なかなか書けません。まー仕方ないかなと。
練習について。これも話をしました。今自分がやろうと思っていること、この期間に感じたことを。これまでは「近くで練習を見る」ということにかなりこだわっていました。自分自身の「満足」の部分も大きかったと思います。しかし、今回の「学校休業」の期間中、本当に練習を見ていません。これによって「モチベーションの低下」がある指導者も複数名いると聞いています。
私はどうか。残念ながら「維持」されています。というか「倍増」くらいしている勢いです。だからといって練習が再開されたら張り切って先頭に立って練習をしようという気はありません。この休業期間中の取り組みをこれからの活動にも活かしていきたいと思っています。ある程度の距離をとりながらかなと。ここは重要な部分だと思っています。
これまでのスタンスと若干変えていこうかなと。メニューは作ります。近くで技術的な指導もしたいと思っています。しかし、「一方的な話」にならないようにしたい。これまでも意識してやってきました。しかし、この「指導しない期間」や「距離を置く期間」があったのでそれをどのようにすればいいのかを考えました。
練習計画を自分たちで考える。その中で「何を目的にするのか」という部分は明確にしたと思います。冗談ではなく「理解」に関してはある程度の指導者よりは高いのではないかなと思っています。「見る」という部分は足りないかもしれませんが「目的意識」に関しては「何故その練習をするのか」というのは説明できると思います。
この1か月。なんとなく過ごしてきた部分はないと思います。かなり練習を積むことができました。「高校生だから難しい」というのは正直あると思います。しかし、自分たちで計画を立ててそれに従ってやる。この状況下で「目標が曖昧」になりやすい。それでも諦めずに1か月間を乗り切ってきた。大きなことだと思います。メニューのやり取りはしましたが最終的には選手自身がしっかりとやってくれたと思います。
この部分に関しては本当に誇れます。どこよりもきちんとやっているのではないかなと。強制するわけではありません。選手の中で「やるのが当たり前」という感覚の中で取り組んでいる。多少の増減はあったかもしれませんが「速く走るために」という部分はやり取りの中から感じることができました。
間違いなく1歩も2歩も進んでいると思っています。今はそれを試す場所がないというのがあります。それでももっともっと進みたいと思います。先行きが不透明の中でなにをしていくか。私にできることは最大限にやっていきたいと思っています。
まとまりません。書きたいことはたくさんあるのですが。様子を見ながら書いていきたいと思います。
思うことを。
数日前、親しい指導者と一緒に食事へ。このご時世に「外食」をするというだけでバッシングを受けそうですが。いつものお店であれば大丈夫かなと。12月は私たちだけで開店から閉店まで過ごしましたから。今回も行ってみると閉まっていました。最初からお店を開けないようです。これはここだけではなく色々なところであることなのかなと。
ここ最近蓄積している鬱憤を晴らす感じでしょうか。早い時間から始めていつもより早く終わろうという話にしていました。健康に気を使って。
いつもの通りの雑談のような話でした。「陸上競技」に関しての話は少なった気がします。それ以外の話が多かったかなと。ここ最近の過ごし方を互いに。「kanekoは7部活をやっている」という噂が流れているようですが「100%やっていない」と断言できます。メニューのやり取りはしますがそれ以上はない。練習場所でずっと見て指導をするということは皆無。清掃活動中に山で出会ったり公園の前を通ったりはしましたが「指導」に関しては一切しない。
何をしていたか。ひたすら「清掃活動」と「奉仕作業」です。誰かと何かをやってもよかったのですが「一人で何かをやる時間」というのが欲しかったというのもあります。毎日の生活のリズムを変えたくない。人間は「慣れ」がでます。仕事の効率も悪くなる。そうであれば限られた時間を有効に使いながら「普段できないこと」をやろうと。
限られた時間をどのように使うか。「清掃活動」をする。ということはその時間、色々な仕事が滞ることになる。だから空き時間に必ず先に「仕事をする」ようにしていました。普段は朝練が始まる前にやってしまうのですが今はその時間は「清掃活動」に充てている。人前で仕事をしなければいけないというのも面白くないのですが仕方ない。
