kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話をする

2013-08-31 | 陸上競技
土曜日、色々と思う事があって練習の時に話をしました。モチベーションを上げるというより私自身の考えている事、決意をきちんと伝えておきたいと思ったので。

陸上競技は基本的に個人種目です。一人で練習をするのは難しい。しかし、勝負の舞台に立った時には一人なのです。リレーを中心にチームを作ると言い続けてきました。チームで戦うと言っても実際に走るのは一人。誰かに頼ってやっていくわけにはいきません。本当に勝負をしたいのなら他の誰かに頼るのではなくまずは自分自身のために練習をする必要がある。他の人がどうこうではなく自分が強くなるためには自分でやるしかない。そこが原点だと思います。リレーを組んだとしても他の人に頼るのではなく自分自身が生き生きと活躍できるためにはやはり自らの意志でやっていくしかないのです。

合わせて指導する者の「想い」も伝えました。この選手のためにやってやろうという指導者がいる。その事をわかってもらわなければいけません。これはこちらの想いの押し付けになるのかもしれません。感じ取ってもらえるかどうかだと。指導者が選手に対してどのような想いを持つか?私は今のチームで戦う事だけを考えています。モチベーションが低くなっていました。こちらが求める事が一方通行になっていると感じていたからです。やってもらうことが当たり前という雰囲気が大きくあったからです。

今のチームで戦いたい。とはいえ、選手にその気がなければ指導する者が一人でやることになる。この状況が続くのであればお互いにプラスにはなりません。やりたくないものを押し付けられて嫌々やる。そんな中で練習をするのであれば誰のためにもなりません。私はそんな中であれば陸上競技から離れるという本音を話しました。綺麗事ではないと思います。今のチームでやりたいと思っていてもそれが独りよがりなら無理をする必要はありません。誰も幸せにならない選択をするべきではないと思っています。

戦うために時には厳しい話をしなければいけなくなります。この時に「なんでこんな事を言われなければいけないのか?」と反抗的な態度を示す。よくよく考えてみると保護者でもなんでもありません。そんな態度を示されてまで選手と関わる必要はないのです。嫌ならやらなければいい。誰のために他人が話をするのか?自分では気づかない事を示されるというのは誰でも嫌がる事です。それでもそこを乗り越えなければ何もない変わらないのです。変わらない限り本当の成長はない。そこを直視できるかどうかです。

一生に一回しかない事です。保護者は選手と一生付き合っていきます。私は高校3年間でしか選手に物事は伝えられません。その限られた時間の中で何ができるか?別にそこまで真剣に考える必要はないと言われる人もいるでしょう。確かにそうだと思います。こちらも覚悟を決める必要があると思います。今のチームは人数は本当に少ないですが力はあります。全国が狙える力があるはずです。しかし、これは選手がその気にならなければ無理。私1人が何をしても無理。選手にその気が無いのなら私が本気になる必要はない。そこを伝えました。覚悟の問題です。

選手個人個人が上を目指す気がないのであれば私が指導する必要はないと思います。自分達の思うようにやれば良い。本当に目指すのであれば高校生だけの力、やり方だけでは不可能です。誰かがきちんと指導していかなければいけない。お互いに必要と感じる関係でなければプラスの方向には進まないのです。

どこまで伝わるか?こちらは真剣に話をしました。あとは選手がどう感じるか。その気になれば見違える力が引き出せると思います。それだけの潜在能力がある。そのために何をするか?心を動かせるか?そこだけだと思います。全ては選手の考え方、感じ方だと。

私なりの覚悟を決めました。あとはどういう方向に進むかです。
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日々の雑談の中で

2013-08-31 | 陸上競技
この1週間、本当にしんどい日々でした。正確にいうと何も変わっていないのですが、私自身の心の持ち方が多少変わったかなという部分もあります。これはうまく表現できませんが。

