前の記事に続いてです。
今回の県体、3年生の引退レースとしては非常に辛いものになりました。この1年間本当に苦しい精神状態で取り組んできたのを一番近くで見てきた分、今回の結果をどのように受け止めるかというのは難しいところでした。私自身「受け入れる」ことができない感覚でした。
下級生も3年生が一生懸命に競技に取り組む姿を見てきました。選手によっては補強で手を抜いたりすす者もいますが、この子は以前と違って一切手を抜かず1年間を過ごしてきました。これが「余裕のなさ」につながったというのはあると思いますが、真剣に競技に取り組む姿は下級生の手本となっていたと思います。
その3年生が打ちひしがれて言葉も出ない。「辞める」と言っても仕方ないのではないかという感じもありました。翌日のレースに向けて気持ちの整理をするのは難しい状況だったと思います。4継の後に話をしましたが「走ることを嫌いにならないで欲しい」と伝えました。個別に話をしようかと思っていたのですが全体の話が終わって下級生が少し離れたところにいたのでその場で話をしました。このような姿をみて下級生がどのように感じたかは分かりません。「一生懸命にやる」ことの大変さとそれ以上に「心」がどのように動くのかを感じ取ってくれた部分があるかもしれません。
マイルの結果、これを下級生がどのように感じ取るか?最後のミーティングのときに走った全員が「先輩に少しでも楽をさせたいと思って最初から走った」と言っていました。青春ごっこではありません。が、本当に自分がどうこうというよりも「先輩のために」という部分があったのだと思います。その「先輩のために」という「想い」が一つの大きな「力」になっています。全員がレースで同じことを思って走っているからこそ、自分たちの決めている限界を超えた「信じられない力」が発揮できるのです。
この3年生、中国大会で思うような走りができずに準決勝で敗退したとき、私に会って最初に発した言葉が「何も恩返しができずにすみませんでした」という言葉でした。この話も下級生には前の日に話をしていました。自分自身の力が発揮できずに「悔しい」という言葉が先に出てくるのが普通の選手ですがこの子は自分のことよりも私に対して申し訳ないという感情があったのです。その言葉を聞いて本当に申し訳ないなと涙しました。その言葉を他の選手に伝えました。これは今までは話をしていませんでしたが、この状況、この精神状況を周りの者がどう感じるかというのは本当に大きいのではないかと感じたので話をしました。通常は意図的に話をするのですがこの日は素直に思ったことが言葉として出てきた気がします。
「一人でやっているのではない」という「想い」が心のどこかにあれば今回の4継でのミスは大きく気持ちを動かすことになると思いました。あってはいけないことです。それは変わりませんが「失敗を次に生かす」ことができなければいけないと思います。過去を後悔し続けてもどうにもならないのですから。「自分以外の人間のために心を一つにする」というのは貴重な経験です。これが行き過ぎると4継のような間違った方向に進んでしまう。以前うちのチームがマイルで上手くいかなかったときも少なからずこの部分があったと思います。「先生と一緒にインターハイへ」と思ってくれる部分が痛いほど伝わっていました。この気持ちにこたえたいと私も冷静さを失っていた。常に客観的にならなければいけないのです。「情熱をもって選手と向き合える」というのが私の最大の長所だと思っていますが、それだけではなく自分で自分自身を客観的に捉え、冷静にその部分を判断できなければいけないのです。4継メンバーは「なんとなかる」という漠然とした安心感があった。客観的に足りない部分を見れなかったのだと思います。私の指導が不足していたのだと思います。
「きっかけ」は間違いなくここです。取り返しにつかないミスが「心」を動かした。だから自分自身の「力」を超える結果が出せたのだと思います。しかし、ここでまた「満足」「安心」してしまう危険性がある。「一時的な感情」で終わってしまう危険性もある。こんなことは無いほうが良いのです。その「大きな損失」の見返りとして「信じられない力」を発揮できた。これが継続して出せなければ今回の出来事は一過性のもととなってしまい何も残らないのです。毎日の練習の中でこの部分を生かしていかなければ3年生が「残してくれたもの」は意味がなくなってしまうのです。
正直、全面的にこの状況が続くとは思えません。まだまだ甘い部分が多すぎます。今のままでは時とともに元に戻るかさらに下降してしまうでしょう。余程の「覚悟」と「決意」がなければ続かないのです。3年生が言葉ではなく残してくれたものをどれだけ「心」に刻めるでしょうか?信じてみたいと思います。
忘れられない大会となりました。本当にありがとう。
