23日の朝日新聞に「CM不況で民放苦戦」という記事が載っていた。
キー局の、4月~6月のスポットCMが9~15%のダウン。営業利益は、テレビ東京以外の局が27~67%の大幅ダウン。売上高もTBS以外は全部マイナスだという。
これは別に目新しい話ではない。企業のテレビCM出稿は、かなり前から減少に転じている。ただ、「キー局全部が横並びで」というところが非常事態っぽいということだろう。
広告に関していえば、テレビはずっと王様だった。同じ情報を、同時に、全国に、しかも多くの人に伝える能力で、長い間、テレビに勝るメディアはなかったからだ。
しかし、ケータイやネットなど、新たなメディアの台頭で、メディアの勢力地図は大きく変わってきた。
また、テレビ局は、あまりに長きにわたって<我が世の春>を謳歌してきた。ずっと<一人勝ち>、いや<楽勝>だった。これほどテレビ局にとって”おいしい”ビジネスモデルはなかったからだ。(要は、儲け過ぎてきたのです)
ネット時代の到来といわれようと、「まだまだイケる」「すぐにはヘタらない」とタカをくくってきた。そんな意識の表出が、現在放送されている、視聴者を完全にアホ扱いしたような、惨憺たる内容のバラエティだったりする。
しかし、さすがにやり過ぎた。視聴者だって、少しずつ進化するのだ。成長するのだ。見ているだけで、時間の浪費どころか、脳が退化していくような「お笑い」系。あまりに薄っぺらな内容・ストーリーが、学芸会レベルで演じられる「ドラマ」もどき。
そういった番組群から、徐々に視聴者が離れ始めた。視聴者にとっての「メディア優先順位」の中で、テレビのポジションが急速に低下していったのだ。
当然、全体の視聴率は下がる。それが下がれば、「広告媒体」としての価値も低下する。企業は「費用対効果」を考え、出稿を控える。だから「CM不況で民放苦戦」。当たり前といえば当たり前の話だ。
では、その結果、テレビ局はどうするか? 入る金が減れば、出る金を抑える。それが「制作費の削減」である。テレビ朝日が20億円、日本テレビは40億円という規模で「削減」する予定だ。(ああ、また制作会社が苦しむんだなあ)
その結果、どうなるか。番組の「質の低下」が起きる。これは明らかだ。質が低下すれば、また視聴者が離れる。離れれば、視聴率が下がる。それを見て、更にスポンサー企業が逃げる・・・といった具合で、どんどん状況は悪くなる。いわば「負のスパイラル」に陥るわけだ。
ここで、先日、このブログにも書いた樋口尚文さんの『「月光仮面」を創った男たち』 (平凡社新書)を思い出す。
あの本の中で語られていた、昭和33年、映画とテレビ、2つのメディアの栄華と衰退が交差する話だ。著者の樋口さんは、いみじくも、序文にあたるところで、次のように書いている。
「未知なるメディアが生まれ出ずる時の人びとの反応や行動のありようは、テレビメディアとインターネットメディアが拮抗する二十一世紀にも敷衍できるものだろう」
もしかしたら、いや、かなりの確率で、現在、私たちは、後の時代の人びとから「巨大メディアのターニングポイント」と呼ばれることになる状況を、ナマで”体験”しているといえるのだ。そう、あの「月光仮面」が放送され始めた昭和33年のように。
キー局の、4月~6月のスポットCMが9~15%のダウン。営業利益は、テレビ東京以外の局が27~67%の大幅ダウン。売上高もTBS以外は全部マイナスだという。
これは別に目新しい話ではない。企業のテレビCM出稿は、かなり前から減少に転じている。ただ、「キー局全部が横並びで」というところが非常事態っぽいということだろう。
広告に関していえば、テレビはずっと王様だった。同じ情報を、同時に、全国に、しかも多くの人に伝える能力で、長い間、テレビに勝るメディアはなかったからだ。
しかし、ケータイやネットなど、新たなメディアの台頭で、メディアの勢力地図は大きく変わってきた。
また、テレビ局は、あまりに長きにわたって<我が世の春>を謳歌してきた。ずっと<一人勝ち>、いや<楽勝>だった。これほどテレビ局にとって”おいしい”ビジネスモデルはなかったからだ。(要は、儲け過ぎてきたのです)
ネット時代の到来といわれようと、「まだまだイケる」「すぐにはヘタらない」とタカをくくってきた。そんな意識の表出が、現在放送されている、視聴者を完全にアホ扱いしたような、惨憺たる内容のバラエティだったりする。
しかし、さすがにやり過ぎた。視聴者だって、少しずつ進化するのだ。成長するのだ。見ているだけで、時間の浪費どころか、脳が退化していくような「お笑い」系。あまりに薄っぺらな内容・ストーリーが、学芸会レベルで演じられる「ドラマ」もどき。
そういった番組群から、徐々に視聴者が離れ始めた。視聴者にとっての「メディア優先順位」の中で、テレビのポジションが急速に低下していったのだ。
当然、全体の視聴率は下がる。それが下がれば、「広告媒体」としての価値も低下する。企業は「費用対効果」を考え、出稿を控える。だから「CM不況で民放苦戦」。当たり前といえば当たり前の話だ。
では、その結果、テレビ局はどうするか? 入る金が減れば、出る金を抑える。それが「制作費の削減」である。テレビ朝日が20億円、日本テレビは40億円という規模で「削減」する予定だ。(ああ、また制作会社が苦しむんだなあ)
その結果、どうなるか。番組の「質の低下」が起きる。これは明らかだ。質が低下すれば、また視聴者が離れる。離れれば、視聴率が下がる。それを見て、更にスポンサー企業が逃げる・・・といった具合で、どんどん状況は悪くなる。いわば「負のスパイラル」に陥るわけだ。
ここで、先日、このブログにも書いた樋口尚文さんの『「月光仮面」を創った男たち』 (平凡社新書)を思い出す。
あの本の中で語られていた、昭和33年、映画とテレビ、2つのメディアの栄華と衰退が交差する話だ。著者の樋口さんは、いみじくも、序文にあたるところで、次のように書いている。
「未知なるメディアが生まれ出ずる時の人びとの反応や行動のありようは、テレビメディアとインターネットメディアが拮抗する二十一世紀にも敷衍できるものだろう」
もしかしたら、いや、かなりの確率で、現在、私たちは、後の時代の人びとから「巨大メディアのターニングポイント」と呼ばれることになる状況を、ナマで”体験”しているといえるのだ。そう、あの「月光仮面」が放送され始めた昭和33年のように。