本当に色々な事がありました。考え事をしていたためにとんでもないミスをしました。これはここに書く内容ではありませんし、仕事や陸上に一切関係ない事です。それでも自分自身のマイナスのオーラが呼び寄せたことだったと思います。月曜日から一気にマイナス状態になっていたのですがさらに上乗せした感じでした。

あまりにも酷いので心配して電話をしてくださる方々も。本当に申し訳ない事です。私1人の力で解決できること、私1人が我慢すれば良いことであれば何とでもなるのですが、かなり限界を越える出来事があったので。

鬱になるひとは自覚症状がないのではないかと思っています。気がついたら鬱状態になるのではないかと。私はこれはまずいなと何となく自分で感じていた部分があるのでそこまではいかないだろうなと思っています。きかし、夜寝れなかったり過食になったりとかなり不安定な状態でした。良いことではありません。

「先生なんだからいつもきちんとしておけ」と世論は言うでしょう。1人の人間としての人格というよりは「先生」という肩書きだけの部分をみる。だからといって何一つ優遇されるわけではないんですけどね。無理難題であっても「やるのが当たり前」という評価を受けるのです。この状態が続くというのはさすがに辛い。「先生」が弱っている部分を示すのは良いことではないのかもしれません。

そんな状態でしたからblogを更新しようという気にはまったくなりませんでした。何もかも嫌だという感情が強くありました。全てやってもらって当たり前、やらなければ何故やらないといわれる。それなのにこちらが求めることは「一方的」と批判される。まー良いことは何もないですね。力の限界を感じていました。

しかし、色々と話をしていう中で随分と気が楽になって来ました。「なるようにしかならない」という部分と「最後は自分自身の責任」という部分に落ち着いてきた感じがあります。まさにその通りなんですが。

ある本の内容を紹介してもらいました。リンゴを育てている農家の方の話です。何年も何年もリンゴの栽培にチャレンジしていたのですがなかなか上手くいかない。借金が重なり生きていくことが辛くなり自殺しようと山へ入ったそうです。木にロープをくくる時に木漏れ日が目の前に差し込んだ。明るくなったその場所にはフカフカの土があった。ふと周りに目をやると大きな木が太い根を地面に張り出している。その木は上に大きく枝を伸ばしていた。全てを諦めかけたときに「土が大切だ」と気づいたそうです。

肥料を何も与えていない山の中でこれだけ大きな植物が育つ。今まで自分は土という最も基本的なことが大切だということに気づけずにいた。最後の最後に気づけた。もう一度一からやり直してみようと思い、山を下り農業に従事して成功をおさめたそうです。人は何がきっかけで立ち直れるのか分かりませんが、実はそのきっかけは身の回りに多く存在しているのかもしれません。

カルガモ農法の話も聞きました。無農薬で稲を育てようと思い何年もチャレンジする。しかし、カルガモが野犬に襲われ上手くいかない。何度やっても上手くいかないという状況が続けば人は挫折します。もう無理だ辞めようと思っていたら、子供から「今年もチャレンジするんでしょ?」と言われた。一番近くで子供は見ているのです。親が何度も何度もチャレンジして失敗をしているのを。それでもくじけずに前を向いて取り組む姿は子供にとって大きな存在。失敗をするのがダメなのではなく、チャレンジすることから逃げることこそが一番ダメなのではないかと気づかされた。工夫に工夫を重ねカルガモ農法を成功させたそうです。

何がきっかけになるかは誰も分からない。周りから頑張れ!と言われたから立ち直れるわけではない。きっと「時」があるのです。その「時」を待つ事ができるかどうか、その「時」に何かを感じる事ができるかどうかなのだと思います。

色々と考えている事はあります。しかし、行動をしなければ何も変わらない。分かり切っている事です。行動しても何も変わらない可能性もある。それでもやるしかない。エネルギーが枯渇しているとしてもやるしかないのだと思います。誰がから評価を受けるためにではない。

ちょっと前向きになれました。あくまで少しだけなのですが。面白くない内容のblogが続いていますが何とか立ち直っていけたらと思います。とはいえ、問題点は解決していないのですが。ここを本当に越えられるか?精神的にかなり大きな負担です。それでも進むしかありません。
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何をするべきか

