船頭多くして船山を登る。この故事は有名だと思います。船頭さんというのは船の行き先を決めて指示を出す人。船員はその指示に従って舵を取り進むための努力をしていく。この故事では一つの船にたくさんの船頭がいることで方向性が定まらず、気がついていたら船が山に登っていたといっています。あれこれ指示を出す人が複数出てくると見当違いの事をやってしまうという例えですね。
先日のこと。本来では全くもってやる必要のない事だったのですが、自分のやるべき準備をするために避けて通れない事がありました。そこにおける責任の所在は明確ではなく誰もやらない。仕方ないので私が指示を出して行動をしていました。大人ですからそれなりに我慢して行動します。が、その途中に別の人が入ってきてあれこれ指示を出し始めました。それにより周りはどう行動したら良いのか分からなくなります。仕事はかなりの時間停滞しました。
私からすればかなり見当違いの話をされています。明らかにやりたい方向と逆方向の指示を出される。何度も説明をするのですがそれが上手く伝わらない。勝手に指示を出されるのですが、やればやるほど上手くいかない。そして気がついたらいなくなっている。で、一番最初の指示に戻してやっていくときちんとできる。これは本当にどうなんだろうかと考えさせられました。一定方向に進んでいた船に乗り込んで来て、進路を間違えたから船を降りる。結局かなりのロスをしました。
効率良く動きたいと思っています。時間には限りがあります。本当に進むべき道を周囲に邪魔されるというのはやはり心外です。これは他の部分でも多く感じます。本来やるべき人に任せておけばいいのに外野(責任がない人)が好きな事をいう。それぞれの立場と関係を把握しないといけないと感じた。まー世の中のトラブルというのはこういうところから発生するというのは明確ですね。発言だけしてその後どうなるかまできちんと考えないのでは有限の時間を浪費することにつながるからです。
こういうのは指導に関しても同じだと感じています。私は性格的に「広く浅く」というのは出来ません。生き方や指導に関してはある一定の軸を中心に進んでいます。特に技術指導に関しては師匠からの教えを軸に考えています。ここはブレないようにしたい。もちろん理解不足ですからオリジナルに勝てるというのは難しいと思っています。が、そこに軸を置いて進まなければどこに進むのか分かりません。
他県に勉強のために行くことがあります。その中で多くことを学びます。これまでとは異なる考え方、スタンスもある。それぞれ考えがあって指導されています。もちろん多くの事を自分の中に取り込んでいきます。本当に貴重な経験ですから。しかし、やはりベースは師匠からの教えに置きたい。様々な事をやってしまうとどこに進んだら良いのか自分自身が進むべき方向性を見失います。それにより船に乗っている船員が困惑する。船頭が迷えば船員は何をすれば良いのか分からなくなる。指導者が技術的な事でブレるのは良くないと思います。
指導方針も同様かなと。ブレてしまうと進めない。ひょっとしたら間違っている事もある。それでも信じて進んでいかないと周りが困惑する。所信表明とは言いませんがそれくらいの気持ちでやっていかないといけないのではないかと感じています。道は真っ直ぐではない。また、一つでもない。それは承知の上です。ブレまくっていたら貴重な時間をロスする。もちろん多くのアドバイスや指摘に耳を傾けながらになると思います。時には立ち止まるかもしれない。それでも進みたい。
なんとなく思うことを書きました。
先日のこと。本来では全くもってやる必要のない事だったのですが、自分のやるべき準備をするために避けて通れない事がありました。そこにおける責任の所在は明確ではなく誰もやらない。仕方ないので私が指示を出して行動をしていました。大人ですからそれなりに我慢して行動します。が、その途中に別の人が入ってきてあれこれ指示を出し始めました。それにより周りはどう行動したら良いのか分からなくなります。仕事はかなりの時間停滞しました。
私からすればかなり見当違いの話をされています。明らかにやりたい方向と逆方向の指示を出される。何度も説明をするのですがそれが上手く伝わらない。勝手に指示を出されるのですが、やればやるほど上手くいかない。そして気がついたらいなくなっている。で、一番最初の指示に戻してやっていくときちんとできる。これは本当にどうなんだろうかと考えさせられました。一定方向に進んでいた船に乗り込んで来て、進路を間違えたから船を降りる。結局かなりのロスをしました。
効率良く動きたいと思っています。時間には限りがあります。本当に進むべき道を周囲に邪魔されるというのはやはり心外です。これは他の部分でも多く感じます。本来やるべき人に任せておけばいいのに外野(責任がない人)が好きな事をいう。それぞれの立場と関係を把握しないといけないと感じた。まー世の中のトラブルというのはこういうところから発生するというのは明確ですね。発言だけしてその後どうなるかまできちんと考えないのでは有限の時間を浪費することにつながるからです。
こういうのは指導に関しても同じだと感じています。私は性格的に「広く浅く」というのは出来ません。生き方や指導に関してはある一定の軸を中心に進んでいます。特に技術指導に関しては師匠からの教えを軸に考えています。ここはブレないようにしたい。もちろん理解不足ですからオリジナルに勝てるというのは難しいと思っています。が、そこに軸を置いて進まなければどこに進むのか分かりません。
他県に勉強のために行くことがあります。その中で多くことを学びます。これまでとは異なる考え方、スタンスもある。それぞれ考えがあって指導されています。もちろん多くの事を自分の中に取り込んでいきます。本当に貴重な経験ですから。しかし、やはりベースは師匠からの教えに置きたい。様々な事をやってしまうとどこに進んだら良いのか自分自身が進むべき方向性を見失います。それにより船に乗っている船員が困惑する。船頭が迷えば船員は何をすれば良いのか分からなくなる。指導者が技術的な事でブレるのは良くないと思います。
指導方針も同様かなと。ブレてしまうと進めない。ひょっとしたら間違っている事もある。それでも信じて進んでいかないと周りが困惑する。所信表明とは言いませんがそれくらいの気持ちでやっていかないといけないのではないかと感じています。道は真っ直ぐではない。また、一つでもない。それは承知の上です。ブレまくっていたら貴重な時間をロスする。もちろん多くのアドバイスや指摘に耳を傾けながらになると思います。時には立ち止まるかもしれない。それでも進みたい。
なんとなく思うことを書きました。