時間に余裕があれば「まだ大丈夫」という気持ちになります。「やりたいこと」があるから「限られた時間を有効に使う」のだと思います。期限が決まらず「慌てなくてもいい」という状況になると人はその時間に合わせてしまう。だから今まで通りやってしまうようにする。
「練習」の時間を確保するためにそれ以外の時間を使う。「陸上ばっかり」といわれるのかもしれません。が、やるべきことをすべてやっています。だから「時間」が作れる。集中してやれば大抵のことは終わらせることができます。「仕事ができる」「仕事ができない」という話ではなく「きちんとやれば終わる」と考えています。だからだらだらやらない。
更に「清掃活動」をしながら「考える」という時間を作りました。本来であれば読書などをして見聞を広めるという時間なのかもしれません。しかし、そうではなく「今しかできないことはなにか」を考えて「ひたすら一人で行動する」時間を作りました。普段気が付かないことに気づく。見えないものを見る。そこで何を感じるか。
前の記事にも書きましたが「自己中心的な考え方」で行動する人が多い。私は場面場面での発言が「自分のことばかり」と思われがちです。そうなのかもしれません。が、実際は「どうすればうまく回るか」に関して考えていっています。「イライラ」する部分はあるので「誤解されやすい言葉」を使うかもしれませんが。それがどのような形で伝わっているかも本当は考えないといけないのかもしれません。
「良い人ですね」といわれるために何かをする気は全くありません。結局は「他者の評価」でしかない。もちろん認められることは必要だと思いますし、気分が悪いわけではない。しかし、「他者からの評価のため」に行動を起こすというのは自分の中では耐えられない。「生徒のために」というきれいごとを言いながら実際は「自分のため」にやるというのも嫌。表面的な話ではないからです。
そういう部分をここ1か月感じながらやってきました。貴重な時間だったと思っています。何事もなければもっと狭い視野で目の前のことしか考えなかったのではないかと思っています。目の前の選手のためにという部分が大きくなりすぎて肩の力が入りすぎる。そうではなく「俯瞰」することも必要になる。距離感を置きながら見ていく。周りの様子も「どうかな」と思ってみていく。ちょっとおおらかな気持ちになっていました。
競技に対する「気持ち」はまた別に書きます。「おおらかな気持ち」になったと言いながらまた「激情」することが。上述のように「自分のことだけ」ではなく色々と感がるからのことです。また書きます。
色々と思うことがあります。
思うことを。
ネットニュースを見ていたら「ブラック部活」について書いてあった。「学校休業」になったことで「部活動をやりたい」と思っている教員のイライラがたまっている。部活動指導に「執着する」教員がいるのだという話が取り上げられていた。「公園や広場に集まって自主練習をするように仕向ける」というような表現も。まーどうなんでしょうね。
せっかくなのでウィキペディアで調べてみた。「日本の教育において、生徒と保護者の同意を得ずに部活動に入部を強制させたり、生徒の人格を否定するような暴言や、体調を崩すほどのサービス残業(長時間拘束する部活動)」と書いてある。
なるほど。生徒側にとっても教員側にとっても「不利益」が生じるのがブラック部活なのだろなと思う。根本的に「部活動への入部」は「自由選択」でなければいけない。これは間違いない事実だと思う。強制されてはいるのは違うだろうなと。「入りたくない」と思っている活動に無理やり入れられて嫌々練習をすることは誰も幸せではない。
「活動の選択の自由」というのはあると思う。ある学校にはいわゆる「専門的な指導をする教員」がいる。ある学校には「引率のためにつけられている教員」がいる。自分が学びたいと思う学校にその種目の専門の指導者がいないことだってある。これを「不平等」だといえばそうなのかもしれない。教員側にとっても「よくわからないが顧問を持たされる」という感覚が残るだろう。
生徒は「やりたくない」と思えばそれを「やらない」という選択ができる。「走るのは好きだけどそんなに一生懸命に練習をしたくはない」という生徒もいる。が、その学校の「部活動」では「一生懸命に練習をする」ことを求められる。ここに「不一致」が生まれている。逆もしかり。「一生懸命に練習をしたい」と思う生徒がいる学校に「専門的な指導ができない教員」が顧問として担当している場合もある。