2013-08-30 | 陸上競技
競技の指導をする。これがこれまでの生活の中心でした。それが当たり前。それ以上でもそれ以下でもない。

そんな中でちょっと想うことがありました。本当にこれで良いのか?何かを求める。しかし、こちらの一方的な想いでしかない。本当にやりたいのは私だけなのではないのか。こればっかりは私の思い込みなのかもしれませんが、本当に強くなりたいのであればやらなければいけないことがたくさんあるのです。

そんな想いが頭の中をクルクルと回っていました。情熱を注ぐというの簡単なことではありません。顧問なのだからやるのが当たり前と言われるのかもしれませんが、それは違うと思います。全てをやるのが当たり前という感じでしかない今の世の中の流れがすごく嫌でたまりません。生徒主体でそこはすごく重視しろという流れがありますが、それに関わる指導者の社会人としての権利は全く議題に上がりません。ブラック企業云々が世間で言われていますが、一番ブラックな部分が残っているのは部活の顧問ではないかと思います。やって当たり前だから指導しなければ批判を受ける。厳しく指導をしたらやり過ぎだと叩かれる。こんな理不尽なものはないですね。

何かしらの見返りを求める。金銭的なものではなく精神的なものだと思っています。それすら許されない世の中の流れがある。多くの犠牲を強いられているにも関わらず、それをやるのが当たり前と言われる。やらなければそこを批判する。やればそこを批判する。万人を納得させる方法というのはないのです。

選手が何を求めているか?こちらだけが本気になるというのはものすごく負担です。しかし、誰が限界を超えることができるというのを教えなければいつまでたっても自分の中での満足感で終わってしまう。大会に出て思い出作りで終わってしまう。それを見ている指導者が「まーいいんじゃないか」と思うのであればそこまで。大会に出ることを目標にする、練習しないで出るだけで終わり。そこに楽しさはないと思っています。これも価値観の押し付けなのでしょうか。

持っている力を最大限に引き出す。これはこの世に生を受けた者として絶対にやらなければいけないと思っています。でも、その力を出しきれずに終わってしまう子供達が数え切れないくらいいる。その現実を目の前にして我々に何ができるのか?何かをしなければいけないと想う人間がどれだけいるのか?このことを考えると本当に自分がやらなければいけないことが曖昧になってしまう。

真剣に苦しいなと感じています。考え過ぎなのかもしれません。しかし、世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあって、自分の関わりの範疇を超えることも数え切れないくらいある。それでも「やらなければいけない」と求められる。ここに苦しさを感じています。本当にそこまでできるのか?本当に私の責任の範囲なのか?考えると限界を越えるんじゃないかと思う。

それでも人は「やらなければいけない」「やるのが当たり前」と求める。キャパシティを越えるモノが実際にあるのかとしれない。狭く薄く関わるのならできる。しかし、性格的にそれが出来なくて、それが苦しくて。

何をしなければいけないんだろう。エネルギーが枯渇しつつある状況でなにができるか?本当に難しい事です。

考え方を切り替えないといけないのは分かっています。もうしばらく時間をください。ここを越えないといけない。分かっているんですがなかなか...。
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申し訳ありません

2013-08-28 | 陸上競技
気持ち的にかなりマイナスなので更新が滞っています。こういう気持ちでいるからどんどん負のエネルギーが集まってくるんだと分かってはいるのですが。

現状を打破するために何かできるでしょうか?注意力も散漫になっていてさすがにマズイなという感じです。うーん、どうするかな。

本当に申し訳ありません。
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思うこと

2013-08-26 | 陸上競技
上手く表現できませんがいろいろと思う事があります。言葉足らずになる可能性があるのでワザワザここに書く必要はないのではないかという気もするのですが。自分の中で書きながら心の中を整理していけたらと思います。

