碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

気の滅入る話だけどゴージャス

2008年09月15日 | 本・新聞・雑誌・活字

芝山幹郎さんの新著『アメリカ映画風雲録』(朝日新聞出版)が出た。

「映画評論」というほど硬くはないので、勝手に「シネマエッセイ」と呼ばせていただくが、この本、映画好きには、たまらない一冊だと思う。

豊富な資料で映画の製作過程を語るシネマエッセイ集。

コッポラが『ゴッドファーザー』で見せた説得の天才ぶり。キューブリックとピーター・セラーズが生んだ『ロリータ』の悪夢性。そしてイーストウッド監督誕生秘話など、製作者たちの強烈な個性と映画への執念に圧倒される。

読んでいくと、芝山さんは、クリント・イーストウッドが特にゴヒイキなのではないかと推察される。

まず、セルジオ・レオーネ監督とのマカロニ・ウエスタン三部作(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、そして『続・夕陽のガンマン』)の中では、『続・夕陽のガンマン』でのイーストウッドの「引きの芝居」を高く評価している。

また、ドン・シーゲル監督とのコンビによる『白い肌の恐怖』から『ダーティハリー』への流れにも言及。シーゲルと映画会社との”戦い”の内幕も面白い。

そうそう、映画会社との熱戦や冷戦では、この本で紹介されるコッポラも凄まじい。

そして、いよいよ監督としてのイーストウッドだ。こちらは『ミリオンダラー・ベイビー』の分析が登場する。原作の映画化を決意する際、「気の滅入る話だ。でも、ゴージャスじゃないか」と語ったというエピソードなど、嬉しくなってしまう。

この本の巻末には、参考文献として、かなりの数の洋書が並んでいる。芝山さんのシネマエッセイは、こうした第一次資料の読み込みから生まれる。だから、繰り出されるエピソードが生き生きしているのだ。


ところで、この芝山さん。詩人であり、スティーブン・キングなどの翻訳家であり、スポーツにも造詣の深い評論家であり、なおかつ秀逸な映画エッセイをお書きになる・・・と、実に不思議な方なのだ。

アメリカ映画風雲録
芝山 幹郎
朝日新聞出版

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当たり前のニュースは本当に当たり前か

2008年09月14日 | 本・新聞・雑誌・活字

『五衰の人~三島由紀夫私記』(新潮社)などの著作で知られる徳岡孝夫さんは、元毎日新聞編集委員。78歳になる現在も、エッセイや評論で健筆をふるっていらっしゃる。
 
新著『ニュース一人旅』(清流出版)は、この10年間に伝えられた106のニュースをめぐる時事エッセイ集だ。

当たり前のように送り出され、当たり前のように受け取っていたニュースが、徳岡さんの手にかかると、まったく別の側面が見えてくるから面白い。

たとえば、少年による凶悪犯罪の報道に接して、「条件反射みたいに人権!と叫んで犯人を守るのは、おかしいじゃないか」と指摘する。

また、北朝鮮が予告もなく日本海にミサイルを撃ち込んだときは、「日本人はなぜ怒らないんだ」と憤る。

さらに、中国製殺虫剤入りジョーザの問題でも、何が起きても謝らない国との「対等でない友好」に再考を迫っている。

そして、徳岡さんが特に心配しているのが教育問題だ。小学生に対する中途半端な英語教育を止めて、国語の基盤を作れと説く。

提言は小学校高学年に『平家物語』を読ませること。そこには日本人の知と情と意の基礎があるからだという。

いずれの文章にも、半世紀にもおよぶジャーナリスト体験の蓄積が生かされており、読むうちに、ニュースを多面的・多角的に見られるようになる。

現在も、自民党総裁選はもちろん、厚生年金改ざん、事故米の転売問題など、徳岡さんの「見方」をうかがってみたいことが山積みだ。

ニュース一人旅
徳岡 孝夫
清流出版

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もう一つの「スター・ウオーズ」かもしれない

2008年09月13日 | 本・新聞・雑誌・活字

ジョン・ウー監督が「三国志」を完全映画化したという最新作『レッドクリフ』を楽しみにしている。だが、公開は11月。まだまだ先だ。

そこで、その代わりというのも変だが、北方謙三さんの新刊『史記 武帝(一)』(角川春樹事務所)を読む。

これは、「三国志」「水滸伝」に続く、北方版“中国歴史小説”の最新シリーズだ。

「史記」といえば、すぐ思い浮かぶのが、始皇帝や項羽と劉邦の逸話の数々。しかし、北方さんが最初に選んだのは、前漢の武帝・劉徹とその時代である。

物語は、劉徹によって選ばれた二人の男を軸に展開される。

一人は奴僕同然に育ちながら、軍人として生きる衛青だ。執拗に国境を脅かす匈奴に対して「俺の戦に守りというものはない」と言い切り、自ら鍛えた騎馬隊を率いて、果敢に戦いを挑んでいく。描かれる戦闘場面が、壮絶にして美しい。