この「不一致」を解消するためには「クラブチーム」や「社会体育」が適しているのだと思う。それぞれの「ニーズ」にあった活動をする。「不一致」があるならそれを解消するための取り組みが必要になる。「やりたい」のに「できない」 のであれば部活動に所属しておきながら「自分でやる」「普段はクラブチームに所属する」という形があってもいいと思う。「インターハイ」という大きな高校生の大会がある。そこに出場するためには「高校の部活動に所属しておく」必要性がある。個人種目であればそれができるのかなと。もちろん「顧問と話し合い」は必要になると思うが。
部活動に所属しておかなければ試合に出れないというデメリットがあるが「共通理解」があればその部分は打破できるのかなと。陸上競技に関していえば「部活動に所属していなくても記録会や県選手権、県体に出ることはできる。「走ることが好きだから」という理由であれば「部活動」に所属する必要性はほぼ皆無だと思っている。
顧問の立場からすれば「専門的な指導ができない」というのは非常に苦しいと思う。「土日も部活動の指導をしろ」と保護者から求められることもあると聞いている。「前の顧問は熱心にやってくれたのに今の顧問はやってくれない」という部分。これは「公立高校」では当然起きる問題。転勤があるので「前の顧問がよかった」といっても難しい。
こういう場合はやはり「クラブチーム」や「社会体育」がいいのだと思う。まー「ボランティア」の部分を「教員」がやるのか「一般」の方がやるのかの違いだけだが。クラブチームでは「月謝」を払う。指導することに対する「対価」を払っている。「対価」を支払わない「部活動」に対して「なんでやってくれないのか」と批判するのは若干違うと思う。
顧問が「土日は練習をやらない」という権利があってもいいと思う。平日の勤務時間内は「けがの予防」という意味で監督をする。試合の引率もやる。もちろん代休はもらう。それを「権利」として言える雰囲気がないのかもしれない。「土日は部活をやってくれないのか」という保護者がいるとしたら「対価」を払うか「別の人に頼んで土日だけ見てもらう」というのが必要ではないか。
「塾」に行けば「月謝」を払う。週2回行けばかなりの額になると思う。「部活動」にはその「対価」は払われない。そこに明らかな矛盾がある。「保護者が望んでいるからその形に活動を合わせる」というのが当然なのかもしれない。実は「保護者にも選択する権利がある」と思っている。学校の顧問が嫌なら「別の形で活動する」という選択ができる。
「楽しくやりたい」「そこまで必死にやらなくてもいい」と思えば「一生懸命にやる部活動」に所属しなければいいだけ。逆に「もっとやりたいのに」と望むのであれば「月謝」を払って別の形でやればいい。「競技」とはそういうもの。もちろん、「部活動」は「競技」だけを求めているわけではない。「教育の一環」という前提がある。これも一般の人のはわかってもらえない。
生徒にも教員にも「権利」がある。それを無理やりやらせるのは互いに違う。顧問を引き受ける条件として「一生懸命にやる」とか「土日はやらない」という「大前提」を宣言してその活動をすればいいだけではないか。「一生懸命にやる」という部活動に「楽しくやりたい」という生徒が入ってくるのは「ミスマッチ」でしかない。だから「自分で別の形で活動すればいい」と思う。
集団競技でも「楽しくやる集団」と「一生懸命にやる集団」ではずいぶん違ってくる。大学でいう「サークル」と「体育会系」の活動では全く違う。「一生懸命にやりたい」という大学生は少なくなってきているので「好きな時に参加する」というような「サークル」が好まれる。それはそれでいいと思う。お互いに批判するものではない。もともとの「求めるもの」が違うのだから同じ尺度でものごとを見るほうが間違っている。
この部分の話にも「正解」はない。私は「競技」を求める。そうであれば「クラブチーム」で「競技志向で活動をします」と掲げるほうがベストなのかもしれない。ここに関して今後考えていこうと思っている。結構真剣に。
まとまらない。長くなるので。また別に書きます。たぶん。
本当に雑記だと思いますが。とりあえず書いておきます。
練習を見る時間が全くないので結構ほかのことをやります。「これやっておいて」と言われたらその場でやるようにしています。以前書いたことがありますが「集中してやる」という状況になったら結構やります(笑)。これも感覚の差があるのでどうか分かりませんが。この数週間、基本頼まれたらすぐにやるようにしていました。