人が持つエネルギー量というのは限られていると思います。無尽蔵に湧き出て来るほどのエネルギーというのはない。聖人君子でない限り何かしらの見返りを求めてしまう。人によっては名声かもしれないし、金銭的なものかもしれない。何かしらの見返りがあるから人は動けると思います。給料がもらえるから働くというのは社会人としての基本的な事だと思います。全ての活動をボランティアで行える人間はいないのではないかと。他の人に尽くすこともまずは生活基盤があってからこそ。その日の生活を送れるかどうかの人が他の人のために何かできるかというと難しい。心が狭いから、視野が狭いからこういう考え方をするのかもしれないのですが。

今、私は何のために色々とやっているのだろうと我に返る瞬間がありました。特別何かがあったというわけではなく日々の生活を送る中でそう思っただけです。あれこれとやらなければいけないことがあって持っているエネルギー自体が尽きかけている状況なのかもしれません。担任を7年連続して持っています。クラスの生徒に対してかなりの想いがあります。これは誰でもそうなのかもしれません。生徒に好かれようとか慕われようという気持ちは一切ありません。生徒に合わせる必要はないと考えていますし、合わせることで生徒にマイナスになることが多くなりますから。

同じように部活の選手に対しても想いがあります。クラスとは違った関わり方になると思いますがこちらにも大きなエネルギーを注いできました。共有する多くの時間の中で一生心の中に残る大きなものがある。これは与えられるものではなく自らが感じ取っていくものだと思います。部活の方が私の考え方が反映されるのではないかという気がしています。このblogの中に何度も書いてきています。価値観の部分ですね。

このような書き方をする。すると価値観を押し付けるなと非難される。部活はお前のやりたいようにやる所ではない。主体は子供達だと。正にその通りだと思います。実際に私がどのような関わり方を選手としているかは誰にもわかってもらえないと思います。その場にずっといて見ている人はいません。批判される部分があるかもしれませんが、本当に選手と関わったり見続けているのは私だと自負しています。「良い所」だけを見ていくわけにはいきません。

細かい指導をするというのは本当に大きなエネルギーを必要とするのです。一場面だけを捉えた批評は意味をなさない。こんなことを書くと誰かに何か言われたのか?と思われるかもしれませんが誰にも何も言われていません。思うことを書いているだけです。「やっておけ」という指導であれば誰にでもできると思います。これはほとんどエネルギーを使いません。メニューだけ与えてそれなりに練習をさせる。細かい技術や精神的な部分、日常生活の部分を全て指導していくというのは想像を絶するエネルギーが必要となります。

「見返り」を求める。これは良いことなのかどうか分かりません。私が選手に求める「見返り」とは何か?慕われるとか言うことを何でも聞くというものではありません。主従関係を求める気はありません。そんな関係は必要ありません。私が求めるもの。それは「一生懸命にやる」というシンプルなものです。一生懸命に物事に取り組む姿を見る事だけが唯一、私が選手に求める「見返り」だと思います。

この「一生懸命」というのは個人で明らかに差があります。自分ではやっているつもりであっても客観的に見てみるとそうでもないという事はたくさんあります。それを気づかせる事は大変なことです。自分はやっているのに何故自分ばかりが注意を受けるのか?という「自分はやっているのに」という気持ちが出てきます。それを何度も「違うんだ」と諭していく。それがいつの日か選手の力になってくれればいいなと。その姿を見る事ができれば全ての疲れは飛んでいきます。

練習の場面だけ一生懸命にやればいいというのではない。物事に取り組むためには様々な事を全力でやらないといけない。その場面だけをやるのは表面的な「一生懸命」でしかない。全てはつながっています。そこが分からない限りいつまでも先には進めないのです。ここを理解してもらうというのは簡単な事ではない。人は自分の弱い部分を指摘されるのを嫌うからです。人によっては完全にシャットダウンして聞き入れないというタイプもいます。それでもやっていくしかない。