そして、もう一人の男は、劉徹の意を受けて、遥か大月氏国を目指す張騫である。張騫の名前は、高校時代の歴史の授業を思い出させるなあ。

張騫は旅の途中で匈奴に捕らえられ、彼らと共に暮らして6年。それでも西へ向かう旅を諦めたりはしない。大月氏国と同盟を結び、匈奴を挟み撃ちにするという目的があるからだ。

さらに4年が過ぎ、ついに匈奴の元から脱出した張騫一行は、過酷な砂漠越えに挑んでいく。この執念が凄い。

漢の七代皇帝としての地位を固めていく劉徹。大胆かつ細心の用兵で武才を発揮する衛青。強烈な使命感によって地獄の旅を続ける張騫。男たちの命がけの戦いが同時進行する、壮大な物語の第1章である。

久しぶりの中国歴史大河ロマンだったが、予想以上に楽しめた。これを読んでいる自分と、場所も時代もまったく違うこの物語は、いわば、もう一つの「スター・ウオーズ」なのかもしれない。

史記武帝紀 1 (1)
北方 謙三
角川春樹事務所

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地震と台風と祭りの秋

2008年09月12日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日は北海道と関東で地震があった。特に北海道では震度5弱だ。幸い大きな被害はなかったが、本当に「忘れた頃」に起きるから怖い。

大きな地震がある度に気になるのが、原発などの施設のことだ。本当に大丈夫なのか、という素朴な疑問が常にある。

昨年、新井克昌さんが書いた小説『日本列島放棄』(文藝春秋企画出版部)は、まさにそこをテーマとしていて興味深く読んだ。 

この本をひと言でいえば、起きてはならないが「十分に起こり得る危機」を描いた、迫真のシミュレーション小説。我らが“地震列島”の抱える危うさを見事に物語化している。

200X年8月、連続して巨大地震が発生。最初は宮城沖で震度6強、マグニチュードは8・7だ。東北地方は大被害を受けるが、さらにその沿岸部を大津波が襲う。

牡鹿半島で養護施設を運営する伊澤一哉も何とか非難した。だが、女川原発で働く親友・木原の安否が気にかかり、単独で施設に潜入。

そこでは崩壊した装置から放射能が漏れており、木原の遺体を見つけた一哉も被曝してしまう。

5日後、今度は東南海や東海でも巨大地震が起きた。地震の被害はもちろん、浜岡・川内・美浜・敦賀の4原発でも放射能漏れが発生する。

折りからの超大型台風によって放射能による汚染地域は拡大する一方だ。全体の犠牲者も159万人に達した。

やがて、政府はこの国を「定住不可」と判断。北海道と沖縄の住民を除く9千5百万人を64の国と地域へと脱出させる計画を実施する。それはまさに国土を放棄することだった。

被曝以来、体の変調を自覚する一哉は、自らの命と祖国の両方を失う恐怖に直面する・・。

この小説で描かれる、地震による「原発の放射能漏れ」と、「台風による放射能の拡散」というダブルパンチが、あり得ないことではないところに怖さがある。

日本列島放棄
新井 克昌
文藝春秋企画出版部

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現在の日本は、地震も台風もお構いなしの「総裁選祭り」の真っ最中だ。

これだけ「自民党が望むシナリオ」が明白であるにも関わらず、テレビや新聞、特にテレビがまんま”乗っかる”状態で、5人の候補者を連日画面に登場させている。

こうなると、視聴者は、いつの間にか”自分自身で”この国の首相を選んでいるような”気分”になってくる。しかし、実際はそうではないのだ。

まだ10日ほども、この「お祭り騒ぎ」が続く。どんな報道が為されていくのか、きっちり見ておきたい。

7年目の9月11日に

2008年09月11日 | 本・新聞・雑誌・活字

39年前のニューヨーク。ひとりの日本人カメラマンが、巨大なビルの建設現場を撮影していた。

彼の名は佐藤秀明。着工されていたのはワールド・トレーディング・センタービル(WTC)。そこが出発点だった。

佐藤さんのカメラマンとしての軌跡をまとめたフォトエッセイ『グランド・ゼロ~わが心のワールド・トレーディング・センタービル』(マガジンサポート)が出版されたのは、あのテロ事件の翌年、2002年の9月のことだ。 

