感じている部分を。
前の記事にも少し書きました。「こういう風に動かしたいな」という「感覚」があります。以前からいろいろなことをやっています。それが全て「走ること」につながっていくといいなと思っています。しかし、「目に見えた成果」が分かりにくい部分がある。例えば「バランス系」でT字や片足支持などをやる。さらには「体幹バランス補強」として「手足の同調」と「身体の中心から動かす」「軸の感覚」を意識した練習を入れます。これは「やっているだけ」になりがち。手を伸ばした時に「身体のラインがまっすぐになるかどうか」が重要ですが、ひじが曲がっていたり、足を真っすぐに伸ばせなかったり。これでは「なんとなくやっている」だけで本来的な「練習の目的」を果たせません。
実際の練習では「細かい部分」にこだわっています。正確性を重視。もちろん、それを支えるのは選手が「きちんとやる」という考え方を持っているかどうか。さらには「どのような意味があるのか」を理解する姿勢があるか。この部分が重要だと思っています。どれだけ「組み立て」を考えて説明書を作成しても、実施する側が「とりあえず積めばいいんでしょう?」という感覚で「形だけ」やっていたら「完成するもの」は全く別物になります。
私は料理をしないので例えが適切かどうか分かりませんが。「同じ材料」がある。その「材料」を調理して「料理」を作っていく。美味しいものができるかもしれないし、全く食べられないものができるかもしれない。これは「調理の仕方」に大きな影響を受けます。以前は「調理する」というのは「指導者」がやるものだという感覚がありました。「選手」に対して「正しい指導」ができれば選手は「速くなる」という感覚。これは「間違い」ではないと思っています。
しかし、最近は「料理」をするのは「選手自身」だという感覚が強くあります。私自身は「レシピ」を作って提供する。そのレシピの「美味しく作るためのワンポイントアドバイス」をするのが今の私の役割ではないか。以前は「きちんと料理をしないと」というのを伝え続けていました。「材料」は目の前にあるのだからそれをきちんと「調理」すれば「美味しくなる」という考えだったのかなと。
この1か月間、選手の様子を見ていて気づく。こちらが距離を置きながら見ていても「美味しい料理を作りたい」と思う選手は「調理方法」をしっかりと吟味しているのです。「作りなさい」と言われてから「レシピ」に従って「作るだけ」ではなく、「どうすればこの食材を美味しくできるか」とか「食欲がわく形に切れるか」などを考えて「工夫」します。それが最後に「料理」として出てくる。
「同じ材料」だから「美味しい料理」になるわけではない。それを調理する「選手自身」が「美味しい料理を作りたい」と思って「創意工夫」をするかどうかだと思います。
「足を上げる」という動作。「とりあえず上げる」のか。「股関節が詰まるようにしたら結果的に足が上がる」のか。同じ「足を上げる」という動作であっても「使い方」や「意識するポイント」がわかるかどうか。それを分かろうとするかどうか。この部分は大きいと思います。
私は「レシピ」を作る。「身体の中心から動かす」「腸腰筋を使って引き揚げる」という「動き」をするためにどのような「順番」でどのような「材料」を配置するのか。やりたい動きに向けて「何をするのか」を考えておく。実際にそれを「選手がどうするか」だと思います。走るメニューを増やせば「速くなる」とは思いません。どのような「組み立て」があって「順番」が存在するのか。1つの順番が違えば「完成品」は全く別のものになる。
中には「塩」と「砂糖」を間違えて「レシピ」を作る人もいます。きちんと「レシピ」を作っても調理する人が間違えることもあります。最後の味付けの部分で失敗するとすべてが台無しになることもある。そういう視点で「競技の指導」を考えると「自分が何をするべきか」が見えてきます。私が「料理する」わけではない。選手自身が「美味しい料理を作りたい」と思って何をするのかだと思っています。
中学時代に競技力がある選手がいたとしても「レシピ」が違えば上手くいきません。同時に「調理する」部分が違えば「全く違う味」になります。そう考えると今やっていることは楽しいなと思っています。「強制的に練習をさせる」という気持ちは全くありません。威圧的に練習をさせることもありません。何人かは見ていると「調理する」ことが「楽しい」んだろうなと感じます。