今、エネルギー不足を感じるのは何故か?選手は良い子が多い。それは間違いない事実です。しかし、何が何でもやってやろうという欲か不足しています。練習を一生懸命にやれば十分だという部分があるのかもしれません。ここに物足りなさを感じているのだと思います。本当はもっと力があるのにそれを引き出すための「一生懸命」が不十分。そこができるようになるともっと大きな変化が生まれる。できる事を全てやってという部分が本当にできるようになるかどうかは大きな差なのです。

全力でものごとに取り組む姿が見たい。これが可能かどうか。全てはここなのかなと。私自身のエネルギーとなる。そう感じています。

長くなりました。ダラダラと。何が言いたいのか分からない文章かもしれません。今頭にある事を書きました。お許しを。
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葛藤

2013-08-25 | 陸上競技
今更ですがかなり疲れています。ここ最近の中で一番疲れているんじゃないかなと思います。身体的にも精神的にも疲労度はピークです。12時間近く睡眠を取りましたが回復する兆しはなし。うーん、ちょっとしんどいですね。

この1週間、練習を見てきてちょっと厳しいなとずっと感じていました。こちらが伝えたいことはほとんど伝わらない中で練習をしていく。この夏休みに入って「チームとして」という話をずっとしてきました。合宿中に全体の雰囲気が重く全く声が出ません。何度も言ってきたのですが。

うちだけでなく全体的に返事が出来ない、声を出さないというレベルでした。全体を引っ張るという選手がいないのも大きな要因だと思います。この中で他の指導者から指示が出てまだ返事がない。行動が遅い。そこでまたかなり注意を受けました。「一番一生懸命にやってるのはkaneko先生ではないのか??」という投げかけが選手に対してありました。

この時にあーそうだなと感じた部分があります。私が一生懸命になって選手に高い目標を与えてそれに向かわせようとしていたのかもしれません。本人たちは望んでいない。県新人に出て決勝に残れたらいいやというレベルなのかもしれません。それをこちらが叱咤激励をしながら練習をさせる。この状態でチームが上手く行くはずがない。

声を出す、挨拶をする、返事をするという本当に基本的な事を求めていました。しかし、それが何ヶ月たってもできていないのです。こちらが繰り返し話してきた事が全くと言っていいほど伝わらない状況の中でなにをするのか??

難しい事を求めているのか?違うと思います。声を出すことは誰にでもできるのです。やろうとするかどうかの問題。やればできる事を恥ずかしい、走るのに必要はない、誰かがやればいいという中で誰もやらない。こちらだけが本気だったのかなと情けなくなりました。

練習の質が上がらずこちらがやりたい事がなかなか出来ない。支部新人の結果が全てを表していると思います。記録は気にしない部分がありますが、雰囲気というか全体的にこちらが考えているものよりも数弾低い結果でした。勝てば良いという部分がこの大会ではありますが、勝ち方があまりにも良くない。一番メインだと考えていた4継は51秒2かかりました。春先から2秒落ちています。メンバーはほぼ変わっていない。それで2秒落ちですから。来年インターハイを狙うというのはちょっと遠過ぎます。

中国大会が終わってからの流れ。私自身も見直さなければいけないと思います。色々な意味で難しいなと感じています。批判されるのかもしれませんが。かなりエネルギーを使ってきました。1人でどこまでエネルギーを注げるのか?見返りを求めるのは教育的ではないのかもしれません。しかし、「声を出す」「返事をする」という最も基本的な事を求め続けてきてその見返りもないというのは無力感があります。私が進もうとしている道と選手が進みたい道は全く別なのかもしれません。

かなりの葛藤があります。ここ数年、ちょっと辛いものが心の中にあります。私自身、色々と考えなければいけないと思っています。なにも求めない指導が良いのであれば今の私には出来ないと思っています。適当に集まってそれなりに練習して、何となくレースに出る。みんなが必死になって上を目指してきた数年前と比べて今は「私が一生懸命になっているだけ」なのではないかという葛藤が。

上手く書けません。精神的な部分が大きいですね。そこまでのエネルギーが今のわたしに残っているか?自信はありません。

書けたらまた書きます。書けたら...ですが。
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すみません

2013-08-24 | 陸上競技
色々とあってblog更新が滞っています。毎日書くことが目標だったのですが、さすがに強行日程過ぎて余裕がありません。

体力的にも精神的にもかなりダメージが大きいので今日は勘弁してください。明日以降必ず更新します。

精神的な疲労感が大き過ぎる。申し訳ありません。
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伝わるか?

