またも思うことを。真面目すぎて面白くないですね。まー自分の感覚で書いているので面白くないのは仕方ないのですが。
練習に関して少し話をしました。部活動によっては「今日も練習がある」「休みたい」「やりたくない」と口にする生徒もいます。分からないでもありません。他の生徒は自由にカラオケにいったり、県外に買い物に行ったりしているでしょう。気分が乗らないときに練習する気にならないというのだってあると思います。高校生ですから「やりたくない」と思う事もある。
が、本当にそれで良いのか。練習は「日常生活の一部」になっておかなければいけないと思っています。朝起きたら顔を洗う。家に帰ったらお風呂に入る。これは「当たり前のこと」として生活の中に位置付けられていると思います。練習も同様だと考えています。毎日「練習をする」というのが特別なことではなく「今日も練習しよう」と考えてやるだけのこと。練習をするのが「特別なこと」だと考えていたらこれは大きなストレスになると思います。高校受験や就職試験のように「非日常」のことがあればそれはストレスです。が、練習というのは「毎日あること」「やるのは普通のこと」という感覚でいなければしんどくなると思います。
自分のために必要だからやる。そう思えなければ練習をする意味さえなくなります。今の私のスタイルとして「無理矢理やらせる」というのは避けたいと思っています。ある程度のレベルに達するまでは「半強制的にやる」というのが必要だと思ってます。一定レベルになるまでは幼さもあるのでやり切れない部分もあります。だからある程度の道を示す必要があるのではないかと。ここまでやらないといけないという部分を示さないと分からない部分も出てきます。が、全てが私の顔色を伺いながらやるのは違う。難しい部分ですが。
さらには目標の話もしました。前日に話をした部分の流れです。少し努力したら届く目標を掲げる。それは素晴らしいことのように見えます。自分が努力したら届くかもしれないというのは目標なので誰からも否定されることはない。が、私は以前から「日本一」という目標を掲げています。周りの大人は「無理に決まっている」と否定的に捉えます。が、本当に無理なのか?そこまでの気持ちで本気で取り組んだことがあるのか。
選手に話をする時にある本のコピーを渡していました。目標と自分自身は「惑星」と「衛生」の関係だと書かれていました。運動心理学の分野から考えれば目標は今の力の「110%〜120%」くらいの高さの目標が良いとされています。高すぎる目標は脳が「無理だ」と認識してどこかで諦めてしまうから、と。確かにそうだと思います。少し頑張ったら届く目標の方が一見すると頑張れるのではないかという話です。が、「絶対に出来る」と信じきって取り組めればその目標は「大きな惑星」となり得る。
その「大きな惑星」からの引力は半端ではない。そこに向けてやっていく中で引き寄せられて自分の力以上のものが出せるようになる。周りは否定的に言います。実際に前任校でリレーでインターハイを目指していた時には「無理だ」と言われることも多くありました。それでも私も選手も「絶対に届く」と信じてやっていました。だから届いた。何が何でもその「目標を目指す」という感覚があるかどうか。それはなかなか分かってもらえないかもしれない。
私は届くかどうか分からない目標に対して「絶対にやるんだ」「絶対に出来る」と信じてやっていいる。疑うことなくやっている。春先に今のチームで本気でインターハイを狙っていた。聞かれた人に「インターハイを本気で狙っている」と言っても「また大げさな話をしている」と思われていたと思います。それでも私は本気で狙っていました。選手にも「絶対に届く」という話をし続けていました。バカじゃないのか?と思われるかもしれません。周りは関係ない。自分たちがどこを本気で目指すのか、だから。
私がやるだけならこんな無意味な事はない。選手たちが届くと信じてやっていくしかないのです。それは指導者として絶対に譲れない部分。
うーん。何となくうまく書けないな。思う事はたくさんあるけど言葉にできない。上手く選手に伝わるか。やるのは誰なのか。本気でやらないといないのは誰なのか。そこだと思っています。
