kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

やるべきこと

2018-02-27 | 陸上競技
ちょっと思うことがあって卒業生に連絡をした。まーグループLINEに一斉送信みたいな感じでしたが。私が前任校で最後に送り出した学年。めちゃめちゃ思い入れがありました。この子達との出会いと関わりは今の自分の支えになっています。その卒業生が「先生、最近病んでない?」みたいな返信を個人的に送ってくれました(笑)。申し訳ない。やり切れない想いがありました。自分の中で処理できない感情をなんとなく出していたのですが。それに対して心配をかけている。このの達にとって私の存在がそれなりに影響しているんだろうなと感じました。もう少ししっかりしなければ。

そう考えると「私のやるべきこと」は何かという話になります。モヤモヤした想いがずっとありました。誰のために今の仕事をしているのかという部分。見失いがちになる。それを教え子と関わることでもう一度確認することができたのかなと。まーバカじゃないの??って思われるかもしれないですが、この子達は私にとって本当に本当に大きな存在です。「先生」と慕ってくれる。いや、本当は私自身が何度も何度も救われてきた。

本当にありがたい。こんな私でも慕ってもらえるというのは存在価値があるな、と(笑)。こんな表現をすると批判されるのかもしれないですが「大好きだな」と思う。私は偉くなろうとか認められようという気持ちはない。それはひょっとしたら特異なのかもしれない。生徒や選手に好かれようと思うことはない。媚びることもない。それは今の時代に合わないのかなという気はする。私という人間の「想い」を感じてくれる者は何となく伝わるんだと思う。

なんかずっとずっとモヤモヤしていたものがある。それが一気に吹き飛んだ感じがする。私は私のやるべきことをやればいい。他者からどう思われようと。大切なものは何か。それをもっともっと見極めていきたい。見失ってはいけないものがあるんだと思う。もどかしさがあったのは確か。でもそこに目を向けすぎて本当にやらなければいけないことを見失いつつあったのかもしれない。

本当にありがたいなと思う。いつもいつも救われてる。この子達に恥じないような生き方をしたい。

前回卒業生を送り出してから5年。逆に私自身が送り出されることになった。「喪失感」と「取り残された感覚」がずっとあった。次の担任の生徒は2年生の時に転勤になり送り出すことができなかった。それはそれで受け入れにくい現実だった。難しい部分。

今回、また3年生の担任として生徒を送り出す。陸上競技部の選手は私が赴任した時に一緒に入学した選手達。もがきながら進んできた。その子供達の卒業。やはり思うことがある。クラス替えがある中で様々な生徒と時間を共にしてきた。前回はクラス替えがなくずっとずっと一緒に過ごしていた。色々な状況が異なる。それでもやはり思うことがある。

自分の中で思うことを整理しながら。blogをその場に利用している。面白くないのは確か。それでも書いておきたい。今自分がどのように想い、どのように考えているか。

自分のやるべき事をやろうと思う。それが生きる意味だから。感謝。
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ヒントを探す

2018-02-26 | 陸上競技
先週から冬季五輪が放送されている。普段はそれほど本のスポーツは見ないが今回はかなり見ている。時間帯もちょうどいいというのもある。

以前、モーリスグリーンがスピードスケートの清水選手のスタートを見て「自分のスタートに活かそう」としたというニュースがあった。もう20年くらい前になると思う。低い姿勢から加速する動きに関してはスピードスケートも陸上競技も通じる部分があると思う。もちろん動きが異なるがヒントは転がっていると思う。

スピードスケートに限らずノルディック複合やジャンプ種目なども。フィギュア女子は平日の昼間にやっているのでさすがにライブで見ることはできなかったが。冬季五輪は白熱するのもあり時間を作ってみることができた。

女子パシュート。これは話題に尽きなかった。最初に妹だけがオリンピックに出場し、次は姉だけかオリンピックに出場。今回は二人で力を合わせて金メダルを取るという部分。ドラマのような展開。高校時代に指導されていた指導者が「妹だけが出場した時、姉は嫉妬がすごかった」というような表現をされていた。距離が近いだけにその想いは周りが考えるよりも大きいと思う。