これまでいろいろな形で「競技指導」をしてきました。今、自分のスタンスが「確立」しつつあるのかなと思います。「競技」について厳しい指導はほぼしません。「取り組みの姿勢」については半端なく厳しくやります。ここは今も昔も変わらないかもしれませんが。
面白いことに「表情」が違います。真剣な表情なのは変わりませんが「自分の身体について知ろう」という部分であったり、「次はこうしてみよう」という意識が歩いている姿にも感じられる部分があります。この流れが本物になれば随分違う結果になるのかなと思っています。「やらされる」のではなく「自分が調理する」という感覚の中で活動ができれば「変わっていく自分」に対してワクワクする部分が出てくるのだと思っています。
とりあえず「レシピ」づくりをしっかりとやりたいと思います。その中で「何を伝えるのか」です。技術的なことだけやっておけばいいという気はサラサラありません。そこだけを求めて「指導してほしい」と言われるのであればちょっとやりたくないなという感じがあります。一時的な変化ではなく「本質的な変化」を生み出すために何をするのか。ここが重要だと思っています。
何の話かよくわかりません(笑)。思いつくままに書きました。
金曜日。この日の朝は前日についての指導からスタート。こういう部分は重要だと思っています。「なんとなくやりすごす」のではない。「基本的なこと」を押さえながら話を進めていく必要があります。
個別に面談をする。これまで「一方的な意見」を聞いて指導することもありました。が、この時に「考えられない行動」を取った者たちが徒党を組んで「事実を捻じ曲げる」ということが発生する。これは今後の指導では絶対に避けなければいけない。一人ずつ別々に話を聞いていきます。どのような状況だったのか、何が起きていたのか。かなりの時間とエネルギーを使いました。「伝わっていないな」と感じる部分も・・・。どうするかを考えていきたいと思います。
午後の練習、これは1時間と決めているのでそのまま。こちらからは特に声をかけずに練習に取り組ませました。私グランドに行く前に練習を始めていました。これは別にかまいません。やることは決まっているので。そこに対してどのように取り組むのか。
月曜日に行ったAメニューを。ドリル系は最小限で。股関節から動かす感覚をどのように作るのかを考えながらです。「見た目の動き」と「やりたいこと」が異なることがあります。「見た目の動き」は「それっぽい」感じになっていても「使いたいところ」に対する意識がきちんと向くかどうか。「同じような動き」では困ります。本当にやりたいこと、実際に走りに生かすためにという部分が最優先。そこは「やりたい動きの理解」ができなければいけないと思っています。
グランドは多少ゆるいなという感じがありました。これは仕方ないかなと。その中で「ハードルドリル」をやっていると「ん?」と感じる部分が。何人かの「切り替えのタイミング」がよくなっていました。これは何がよかったのかわかりません。きちんと「股関節から動かす」という部分ができたのか。感覚をつかめたのか。
一人、どうしても動きが遅れてしまう選手がいます。最後の1本で「股関節を詰める」という話をしました。最後の動きかなり改善されました。どうだったのかを確認すると「これまでは~で、今は~」と具体的に「動きの差」を説明できました。これだけで随分違うと思います。「頭で理解すること」と「身体で体現すること」は違います。少しずつかみ合っていく。実際、ここができれば「ハードルの抜き足」の動き自体も変わってきます。結局走りにつながる動きができるかどうかです。
その後、しばらく練習を遠目に。あえて「細かく見ない」ようにしました。「感覚が分かりかけている」と思ったので余計な情報を与えずにやらせたほうがいいかなと。近くで見ているとどうしても「もっと・・・」という部分が気になります。それは「チャンス」を逃すことになる。意図的に「見守る」ことで「分かりかけたこと」を自分自身の感覚に落とし込んでもらいたいなと思っています。
これまで「軸づくり」や「バランス系」をかなりやってきました。実際は目に見えない部分です。これができたから「速く走れるのかどうか」は別物だと思っています。しかし、「競技に対する意欲」と「身体感覚」がつながっていくと「どのようになっているか」を考えるようになります。これは非常に面白い。練習の中で「股関節」と「腸腰筋」に刺激を入れる動きを入れた後に「ランジ」などを入れて、ハードルドリルをする。これにより「どこを使うべきなのか」を感じ取れる選手が出てきます。
