思うことを。
競技指導をする。このことに何かしらの意味があるのか。今のご時世、部活動にこだわってやっていく必要性があるのかどうか。別に部活をやらなくても責められるわけではない。何十年も前は「部活動で生徒の面倒を見る」というのがあったのだと思う。放課後に放っていてたら問題行動を起こす危険性があるので部活動で時間を決めて面倒を見る。組織づくりの基礎だったのかもしれない。
「やりたくない」と希望する者に強制的に何かをやらせるというのは面白くない。先日、ニュースで中学校の部活の記事が取り上げられていた。保護者が部活動に所属している生徒を何人か殴ったというもの。そこにいた顧問も何もなかったかのようにこうどうしていたという内容。記事に書いてあるだけなのですべてではないと思う。マスコミは切り取って「悪」を作り出すのがうまい。それに乗っかる人も多い。事実かもしれない。違うのかもしれない。そこは分からない。
中学校では「専門外」の人が部活動指導につくことが多い。「教育活動の一環」という考え方で担当する顧問に「ボランティアを強制する」ことになる。好きでやっている人はいいかもしれない。そうでない人もいるというのを我々も理解しておく必要がある。そして、「善意の行為」に頼って部活動が成立するという時間が過ぎてきた。強制的なボランティアになる。やりたいからやるという部分とはかけ離れている。それが今の時代の部活動。
「物言わぬ教員」がいたからこそこれまでそのシステムが成立していた。これからはどうなんだろうか。興味関心がない。本来業務とはことなるというドライな考え方が主流になれば今の「部活動」というシステム自体が崩壊するのは目に見えている。元々「善意」という不安定な土台の上に成り立っていた組織。崩れ去るのは目に見えていた。それでもずっと続いている。そこをどうとらえるのか。
色々な話をする。考えさせられる。こうなったら「クラブチーム」のような形が一番良いのではないかという話になる。競技を通じて人間教育をしていくという考え方は変えない。競技から学ぶことは多い。それでも今の事態は「楽しいこと」が自分の身の回りにたくさんある。運動をしなくてもいい。多趣味な子がいてもいい。そうであれば「強制的な活動」になる意味はない。誰も幸せにならないから。
週休2日の部活動。平日2時間の部活動。それが「一般的に受け入れられるもの」なのかもしれない。そこまで本気になってやらなくてもいいじゃないかという感覚。実際問題、「部活動」というシステムがあるから競技をできる生徒が多いというのは事実だと思う。「クラブチーム」を設立してその活動だけで指導者が生計を立てていくことを考えると「会費」が必要になる。ある程度お金に余裕がない状況であればクラブチームに所属して活動することも困難になる。部活動は「ボランティア」だから。担当する顧問に特別な資金が提供されるわけではない。完全に「善意」というものに頼っている。