この部分は私が見ている選手にも置き換えられるな、と。距離が近い二人がいる。それぞれが色々な想いを抱えていると思う。それを当たり前だがそれをきちんと受け止めながら考えないといけない。強いからそれで良いじゃないかという話にはならない。預かっている選手。そういう部分まできちんと気を配る必要かある。もちろん私が全てを把握するのは不可能。だからこそもっともっとコミュニケーションをとりながら接していかないといけない。私だからできることがあると思う。

また、女子カーリングは最後の最後まで目が離せない展開だった。過去最高の成績を残す。そこに至るまでは本橋選手の支えがあった。裏方に徹する。自分が主役になりたいという想いがなかったかといえば違うと思う。アスリートとしては自分自身が戦いたいと思うはず。それでも全体のことを考えて行動する。その支えがあったからこそ競技に集中できる。リレーなどは全員が走れるわけではない。だからこそそれぞれか役割を果たす。大切な要素だと思う。

更に準決勝を走った選手が決勝を走れない。その時に「2人の負担を少しでも減らしたいと思っていた」と話す。自己犠牲とは言わないが全員で狙っていくためにはやはり役割がある。表彰式が終わってからすぐに5人目の選手の所へみんなで駆け寄る。メダルを取ったのは4人かもしれないがそこに至るまでの数年間、もう1人のメンバーも共にやってきた。年間300日一緒に過ごす。苦楽を共にしているからこそ共有できる感覚がある。

更には選手同士のコミュニケーション。これもかなり話題になっている「そだねー」という言葉だけか取り上げられるがそれよりももっともっと大切なことがある。細かい部分までこだわる。自分たちが最高のパフォーマンスを発揮するために妥協しない。共有する感覚の中でやっていく。だから明るく楽しそうに話せる。競技特性もあると思うが本当に良く話をしていた。

ではうちはどうか?本当はもっと話ができるのではないか。同じ目標を共有することでもっとやるべきことが見えてくる。今日、練習の中ですごく確認作業をしていた。否定的な話ではなくどうすれば上手くいくかという前向きな話をしていた。こうやって成長していくんだろうなと感じた。

実は競技を離れたところに大きなヒントがたくさんある。それを大切にしていきたい。もっともっと色々なモノを感じなが生活を送りたい。視野が狭くなりがちな自分自身をきちんと理解してどうするかを考えたい。

様々な部分。見ていて涙が出るくらい感動した。本気でやるからこそそこへ至ることができる。年間300日なんて今の部活動で休みを増やすべきだというのとは真逆に近い。競技をするというのはそういうことだと思う。それを自分の中でどうやって形にしていくか。模索することになる。それでも考えていきたい。適度にやって競技をするというのはやはり無理なんじゃなかと思う。休みは必要だと思うが自分を律することは競技には必須。その辺りも改めて感じることができた。

ヒントはある。それを受け取る側がどう感じるか。感じるものが多い冬季五輪だったと思う。感謝。
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うまく処理できない

2018-02-26 | 陸上競技
更新が滞っています。なかなか・・・。

今年に入って自分の中で「処理できないな」という感情が溢れている。それを自分がどうするのか。ここは本当に難しい。納得できるかどうか。これはきっと「不可能」だと思うことが多い。世の中では「納得できるかどうか」ではなく「やらなければいけない」ということのほうが多い。全員が「納得する」というのは不可能に近い。

「うまく処理できないな」と思うことが1つであればそれなりに対応できるのだと思う。それが複数重なって自分の中で「落としどころ」を見つけられない。きっと誰にでもあるのだと思う。「大人」はそれをうまく処理していく。適当に対応したり「仕方ないな」で見切りをつけて自分自身を納得させていく。そうやっていかないと社会生活は成り立たない。