単純に「なんとなくやっている」という選手にとってはこれは「意味のない練習」になると思います。「股関節から動かす」ことが「とりあえず動かす」ことと外見的には一見変わらない部分があるからです。「形をまねる」だけであれば「やっている」ように見えます。が、本来やりたいこととは全く違う。ここをどのようにするのか。
あとで確認すると「台ドロップがうまくできた。腸腰筋を使って動かすと、足で動かすよりもスムーズに持ってこれた。ピタッとはまる感じがした。」ということでした。この感覚。「やりたいな」と思っていることが「実際に感じられる」というのは面白いなと思います。そういう感覚なので「進むな」と思える。そうなると楽しくなります。自分の身体感覚の変化に気づいてそれを「走ること」に落とし込めれば「変化」がある。それを本人がどのように感じるのか。
かなりの選手の動きがよくなったなという感じを受けています。時間はかかります。その場にいてメニューだけを提示して「やっておけ」というスタイルではありません。これまで見てきた指導者できちんと競技指導をされている方に「やっておけ」という方は皆無。関わり方に違いはありますがやはり「何をやろうとしているのか」を明確にしています。指導者は「記録測定係」ではありません。走っているときに「何秒」とタイムを読んで聞かせる係りではない。何をするために「グランドに立つ」のかが重要だと思っています。
良く進んでいました。「どうなのか?」と聞くと「10のうち8」とのこと・・・。なかなか合格点はもらえません。それくらい「もっと改善できる」という気持ちがあるのでしょう。それをこちらが引き出せるか。その「想い」にこたえられるか。重要なことだと思いますね。
なんとなく書いておきます。意識が変われば動きは間違いなく変わってきます。「青春ごっこ」に付き合う気はありません。どこを目指してやるのか。重要なことだと思います。
木曜日。この日は「勉強会のみ」としました。天気予報を見ると一日中雨という予報だったのでそれなら中途半端に何かをするよりも勉強時間の確保をするべきだと判断。朝も放課後も「勉強会」としていました。
勉強会が始まる前段階で数人が「数学を教えてもらいに行ってもよいか」と聞いてきました。この部分に関しては全く問題なと思います。自分が必要だと思って担当の先生にお願いしたのであれば何一つ問題はありません。「勉強会」の場所だけが勉強する場所ではない。学内でやるのですから必要だと思えば自分から頼みにいって実行すればいい。
数人いないので念押しをしようと思って勉強会をしている図書室に行きました。上級生がいないのでワイワイなっています。いやいや。話すために残っているのではない。しっかりと勉強をさせるために「勉強会」をしているのです。「静かにやるように」と伝えました。常に私がその場にいなければきちんと勉強ができないというのでは困ります。自分自身のためにやるからです。練習も同じ。この日の練習日誌に「今日も私語が多かったので次からは気を付ける」という旨の内容を書いている者がいました。いやいや、何度も同じことを書いているのではないか??という指摘はしました。すべてはつながっていると思うからです。
私自身もやるべきことがあるのでその場を任せて自分の仕事を。しばらくして戻ってみると既に何人かいません。え?どういうこと??と思って確認をすると「うるさかった」という話でした。それに我慢できずに他の者が「勉強しないなら帰ってくれ」という指摘をしたようです。それを受けて「しばらくして帰った」とのこと。どうなのか・・・。
もちろん、一方の話だけを聞いて判断するわけにはいきません。どれだけ騒がしかったのか。確認をする必要はあります。「教えるときには別の場所で」「必要最低限の声で」という話は何度もしています。私がその場を離れる時にもくぎを刺しています。それでも「騒がしい」というのはどういうことなのか。そして、気が付いたら勝手に帰っているというのはどうなのか。理解しかねます。
「練習の代わりに勉強会をする」と伝えています。「自由にしなさい」という話は一切していません。用事があって帰るというのを認めていないわけではありません。そうであればきちんと「報告」するべきです。この部分を高校になって初めて教えることなのか。これまでどのような指導を受けてきたのか。通常考えると「勝手に帰る」というのはありません。それも「静かに勉強するように」と伝えているのに「話しながらやる」という行為が生まれる。何故なのか理解できません。