2013-08-21 | 陸上競技
火曜日、この日は色々とあって朝からバタバタ。木曜日が支部新人です。調整するつもりはありませんが、先週末少し走っているので気持ち抑えめに。本部テントなどの運搬があったので朝からその準備。水曜日に運搬できると良いのですが私が会議のためそれが叶わず。火曜日に運んでおくことにしました。うちの学校が大会が行われる会場に一番近い(?)ということもあり毎回テントを運んでいます。今回は他校も持ってきてくれるということだったので1回で運搬が終わる形となりました。

40分くらいかけてテントを積み込み運搬。降ろすときには地区委員の所の選手が手伝ってくれました。さすがに移動して全てを単独でやるというのは大変すぎます。競技場の周りに木陰などがあればテントなどを必要としません。運営するというのは選手に見えない大変な事がいくつもあるのです。そのことがどれだけ分かっているか?練習なども同じことですが自分たちが普通だと思っていることは実は多くの人の努力や配慮の上に立っているという認識を持たなければいけません。忘れてはいけないことです。

練習は軽いウエイトとメディ投げで終了。あとは支部大会用にタイムテーブルの準備をさせました。これは「チームとして」という考えを持たせたいと思ったからです。毎回やっているというのもありますが、今回は特に「1つのことをみんなでやる」という部分を重視させました。ここ最近の流れ的に大切なことだと思ったからです。

その間、私は練習日誌を見ることに。前日にミーティングをしました。このことがどれだけ伝わっているか。一人ずつ口頭で話をさせても良いのですがそれは難しいので日誌として提出させました。残念ながら全員にきちんと伝わっている感じはありませんでした。この期に及んで「練習内容」が中心となる選手が複数います。前日の中で大切だったのは何か?ここが分からないと次も同じことを繰り返してしまうのです。だからミーティングを行う。ここが上手く伝わりません。

全てにおいて重要なのは「心」の部分だと思います。一時的に練習の雰囲気が良くなっても、本当にやらなければいけないことが見えないままでは同じことを繰り返してしまう。成長がないのです。こういう場面で注意を受けると「怒られた」という事しか残らない者もいます。また、表面的な言葉で書いて終わりの者も。大切なのはその場をやり過ごすことではない。ここは分からないといけません。

あるチームでは注意を受けたらとりあえず「はい」という返事をします。しかし、これは条件反射的に返事をしているだけでした。頻繁に注意を受けるのでその場を上手くやり過ごすためには「はい」と返事をしてやりすごすのが一番早い。ある意味「学習」をしているのです。返事がなければそれでまた注意を受ける。とにかく従順に「はい」と言っておく。それが世の中を上手く渡っていくための手段だと「学習」した。だからそれを続けるのです。

しかし、これが本当に意味があるのか?大切なのはその場をやり過ごすことではない。自分自身が「問題点」を把握して次に何をするかを考えることです。これができないのであればどれだけ練習をしても時間の浪費にしかならないと考えています。とはいえ、うちも「怒られた」「意味が分からない」という部分の理解しかできない者もいるでしょう。そのまま本当にやっていけるのか?大きな疑問です。繰り返し言い続けていくしかないのですが・・・。

かなり複雑な気持ちです。本当にこの水準で良いのか?選手の「考え」のレベルに合わせて指導をしていくという状況で良いのか?