そう考えると私自身は「社会不適応」なのかもしれない。まー「青臭い」という部分もある。「生徒のために」とか「選手のために」という感情を持っているがそれを貫き通すためにはいろいろなことが関係してくる。簡単ではない。

お世話になっている方が嫌な思いをするのは避けたい。師匠が困っていたら何が何でも力になりたいと思う。親しい指導者が力を貸してほしいといえばどんなことがあっても協力する。それは自分の中で「当然のこと」だと思う。特別なことをしている感覚はない。しかし、そうではない部分を持っている人もいる。見返りを求める部分だったり、うまく利用する部分。こういう部分を「仕方ないね」と思えない自分自身の幼さ。

今年に入ってこういう部分がかなりある。年齢を重ねているにもかかわらず変わらない。いいことなのか悪いことなのか。判断も難しい。それでも今を生きている。やるしかない部分もあれば「やらなくてもいいんじゃないか」と思うことも。

結局は「誰のためにやるか」という話でしかない。自分自身が納得できればどれだけでもできる。「無理やり」であればできない。それは人としての感情。まー甘いんだと思う。もっと割り切った生き方をしていればこんなことを考えようとは思わない。

うーん。またも面白くない内容ですね。別に病んでいるわけではないと思います。なんとなくそんな感じなんです。
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想いの変化

2018-02-23 | 陸上競技
更新しようとしていたらアプリが落ちた・・・。結構書いていたのに・・・。辛い。もう一度同じようなことを書くが、きっと変わってくる。「想い」を記しておくというのはすごく大切だと思う。自分にとってすごく大切な感情だったとしてもそれが10分後に全く同じだとは限らない。同じものを見て「良い」と思った数分後に「違うな」と思うことだってある。

それは「軸がない」と言われるのかもしれない。自分自身を持っていたらぶれることはない。いつ見ても「良い」ものは「良い」のだと。そうかもしれない。違うかもしれな。それは人それぞれの感情でしかない。

「想い」は変わる。教員として働き始めて「生徒のために何でもやるぞ」と思っていたとしてもそれがいつの間にか「出世したい」という欲に変わることだってある。本質的な変化なのか表面的な変化なのか。「自己顕示欲求」のために出世したいと思う人もいる。出世しなければシステム自体を変えることができないので出世して自分の力で変えていこうという人もいる。これは分からない。何をもって「正しいか」は分からないから。

「想い」は変わる。これは間違いない事実だと思う。パブロフの犬の話。餌を食べようとすると「電気ショック」が流れる。餌を食べたい。が、食べようとすると電気が流れる。痛みを感じることで「食べようとする」ことを避け始める。最後は電気が流れなくても「食べようとしたら電気が流れるのではないか」という不安から食べようとしなくなる。ちょっと話が違うかもしれないが最初の「欲求」はいつの間にかなくなってしまう。怖いからなのかもしれないが「想い」が変わっていく。

ゾウの話。小さいゾウは逃げ出さないように足を紐で杭につながれて過ごしていた。遠くに行こうとするとその足に紐が食い込んできて痛い。そのような経験を何度も何度もしているうちに大きくなっても同じ大きさの杭につながれていても遠くに行こうとしない。小さなゾウでは無理でも大きなゾウであれば簡単に引き抜くことができる。それでも逃げなくなる。「痛み」を伴う苦い経験があるから「その痛みを避ける」ために逃げなくなる。無難に生きるほうが良いから。

「想い」は変わる。避けられないことかもしれない。それでも私は私のスタンスでやり続けたい。もちろん、変わるべき部分はある。だとしても「根底にあるモノ」は変えたくないし変わってはいけないと思う。「自己顕示欲」があるのかないのか。こうやってblogを書いているのだから「他者から認められたい」と思う部分があるのかもしれない。自分の中では「想い」を記すために続けている。別に書いたことで認められたいとは思わない。