毎回毎回この手のことが繰り返されます。何故なのか。後日話を聞いてみると「自分は勉強の話しかしていない」という者もでてきます。しかし、話を複数人から聞いてみると「関係ない話をしていた」という内容も出てきます。自覚なく「大きな声」出話し、自覚なく「関係ない話」をしているのです。これはもう大変なことだと思います。自分自身の「価値観」や「感覚」だけで動いている。周囲からどのようにみられるのかは分かっていない。
先日から練習中の「取り組みの姿勢」について話もしています。「きちんとできていない」と思って話をしましたが日誌には「先生の目から見たらきちんとやっていないように見えたかもしれないが、自分は精いっぱいやってる」と書いてありました。いやいや、ずっと座って話してたよね??と確認しても伝わりません。これは「価値観」や「基準」の違いなのです。どれだけ話をしても「平行線」のままかもしれないなと感じています。
特別に私が「基準」を高く設定しているわけではありません。「普通」だと思っています。しかし、私にとっての「普通」は他者にとって「届かない高さの設定」なのかもしれません。大半の選手はきちんとできるようになっています。それは「特別なことができるようになっている」だけなのか。その部分はわかりません。客観的に見たときにどうなのか。ここも見極めないといけません。
何故同じようなことが繰り返されるのか。要因をしっかりと考えなければいけないと思っています。間違いなく「理由」がある。これはうちだけのことなのか、他校でも同じことなのか。この部分をしっかりと考えながら見極めながらやっていく必要があると思っています。「問題点」を「問題」としてとらえないということもあるのかもしれません。補助員などで他校の生徒と関わるときに「え?」と思うことがたくさんあります。
伝えていく能力が低いのかもしれません。もっと私自身が考えるべき部分です。大半の選手が劇的に成長しているのも確かです。そこの部分とのギャップを感じながらやっていくことになるのかもしれません。非常に難しい。考えさせられます。
思うことを。
現場にいると「変化」や「成長」を近くで見ることがあります。身長が伸びたというような「外見」ではなく、物事に対する取り組みや考え方が変わってくる「内面」の変化です。これは気づくか気づかないかという部分もあります。何となく見ていると気づかないことが多い。できる限り偏見なく注視していくことが求められると思っています。
「一つのことに一生懸命になる」という部分。これは何であっても重要だと思っています。それが「勉強」でもいい。「音楽」でもいい。何か「必死になれるもの」を生活の中で見つけることができれば「輝く」ことができると思っています。
が、ひたすら「勉強」だけすればいいのか。それも違う気がします。「単語を覚える」「公式を覚える」ことだけにエネルギーを注いでもそこから何を生み出すかが重要だと思っています。「部活動」を中心にする人からは「勉強ばかりやって」という言葉が出ますし、「勉強」を中心にする人からは「身体ばかり動かして」というような言葉が出ます。何故か「どちらか一方が正しい」という判断になる。本当はどちらもが大切。
表面的な「文武両道」は簡単だと思います。「勉強」をしながら「運動」もする。この部分だけであれば多くの生徒が実施していると思うからです。しかし、「突き詰めてやっていく」という部分からすればどれだけの人ができているだろうか。頭の「良い」「悪い」という表現はふさわしくないかもしれませんが「勉強がめちゃくちゃできる」生徒がいるのも現実問題あります。一生懸命に勉強をしたとしてもその生徒には勝てないという子は数えきれないくらいいる。逆もしかり。
「勉強する」から「運動しない」というのも違うのかなと。もちろん、全員が運動をするわけではないのでその部分はありだと思っていますが。「部活動」などの活動に参加する。中学時代は勝てていた相手に勝てなくなる。そんな時に「勉強がメインだから」という逃げ口上をするのは「文武両道」ではない。もちろん、勉強時間にかなりのエネルギーを要するのは分かっています。しかし、「文武両道」を謳うのであれば「どちらも一生懸命にやる」というのが大切なのかなと思っています。「成績で1番になる」ことを目指すというのではなく「最大限の力でやり続ける」という意味です。