今回の県体、3年生の引退レースとしては非常に辛いものになりました。この1年間本当に苦しい精神状態で取り組んできたのを一番近くで見てきた分、今回の結果をどのように受け止めるかというのは難しいところでした。私自身「受け入れる」ことができない感覚でした。
下級生も3年生が一生懸命に競技に取り組む姿を見てきました。選手によっては補強で手を抜いたりすす者もいますが、この子は以前と違って一切手を抜かず1年間を過ごしてきました。これが「余裕のなさ」につながったというのはあると思いますが、真剣に競技に取り組む姿は下級生の手本となっていたと思います。
その3年生が打ちひしがれて言葉も出ない。「辞める」と言っても仕方ないのではないかという感じもありました。翌日のレースに向けて気持ちの整理をするのは難しい状況だったと思います。4継の後に話をしましたが「走ることを嫌いにならないで欲しい」と伝えました。個別に話をしようかと思っていたのですが全体の話が終わって下級生が少し離れたところにいたのでその場で話をしました。このような姿をみて下級生がどのように感じたかは分かりません。「一生懸命にやる」ことの大変さとそれ以上に「心」がどのように動くのかを感じ取ってくれた部分があるかもしれません。
マイルの結果、これを下級生がどのように感じ取るか?最後のミーティングのときに走った全員が「先輩に少しでも楽をさせたいと思って最初から走った」と言っていました。青春ごっこではありません。が、本当に自分がどうこうというよりも「先輩のために」という部分があったのだと思います。その「先輩のために」という「想い」が一つの大きな「力」になっています。全員がレースで同じことを思って走っているからこそ、自分たちの決めている限界を超えた「信じられない力」が発揮できるのです。
この3年生、中国大会で思うような走りができずに準決勝で敗退したとき、私に会って最初に発した言葉が「何も恩返しができずにすみませんでした」という言葉でした。この話も下級生には前の日に話をしていました。自分自身の力が発揮できずに「悔しい」という言葉が先に出てくるのが普通の選手ですがこの子は自分のことよりも私に対して申し訳ないという感情があったのです。その言葉を聞いて本当に申し訳ないなと涙しました。その言葉を他の選手に伝えました。これは今までは話をしていませんでしたが、この状況、この精神状況を周りの者がどう感じるかというのは本当に大きいのではないかと感じたので話をしました。通常は意図的に話をするのですがこの日は素直に思ったことが言葉として出てきた気がします。
「一人でやっているのではない」という「想い」が心のどこかにあれば今回の4継でのミスは大きく気持ちを動かすことになると思いました。あってはいけないことです。それは変わりませんが「失敗を次に生かす」ことができなければいけないと思います。過去を後悔し続けてもどうにもならないのですから。「自分以外の人間のために心を一つにする」というのは貴重な経験です。これが行き過ぎると4継のような間違った方向に進んでしまう。以前うちのチームがマイルで上手くいかなかったときも少なからずこの部分があったと思います。「先生と一緒にインターハイへ」と思ってくれる部分が痛いほど伝わっていました。この気持ちにこたえたいと私も冷静さを失っていた。常に客観的にならなければいけないのです。「情熱をもって選手と向き合える」というのが私の最大の長所だと思っていますが、それだけではなく自分で自分自身を客観的に捉え、冷静にその部分を判断できなければいけないのです。4継メンバーは「なんとなかる」という漠然とした安心感があった。客観的に足りない部分を見れなかったのだと思います。私の指導が不足していたのだと思います。
「きっかけ」は間違いなくここです。取り返しにつかないミスが「心」を動かした。だから自分自身の「力」を超える結果が出せたのだと思います。しかし、ここでまた「満足」「安心」してしまう危険性がある。「一時的な感情」で終わってしまう危険性もある。こんなことは無いほうが良いのです。その「大きな損失」の見返りとして「信じられない力」を発揮できた。これが継続して出せなければ今回の出来事は一過性のもととなってしまい何も残らないのです。毎日の練習の中でこの部分を生かしていかなければ3年生が「残してくれたもの」は意味がなくなってしまうのです。
正直、全面的にこの状況が続くとは思えません。まだまだ甘い部分が多すぎます。今のままでは時とともに元に戻るかさらに下降してしまうでしょう。余程の「覚悟」と「決意」がなければ続かないのです。3年生が言葉ではなく残してくれたものをどれだけ「心」に刻めるでしょうか?信じてみたいと思います。
忘れられない大会となりました。本当にありがとう。