思うことを。
活動方針について
基本的生活習慣を身に付ける
「高校生」としての意識だけでなく、「社会人」としての意識を持つこと。
「速く走ること」は一時的なこと。競技を通じて「人間的成長」をすることが今後の財産となる。そのために、以下の項目を日頃から心がけて活動していく。
①一生懸命に物事に取り組む(全てのことで手を抜かない)
②自分で考えて行動をする(周りの人に気を配る)
③誰に対しても大きな声で挨拶をする(普段から大きな声を出す)
④ルールを守る(部活だけではなくすべての場面で)
⑤感謝の気持ちを持つ(やってもらって当たり前ではない)
トレーニングコンセプト
1.基礎の徹底(基礎技術・基礎筋力)
技術的なものやスピードを支えるのは基礎体力・基礎筋力。特にバランスのとれたトレーニングを大切にし、全身筋力・全身持久力の向上を目指す。焦らず年間を通じて基礎的な部分を行う。走る練習も大切だか基本的なドリルに時間をしっかりとって練習をすることで確実に力が上がっていく。
「運動ができない」選手はいない。今の運動能力は「身体の使い方」を自分がわかっていないだけ。毎日の練習の中で「身体の使いかた」を身に付けることで競技力は自分で思っている以上に上がる。
2.練習内容の理解
「なぜこの練習をするのか」「この練習が走りにどうつながるのか」を自分で理解する。一番効果がない練習は「とりあえずやる」こと。指導者から「やらされている」という練習ではどれだけやっても強くならない。「強くなりたい」「速くなりたい」と真剣に思えば自分自身で努力できるようになる。走りの技術も「形」を真似するのではなく「実際の走りでどの部分で生かされるか」がわかってくると同じ練習をしても面白くなってくる。言われていることを理解する努力を。
「前に進む」ことだけを考える
「形」だけにこだわり過ぎず、自分が「前に進む」ために何をするのか
「Good Loser」となる
「やるだけのことをやった」と負けた時に自信を持って言える人間になる。
そのためにできることは全てやる。「be a good loser」
更新できず。かなりエネルギーが尽きています。こんなことではよくないのですが。
日曜日が田島記念。月曜日は振替授業で7分の6の授業。余力がないまま。火曜日は祝日でしたが練習をしてから下関へ。貴重な時間を過ごす。水曜日は朝からきらら浜で駅伝の準備などなど。色々なことが舞い込んでくることに。うーん。
思うことがありすぎます。感情をコントロールするという話になるのかもしれません。自分自身をうまく保たないといけないなと思っています。陸上競技と真剣に向き合いたい。その思いはずっとあります。それを阻害する要因もたくさんある。その中で今自分が何をするのか。ここは保ちたい。
面白くない記事ですが。とりあえず記録しておきます。生きています。43歳になりました。
思うことを。
金曜日、色々と感じることがありました。師匠とやり取りをする中で「学ぶこと」「感じること」の大切さを改めて考えさせられました。
前の記事にも書いていますが。色々と「与えること」などについて最近よく考えています。何も考えなくても「速い者は速い」というのがあります。火曜日のミーティングでも選手に配布しましたが「世の中は不平等」なのです。「みんな等しく」という理想論が掲げられますが「走る」ことに関して、全員が10秒台で走れるわけではありません。女子全員が12秒台になるわけでもない。努力をしたとしてもそこに対して「結果」が伴うかどうかわからない。ここは忘れてはいけない事実だと思っています。
が、指導をすることによっていくらか変わってくる部分がある。これもまた事実。私は昔から「指導」についていろいろと勉強させてもらっています。様々な場所に訪問させていただきそこで「何をしようとしているのか」を見続ける。一番は師匠との「競技談義」の中で培っていると思っています。普通の選手が勝負するためには「徹底した指導」が必要になると思っています。10年前にやっていた指導方法で走れるようになってきたといっても今も同じことができるとは思いません。選手の気質も大きく変わってきています。そうなると「目の前で起きていること」に対しての対応が必要になる。
技術的に「やりたいこと」がある。だとしても「基礎筋力」がなければできません。筋力を上げることを考えると「ウエイト」もその手段の一つになる。が、そこに着目し続けると偏った結果になる。師匠が昔から「普通の選手にはウエイトよりも補強のほうが効果がある」と言われていました。ウエイトでは負荷が足りない部分もありますし、意識によって筋力の上下が違ってくる。