世間の批判は「部活動」だけをやって進学していく中高生の存在に向きます。そしてそれを「絶対的な正義」だと思う「指導者」に対しても同様。「競技成績」がよければ他の活動がおろそかでもいいという部分なのかなと。私の知る限りそこまで偏った「指導者」は存在しない気がしています。知らないところでいるのかもしれませんが。「勉強」だけやっていればいいという「教育者」は往々にしている気はしますが。
何かをすればそれなりに「偏り」は生まれます。そういう私も関りが浅い人からすれば「競技指導ばかりやっている」と思われるでしょう。否定しても別に何も得をしないので言いたい人には勝手にどうぞと思っています。表面的な指導ではない部分にかなり力を入れていますが、「競技ばかりやっている」と思われるタイプなので。
大切なことを見ながらやっている。それだけは確かだと思っています。日々の生活の中での「変化」に気づく。昨日と表情が違えば声を掛けます。普段と様子が違えば「何かあったのか?」と呼びます。また、「何かあったんだろうな」と特別感じるときはあえて何も言わずに様子を見たりします。そうやって「みる」ことで何かの「変化」に気づくのだと思います。「練習さえやればいい」とは思いません。「勉強」だけとも思いません。
「部活動」をする。その中で「普段との違い」に気づきやすいと思っています。座学で勉強しているだけでは気づかないことがある。「行動面」や「表情」の変化を見ることができます。ひょっとすると優れた「教育者」であれば毎回の授業で「この生徒の様子が違うな」と気づくのかもしれません。40人の生徒一挙手一投足に事細かく目を行き届かせることができる人もいるのでしょう。私には無理です。
キャパが小さいというのもあると思いますが、「陸上競技」を通じて「日々の変化」を見ています。限られた選手の数に対してでしか対応できていませんが。全ての生徒に対して最大限の配慮をし続けることができるのかどうか。今の私には難しいなと思っています。
日々、グランドで様子を見る中での「変化」があります。「陸上競技」を通じて「伝えるもの」がある。そして目を輝かせてそれをやろうとする選手がいる。これは私としては幸せなことだと思っています。幸い今はそういう選手が複数名います。これは大きい。選手に恵まれているという部分もあるでしょう。だからこそこちらも「グランドレベルで」見ていく。選手の望む方向に進んでいけるようにサポートしたい。そう思っています。
ちなみに「レッドビーシュリンプ」も同じです。日々の変化に対して「気づき」が必要です。時間をかけて観察することで「何か違うな」と感じるようになる。単純に「みている」だけでは分からない部分です。かなりの数のエビの区別がつくようになってきました。まー、明らかに模様が違うエビもいるのですが。そうやって見ていく。重要だと思っています。
うーん。書きたかったこととずいぶん内容が異なってきました。まーいいか。
水曜日。テスト週間に入っているので1時間程度の練習としました。当然ですが。関係なく練習をするというのではなく一応メリハリはつけてやりたいなと思っています。勉強時間の確保のためにどうするか。天気予報が「木曜日は雨」となっていたので木曜日は勉強のみにすることを伝えておきました。この時期に「無理に練習する必要はない」と思っています。
メニューはCメニュー。少しジャンプ系を増やす日です。とはいえ1時間程度しかできないのでそれをどのように組み込むか。考えようです。バランス系をやってからシャフト補強Bを。見ていると全くできない者もいます。1か月程度やってきたはずなのですが「種目」も分からなければ「ポイント」も分からない。「興味があるかどうか」だと思っています。「必要」だと思えばメニューも覚えると思います。このメニューをやったらどうなるかは考えるようになる。「いつまでも覚えない」というのはやはりそれなりの「理由」があると思います。せめて「どのような動作なのか」くらいは興味関心を持ってもらいたい。
この期間中にしつこく言い続けているのが「時間をどのように使うか」です。動きの確認をする時間はありません。そうなると「合間の時間の使い方」が重要になります。歩いて戻る時間さえも「惜しい」と思えるかどうか。トレーニングがトレーニングとして独立していたら「意味はない」と思っています。全ては「走ること」につながらなければいけません。「筋力を上げる」というのは「走るため」に必要だからやるのです。単純に筋力をあげればいいという話ではない。ここを見極めながらやっていく必要があります。
