本当は色々と書きたいのですが。少しだけ。
惜しくも中国大会に届かず男子の「目標」はここで潰えてしまいました。
しかし、本当によく走ってくれたと思います。最終日、すべてが終わった後に男子キャプテンの保護者と話をする機会がありました。「中国大会を目標にやってきたが届かなかった。申し訳ない。」という話をすると「最後の最後に最高の走りを見ることができて良かった」と言ってもらえました。これまで感情を強く表に出さずにやっていました。性格的に人前で誰かを引っ張るというのは苦手なタイプです。それでもこの半年以上はチームリーダーとして引っ張ってくれていました。走力が抜群に高いわけではありません。それでも一生懸命に練習はやっていました。
最初は諦めていたマイルも4継が9位になった後に「最後のチャンスにかけてみよう」と話をしてチャレンジすることにしました。400m系の練習は全くしていません。4人のうち1人は幅跳び選手です。通常で考えれば「予選が通るかどうか」の力ですが「なんとか中国に行こう」と話し、本人たちは「その気」になってくれました。アンカーは一生懸命練習をする選手です。力的にはまだまだ足りません。しかし、「絶対に中国に行く」という気持ちは持っていてくれました。他の者はアンカーまでに戦える位置に持ってきておかなければいけないのです。予選で1走が全く動いていませんでした。400mで準決勝まで進んでいる選手ですがかなり遅れてきました。もう終わったのか・・・と思っていたらそこから幅跳び選手と男子キャプテンが必死に追いかけてくれました。アンカーに渡った時には3~4番手。力的にはかなり差があるにもかかわらず本当によく走ってくれてプラスで準決勝へ。全体の9番目のタイムでした。
準決勝、これもエースの個人種目の関係で予選と同じメンバーで。通常であればどう考えても不可能な水準です。最低でも4秒は違いますからね。それでも私は「行ける!」と信じていました。予選の走りを見て「きっと何とかしてくれる」と。準決勝は1走が本当によく走ってくれました。そのまま勢いに乗って2走もまずまずの位置。3走の男子キャプテンも必死でくらいついてくれてかなり良い位置でバトンが渡りました。走力的には差がありますが「気持ち」だけで持って行ってくれました。粘りに粘ってくれたのですが最後の最後に少しだけ抜かれてしまい組の6番目となりました。残念ですが決勝には進めませんでした。しかし、タイムは3分30秒00。このメンバーで出たタイムとしては考えられない記録です。エース不在の中で決勝に残れるかもしれないというところまで行ったのは本当に価値があると思います。ここまで力を出してくれたのだから勝たせてあげたかった・・・それが本当のところです。指導者の力不足だと思います。
話が戻るのですが。総体後、保護者と話をしました。「最高の走りを見ることができて良かった」と涙ながらに話をされていました。3年間の集大成という意味でも中国に進めてあげたかった。保護者の前で「最高の走り」を本当に見せることができたのかどうかは私にはわかりません。しかし、本当に良く走ってくれたと思います。
上手く書けません。最後に男子キャプテンの最後の日誌の抜粋を載せておきます。何かを感じ取ってもらえたらと思います。
「・・・。正直、自分の力では県で戦えないというのは分かっていた。個人では戦えないからこそリレーで勝ち上がりたかった。自分もそのために頑張ってきた。
両方ともあと少しだった。ほんのちょっと自分に力があれば行けたのかもしれない。悔しさが残る。
でも、このチームでリレーを組めて良かった。このチームで一緒にやっていかなかったら今の自分はないと思う。先生や親、今まで支えてくれた人には本当に感謝している。支えがあったからこそ自分はここまで生きたと思う。同じ目標を持つチームがあったからこそ本気で中国を目指せた。
自分がキャプテンとして後輩に何もしてやることはできなかったかもしれない。自分についてきてくれて嬉しかった。一緒に目標に向かっていけることができて良かった。」
惜しくも中国大会に届かず男子の「目標」はここで潰えてしまいました。
しかし、本当によく走ってくれたと思います。最終日、すべてが終わった後に男子キャプテンの保護者と話をする機会がありました。「中国大会を目標にやってきたが届かなかった。申し訳ない。」という話をすると「最後の最後に最高の走りを見ることができて良かった」と言ってもらえました。これまで感情を強く表に出さずにやっていました。性格的に人前で誰かを引っ張るというのは苦手なタイプです。それでもこの半年以上はチームリーダーとして引っ張ってくれていました。走力が抜群に高いわけではありません。それでも一生懸命に練習はやっていました。
最初は諦めていたマイルも4継が9位になった後に「最後のチャンスにかけてみよう」と話をしてチャレンジすることにしました。400m系の練習は全くしていません。4人のうち1人は幅跳び選手です。通常で考えれば「予選が通るかどうか」の力ですが「なんとか中国に行こう」と話し、本人たちは「その気」になってくれました。アンカーは一生懸命練習をする選手です。力的にはまだまだ足りません。しかし、「絶対に中国に行く」という気持ちは持っていてくれました。他の者はアンカーまでに戦える位置に持ってきておかなければいけないのです。予選で1走が全く動いていませんでした。400mで準決勝まで進んでいる選手ですがかなり遅れてきました。もう終わったのか・・・と思っていたらそこから幅跳び選手と男子キャプテンが必死に追いかけてくれました。アンカーに渡った時には3~4番手。力的にはかなり差があるにもかかわらず本当によく走ってくれてプラスで準決勝へ。全体の9番目のタイムでした。
準決勝、これもエースの個人種目の関係で予選と同じメンバーで。通常であればどう考えても不可能な水準です。最低でも4秒は違いますからね。それでも私は「行ける!」と信じていました。予選の走りを見て「きっと何とかしてくれる」と。準決勝は1走が本当によく走ってくれました。そのまま勢いに乗って2走もまずまずの位置。3走の男子キャプテンも必死でくらいついてくれてかなり良い位置でバトンが渡りました。走力的には差がありますが「気持ち」だけで持って行ってくれました。粘りに粘ってくれたのですが最後の最後に少しだけ抜かれてしまい組の6番目となりました。残念ですが決勝には進めませんでした。しかし、タイムは3分30秒00。このメンバーで出たタイムとしては考えられない記録です。エース不在の中で決勝に残れるかもしれないというところまで行ったのは本当に価値があると思います。ここまで力を出してくれたのだから勝たせてあげたかった・・・それが本当のところです。指導者の力不足だと思います。
話が戻るのですが。総体後、保護者と話をしました。「最高の走りを見ることができて良かった」と涙ながらに話をされていました。3年間の集大成という意味でも中国に進めてあげたかった。保護者の前で「最高の走り」を本当に見せることができたのかどうかは私にはわかりません。しかし、本当に良く走ってくれたと思います。
上手く書けません。最後に男子キャプテンの最後の日誌の抜粋を載せておきます。何かを感じ取ってもらえたらと思います。
「・・・。正直、自分の力では県で戦えないというのは分かっていた。個人では戦えないからこそリレーで勝ち上がりたかった。自分もそのために頑張ってきた。
両方ともあと少しだった。ほんのちょっと自分に力があれば行けたのかもしれない。悔しさが残る。
でも、このチームでリレーを組めて良かった。このチームで一緒にやっていかなかったら今の自分はないと思う。先生や親、今まで支えてくれた人には本当に感謝している。支えがあったからこそ自分はここまで生きたと思う。同じ目標を持つチームがあったからこそ本気で中国を目指せた。
自分がキャプテンとして後輩に何もしてやることはできなかったかもしれない。自分についてきてくれて嬉しかった。一緒に目標に向かっていけることができて良かった。」