うーん、さっき書いた内容とは全く違う文章になっている(笑)。書きたかったことはこれとは違うんだけどな・・・。また気が向いたらその記事を書いてみようとは思う。気が向いたら・・・。
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表現の在り方

2018-02-21 | 陸上競技
雉も鳴かずば撃たれまいシリーズでしょうか。まー批判されることはある程度覚悟。表面的な事だけを考えているわけではない。こうやってblogを書いていると不特定多数の目につく。もちろん保護者の目にも。「事実」を書けばいいというわけでもない。言葉の一部分を取り上げて吊るし上げるというのはよくあること。

小平選手が金メダルを獲得した。その際、アナウンサーが「獣のよう」という表現を使った。これに対し女性に対して失礼な表現だったと炎上する。この表現が本当に悪いことだろうか。「ヒョウやチーターのような動きをしたい」と本人が発言していてそれに合った表現だったのではないか。「あなたが理想としている動きに近づいたのでは?」という意味だったのかも。分からないが。

レスリングの吉田選手は「霊長類最強」と言われていた。ゴリラよりも強いという表現になるのだろう。「獣」はダメで「霊長類最強」という表現は良いのか。スケートの姿勢自体身体を倒してよんそくそこつに近い構えに見える。自分たちよりも能力が高い動物に例えることが本当に「悪」なのか。もちろん本人が嫌がっていて批判するのなら別だが。

前も書いたが「ノイジーマイノリティ」という言葉がある。「サイレントマジョリティ」の反対の言葉。「声の大きい少数派」と「物言わぬ大多数」という表現になるのだろう。大多数の意見は表に出ない。それに対して「これはおかしい」と声高らかに批判するとう少人数の意見は取り上げられる。マスコミの影響はかなりのものだと思う。「これは注目を集める」となればすぐにYahoo!ニュースになる。

時代の変化もある。国民総評論家時代。何かあればTwitterで呟けば良い。それに賛同してくれる何人かの意見は「国民の総意」のように扱われる。そして批判は批判を呼び大きな話になる。それにより「サイレントマジョリティ」はさらに言葉を発することがなくなる。何かを表に出せば「批判の対象」となり「炎上」することになる。

部活の指導なども同様だと思っている。時間になって始めて時間になって終わる。勝つとか負けるとかは「運」次第。才能がある選手がたまたまいたら強い。そうでない場合は上に行ける選手はいない。そういう指導スタイルだってあるのだと思う。別に部活で結果を出したらそれが評価されて給料が上がるというわけでもない。普通の学校からたまたま「強い選手」が出てきたら高い評価を受ける。陸上競技なんで「才能」でやっていける部分があるのでその辺りは顕著だと思う。

練習に対する取り組みや態度などを指導する。これは「社会体育」とは違ってくるだろう。身体を動かしたいだけだからそこまで必死にやりたくはないという子供もいるだろう。以前ある人に「そんなに一生懸命やったら身体を動かしたいと思っている生徒は陸上競技部には入れないじゃないか」と言われたことがある。そういう視点から見れば批判の対象になる可能性はある。本気でやるとか力を伸ばして勝ち上がりたいと望む者もいれば、「集団に所属したい」「適度に身体を動かしたい」と考える者もいるだろうから。

そうであれば「一律の集団」というのは不可能だと思うスポーツは元々「遊び」という概念から生まれている。もっと気楽にやればいいじゃないかという部分はある。そして「勝つためにやる」事が絶対悪のように批判される。もう一方で物心付く前からラケットを握って卓球をやったりしなければ勝てなくなるため早熟化する。小学生の全国大会がありそこで勝とうと指導者も保護者も必死になる。真逆のことを求めている。

学校に専門の指導者がいないという不満は良く聞く話。かといって専門がついてしっかりと練習をすると「やりすぎだ」と言われる。専門の指導者が付いてやったとしても根本的な問題は何も変わらない。批判の矛先が別に向かうだけだと思っている。