シャフト補強を終えてから「ハードルジャンプ」を。シャフト補強である程度「体幹を締める」感じを作っているのでそれを「動き」の中で体感する時間としています。補強と走りの間に入れるのが常ですが限られた時間の中なので「走る前」に入れるようにしています。案外ジャンプする者も・・・。この潜在能力はかなりのものだと思いますがそれを引き出せるかどうか。まずは「普段の行動」の部分からかな・・・。
続けて「リズムランジ」を。今、「バランス」「トレーニング」と「固定」「ドリル」の間に必ず「股関節の使い方」を意識するメニューを入れています。「ハードル股関節」であったり「ランジ」であったり。この部分をうまく走りにつなげていきたいなと考えています。「腸腰筋」の使い方や「股関節が詰まる」という感覚を作りたい。「身体の中心から動かす」という「言葉」が先行する傾向があります。そうではなく「どうすればそれができるか」を考えて実施する必要があるなと。ドリルなどよりもこちらの方が効果は高いかもしれません。
動きの確認は一切せずにそのまま「スイッチング&スキップ」へ。1時間という制約がある中で「優先すること」は何か。そう考えたときに「スイッチング&スキップ」だけは外さないようにしています。うちの「スプリント」の根幹をなす部分です。他の要素よりは重視している。だからこそ「毎日でもやる」というメニューにしています。身体の前で切り替える。重視しています。
で、スピードバウンディングを行ってからタタタ。いつもよりも「跳ぶ」ことを入れています。短時間である程度やりたいことをやるとなるとこのような形になるのかなと。きちんと意識できている選手はそれでも動きが作れるようになります。タタタの前に大半の選手が「股関節を広げる動き」を入れ始めました。これはこちらから何かを指示したわけではありません。「ランジ姿勢」を自ら作っている。それぞれが考えることがあるのだと思います。
最後に「合流走」をやって終了。2本ずつとしました。疲れが抜けてきているのもあって「スピード」は出るようになってきています。そういう感覚を覚えていくことも重要だと思っています。目標を掲げながらどうするのか。今の走りの中でどう戦っていくのか。その辺りもきちんと考えさせながらです。少人数でやっているチームです。それぞれがどのように感じてやっていくか。重要だと思います。
私が見ていて「これは強くなるな」と思う選手が何人かいます。その子たちがどう感じてどのような行動をするか。ここが重要だと思っています。目標値に関して以前ほどこちらから投げかけることはありません。「与えられた目標」ではなく「自分の中から出てきた目標」でなければ「人は変わらない」と思うからです。自分自身が「どこを目指すのか」「何を学ぶのか」によって「やるべきこと」は変わってきます。
この辺りはまた別に書こうかなとは思います。「真剣になる」ことができるかどうか。大きな話だと思います。
想うことを。
7月から『試合再開』という流れが出てきています。各地でまだまだコロナ感染者が出ていますがこのまま「止まり続ける」ことはできない。県外への移動が許可されて2週間後にどうなるか。報道などで「これまで以上に人が集まる」みたいな状況になっている中で「不安」が残ります。なぜ、緩やかに活動できないのか。一気に「解放」されたらまた元の状況になるのではないかという「不安」。見守りたいと思います。外出は極力控えます。
学校が再開して1か月近く経過しました。この中で何をしてきたのか。特に何もしていません。通常運転です。特別なことをやろうという気はないです。googleドキュメントを利用して生徒と一緒に「志望動機」を考えるというのは少しだけしました。これまでだとその場で確認しながら修正するということもありましたが、googleドライブ上に生徒が作成した「志望動機」を使いながら互いに編集することができる。「共有」がかかっていると遺事でそれができるようになる。大きなことです。
あとは「基礎的なこと」をひたすらでしょうか。「提出物」を出しに来た生徒に「なに?」と聞き直すことから。「先生、これ」とだけ言って提出物を出す生徒もいます。ここに対して「何しに来たのか?」と問うようにしています。「何を提出しに来たのか」というのも告げずに「ものだけを出す」というのは通常あり得ない。が、今はそれが「まかり通る」のです。「遅れてすみませんでした」という一言を添える。そういう部分も「徹底しなければいけない」と思っています。
