碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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渡辺淳一『告白的恋愛論』は壮大な自慢話?(笑)

2010年01月16日 | テレビ・ラジオ・メディア

道内の陸別町でマイナス29度!

札幌も雪は降っているが、陸別ほどの寒さではない(笑)。


今日はHTB「スキップ」の生出演。

北海道出身の作家とその新作を紹介する「碓井教授の徹夜本」コーナーでは、渡辺淳一さんのエッセイ集『告白的恋愛論』(角川書店)を取り上げる。

これまで関わりのあった女性たちとの“恋愛模様”がずらっと並ぶ、まさに告白本だ。

もちろん、作家が文章にするわけだから、事実そのままではあり得ない。

名前はともかく実在の女性が登場することもあり、「書いていいこと」の範囲は守っているはずだからだ。

それに、あくまでも男性側から、つまり渡辺さん本人の側からのみ見た恋愛の経緯である。

エッセイとはいえ、恋愛一代男が語る自伝的“物語”として読むべきなのだ。

しかし、それらを差し引いても、ここに書かれた渡辺さんのモテっぷり、旺盛な恋愛欲は尋常ではない(笑)。

医師として札幌で仕事をしながら小説を書いていた渡辺さん。

やがて、東京に出て本格的に作家として立つことを決心するが、一緒に上京するのは妻ではなく愛人なのだ。やるなあ(笑)。

この女性(このエッセイでは裕子となっている)との“いきさつ”は、後に小説『何処へ』(ヒロインの名も裕子)で描かれる。

そうなのだ。

この本の面白さは、実在の女性、実際の恋愛が、いずれも渡辺作品のモデルとなっていることにある。

前記の『何処へ』の裕子だけでなく、『阿寒に果つ』の純子、『ひとひらの雪』の人妻・霞、そして『失楽園』の凛子にも、モデルとなった女性、モチーフとなった恋愛が存在するのだ。

あらゆる恋愛が、すべて作品の中に取り込まれ、収斂し、昇華する、ということだろうか。

いやあ、作家というのは凄いなあ。

若い頃の渡辺さんは、カノジョに自殺未遂されたり、三角関係のもつれが原因で逮捕されたりと、相当なやんちゃだ。

さらに驚くのは、過去の女性たちはすべて過去かといえば、そうではなく、現在も付き合い続けている女性もいるというじゃないか。

お見事です。

そういう意味では、この『告白的恋愛論』は“壮大な自慢話” (笑)とも言えるのだ。

それにしても心配したくなるのは、作家の妻のこと。

ばんばん恋愛をして、ばんばん小説にして、さらにそれをリアルなエッセイとして書いてしまう夫を持つ妻は、そりゃ大変だろう。

まあ、夫婦のことは夫婦にしか分からないので、そんな心配は余計なお世話かもしれない。

この本から学ぶべきは、渡辺先生の、女性たちに対する「直情径行」(笑)と、「感謝の心」だ。

ただし、素人は安易に真似してはいけません(笑)。


告白的恋愛論
渡辺 淳一
角川書店(角川グループパブリッシング)

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昭和13年の長塚節『土』

2010年01月16日 | 本・新聞・雑誌・活字

札幌・石川書店で、例によって“宝探し”。

今回の収穫の第一は、長塚節の『土』(春陽堂書店)だ。

昭和13(1938)年7月18日発行の第20版。

じゃあ、初版はいつ出たかといえば、同じ昭和13年の5月16日だ。

2ヶ月で20版!

当時、増刷ごとに、どれだけ刷っていたのかは不明だが、とにかくすごい勢いで売れたことは分かる。

昭和13年1月、女優の岡田嘉子が杉本良吉と共に樺太国境を越えてソ連に亡命した。

2月に、石川達三『生きてゐる兵隊』を掲載した『中央公論』3月号が発禁処分。

3月になると、ナチス・ドイツがオーストリアを併合する。

5月には、国家総動員法の施行だ。

国内外の暗雲は急速に広がっており、そんな時代に、この本は出版されている。

巻頭の“序”は斎藤茂吉。次の“「土」に就て”という文章は夏目漱石(明治45年5月に書かれたもの)。

そして、装丁は中川一政である。

一見わら半紙みたいな紙質もあまりよくないし、経年変化で茶色に焼けてはいる。

けれど、とにかく<実物の昭和13年>、<本物の72年前>を手にとっていることに、何ともいえない感慨があるのだ。


もう一冊は、五木寛之さんの『五木寛之北欧小説集 白夜物語』(角川書店)。

昭和45(1970)年に出た、“限定版”初版である。

私にとって、五木さんは高校生の頃から40年にわたる「同時代作家」であり、ほとんどの本はリアルタイムで読んできた。

だが、この限定版のことは知らなかった。

この本が出版された当時、私は高校1年。ページの隙間に、その頃の空気が保存されているような気がするのだ。

昭和13年と、昭和45年に、札幌で遭遇。

やはり古書は面白い。