また書きます。多分。
練習に関して少し話をしました。部活動によっては「今日も練習がある」「休みたい」「やりたくない」と口にする生徒もいます。分からないでもありません。他の生徒は自由にカラオケにいったり、県外に買い物に行ったりしているでしょう。気分が乗らないときに練習する気にならないというのだってあると思います。高校生ですから「やりたくない」と思う事もある。
が、本当にそれで良いのか。練習は「日常生活の一部」になっておかなければいけないと思っています。朝起きたら顔を洗う。家に帰ったらお風呂に入る。これは「当たり前のこと」として生活の中に位置付けられていると思います。練習も同様だと考えています。毎日「練習をする」というのが特別なことではなく「今日も練習しよう」と考えてやるだけのこと。練習をするのが「特別なこと」だと考えていたらこれは大きなストレスになると思います。高校受験や就職試験のように「非日常」のことがあればそれはストレスです。が、練習というのは「毎日あること」「やるのは普通のこと」という感覚でいなければしんどくなると思います。
自分のために必要だからやる。そう思えなければ練習をする意味さえなくなります。今の私のスタイルとして「無理矢理やらせる」というのは避けたいと思っています。ある程度のレベルに達するまでは「半強制的にやる」というのが必要だと思ってます。一定レベルになるまでは幼さもあるのでやり切れない部分もあります。だからある程度の道を示す必要があるのではないかと。ここまでやらないといけないという部分を示さないと分からない部分も出てきます。が、全てが私の顔色を伺いながらやるのは違う。難しい部分ですが。
さらには目標の話もしました。前日に話をした部分の流れです。少し努力したら届く目標を掲げる。それは素晴らしいことのように見えます。自分が努力したら届くかもしれないというのは目標なので誰からも否定されることはない。が、私は以前から「日本一」という目標を掲げています。周りの大人は「無理に決まっている」と否定的に捉えます。が、本当に無理なのか?そこまでの気持ちで本気で取り組んだことがあるのか。
選手に話をする時にある本のコピーを渡していました。目標と自分自身は「惑星」と「衛生」の関係だと書かれていました。運動心理学の分野から考えれば目標は今の力の「110%〜120%」くらいの高さの目標が良いとされています。高すぎる目標は脳が「無理だ」と認識してどこかで諦めてしまうから、と。確かにそうだと思います。少し頑張ったら届く目標の方が一見すると頑張れるのではないかという話です。が、「絶対に出来る」と信じきって取り組めればその目標は「大きな惑星」となり得る。
その「大きな惑星」からの引力は半端ではない。そこに向けてやっていく中で引き寄せられて自分の力以上のものが出せるようになる。周りは否定的に言います。実際に前任校でリレーでインターハイを目指していた時には「無理だ」と言われることも多くありました。それでも私も選手も「絶対に届く」と信じてやっていました。だから届いた。何が何でもその「目標を目指す」という感覚があるかどうか。それはなかなか分かってもらえないかもしれない。
私は届くかどうか分からない目標に対して「絶対にやるんだ」「絶対に出来る」と信じてやっていいる。疑うことなくやっている。春先に今のチームで本気でインターハイを狙っていた。聞かれた人に「インターハイを本気で狙っている」と言っても「また大げさな話をしている」と思われていたと思います。それでも私は本気で狙っていました。選手にも「絶対に届く」という話をし続けていました。バカじゃないのか?と思われるかもしれません。周りは関係ない。自分たちがどこを本気で目指すのか、だから。
私がやるだけならこんな無意味な事はない。選手たちが届くと信じてやっていくしかないのです。それは指導者として絶対に譲れない部分。
うーん。何となくうまく書けないな。思う事はたくさんあるけど言葉にできない。上手く選手に伝わるか。やるのは誰なのか。本気でやらないといないのは誰なのか。そこだと思っています。
また書きます。多分。