仮入学の準備。私はお手伝いですが「効率よく動く」ことを最優先。いろいろとお願いして回って「準備」の分担を。何人かにお願いしてやるとあっという間に終わります。30分程度で体育館の準備が終わり。大会運営の手伝いなどをしていると「無駄な時間を過ごしたくない」という気持ちが大きくなります。「せっかち」と言われたらのそうなのかもしれませんが「いかに効率よくやっていくか」は全てにおいて重要だと思います。
あれこれやっていると「これから仕事が回ってくる可能性が高くなる」と茶化されました。いや、期間限定です(笑)。この数週間、結構真面目にやってきました。時間を有効に使って仕事を終わらせる。一人のことではなく全体のことも考えてやっています。全員が「無駄」なことをするというのが一番生産性がない。
で、「陸上がなかったらこれくらいやるというのが分かった」という話に。まー確かに(笑)。「部活やらなかったらめちゃくちゃ働くことが分かった」と言われました。いやいや。もしも生活の中から完全に「陸上競技」を取り除かれたら間違いなく「窓際族」になります。何も手につかずボーっとしているかもしれません。ベースに「陸上競技」があるからほかのことができる。ある程度効率よく仕事をこなさないと「陸上競技」ができないのです。順序逆じゃない??という突っ込みもあると思いますが。
何が自分のエネルギーになるかは人それぞれだと思います。「陸上競技」がなければ「帆との何倍も効率よく仕事をするのでは?」というのは間違いなく「私に対する理解がない」という感じでしょう。「陸上競技」について考えたり試行錯誤する時間を作るために「集中して仕事をする」という感じがあります。
まー止まっていたら倒れるのではないかという感覚が自分の中にあります。何かをし続けたい。そうであれば「練習を見ることができない」という状況から打破するために「あれこれやり続ける」ということになります。何人かは私の性格を理解してくれているので「陸上競技取り上げたら絶対何もしなくなりますよ」と援護射撃をしてくれました。間違いないですね。
人のエネルギーは限られています。この部分は変わらない事実だと思います。軽口を叩くことが多いですが、結構「本質」をついて話をしているつもりです。まー「また余計なことを」と突っ込まれることも多々ありますが。
「陸上競技」があるからなんとなく生きている感じがあります。それを取り上げられたらどうなるでしょうか・・・。まー「足を引っ張ろう」という人は間違いなくいるでしょうからこうやってblogに書いていたらそのうち「陸上競技ができないようにしてやる」と思う人も出てくるのかもしれませんが。
本当に必要なことだけをやり続けたい。無駄なことを極力省いて。それが指導にもつながるのかなと。「あいつ仕事しないな」と思われるのだけはやりにくくなるので避けたい。そして「仕事回したらやるぞ」と思わせないように「飄々」として生きていけたらと思っています。以前のように「情熱的」というイメージから抜け出したい(笑)。
本当に雑記です。面白くないと思いますが。なんとなく書いておきます。期間限定でチャカチャカやっています(笑)。
全く陸上競技について触れていません。これはどうかなという話ですが。練習で指導をすることができない。いろいろな場所で選手は練習をしています。
何度も書いていますが練習計画を個別に立てています。最初はこちらが修正を加えていましたが今は基本的には自分たちで計画したものをそのままメニュー表にしています。今までは「word」で提供してましたがこれはデザインが崩れるというのがわかったので「PDF」にして提供。これはなかなか。今までとは違うことをすることで私自身も勉強になります。貴重な経験。
練習に対して「どうですか」と聞いてくることが多くなりました。動画に対して「自分的には〇〇がよかったと思う」「△△ができなかった」ということを報告してきて「克服するためにはどうすればいいか」を聞いてくる。こちらが与えることだけではなく選手自身が求めてくるようになった。これは大きいかなと思っています。
一律の練習計画ではできないことがある。それを自分たちで対応する。もちろん「自分たちで作ったメニュー」をどれだけ消化しているのかは分かりません。普段よりも時間がかかってしまうこともあるでしょう。それをもっと効率的にやっていく。自分がそれを変えていく努力をする。その「工夫の余地」もこの期間だからできるのかもしれません。