ニューヨークに始まり、テキサス州ヒューストンでのアポロ11号取材、そしてカヌーイスト・野田知祐氏と共に3年間の世界旅行。

次に、辺境への憧れからアフガンへ。再びニューヨークに戻ると、完成したWTCを撮影した。滝に落ちての臨死体験や、世界に打電された北極点到達など、豊富なエピソードが並ぶ。しかも、すっきりとした文章は、佐藤さんの写真に似てクリアで静謐だ。

2001年12月、同時多発テロから3ヵ月後のニューヨークに佐藤さんは飛ぶ。廃墟と化したWTC。そこが「グランド・ゼロ」だった。

シャッターを切り、知り合いに当時の話を聞いて回った。この時の写真と、建設のプロセスを撮影したものとを合わせて、「鎮魂 世界貿易センタービル」という写真集を出版した。佐藤さんのカメラマン人生は、奇しくも「ゼロからゼロへの旅」そのものとなったのだ。

グランド・ゼロ―わが心のワールド・トレード・センタービル
佐藤 秀明
マガジンサポート

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<9・11>は、やはり大きかった。オーバーに言えば現代史を変えてしまったのだから。

「9・11以降の政治状況なんて、ナショナル・セキュリティとパブリック・セキュリティとソーシャル・セキュリティが一体化して進行するという彼ら(思想系左翼の人たち)の問題提起そのもの」と言ったのは、哲学者・批評家の東浩紀さん。事件の翌年に行われた大塚英志さんとの対談の中の言葉だ。(『リアルのゆくえ』講談社新書)

あれから7年が過ぎたけれども、「9・11以降」という時代がずっと続いたままのような気がするのだ。

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書 1957)
東 浩紀,大塚 英志
講談社

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自由は春のマントじゃない

2008年09月09日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日、千歳科学技術大学での授業を終えた後、食事処「柳ばし」へ。ここは、単身赴任中の6年間、ほぼ毎晩夕飯を食べていたお店だ。お父さん、お母さん(年齢はそんなに違わないのに、息子さんが2人も在学していたので、そう呼んできた)もお元気で、何より。昨夜は特別メニューの「ほたてフライ定食」。やはり、ここの食事はうまい!

「柳ばし」を出た途端、ふと、かつて住んでいたマンションに向かいそうになった。残念ながら、もうないんだよな。明朝のテレビ出演があるので、千歳のホテルというわけにもいかず、電車で札幌まで。馴染みのビジネスホテルにチェックイン。

部屋に入ってテレビをつけると、NHKBSでやっている映画が『チップス先生さようなら』ではないか。こりゃ、いかん。予定の本読みを後回しにしても、見るしかない。

この映画の公開は1969年だが、当時、わが松本の映画館には封切り作品が半年遅れで入ってきていた。だから、私が見たのは翌年の1970年、高校1年のとき。実に38年ぶりの”再会”だった。

主演は、名優ピーター・オトゥール。『アラビアのロレンス』はもちろん素晴らしいが、この作品のオトゥールも大好きだ。舞台女優からパブリックスクール(英国の私立学校であり、中・高一貫教育で、寄宿舎生活を送る)の教師の妻になるキャサリン(ペトゥラ・クラーク)もよかった。

まったく接点がなさそうな二人が互いに惹かれ合い、結婚。周囲はびっくりするが、本当に仲のいい夫婦となり、気難しいとばかり思われていたチップス先生も、実はとても人間味あふれる人物だということが生徒たちにも伝わっていく。

前庭で、生徒一人一人の名前を読み上げるチップス。呼ばれた生徒は校舎に入っていく。教室も講堂も、伝統あるパブリックスクールらしく重厚な建物だ。

戦争の時代になり、学校もまた、その嵐に巻き込まれる。しかし、チップスは自分の信念に従って教育を続ける。こういう、厳しくて、一徹で、あたたかく、誠実な先生の存在は大きい。

私の高校時代にも、戦時中の軍事訓練の光景を話してくださる数学の先生がいらっしゃった。叔父や叔母なども教わった先生だ。公立高校だが、移動せずに、長く母校の教壇に立っている先生が多く、そうした先生方が、学校の校風や伝統といったものを体現しておられたのだ。

映画のほうは、物語の最後の4分の1くらいが、今、こうして見直しても、やはり辛くて、せつない展開になる。けれど、人間にとって、大切なものを教えてくれている。高校生のときには十分に気がつかなかったこともたくさんある。たとえば、ここで描かれる夫婦愛の深さなどだ。

確か、高校時代の担任で、英語の担当だった鎌倉先生は、ヒルトンが書いたこの原作を、私たちが1年生のとき、英語のリーダーのテキストにしたはずだ。ペンギンブックス版だったと思う。