新入生がTシャツを購入しました。「本当に続けるのか」を何度か確認しながらですが。そのお金を提出するときに「封筒」に入れてきます。これは上級生が教えているのだと思います。が、封筒だけ入れて持ってくる選手が半分くらいいます。「何の封筒なのか」「誰が提出したのか」をきちんと記名する必要があります。複数同じものを受け取ったとき分からなくなるからです。「もらった時に教員側が記録を取ればいい」という人もいるでしょう。いやいや、それは違うのではないか??と思います。何でもかんでも「教員側の責任」という形にはしたくない。最低限のことをやるというのは常識レベルだと思います。
「休む時に報告をする」というのも同じです。気が付けば練習も「膝が痛いので」と最初の段階で話してあとは何も言わずに勝手に練習っぽいことをしている者も出ています。これはどうなのか。「現状の報告」は当然ながら必要だと思っています。今の状況がどうなのか。どれだけ回復しているのか。また、どこまでの練習であればできるのか。ここがはっきりしないのに「何かをやる」というのは適切ではないと思っています。
これもことあるごとに伝えていきます。これまでは「問題ない」と思ってやっていたことが許されない。これは「必要最低限のマナー」を身に付けるためには必要なことだと思っています。単純に「走っておけばいい」とは思いません。それ以外にもやるべきことがある。「走ることだけ教えておけばいい」というコメントをもらったこともあります。それは違うかなとは思います。
コロナで「部活動」自体ができなくなりました。「部活動」が学校生活のすべてだと思っている指導者にとってこれは大きな問題だったと思います。「部活動」によって自分の存在価値を示せる。「部活」で「技術指導」をすることで自分の位置を守る。「いつになったら部活ができるのか?」と声を大きくして問う人もいたと思います。いやいや、そういう話ではないでしょう??と思いながら冷静に見ていました。
「部活動」なのかどうなのかは分かりませんが、私は「陸上競技」は「ツール」だと思っています。こちらが伝えたいことを伝える「手段の一つ」でしかない。別に他の方法でもよいと思っています。「教科指導」も同様、単純に問題が解けるだけを求めているのではない。その教科・科目を通じて「何を伝えるのか」だと思っています。「答えを出す」方法を教えるのではない。考え方や取り組み方を伝える手段でなければいけないと思っています。ここは重要。
「陸上競技」は様々なことを教えてくれます。それは他の人にとって「別の方法」かもしれません。それはそれでいいと思っています。私にとっての「陸上競技」は「伝えるべきこと」を選手に伝えるための手段です。技術的な部分を伝えて「変化」を生み出すこと自体も楽しい。しかし、それは「一時的なものでしかない」のです。それよりは「探究する」という部分。自分で工夫して「自分の走り」を変えていく。言われていることを「自分の身体」の感覚に落とし込んでいって「どのように動かすか」を考える。そうやって自分のことについて理解していく。
「身体」を通じての「自己理解」です。それができれば「足は速くなる」と思っています。技術的な部分はこちらで最大限のサポートをします。それは私自身がやりたいという部分もあるので当然のことなのかなという気はしています。しかし、「技術的な変化を生み出す」のが常に私主導では意味がなくなります。自分たちが何をするのか。何のためにグランドに立っているのか。そこからなにをするのか。どうすれば動きが変わるのか。この部分をすべて含めて「陸上競技」だと思っています。
珍しく選手が「残って勉強したい」と言っています。「帰ってもいい」と伝えてはいます。が、残る選手が大半。普段から「陸上競技」も「勉強」も同じだと話しています。すべてはつながっています。「物事に取り組む姿勢」は全てに通じる部分です。ここができるようにならなければ「私がいるときだけきちんとやる」という選手になってしまいます。それでは意味がない。
この数週間でいろいろなことを感じています。少しずつ文字にしておきたいなと思います。少しずつになると思いますが。
火曜日。この日はとにかく暑かった。県内では30度を超えるところもあったようです。健康を害するレベルですね。暑さ対策をしながら活動しなければいけません。