選手は「不安」になる部分もあるでしょう。これは「本気でやっている」という前提がありますが。「なんとなくやっている」選手にとっては「体は動かしているから大丈夫」という感覚にしかならない。これまでは「メニュー」があってそれを消化していれば良かった。そこまで本気ではない選手のとってそれが一番楽でした。が、今は「自分のために考える」という感覚が生まれてきています。何人かは・・・です。それでいいと思っています。
ある男子がずいぶん走れるようになってきているようです。これは何となく感じています。中学時代のタイムからは今シーズン中に1秒は上がると思います。まー以前の記録がかなり遅いというのもあるのですが。私からすれば「不十分」だと思う部分はありますが「身体つき」自体が変わってきています。もちろん変わらない者もいます。あきらかに「差」はつきます。この「休業中」にその「差」はさらに大きくなると思っています。
「本気になれば強い」という選手はいると思います。が、結局「本気になれない」のでそのまま終わってしまうことが多い。「やればできる」と言う選手に関しては全く期待しないようにしています。絶対にやらないので。結局自分が気付いて変化しない限り我々にできることはないのだと思っています。もちろんそのための「きっかけ」は与えていきますがやるかどうかは別問題。「冷たい」と言われるのかもしれませんがお互いに不幸になるので。
女子は総じて前向きです。まだまだルーズになり気味な者もいますが、動き自体はかなり良くなってきています。このままシーズンに入れたら結構なレベルまで行くのではないかなと思っています。県総体が実施されれば今シーズンの春先の目標が達成できるかもしれません。3連休に関しては「かなりハードな練習」を課しました。もちろん本人たちが作ってきたメニューです。全く走りを見ていないのでどうなっているのかは分かりませんが。3時間メニューですからかなりの負荷になると思います。
「できない」ではなく「やろうとするかどうか」というのは大きいなと思います。本当に強くなろうと思えば「自分がどうするか」です。動きを他者に見てもらってアドバイスをもらう。それを生かして練習計画を立てる。目的がある練習をする。「なぜその練習をしているのか」を自分の中で理解してそれを行動に変えていく。「こういう走りがしたい」という大きな目標があるから「そのためにどうするか」を考えるようになる。
話は前の記事に戻ります。私は「規則正しい生活をする」というテーマがあります。だから7時には職場に行く。朝練がないのでその時間を有効に使う。ダラダラしてネットサーフィンをしていたら意味がないので「歩く」ことにしている。単純に歩くだけでは面白くないので「清掃活動」をする。行動には意味があります。だから「清掃活動」をしていることを「立派ですね」と言われてもピンとこない。自分の中では「清掃活動」は「おまけ」なのだから。
「こういう走りがしたい」という大きな目標があるかないか。あるならその中で「加速段階をこう走りたい」「中間ではこんな動きを」という細かい部分を考えていく。パズルを組み合わせていくイメージです。大きな目標や目的があるから「人は行動する」と思っています。ないなら「やるだけ」にしかならない。「規則正しい生活をする」とだけ掲げてネットサーフィンをしていたら家で生活することを何ら変化はない。
まとまりませんが。ちょっと時間があるときに「競技」について考えていきたいなと思っています。真面目にblogに記しておこうかなと。好き勝手に書いています。blogなので。
また書きます。
徒然なるままに。生活リズムを変えないように毎日同じリズムで。そう考えながらやっています。
とりあえず1万歩はあるこうという目標を掲げて。毎朝1時間は職場の周りを清掃活動。これはここ最近書いていますが「普段と異なる景色」を見ることができます。金曜日、清掃活動をしていると交差点で年配の方に「関心ですね」と言われる。私的にはこういうのは非常に苦手。試合前に「頑張ってくださいね」と言われたときに内心「走るのは選手なので」と思ってしまう。人としてどうなのか・・・という話かもしれませんが。その声を選手に一言かけてほしいなと思ってしまう。