競技志向とスポーツは並列に並ぶのか?受け入れ先としてそれぞれのニーズに合わせたモノを細分化して設定しなければいけない時代が来るのかもしれない。ひょっとしたら競技をやって自分の限界にチャレンジしたいという部分が「少数派」なのかもしれない。これは分からない部分だが。

自分がやりたい事が世間一般から求められている事とは違うかもしれない。そこの部分は受け入れていかないといけないんだと思う。だからといって全てが違うというのも考えさせられる。声が大きな人の意見を受け入れていく傾向が強い。「許さない」という意見を声をあげて言えばそれは全員の意見のようになる。そして社会自体は「批判されないようにする」事にエネルギーを注ぐようになる。言われてから対応する方が必要なエネルギーが大きくなるから。言われないように無難に生きる方が賢い生き方になるのかもしれない。

私はこういう性格なので。なかなか受け入れていくのか難しい。時代遅れなのかもしれないなと思うことも多々ある。それでも先日のように会いにきてくれる人もいる。だから何をもって正しいのかはわからない。自分にできることをやるしかないんだと思う。

書いていてまとまらなくなってきた。まーいいか。
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テスト週間に入る

2018-02-20 | 陸上競技
月曜日から学年末考査のテスト週間に入りました。とにかく様子を見ながらやるようにしたいなと。この期間で練習量を落とすことになるので疲労からの回復と身体のケアに時間を取りたいと思っています。1時間程度の練習になりますから身体にかかる負担自体は減ると思います。それで故障気味の者は回復傾向に向かうのではないかと。まー時間の使い方次第だと思いますが。休んでいれば治るという単純なものではないでしょうし。

練習自体は7時間授業だったこともあり比較的短時間で終わるようにしました。バランス系と身体づくりはやはり継続したいので。倒立系などをやってから体幹補強サーキット。時間がかかるかもしれないと思って少し端折ったのですが同じ種目が連続になるためかなりの負荷だったようです。ここはもう少し考えないといけないなと思います。

全身種目を軽くやって縄跳び。そのままスキップをしてタイヤ走。2セットやってもよかったのですが時間の関係で1セットとしました。練習時間自他は40分程度で終了。早い。量を追うというよりは「身体を動かす」ことがメインになります。できることを最大限にという感じでしょうか。やりたいことはたくさんあります。だからといってすべてはできない。そうであれば「継続する」という部分ができるかどうかでいいんじゃないかと思っています。全てはできませんから。

色々と思うことがありますが。しばらくは簡単な練習日誌と私自身が「想うこと」を記しておきたいと思います。とりあえずやったことだけは書いておきます・・・。中身がほぼないですが・・・。
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感謝と前に進むエネルギー

2018-02-18 | 陸上競技
土曜日。前の記事に書いたような話をしてから練習開始。私はあれこれやっていました。練習の準備などもしながら全体を見ている。すると部室の隣にあるトイレの所に人が立っている姿が目に入りました。遠くて誰か分からない。まー良いかなと。誰か外部から他の部を訪ねてきたという感じかなと。

近づいて見ると卒業生でした。さて1年前に卒業した男子が今の3年生と一緒に来てくれていました。突然のことでしたから把握できませんでしたが。その後、唯一の女子でチームを支えてくれたマネージャーも3年生女子を連れて来てくれました。本当に驚きました。何かあったというわけではないと思います。それでもこうやって連れ添って来てくれる。本当に嬉しかった。

今の学校に赴任して3年目。来月卒業する選手と一緒にこの学校に来ました。私も選手も「これまでとは違う」という感覚の中で戸惑いながらやってきました。今でも覚えているのが赴任して少ししてからある生徒から「すごく嫌な奴が転勤してくると聞いていた」と直接言われる。まーそうだったのでしょう。それを言われるというのは完全に「受け入れたくない」という姿勢があったんだろうなと。これまでやってきた陸上競技とは全く異なる陸上競技だったかもしれない。そうであれば居心地のいい場所を壊す「外部者」でしかなかったでしょうから。

