今日は11月25日。
三島由紀夫の命日だ。
それも、ちょうど40年という周年に当たる。
1970年、いや昭和45年と書かないと三島に悪いような気がするなあ。
その昭和45年11月25日に、当時の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、三島は亡くなった。
昭和の年号と同じ、45歳だった。
その頃、15歳の高校1年生だった私は、もう三島の享年をはるかに超えてしまった。
だからどうだ、というわけではないが、三島没後40年を経たこの国の“現在”を見ると、やはり「何だかなあ」の感慨がある。
北朝鮮が韓国に対して、朝鮮戦争以来という砲撃を行った。
韓国側の軍事警戒レベルは、上から2番目まで達している。
そんな中で、この国の首相の口から出てくるのは「情報収集と不測の事態に対する万全の態勢を取るように」という、子ども店長でも言えそうな陳腐な“指示”だったりするのだ。
大丈夫か? ニッポン。
40年前に三島が問うたものに、今、きちんと答えられているのか。
11月25日だからといって、私自身は「憂国忌」に行くわけではない。
ただ、毎年この日には、三島作品、そして“三島本”(三島に関する本)の新刊を読むことにしている。
たとえば、2002年なら橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社)。
05年の中条省平:編・監修『三島由紀夫が死んだ日』(実業之日本社)。
07年には杉山隆男『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(小学館)や、椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮社)などだ。
今年は周年ということもあり、ここ最近、三島本の出版が凄まじい。
目につくものは、とにかく入手しているが、もちろん全部ではない。
とはいえ、こうして新たな角度から、三島文学や三島の思想と行動に光が当たるのは嬉しいことだ。
『別冊太陽 三島由紀夫』(平凡社)
“三島全体”を確認する意味で素晴らしい。
表紙をめくったそこに三島邸の書斎に並ぶ本人の単行本の群れ。これだけでも圧巻だ。
また、亡くなる前年に書かれた、川端康成宛ての手紙での、「小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です」という文言も、いろんなことを思わせる。
村上建夫『君たちには分からない 「楯の會」で見た三島由紀夫』(新潮社)
当時京大生だった著者が、自衛隊体験入隊などを通じて接した三島を回想したものだ。
持丸博・佐藤松男『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(文藝春秋)
「楯の會」初代学生長と日大の反全共闘運動を率いた人物の対談集。
中央公論編集部:編『三島由紀夫と戦後』(中央公論新社)
60年安保闘争、東京五輪、ビートルズ来日などについて書かれた三島の文章を並べた「三島由紀夫が見た戦後」が面白い。
宮下規久朗・井上隆史『三島由紀夫の愛した美術』(新潮社)
こういうアプローチもあったのか、という一冊。タイトル通りの三島が愛した美術作品だけでなく、三島の美術評論も読める。
横山郁代『三島由紀夫の来た夏』(扶桑社)
当時、伊豆・下田の菓子店の“お嬢さん”だった著者が接した、ちょっと素顔の三島。
三島由紀夫研究会:編『「憂国忌」の四十年~三島由紀夫氏 追悼の記録と証言』(並木書房)
巻頭の写真の後に、三島の「檄」全文が掲載されている。
合掌。