「言われたことさえもやらない」という状態で「強くなりたい」といっても誰も信じてくれません。今回はさすがに酷いですね。一人は何故呼ばれたのかも分かっていない状況でした。前日、勉強会が終わって激怒していたことの意味が分かっていなかった様子。かなりしんどいですね。それでもやっていくしかないのかなと思いながら話しました。
一人は他の者が足を痛めて走れない状況の時にあり得ない発言をしました。悪気はなかったのかもしれませんが言われた本人はどのように感じていたでしょうか?他の者が練習をしている時に自分だけ練習ができない。治療をしないといけない。それで「足湯」を使って温めているときに「良いな~」と発する。本当に良いのか?自分が逆の立場だったらどう感じるのか?相手の気持ちを考えることができない発言はチームとしては許されないと思います。体重管理と疲労回復のために「プール」に行って身体を動かすことを指示していました。昨年から「どうにもならない状況」を脱するためには普通の練習だけではどうにもならないのです。そのことに対して「遠いから近くを歩くだけではダメなのか?」という質問。何を言っているのかっていう話です。それで今まで何も変わらなかったから言っているのです。それで十分対応できるのならそれ以上のことを求めはしません。「できていない」からきちんとやるために話をしているのです。全く分かっていません。カチンと来ました。
また、木曜日から体調不良ということで2日間練習をしなかた者、先週の日曜日検定終了後に「プールに行って身体を動かすように」と話していました。検定週間のため練習時間が毎日1時間削られていました。5時間が減っているわけですからどれを補うためには自分で身体を動かすしかありません。かなりの量やらないと体重が増えていきますからここはしつこくしつこく言い続けていました。勉強会が終わってから「2日間全く練習していないので日曜日も身体を動かすように。先週と同じくプールに行くほうがいいだろう」と話しました。が、反応がいまいち。他の者が行かないから行かないのかと問いましたがこれも反応がありません。「場所は分かるだろう?」と問うと「行ったことがないから分からない」との返事。先週、行くようにと言って返事をしたにもかかわらず行っていなかったのか?本来ならそこまでやらなくてもいいのにそのような状況を招いた自分の責任です。「歩く」といってもどれだけの消費エネルギーがあるのか?女子エース、毎日朝練の前に歩いたりして約10キロは歩いているようです。それでもなかなか減るものではありません。菓子パンを食べているということも分かっていましたからそのことについて先日話をしたばかりです。日誌に「きちんとやる」と書いておきながら全く実行できていません。この状態で何を信じろというのか?先週運動しに行っていると思っていたのに・・・。
プールに行くことが大事だと言っているわけではありません。どういう取り組みをしているかです。「そこまで厳しく求めなくても」と思われると思います。私も全てを厳しくしようと思っているわけではありません。しかし、、ここまでの段階で「言われたことをきちんとやらない」の積み重ねがあったからこういう状況になっているのです。言われたことに対して「聞いているだけ」では何も変わりません。さらに激怒していることさえも感じ取っていないというのは・・・。
かなりの時間話をしました。これで分からないようなら本当に厳しいですね。繰り返し繰り返し指導はしてきましたが、「表面的な部分」だけではなく「本質的な変化」が必要になります。ここが分からない限りはいつまでたっても同じことを繰り返します。このような状況ではどれだけ指導をしても何も伝わりません。指導者の「自己満足」で終わってしまいます。私はかなり選手や生徒と関わります。それぞれの性格や考え方についてはある程度把握しているつもりです。以前、付きっきりで体重管理をしたことがあります。自分では行動をコントロールできなかったので毎日私が体重の推移表を作成し、運動をしているかどうか、食事はどうかを逐一確認をするような生活をしていました。そこまでやらないとできないというのはかなり難しい話しなのですが・・・。そこまでやる必要はないと思われるでしょうが、「一生懸命やる」という経験をさせないと見えないモノがあるのです。結局は私の管理下を離れたときにきちんとできないままで終わってしまいました。かなりの時間をかけてきましたか残ったのは「喪失感」だけでした。
「感じ取る力」が重要になります。ここがなければ何をやっても意味がありません。blogに書く内容ではないかもしれませんが、しっかりと考えてもらいたいと思っています。「自己管理」をするためには「強い意志」が重要になります。半強制的にでもやらせないとできません。これが「当たり前」になるときが必ずきます。自分のために努力するということができるようになれば全ては変わってきます。真剣に考えてもらいたいですね。