伝わる日が来るのかどうか・・・。真剣に考えないといけません。・・・。
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集中して

2013-08-20 | 陸上競技
月曜日、ミーティングが終わり移動して練習へ。本来であればここで練習をするというのも微妙なところです。「勝つことだけ」を考えるのであれば問題はないと思うのですが、心の成長が十分でない状態でどれだけ練習をしても効果は上がりません。実際、県総体前は一日練習をしない時がありました。大切な一日ですが「教育」という観点からしても練習最優先というのは良いことではないと思ったからです。

その時は同じような状態でした。「気を配る」の意味を履き違えて「誰よりも道具の準備をやる」というところに最大のエネルギーを使っていた。学校のルールを守れなかった。こういう状況で練習をしても意味がないと考えたからです。結局話は通じず県総体では同じような失敗をしてしまっていました。「注意を受けた」ことが次につながらないのです。なかなかしんどいところですね。

今回は支部新人の3日前。4継のバトン練習が十分ではないと思っていました。県総体前、県選手権でバトンミスをして失格(リレーゾーンに入る前にバトンを渡した)。ここで流れが悪くなっていたと思います。県新人で結果を出そうと思えばこの支部新人のリレーは重要です。一日にすべてをやるとはいえ最低でも大会記録は出せないと話になりません。「自分でやるべきことを考える」という課題を与え練習をすることにしました。これが本当に伝わっているかどうかは怪しい部分がありますが。

アップはフリーとしました。インターハイ会場でアップを見ていて感じたことがいくつもあるようです。これは選手からの申し出がありアップの流れを少し変えました。「チームで動く」という部分の意識づけです。特別変えるわけではないのですが試合に向けて「気持ちの統一」という部分でしょうか。

バトン練習を中心に行いました。風が吹いていたので追い風、向かい風の両方の確認をしました。これまでに比べて練習の中でバトンパスを行う頻度を増やしています。以前に比べて安定してバトンが渡るようになってきています。油断はできませんが。これまでは「渡る」ということが中心となっていましたがこれだけでは勝負はできません。情けない話ですがそこの段階まで行っていませんでした。今回は「渡る」という最低条件をクリアして次につなげなければいけません。

この段階での精度は今までよりは高いと思います。まずは最低限の記録を出す。普通に考えれば春先より記録は上がるはずです。条件的に厳しい部分はありますが最低でも50秒を切るというのは当然のことですね。全体の調子が上がりきっていないというのはありますが、来年に向けて今の段階である程度の記録は出しておきたいと思います。私がそう感じているだけで選手がどう感じているか?この部分も大きいと思います。

書きたいことは結構あるのですがひとまずこれくらいで。また書きます。
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ライバルに勝つためには、まず自分に勝て

2013-08-19 | 陸上競技
前の続きです。

前述の本からもう1ページ引用しました。

ライバルに勝ちたいと思うのであれば、まず自分自身に勝つ努力をしなさい。
それがライバルに勝つための最も有効な方法となる。

人間は誰でもライバルがいるが、いきなりライバルと闘っても勝てない。
その理由は、本当の敵はライバルではなく、自分自身の中にいるから。


ライバルに勝とうと思えば、知識を身につけ、身体を鍛え、ライバルよりも強い自分を作る必要がある。

しかし人間の心には、常に楽をしたいという怠け心が居座っている。「楽しい」と感じることには積極的に
取り組めるが、それ以外のことをやろうと思えば止めさせる力が働く。

困ったことに、この怠け心は、人間が前向きの努力をしようとする時ほど強く止めさせようと働く。

この怠け心に負けるようではライバルには勝てない。

ライバルに勝つためには、まず自分の怠け心との闘いに勝つ必要がある。
自己との闘いに勝ち、自分の実力を高めることができれば、結果としてライバルに勝てるようになる。


一流選手がどのような気持ちでライバルと戦っているかを表す内容が、テレビで報道されていたので紹介する。
選手が戦いにのぞむ心境を聞かれた時の言葉。

「これまで辛い練習を重ねて自分を鍛えてきたので、ライバルのことは意識せずに、とにかく自分の力を出し切るように頑張りたい。
そうすれば結果としてライバルに勝てると確信している」