「大きな筋群を鍛える」というのがウエイトの主眼になる。が、やはり忘れてはいけないのが「体幹補強」だと思います。師匠と話をする中でその部分の重要性が再認識される。「シャフト補強」か「ウエイト」かという談義もかなりしています。この部分でも「正解」がどこにあるのかを探していかなければいけない。一長一短あると思います。近畿地区はあまりウエイトをしているという話は聞きません。やっているのかもしれませんが。競争の激しい近畿地区を勝ち抜くために「創意工夫」がかなりある。そこに学ぶことは数限りなくあると思っています。
正直、「世の中は不平等」です。きちんとした練習計画が立てられなくても速い選手がいるというチームはいます。計画があっても技術的な指導が不足すればもともと早い選手であっても「伸び悩む」というのがある。そんな状況の中で指導する私たちが何をするのか。試行錯誤しながら「本当に必要な練習」を組み立てていくしかないのかなと感じています。
全国で活躍する強豪校。「基礎基本の徹底」という指導をされていると聞いています。師匠の紹介で近いうちに訪問させていただけることになりました。どのような意図があってそのような指導スタイルなのか。根本的な部分は「走りに共通する基本的な部分を身に付ける」ということだと思います。中学時代に速いといってもそれがある意味「我流」でしかない。そうなると高校で伸びが止まってしまう危険性がある。オーソドックスな走りを身に付けていくことで安定した力が発揮できる。
その中に「基礎筋力の向上」であったり、「ボディコントロール」があったりする。ウエイトをする効果はあると思っています。短期間で競技力を上げるためには「筋力アップ」が一番かなと。しかし、これを支える「体幹の強さ」があるかないか。地道に身体を作っていくことで安定していくのではないか。師匠が「指導をしていて気づいたこと」について言われていました。このことを「反省している」と。かなりの年齢です。多くのことを見ながら学びながらやってきた師匠がこの歳になって「反省している」と感じる。本当に頭が下がります。どこまでやっても追いつける気がしません。
私は本当に学べているか。学習できているか。それを選手に還元できているか。競技指導をする中で誰かにプラスの影響を与えることができているか。考えさせられます。国体のコーチとしてかなり長い間関わらせてもらっています。当初から比べるとかなり「分かる」ようになってきたかなと思っています。自分の感覚だけではなく頭を使って考え、多くのことを学びながらやってきた。指導という意味では大きく成長できているのかなと思っています。
学ぶ姿勢。この姿勢が少ないなと思うことが多い。私だけではなく周囲を見渡しても。もっと有効にできることがあるのではないか。学ぼうとすれば全てから学べるのではないか。そう思っています。今の自分が何を学んでいるのか。学び続ける姿勢を学んでいる気がします。自省しながら前を見ていきたいなと思っています。
まとまりません。思うがままに書きました。また書きます。たぶん。
思うように時間が取れません。目標は毎日更新のblogなのですがそこまでのエネルギーが残っていません。これは大丈夫なのか。休むということができるのかどうか疑問を持ちながら。
先週の土日、中国新人。これについて振り返る余裕はなく。翌日、居残り組の練習を。これはかなりの量を。といっても120mを5本だったのですが。男子の大半はぐったり。全てを走ったのは数人だったと思います。負荷をかけるという部分も必要なのですが。練習後は不在時に行われたテストの採点。
火曜日は土曜日にテストが行われていたのでその代休で休み。練習をしました。この日も少し走ることに。テスト週間があり「走り込み」といえる量が出来ていません。140mTをやってから120m-120m-90m。この日の練習開始時に少しミーティングを。「問題解決能力」について。これがどれだけ実施できるか。「与えられる」のではない。そこが分かるようになるか。難しい話かもしれません。
水曜日。この日の記憶が曖昧です。スタート局面の練習をした気が。前日に走っているので。2時間近くバタバタしていたので練習に参加したときにはほとんどのことが終了していました(という気がします)。声は出て元気よくできていたような。こういう部分で変化がありそれが本物になるかどうかは見守っていきたいと思います。続くかどうか。
木曜日。臨時の会議。2時間近くかかりました。この日は感覚づくりにしていました。私が参加した瞬間に練習は終わり。どうでしょうか。良いのか悪いのか。本人たち次第かなという感じでした。
金曜日。雨予報。朝から雨でした。放課後は休養日にしようと思っていました。選手よりも私がきつい。これは如何ともしがたい事実。早めに帰宅して寝ました。
土曜日。この日は競技場で。kdm高校がいたので男子は一緒に走らせてもらうことに。今の男子にとっては他校と練習をすることはいい刺激になります。自分たちの競技力を突き付けられる状況になる。単純に「速い」「遅い」だけではない。うちの練習ではそれほど走り込みをしません。本数も少ない。他校であればある程度の距離と本数を走ります。その中でどうするか。かなり弱っていました。