清掃活動をしているのは「自分のため」という部分があります。街をきれいにしようという気持ちがないわけではありません。が、「目的のない散歩」は苦手。ゴミ拾いをしながら歩くという「小さな目的」を持つことで「散歩」ができるという部分があります。人として器が小さいのでそこまで「全体のこと」を考えて行動はしていません。外から見たときに「街をきれいに」と見えるのであればそれはそれでいいのかもしれませんが。
さらに歩いていると街中に座って休憩されている年配の方に話しかけられた。「仕事がないですね・・・」と。私の職種を把握されて言われているのか実際問題の「仕事がない」という形でみられているのかはわかりません。傍目に自分の行動がどのように映るのか。ここは自分自身ではわからない部分です。「仕事がない」というのは事実です。そこを見透かされて話されたのか。こうやって「人と人の関わり」は職場の中ではなかなかありません。限られた「人間関係」しかないので。そこから出てみてどのように感じ取るか。
3連休の間、思うことがあって職場へ。午前中を使って「溝掃除」をしました。写真を撮るまではしませんでしたが。初日は部室までの溝を掃除。少しの溝ですが側溝蓋をすべて取り去ってスコップで砂を取り除く。グランドの傾斜の関係で部室のほうに雨が降った後は水が流れ込んできます。それが気になっていました。2時間くらいやったでしょうか。一輪車にスコップで入れていく。20回くらいは運んだでしょうか。1トンとは言わないくらいの砂があったでしょうか。これはかなりの量。
さらに次の2日間は部室と反対側の「溝」の掃除。先週、2時間かけてネットの外側の草を伐採したと書いたと思います。その時に溝に砂がたまっているなと感じていました。それも半端ない量。グランドから流れ出る砂が側溝を埋め尽くしている部分があります。全部で60m近くあるかなという感じがしますがその中の20mは溝を覆いつくすくらいの砂が流出しています。これはよくないなと。他の方も気づいていたので少しずつやろうという話をしていました。時間があるので私がしっかりとやっておこうと。
1日目に「砂山」の前まで。これで2時間。この際、近隣の方から話しかけられました。隣の人が砂が欲しいと言っているのでここからもらって良いか?という内容。その日にやていたのは砂の手前までなのでどうかな?と思いながらも。そして日曜日に砂山にチャレンジ。朝なので表面の砂を取り除いていく。スコップで4回くらいバケツに入れるといっぱいになる。そこから20m程度歩いて砂を一輪車に運ぶ。これもバケツ4杯くらいでいっぱいになるので砂をためている場所に運ぶ。溝の中をバケツをもってひたすら歩くので結構の疲労度。
かなりの時間やって1トン以上は運んだでしょうか。もう無理だと思って半分であきらめる。これはかなりのダメージ。別に「誰か」のためにやっているわけではありません。こういう地味なことをやりながら感じることはたくさんあります。この時間が今の自分にとって貴重な時間なのではないかと思っています。
砂がこれだけ蓄積する。部室自体は私が赴任する前にできたと思います。5~6年かけて溝に砂が蓄積している。反対側も同様。長い時間誰も気づかずに少しずつ蓄積してい行ったのだと思います。こういう部分にはなかなか気づきません。「結果」として信じられないくらいの蓄積量になる。
疲労度なども同じかなと。毎日は気づかないかもしれない。それがいつか「大きなダメージ」となってケガにつながる。その時その時は気づかない。だから大きなことになる前に自分でこまめにケアしていく必要性がある。逆に「毎日100回」の腹筋をし続けていけば気が付けばほかの人とは大きな差になる。ここも気づかなければいけないことなのかなと。その時には結果は出ません。が、しばらく続けていると全く別物になっていく。そういう感覚が「全く別のこと」をやりながら見えてくる。重要なことなのかなと。
自分自身と向き合う時間として「清掃活動」や「溝掃除」をしています。単純作業かもしれませんがそいいう行動の中で「気づき」が生まれる。自分の中の「嫌な部分」とも向き合える。それが成長につながるのかなと。私は何度も書いていますが聖人君子ではありません。だからこそこうやって「自分を向き合う」という時間を強制的に作ることで見えてくるのかなと。
しばらくは続けたいと思います。他県では練習を再開したという話も聞いています。我が県はまだ兆しはありません。どうなるのか分かりませんが。やるべきことを積み重ねていくしかない。そう感じています。