一人は他の者が足を痛めて走れない状況の時にあり得ない発言をしました。悪気はなかったのかもしれませんが言われた本人はどのように感じていたでしょうか?他の者が練習をしている時に自分だけ練習ができない。治療をしないといけない。それで「足湯」を使って温めているときに「良いな~」と発する。本当に良いのか?自分が逆の立場だったらどう感じるのか?相手の気持ちを考えることができない発言はチームとしては許されないと思います。体重管理と疲労回復のために「プール」に行って身体を動かすことを指示していました。昨年から「どうにもならない状況」を脱するためには普通の練習だけではどうにもならないのです。そのことに対して「遠いから近くを歩くだけではダメなのか?」という質問。何を言っているのかっていう話です。それで今まで何も変わらなかったから言っているのです。それで十分対応できるのならそれ以上のことを求めはしません。「できていない」からきちんとやるために話をしているのです。全く分かっていません。カチンと来ました。
また、木曜日から体調不良ということで2日間練習をしなかた者、先週の日曜日検定終了後に「プールに行って身体を動かすように」と話していました。検定週間のため練習時間が毎日1時間削られていました。5時間が減っているわけですからどれを補うためには自分で身体を動かすしかありません。かなりの量やらないと体重が増えていきますからここはしつこくしつこく言い続けていました。勉強会が終わってから「2日間全く練習していないので日曜日も身体を動かすように。先週と同じくプールに行くほうがいいだろう」と話しました。が、反応がいまいち。他の者が行かないから行かないのかと問いましたがこれも反応がありません。「場所は分かるだろう?」と問うと「行ったことがないから分からない」との返事。先週、行くようにと言って返事をしたにもかかわらず行っていなかったのか?本来ならそこまでやらなくてもいいのにそのような状況を招いた自分の責任です。「歩く」といってもどれだけの消費エネルギーがあるのか?女子エース、毎日朝練の前に歩いたりして約10キロは歩いているようです。それでもなかなか減るものではありません。菓子パンを食べているということも分かっていましたからそのことについて先日話をしたばかりです。日誌に「きちんとやる」と書いておきながら全く実行できていません。この状態で何を信じろというのか?先週運動しに行っていると思っていたのに・・・。
プールに行くことが大事だと言っているわけではありません。どういう取り組みをしているかです。「そこまで厳しく求めなくても」と思われると思います。私も全てを厳しくしようと思っているわけではありません。しかし、、ここまでの段階で「言われたことをきちんとやらない」の積み重ねがあったからこういう状況になっているのです。言われたことに対して「聞いているだけ」では何も変わりません。さらに激怒していることさえも感じ取っていないというのは・・・。
かなりの時間話をしました。これで分からないようなら本当に厳しいですね。繰り返し繰り返し指導はしてきましたが、「表面的な部分」だけではなく「本質的な変化」が必要になります。ここが分からない限りはいつまでたっても同じことを繰り返します。このような状況ではどれだけ指導をしても何も伝わりません。指導者の「自己満足」で終わってしまいます。私はかなり選手や生徒と関わります。それぞれの性格や考え方についてはある程度把握しているつもりです。以前、付きっきりで体重管理をしたことがあります。自分では行動をコントロールできなかったので毎日私が体重の推移表を作成し、運動をしているかどうか、食事はどうかを逐一確認をするような生活をしていました。そこまでやらないとできないというのはかなり難しい話しなのですが・・・。そこまでやる必要はないと思われるでしょうが、「一生懸命やる」という経験をさせないと見えないモノがあるのです。結局は私の管理下を離れたときにきちんとできないままで終わってしまいました。かなりの時間をかけてきましたか残ったのは「喪失感」だけでした。
「感じ取る力」が重要になります。ここがなければ何をやっても意味がありません。blogに書く内容ではないかもしれませんが、しっかりと考えてもらいたいと思っています。「自己管理」をするためには「強い意志」が重要になります。半強制的にでもやらせないとできません。これが「当たり前」になるときが必ずきます。自分のために努力するということができるようになれば全ては変わってきます。真剣に考えてもらいたいですね。