日曜日。田島記念。例年になくトップ選手が参加していました。うちの女子は100mと4継に出場。記録的には「グランド雰囲気が重いな」という感じがあり全体医的に低調。もう少し走れてもいいかなと思いながら。リレーはなんとか3位。練習では過去最低レベルでバトンができませんでした。色々と原因は考えられます。
何人かの先生方と話をすることができました。情報交換。ここも重要です。リレー終了後、学校の仕事で急いで競技場を離れる。バタバタ。
なかなかの日程です。自分でも大丈夫かなと感じる部分があります。仕方ない。やるしかない。という感じですね。中身はないですが記録だけしておきます。
思うことを。これも私の考えなのでどうかと思いますが。
「知っている」と「知らない」では意味が大きく異なってきます。当然です。が、「知りすぎる」と「知らなすぎる」でも意味が違ってくる。ここは非常に難しい。
競技について。かなり勉強してきたつもりでいます。時間をかけて各地を渡り歩きながらどうすればいいのかを考える。やっている練習を見ながらその意味を考え、狙いを感じ取る。ある一定の知識が身についたところからは自分で練習方法を考えるようになる。「狙い」が分かればその方法論は数限りなくあるからです。「速く走るために」という視点からメニューの組み立てをするようになりました。
私の高校時代。学校で競技について教えてもらった子は一切ありません。大学も同様。ほとんど自分が思うがままに練習をしていました。陸上競技の雑誌を買いあさったり、トレーニングの本を読んでそれを「真似る」という形で実施。それが正しいかどうかは分かりません。正解を教えてくれる人が周囲にはいなったからです。だから自分の身体を「実験台」のようにしてやっていく。客観的な視点からのアドバイスはないので「正しい動きをしているのかどうか」さえ分からないままやっていました。
私の走り方はどちらかというと「膝が開く」「膝から下を振り出す」というような走りでした。今考えると恐ろしい話ですね。それを「強引な努力」によってそれなりのレベルに持っていった。ごり押しです。勉強していく中で「今の考え方で自分自身の走りが作れたら」と思うことは多々ありました。後悔しても遅いのですが。恵まれていなかったと嘆いていても仕方ない。その「遠回り」があったから今の自分があるなと思います。
そういう経験があったので「技術的な部分」に関しては指導を徹底している感じがあります。「型にはめる」というまでではないと思いますが「技術的な部分」は一定方向で進めています。「知っている」からその情報を提供する。知識の安売りとは思いませんが、これまで見てきた経験や感じたことをその場で極力伝えるようにしています。「知っている」から「与える」という形です。
「知らない」から「与えられない」というのが大半かもしれません。素人だから分からない。だから何も言わずに見守っている。それは一つの方法かなと思っています。が、選手のためにはならない。これも価値観なので押しつけはできません。が、せっかく選手が競技をやろうと思っているのであればそれに対して「最低限の情報」の提供はできるかなと。
人によっては「知らない」けど「与える」というのもあります。受け売りで「どこかがやっている」からそれを真似てやる。その本質的な部分が分かっていないのに「練習とはこうだ」と自信をもって伝える。メニューをやっていたら人によっては強くなるという感じだと思います。意味が分からないから動きが崩れたら戻すために何をすればいいかは分からない。「与えられない」からどうしたらいいのか見えてこない。それでも「これをやればいい」と押し切れる強さはすごいなと思っています。私にはできない。
更には「知っている」けど「与えない」というのもある。今自分自身に必要な要素はここなのかなと感じています。「近道」はある。しかし、何も考えずに「答え」だけを提供すると考えるという力は身につかない。もちろん、一定水準までは「与える」ことが必要になると思います。「考える」ための材料がないのに「考えてやりなさい」というのはあまりにも無謀。が、常に「与える」ことが本当の意味での成長を阻害するのではないか。「言われている通りにやれば結果が出る」という考え違いをする可能性がある。「言われたとおりにやったのに上手くいかない」とこちらに矛先が向くこともあります。
今までは「知っている」から「与える」という形が自分の中で「絶対的」でした。が、ここ最近感じているのは「与えられる」ことが「当たり前」になって少しでも「与えられない」とそこに対して不平不満が生じるのではないかという部分。前の記事にも書きましたが。「誰かが何とかしてくれる」という錯覚。そこから抜け出すための道が本当はあるのではないか。