自分の中で耐えられないくらいの批判もあった、本当に苦しかった。一挙手一投足に対しての批判がありここまでして陸上をやらないといけないのかという気持ちが強くあった。大好きだった陸上競技が嫌いになっていた。これは私の人生の中で大きな事。なんでグランドに立たないといけないのか。それを真剣に考えた。そういう雰囲気がある中で生きていた。

今回来てくれた卒業生。本当に戸惑いの中でやっていたと思います。それがいつのまにか受け入れてくれていた。こちらがやりたい事を理解してくれていた。全てを受け入れてくれたかどうかは分からないがこれまでとのギャップを理解してくれたと思う。その中で必死に上を目指そうとしてくれていました。その流れの中でマネージャーが男女を支えてくれた。女子はこのマネージャーを中国大会に連れて行くんだと一つになった。故障した選手もいる中で県総体を通過。今の3年生がすぐにマネージャーの所に抱きついていって涙していたのを覚えている。

そういう経験ができたのはこの子達にとって本当に大きな事だと思う。それが翌年のインターハイへの道に繋がった。練習後にマネージャーに感謝の気持ちを伝えた。みんなこの子のことが大好きだったからグラントに来てくれるだけで元気になる。「2年前と同じでみんなが真面目に一つずつ練習してて見ていて嬉しかった」と言ってくれました。本当に救われます。この子に限らず卒業生がこうやって来てくれることはもがきながらやっていたこの数年間の中での支えになります。

指導スタイルを否定される。それだけに留まらずさまざまな批判を受ける。本当に指導をしていて良いのか悩み続けた。それでもこうやって「本気でやる」事で伝わることがある。一生懸命やる選手のために何をするか。そこが一番の原点だと思う。易きに流れ全てを受け入れられるように生きていくのはきっと簡単。自分が思う事をやり続けてきて、こうやって「応援してくれる人」か生まれてきたのは本当に嬉しい。心から感謝したい。こうやって会える事でエネルギーをもらえる。

県総体や中国大会を見にきてくれると話してくれていた。これは今の選手にとってプラスになる。ちかになる。前へ前へと進むエネルギーに変わる。突然の来校だったが嬉しかった。今の事、当時の事を少しずつ話ができた。こういう繋がりがあるというのは嬉しい。この子達が作ってくれた「土台」の上に今がある。そこをどこまで積み上げることができるか。

ありがとう。本当にそう思う。指導者だからいつも自信を持って立てるわけではない。時代の流れとともに「競技指導」を求められなくなるのかもしれない。適度にやって適度な結果で良いじゃないかという時代。部活動は社会体育に代わり、楽しく自分達のペースで好きなようにやれば良いという風潮になるだろう。その大きな波の中で自分がどう生きるか。見失いかけている部分があったかもしれない。それでも卒業生と3年生が来てくれたことは本当に支えになる。

この子達に恥じない生き方をしたい。心からそう思う。本当に感謝。
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心が動く

2018-02-18 | 陸上競技
金曜日、冬季オリンピックがかなり気になっていました。男子フィギュアの羽生選手。どれだけ自分の力を出せるのか。金メダルを取るとか取らないとかではなく「自分のパフォーマンスができるのか」というのが気になっていました。

会議などもあったのでライブで見ることはできませんでしたが少ししてから動画でその演技を見ることができました。先にノーミスで111点を獲得したというのは知っていましたが実際に動画で見てみると鳥肌が立ちました。演技そのものに対しても感動しましたが、その舞台に立つまでにどれだけの想いを持ってやってきたのかという部分を考えると想いはまた別の部分に向けられます。

11月に靭帯損傷。そこから2月までの3ヶ月、どのような想いを持って過ごしてきたのか。これわ我々が想像するレベルではないと思います。オリンピックに出る云々ではなく競技を続けられるのかどうかまで考えたという話を本人がしていました。それほどの大きな怪我だったのだと思います。記録会に出るというのではなく世界最高の舞台であるオリンピックに出る。単純に出るだけではなく「金メダル」を目指す。勝手に想像するのは失礼だと思いますが「金メダル」を目指すのではなく「自分のパフォーマンスを発揮することができるかどうか」があったのだと思います。

