思うことを。
この半年間、思うように練習が進まないというのがありました。これは「選手」の問題もあると思いますが、「私自身」の問題も大きいと思っています。これは「感覚」の部分なので上手く表現できないことがあります。かなり前から「ギャップ」について感じていたのですが、先日師匠と話しすなかで「明確化」された感じがあります。そのことについて少し触れておきたいと思っています
自分の中での「ギャップ」とは何か。私は「技術的にやりたいこと」があります。速く走るために必要な要素を抜き出してそれをどのように練習に落とし込むのかという部分。スプリント理論とかくと大げさですが、実際に「方向性」としては間違っていないと持っています。物理的に考えて、実際の動き的に考えて「方向性」を考えてきました。インターハイなどに出場する選手と関わる中で自分のやっていることにある程度の「自信」を持てるようになっていました。それを積み重ねていっている感覚。それが自分の中にありました。
練習の中にそのエッセンスをかなり入れる。が、実際に走ると上手く行かない部分があります。特に今シーズンはその部分が多くありました。新型コロナウイルスによる休校期間に入るまではかなりの手応えを得ていました。選手も同様だったと思います。これくらい身体が動けば間違いなく大きな結果につながる。そう思っていた中での「休校期間」です。積み上げてきたことが崩れました。それにより「走りが戻せない」という状況が生まれました。冬季でやってきた走りが再現できない。いろいろな要素が絡み合っているのは確かなのですが、「やりたい動き」に近づけない部分がありました。その中で「競技以外」の指導に時間を割くことになる。悪循環でした。
なんとかあがいていました。が、思うように結果に繋がりません。選手は本当に苦しかったのではないかなと思います。中には本当に必死に練習をしている者がいます。その選手の思いに応えたい。そういう部分もあり私自身が「冷静さ」を失っていたのかもしれません。なんとか活躍させたいという思い。ひょっとしたら「自分自身のエゴ」の部分もあったかなと思います。人と話す機会が少なくなっているのもあり自分自身の状況を「冷静」に判断できない自分がいたのかなと思っています。
11秒台を出す。これは大きな目標でした。その部分を目指して練習をしている。が、実際問題そこだけを見ていてよかったのか。師匠から「練習が高級なのでは?」という指摘があった。スプリントに関しても補強に関しても「身分相応」ではないという意味だと思う。13秒台で走っている選手に11秒台を目指す練習をさせていたら上手く行かない。最近感じていた「知識が先行している」という部分もここにつながると思います。私が指摘する内容が「やりたくてもできない」という部分だったのではないか。11秒で走る女子と13秒で走る女子。基本的にやりたい動きは同じだと思っています。しかし、私が求めていたのは「基本」ではなく「求めるレベルが高い」内容になっていたのではないか。
基礎筋力の向上を求める。しかし、これもベーシックな部分が不足してきて「応用的な部分」を強く求めていたのではないか。あれだけ「基礎筋力」を重視してきたのに。もちろん、最近も「基礎筋力」を上げるための練習をしています。しかし、正確性や負荷のかけ方という部分では数年前に比べて甘くなっていたと思います。「これくらいならできるだろう」という感覚。しかし、現実はその「これくらいなら」に達していない。選手自身も分かっていない部分だったのかもしれません。
師匠から「あんたの良さは徹底的にやること」だと評価を受けました。スマートな練習というよりは「しつこくやり続ける」ということだと思っています。そう考えると口出しする部分が減りました。そのうち気づくかなと。さらに「考えさせる」という部分も含めて「まだ言わない」という感じがありました。今私が預かっている選手の競技レベルから考えると「言わなくてもわかる」というのはない。練習メニューを適切に組んだとしてもその「効果」がどれだけ出せるかは別問題。もっともっと「徹底してやる」という部分が必要だったと思います。
技術的なことをやるのは楽しい。今やっていることが間違っているとは思いません。しかし、私自身が「やりたい」と思っていることと「目の前の選手に必要なこと」が一致するとは限りません。もっともっと状況を判断しなければいけないのだと思います。自分自身が「やりたい」と思っていることが本当に正解なのか。正解だとしてもそれが「必要な段階」なのか。ここを冷静に見ることができていたか。反省する部分があります。
以前の私は「ひたすらやる」ことをメインにしていました。補強に関しても。それが今は補強をさせると「きつい」というのが先に立つ選手を見ると「そこまでしなくてもいいか」と感じていました。別の手段で、前向きになれる練習方法があるのではないかという部分がありました。しかし、「不易」という考え方から逸脱していたのかもしれない。どのような状況になっても「変わってはいけないこと」があるのだと思います。地味で面白くない「基礎練習」と「基礎筋力」は変えてはいけない。特別な練習をするのではなく「基礎基本」を徹底する。ここに戻る必要があるのだと思います。また、「その時」が来るのだと思います。今やっていることが必要になってくる時期がある。しかし、それまでは「原点に返る」という部分が重要。
「基礎」や「基本」に関しては地味です。飽きてくる部分もあります。基礎トレーニングは地味できつい。結果が出にくい部分もあります。それで「こんな地味なことはやりたくない」という流されてしまったらこれまでやってきたことが全否定されることになります。実際は「外してはいけない部分」です。もしもこれから先、「きついからやりたくない」と言われればそれはそこまで。そこに合わせる必要はないと思います。「徹底する」という意味はここにもあります。やりたくなければやらなければいい。根本的に「競技をやりたくない」と思うのであれば「仕方ない」と思います。冷たいといわれるかもしれませんが。
もう一度自分自身の中の課題を明確にしたいと思います。今回は羅列のように書いていますが。やはり書いていかなければ自分の中の考えがまとまりません。
きちんと書き続けたいと思います。課題を明確にします。