自分の中での「考え」や「直観」が正しいかどうか。ここに関しては考える必要があります。全てが正しいわけではない。何が正しくて何が間違っているのか。ここに関して自省することができるかどうか。
400mHについて。昨年の春季支部大会で出場した選手がいきなり「69秒台」で走りました。一回も練習をしていない中での69秒台はすごいなと思っていました。何も考えていなかったからというのもあると思いますが最初から17歩で走っている。これはすごいなと。県総体でギリギリ6番に入りそこから中国に向けてという中で怪我をして練習ができず。これが9月までほぼまともに走れない。実践的な練習をほとんどしないまま秋を迎えました。
結局、秋に68秒台を出しましたが、最初のことを考えるともっと出るのではないかという感じがありました。まー指導が悪いのでしょう。
冬の間に「勝負ができるように」と思ってやっていましたが1月から2月末までほぼ練習できず。何とか試合に出ることができましたが72秒かかる。今年度は山口の女子400mHのレベルは過去最高。65秒台でなければ中国大会に進めないと思っていました。実際そうなると思います。が、とてもじゃないですが届かない。
それ以後色々と思うことがありました。もはや競技の指導をする意味があるのかどうか。私自身が考える「競技」は今の時代には受け入れられないのかもしれない。そうであれば別に指導しなくてもいいかなという気持ちが大きくありました。
これも前に書きましたが「400mHで勝負をしたい」と言っていた選手がひたすら「ショートハードル」の練習ばかりをしたがる。別にショートハードルの練習が悪いというわけではありません。が、「勝負をする」というのであればその対応をしなければいけないのではないか。そこに対しても「意味あるかな」という気持ちが大きくなっていました。それなら「指導するな」という意見もあるでしょう。確かにそうですね。
なかなか思うような走りができない。今考えると「怪我」もありますが、根本的な部分の強化が必要だったのではないかと思います。どうしても「専門練習」という形になると「ハードルを跳ぶ」とか「幅の踏切練習をする」というのが出てきます。が、結局は「足が遅いと勝負できない」という部分があるのではないか。基本的な走力を上げるための練習がもっとできないといけなかったのではないかと感じます。これはまた別の機会に触れたらいいのかなと。
で、やっと本題。全く何もしない中で「17歩」で走れた。ここに自分自身の「先入観」があったのではないか。最初から「17歩」で走れるのであればこれから先も17歩で行くほうがいいという思い込み。が、結局練習では走れてもレースになると同じパターンで200m過ぎから大きく減速します。ジョグレベルになる。今シーズンに入って4回走りました。が、すべて同じ展開。練習ではできるのに試合ではできない。
勝負するためには17歩が必要だと思っています。が、今のレース展開を考えると「17歩」を捨てるほうがトータルでのレースができるのではないか。前半を「18歩」にして力の配分を考えるほうが最終的に65秒に届くのは速いのではないかなと考えるようになりました。「そんなことも気づかないのか」と言われたらまさにその通り。自分自身の中で「先入観」があって「17歩で行ける」という部分が大きくなっていました。
男子に関しては前半15歩で走る練習を考えてやっていました。が、こちらも走力がないので3台目がぎりぎり。これは4月末の時点で切り替えて「16歩」でレースに臨むことにしていました。上述のようにそのための練習をしなければいけないのですが、「ショートハードル」の練習ばかりするので必要な練習ができていないというのはあります。「自主性」という部分が方針としてある。が、もっと強引にでも「本当に必要なこと」をやるべきだった。「好きなことをやる」のではなく「必要なことをやる」ことが足りなかったかなと。
色々なことがあります。が、「17歩」で走ることで途中から大減速するのであればやはり「18歩」のほうが無難なレースができる。きちんと走れれば「18歩」でも65秒が可能ではないか。実際にtokushoの時には大雨の中で単独レースで65秒で走っています。全くといっていいほど「18歩」の練習ができていない。が、気持ちが「何が何でも」とならない要因も複数ある。「やるのが当たり前」というこの世の風潮が嫌で嫌でたまらない部分が大きくあります。
指導の話もありますが選手自身が「なにがなんでも」と思えるかどうかが実際問題の大部分を占めます。雰囲気がそういう感じにならなければ私が何を言っても変わらない部分はある。必要としてくれる選手がいろいろな場所にいるのだけは確かです。一番必要とされていないのは一番近い場所なのかもしれません。何がなんでも競技をというのは時代錯誤なのかもしれない。が、それを必要としてくれる選手もいる。学校の枠を取っ払ってそういう選手のために何が出来るかを考える時期に来ているのかなと感じています。かなりマジで。
「先入観」や「既成概念」が世の中には存在します。「これまでこうだったから」という部分。自分の中での物差しで測ってしまう。が、色々なことを考えていく必要がある。正直、400mHのインターバルを何歩で走るとかを細かく考える指導者は多くない気がします。これ私の偏見かもしれませんが。選手が何歩でインターバルを走っているのか知らないということもある。下手に「考える」から「先入観」で「これくらいなら何歩」みたいな感じがあるのかもしれません。
多くの場合、「行き当たりばったり」のレースをします。それはそれでいいのかもしれません。減速する部分を減らすことが400mHの面白さでもあります。戦略と戦術で勝てるようになる部分もある。が、何も考えなくても走れる選手もいる。どこに正解があるのかは分かりません。下手なことをすると上手くいかないのかもしれない。
レースパターンを作るのは私の中では「当然」だと思っています。ひょっとするとこれ自体が「先入観」かもしれません。トータルで戦えるようになるかどうか。ここがすごく大切なのだと思います。
とにかく「指導」に関しては考えさせらえることが多い。ここが自分の中で消化できるかどうかは分かりません。自分の中の「先入観」から抜け出せるのか。それは本当に必要なことなのか。時代の変化とともに変わるもの、変わらないものがある。そこは忘れたくない。
まとまりませんが。気持ちがどれだけ保てるか。苦しいなと思います。