誰にも負けない「強い意志」がある。周りは「無理だ」と言うだろう。それが本人の耳に入ることもあったはず。それでも「絶対にやるんだ」という「強い意志」を持ち続けることができる。優しい柔らかい外見とは真逆の部分が羽生選手の「心」の中にある。苦しさも焦りもあったはず。それでも「自分ならできる」と信じて「オリンピックで自分のパフォーマンスを」というのが彼の支えになっていたのではないか。

言葉では表現できない。それでも「強い意志」があるのだけは間違いない。これはオリンピック選手だからできるのか?分からない。高校生にはできないというのはないと思う。もちろん、競技レベルも違えばここまで培ってきたものも違う。それでも「目標」に向かう強い意志はアスリートととして持てるのではないか。怪我をしたからもうダメだと諦める。これは簡単。それでも「目標」が本物であればそこに向かって出来ることを最大限にやれるようになる。

「目標」があるからできるわけではない。それを本人が「心」から欲しているかどうかは大きい。怪我をしてしまったから仕方ない。それでは何も生まれない。そこまでに何をするか。オリンピックだから出来るわけではない。本当に考えて考えてやるから出来ることがあると思っている。「頑張っている」事を評価されるのではない。怪我をしたけど頑張っています、というのは「結果」とは関係ない。「結果」に繋げるためにその時その時に出来ることを真剣に考えそれをやれるかどうか。治るまでは出来なくて仕方ないという気待ちは羽生選手にはなかったはず。誰にも負けない「強い想い」があるからこそ自分の力を出せた。

奇跡的な話かもしれない。単純な美談ではない。そこに至るまでの「心の動き」は周りが想像するレベルではない。惑いも不安も抱えきれないくらいあったはず。プレッシャーに押しつぶされそうになる事もあっただろう。言葉では言い表せない感情。それでも進むと決めているから誰にも達成できない大きな結果を生み出すことができる。

特別な存在だと思う。それでも高校生にも同じ「想い」をもたせたい。高校生にとってのインターハイ。人生の中で何度も経験できるものではない。中学時代から活躍して全国大会に進んでいる選手にとっては当たり前に存在するのかもしれないがうちの選手にとっては違う。ここに向けてさまざまなことをやってきた。舞台の大きさは違うかもしれないが「インターハイ」はうちの選手にとって「オリンピック」よりも大きな話だと思う。そこに向けてどれだけ「心の動き」が生まれるか。ここだと思う。

そんな話を土曜日に選手に伝えた。なかなか言葉では伝わらないかもしれない。それでも伝え続ける。アスリートとして。想いをどう向けるか。どれだけ心から欲するか。そこだと思う。何が何でもやり続ける。進み続ける。そこが大切。

見ている者の心を動かすことができる。本当に素晴らしい。うちの選手にもそんなアスリートになってもらいたい。強く思う。
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練習を任せる

2018-02-18 | 陸上競技
金曜日、この日は朝から出張。朝練は行きましたが午後は選手に任せることにしました。というか任せざるを得ない状況なのですが。会議が終わってから戻って練習を見るという方法もあるのでしょうが(笑)そこまでやらなくても自分達でやれなければいけない。当たり前の部分が当たり前にできるかどうかは大きいと思いますね。できないようならそこまで。

心配なのはグランド状況です。前日がかなり緩くこの日の朝も。雨が降らなければ乾くでしょうが。後で確認するとあまり日が差さなかったようでグランドはかなり緩かったとのこと。その中での練習ですからかなり走りにくかったのではないかと思います。それでもやるしかないという判断になると思います。私が不在であれば判断は自分達でやるしかなくなりますから。そういう判断も自分達の中でやっていかなければいけないと思います。