練習は1位時間程度。何人かが「勉強を教えてもらうので参加できない」と申し出てきました。別にこの部分に関してどうこう言うつもりはありません。が、きちんと報告ができない。ゴニョゴニョ言っているだけではこちらには伝わりません。ある者は「先生に教えてもらえるということなので」というような言い方をしていました。いやいや、「日常の小テストの結果があまりにも悪いから呼び出す」と伝えられています。ニュアンスが全く違います。自主的に「勉強をするために」行くのか「普段からやらないからなのか」の違いは大きい。結局はこういう部分は競技に直結すると思っています。
全ての部分はつながっていると思っています。これは「取り組みの姿勢」が同じだからです。「練習」にだけ一生懸命に取り組んで「勉強」は適当にやる。私が「きちんとやるように」を目の前で見張っているからきちんとできて、見ていない時には「手を抜く」という行動では「何をやっても同じ」になると思っています。結果は火を見るよりも明らか。伝わらない厳しさがあります。
この日も1時間程度の練習。バランス系をやってからシャフト補強としました。この時に1年生の女子が「シャフト補強」をしていました。入部当初から筋力がほぼない。腹筋背筋や内転筋などもできない。これは仕方ないことだと思っています。時間をかけて筋力を向上させていこうという話をしてきました。それがこちらから何かを言ったわけでもないのに自ら「シャフト補強」にチャレンジしていました。これまではBでやっていたのでかなり軽い。それでも動きを覚えるだけで大変でした。
練習は正直です。きちんとやればきちんと力が付きます。「走力」としてすぐに現れるとは思いません。しかし、「基礎筋力」の部分は一生懸命に取り組んでいくと間違いなく成果が出ます。こういう部分を見ると嬉しくなります。「適当にやる」選手もいれば「一生懸命にやる」選手も出てくる。この「成長」を近くで見れることはありがたいですね。
シャフトが終わってから股関節を使うためにランジ。これもこれまで1㎏でやっていたのに2㎏でやっていました。何人かは前日に行った「股関節の意識」をきちんと考えてやっていたようです。「膝を出す」だけではなく「股関節を詰める」ことと「膝を出す」ことを組み合わせて意識していました。こういう雰囲気になるとこちらも見ていて楽しくなります。「強くなりたい」と思ってやっているのです。こちらが伝えたことは吸収されていきます。楽しい。
スイッチング&スキップをやってからスプリントミニハードル。メニュー的に少し不足するなと思ったので「タタタ」を入れてから最後にT走。
上記のようなメニューなので「動きの確認」をする時間はほとんどありません。だからこそ「本当に何をやるのか」が問われると思っています。全ての種目の合間に「必要なことを意識する」ことができるか。歩いて戻る時間も「練習時間」です。そこも含めて「動きの確認」をすればいい。「ドリルができないから走りが作れない」というのではなく「与えられた時間をどのように使うか」を考えて行動すればいいと思っています。
何人かは「かなり進むな」という感じがありました。こう考えると「練習の組み方」も工夫が必要です。毎回、「段階を追って走りを作る」という練習にしていると「考えなくてもよい」状況が作られてしまいます。これは今私がやりたいことではない。そうなると「時と場合によって」は「ドリル系をやらない」という日があってもいいなと思います。その中で「自分で感覚を作る」時間を与える。「意欲」に比例すると思います。
うちの選手は「うちの練習」が当たり前だと思っています。残念ながら細かいところまで段階的にやっていくという練習スタイルは主流ではありません。どちらかというとかなり少ない。バーッとやってバーッと走るというチームのほうが多い。「組み立てに最大限の配慮をする」というのはそこまでやりません。慣れすぎないようにしたいなと思います。
その後、勉強会。本人たちが望んだので。テスト期間中くらいは私ものんびりという気はしますが、必要だと本人たちが申し出てきたので。「21時くらいまでは大丈夫です」という選手もいましたがさすがにそれは断りました。塾ではないので(笑)。こういう部分でも差がついていきます。やるかやらないか。どちらが自分にとってプラスになるのか。そこまで考えて動けるようになってもらいたいですね。
回復期にしています。最低限の練習のみ。考えることはたくさんあります。工夫次第で世界が変わると思っています。