一流スポーツ選手の言葉に、ライバルに勝つためにはまず自分自身に勝たなければならないことが明確に表れている。

このことも何度も言ってきたことです。前の記事の内容とつながっていると思います。「目標」を決めるだけではなく行動を起こす。「できたらいいな」で終わるのではなく、どうすればできるのかをしっかりと考えて行動することで本当にやらなければいけないことが見えてくるのです。しかし、「やる」と決めてもそれを行動に移すということは本当に難しい。一時的にできたとしてもそれを継続するというのは困難です。自分自身の中に「自分自身に負けない心」を持つことが重要です。

師匠がよく「自分が選手として節制できた指導者は「楽をしたい」という選手の気持ちが分からない」と言われます。私自身、強くなるためなら何でもすると思っていたタイプですから「手を抜く」「やったふりをする」という感覚が分かりませんでした。「強くなりたい」というのであれば「自らやるしかない」と考えていたからです。しかし、今の高校生にそこまで求めるのは本当に難しい。自分自身がやっていなくても平気で「やっている」と言い切れます。それは「強くなりたい」という言葉が表面的なモノでしかないからだと思います。また、「強くなりたいけど頑張りきれない」という部分もあります。そこを理解しなければいけない。

これも前の記事に書きましたが2年生がこの時期になって懸垂ができません。女子が手を伸ばした状態から懸垂をするというのは難しいですが、引きつけて懸垂をするのは可能です。元々筋力的に強いほうではないのですが1年半経過してもさほど筋力が上がったとは思えません。「努力はしている」のかもしれません。しかし、それは本当に必要な努力ではない。「強くなりたい」というのであればそれに見合う努力が必要なのです。やってないとは思いません。しかし、その水準がどれくらいかです。サポートに関しても同様。「自分はやっている」と思っていてもそれが本当に必要なことではない。やっている自分自身に満足してしまう部分がるのです。自分では分からないのかもしれません。

体重管理やトレーニングは正に「自分自身に勝つ」という部分が大きく影響します。どれだけ「才能」があったとしてもそれを磨かない限りは戦えない。自分自身の身体のコントロールができるためにはやはり自分でやるしかないのです。強制的にやらせなければいけない部分もあります。しかし、最終的には「自分自身の問題」でしかない。本当の力を生み出すためには本人の意識の問題が大きいのです。

秋は「女子の4継」をチームの中心に置きます。個人種目ももちろん大切にします。しかし、リレーで戦うために「個」の力を磨くのです。弱い選手がそろっても勝負はできません。個人で戦える「力」を持って初めて勝負ができる。そのために各自が何をするかを考える必要があるのです。その話をしつこくしました。どこまで伝わったか?

2年生がその中心にいなければいけない。特定の選手だけが負担をするというのではチームとしては回りません。インターハイの男子4継で優勝した洛南高校。アンカーの桐生選手は「自分のところまでバトンを持ってきてくれたら何とかする」とチームメイトにいつも言っていたそうです。チームの中の絶対的存在です。自分のことだけではなく「チームとして勝ちたい」という気持ちがあったのだと思います。個人で勝てばいいというだけではなく、「リレーで勝ちたい」と思えるからこそ強くなれる部分がある。インターハイで個人種目で勝つという部分以上に「みんなで戦いたい」という想いがあったからこその発言だと思います。

「周囲に気を配る」というのはこういう部分です。チームとしての士気を上げるためにそれぞれが何をするべきか?考えて行動に移す。それができない限りはチームとして成長はありません。周囲から応援されるようなチームにならなければ勝つことに意味はない。だからこそ「心構え」が一番大事なのです。「自分さえ良ければいい」という考え方を捨てなければいけない。自分は「こんなに頑張っているのに」という自己満足から抜け出さなければいけない。そこが今後の大きな課題なのです。

長くなりました。読み飛ばしてもらっても結構です。「想い」がどれだけ選手に伝わるか?ここを越えなければここ数年と同じ失敗を繰り返してしまいます。感じ取ってもらいたいですね。
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