メニュー的には加速段階をしっかりと作りたいなと考えていました。練習の前半には加速ドリルとマーク走を組み合わせる。やりたいことは加速段階の動きなので加速ドリルの後に自分達で走る感覚を確認することは重要だと思います。加速ドリルではスタブロから出ます。マーク走ではワンハンドから出る。少し感覚は違うかもしれないですが。一歩目の膝の引き出しを意識させています。方向性と運び方。これを普段からきちんと身につけさせておきたい。中間マークを1本走ったら壁での引き出しやタイヤ押しなどでもう一度確認するように指示しておきました。

そこからシャフト補強を行ってB走とDM走。30mから60mまでメニューに組み込んでおきました。普段は50mまでしかやりませんから少ししんどい部分があるかなとは思いますが。動きの変化を感じながらやらせるために工夫しています。これが工夫というのかどうかよく分からないですが(笑)本人たちの感覚の変化を生み出す。ドリル的な動きとは違う部分で走れるようにしていきたいなと。

さらにはここからマーク走(笑)どれだけやるのか。走る本数や距離はそれほど多くないですが何かしら必要なことはやっていると思います。最後に競争させて終わり。見ていないのでなかなか細かい部分は書けないのですが。

私は親しい指導者達と懇親会。あれこれ話をしました。思う事もあります。先日の合宿で走りを見てもらって応援してもらえる部分もあります。こういう経験を選手が生かしてもらいたい。私自身がこんな性格ですからなかなか難しい所もあると思います。それでもインターハイに行って欲しいと言ってくださる方もいる。使命もあると思います。

しっかりと進みたいですね。内容は薄いですが記録しておきます。
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やれる事を

2018-02-16 | 陸上競技
木曜日。天気予報は曇りでしたが実際はシトシト雨が降り続ける。この日は走りたいと思っていたのですがそこができるグランド状態ではありませんでした。何とかしたいなと考えていましたがやっぱり無理。

体幹補強サーキットをしている間に使える場所を探す。乾いているスペースが少なくこれでは走練習は無理だろうなと。坂道走をするために移動してもいいかなという気はしていましたが移動時間が勿体無い。更に足の状態が万全ではない者もいます。無理をして硬い場所で走る必要はないかなと。二日間負荷をかけているので思い切って走る量を最小限にしようかなと。

グループ分けをしてそれぞれ課題を一つずつ出すことに。それを各グループでやる。なぜその動きをやるのかきちんと理由が説明できないものはやらない。私は距離を置いて見ているだけにしました。考えさせる。単純にやればいいというのではなく「何故やるのか?」が分かっていなければ意味がなくなります。動きに関してはしつこく説明をしています。各自必要とする動きは違うはず。それでもやりたい動きは共通する。互いに見合う事でできる部分はあるだろうなと。30分近く時間を与えました。

プレート系の補強などを実施して最後にスキップ走とショートスプリント。グランドがかなり緩いので全力で走れたかどうかは怪しい部分があります。とはいえその時にできる最大限のことをやっておきたい。それぞれの意識してその練習ができたかどうか。

かなり早く終わったので体幹補強やバランス系の練習を各自で行うことに。任せました。私は足首に痛みがある者に気功。補強はそれぞれ考えながらやる。パターンが決まっているわけではないですからあとは自分たちでやっていくしかない。あえてこの日「選手主導型」でやりました。どうせ走れないならそれ以外の部分を強化することを考えた方が良いかなと。

これまで与え続けていた練習でした。「やれば強くなる」と思っている選手もいるはず。が、最後は選手次第だと思います。技術指導もトレーニングの指導もします。それを受けなくても強い選手は強い。それが陸上競技のシビアなところ。それでもうちはやれる事を最大限にやると決めています。それにより変わる物がある。しかし、最後は自分がどうしたいかだと。

雨のためできない事も多い。逆に割り切ってできる事をやるという事で変わる物もある。そう思います。気分転換にもなるだろうし。

しっかりと前を向いて進めたらと思いますね。
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