技術的なことであれば「知っている」けどあえて「与えない」というのはあります。今その動きをすると狙いとしている動きから離れてしまう。だからそこは目をつぶっておく。将来的な修正は必要ですが今やるとかではないという判断をすることもある。
指導スタイルについて考えさせらる。本当の意味での「感覚作り」をするためには時間が必要になる。短期的に結果を出そうとするのではなく身体作りと含めて「感覚作り」をしていく必要があるのではないか。
中国新人の時にたまたま手にした本があった。「問題解決」についての本。これは高校生でも分かりやすいなという内容だった。が、今考えるのは「問題解決能力」の前に「問題発見能力」の方が大切ではないかなということ。問題解決について考える前に「今の問題は何か」を見つけなければいけない。そこができなければ「練習をやっているのに結果が出ない」という不平不満だけが生まれるのではないかと感じている。
「与えない」ことは伸びるチャンスを失う。「知らない」ことで「与えることができない」というのは、私の中では問題外。「知らない」のであれば「知っている」状態になるまで学べば良い。そこをせずに指導するというのは違うと思う。しかし、「与えすぎる」ことも成長を阻害するのではないか。そう思って師匠に相談をした。この年になっても未だに頼っている。こういう部分で私にとって唯一無二の存在。いつまで経っても学ばせてもらっている。
人によって関わり方が違う。「与える」方が良い場合もあるし「与えない」方が良い場合もある。選手を見ながら見極めていくことが必要になる。それを周りから見るとあの選手には「与えている」のに他の選手には「与えていない」と批判される部分はある。嫉妬とまではいかないが「あの人は言われているのに自分は言われない」という不満が生じる。ここにも大きなリスクがある。人それぞれの見方だから。
まとまらない。それでも考えさせられる。もうすぐ43歳になる。40歳で「不惑」と言われるがいまだに惑い続けている。10年前の自分が今の私を見たらどう思うだろうか。当時の私は今の私の考え方を「知らない」のだから想像することもできないだろう。
また書きます。多分。
振り返る余裕もないまま今を迎えています。とりあえず簡単に。
国体から戻ってきて対応を要することがあったのでそれを。時代の流れもあると思います。こちらが話す内容をかみ砕いてかなり分かりやすく話していく必要性があるなと感じています。「意図をくみ取る」というのは難しい時代になっているのかなと。ここに関しては考えさせられます。
バタバタの中で中国新人へ。台風の影響も心配されました。本当に走ることができるのか。ここも考えさせられる部分でした。少人数の中でやっています。一人でも欠けるとレースに出ることさえできない。欠場になることだけは避けたい。リレーを走れるのは4人だけしかいません。万が一に備えて長距離選手の名前を借りていました。4人のうち1人が走れない状況になったら棄権することになる。怪我をするリスクもありました。万が一に備える。それだけはやっておかなければいけないなと。
台風の影響もありリレーは実施が危ぶまれました。これも「何しに行ったのか」という話になるので。運営側もかなり気を使われたことだと思います。強風でしたが競技をすることができました。初めての中国大会。中学時代に経験したことのない中国でした。その舞台で走る。これだけで大きな意味があると思います。個人で中国を経験したことのない選手たちの集まり。この春、県総体で勝ち上がれず中国を経験できなかったというのは痛い。だからこそ途切れさせてはいけないなと思っていました。
勝負という意味では参加させてもらえませんでした。これが今の実力だと思います。それ以上でもそれ以下でもない。バトンが云々ではなく根本的に「力がない」という部分。中国の舞台に立てて「力がない」ことを肌で感じ取れたことは大きなことだと思います。これで「高いレベルで戦いたい」と思うか「無理だ」と思うか。それぞれだと思います。中国新人はこれ以上上がありません。春の中国総体はさらに上がある。そこを目指すためのスタートラインなのかなと思っています。
参加できた。走ることができた。これが財産です。本当は決勝に残って勝負したい。それでも今は難しい。リレーで戦うことを考えれば「個」の力が必要になります。県レベルでは何とかごまかせても上のレベルでは誤魔化しが効かない。ここも痛感しました。
結果として何かを残せたのかといえばわかりません。しかし、経験した選手の中には「今のままでは戦えない」と感じることができた者もいるはずです。それを今後にどのように生かすか。きっかけにはなったと思います。それがどのような形で出てくるか。集団としての強さを求める部分と「戦える個」を育てていかなければいけないと思っています。
思うことが多かった中国新人でした。本当に考えさせられました。