同時に、副読本というか参考文献として、先生が指定されたのが池田潔さんの『自由と規律』(岩波新書)だった。この本で、イギリスのパブリックスクールの教育がどんなものかを知った。また「自由」というものの厳しさも知った。鎌倉先生の当時の言葉でいえば「自由は春のマントじゃない」ということだ。今、思うと、高校1年生に、ああいう本を読ませて下さった先生に感謝したい。

映画の中でペトゥラ・クラークが歌った「あなたと私」も38年ぶりで聴いた。歌詞を結構覚えていた。いい曲だ。ちょっと胸がつまった。

チップス先生さようなら (新潮文庫)
ヒルトン,菊池 重三郎
新潮社

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自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店

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北海道テレビ制作のスペシャルドラマ「歓喜の歌」に拍手

2008年09月08日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨日(7日)、午後2時から、スペシャルドラマ『歓喜の歌』が放送された。

HTB北海道テレビ40周年記念番組であり、テレビ朝日系全国ネットだった。

『歓喜の歌』といえば、立川志の輔さんの創作落語。今年2月には、この落語を原作とした同名の映画も公開された。監督は『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の松岡錠司さん。

小林薫さんが、市民ホールの主任で、二つのコーラスグループの発表会をダブルブッキングしてしまうのだ。映画は、松岡監督らしい優しい目線で作られていた。

そして、今度のドラマ版である。

主演は大泉洋さん。そして演出は、大泉さんたちを道内随一の人気者へと押し上げた番組『水曜どうでしょう』の藤村忠寿ディレクターだ。

見始めて、まず驚いたのは、このドラマが、バラエティのノリとかシャレとかではない、堂々たる正攻法のドラマだったこと。原作の落語にも映画にもない新たなエピソードを加えつつ、笑って泣ける、実にウエルメイドな1本になっていた。このあたりは、鄭義信さんの脚本の力も大きい。

大泉洋さんはじめ、田中裕子さん、大滝秀治さんといった役者陣も大奮闘だ。特に、北海道で制作のドラマに大滝秀治さんが出ているのを見ると、もうそれだけで無性に嬉しくなる。『北の国から』だけでなく、かつてHBC北海道放送(TBS系)が「日曜劇場」の枠で制作・放送した『うちのホンカン』までが思い出されるからだ。

藤村ディレクターは、へんに奇をてらわず、しかし、映像や編集にきっちり情感を込めて、また、決して長くはない時間を目いっぱい使って、急ぎすぎずに物語を展開させていた。見事だった。

そして、このドラマで何よりもいいのは、<北海道の雄大で美しい自然>とやらに頼ってなどいないことである。<人間のドラマ>をきっちり見せてくれたのだ。

ああ、それにしても、『水曜どうでしょう』の大泉さん主演で、『水曜どうでしょう』の藤村さんの演出で、こんな素敵なドラマが見られるとは。北海道の多くの「どうでしょうファン」も喜んでいるだろうなあ。

今年度のドラマの上位に挙げてもおかしくない快作でした。拍手。

志の輔らくごのおもちかえりDVD 1 「歓喜の歌2007」

角川エンタテインメント

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今日(8日)は、午前中の便で札幌へ。午後、3月までいた千歳科学技術大学で授業がある。

ずっと担当してきた「メディアリテラシー」の授業だが、毎週、東京から講義に出向くことは無理なので、「eラーニング」を活用する。ただし、3回ほどは「対面授業」として教室で講義を行うことになっていて、今日はその1回目。

卒業式以来で、久しぶりのキャンパスであり、教室だ。私がいた頃はまだ建築中だった「10周年記念棟」の建物の内部も、じっくり見てみたい。

そして、明日9日(火)は、いつもの番組で、いつものように生放送のゲスト・コメンテーターを務めさせていただく。

●午前9時54分~北海道文化放送「のりゆきのトークDE北海道」

●午後3時45分~北海道テレビの「イチオシ!」

例によって、道内の皆さん、よかったらご覧ください。

朽ち果てていく「昭和の残影」へのレクイエム

2008年09月07日 | 本・新聞・雑誌・活字

写真家の丸田祥三さんといえば、廃墟や廃線などをモチーフにした代表作「棄景」シリーズがすぐ思い浮かぶ。

すでに役割を終え(それだって人間側の勝手な都合なのだが)、そのまま置き去りにされ、あるいは捨てられた風景が見せる、怖いような静けさと、奇妙な美しさ。丸田祥三さんの写真は、そういうものに気づかせてくれた。

新しい写真集『廃電車レクイエム~昭和の空地にあった不思議なのりもの』(岩波書店)には、やはり捨て置かれた路面電車が並んでいる。

ただ、この写真、いつもとちょっと違う。撮られたのが昭和50年代はじめから半ばのものが多いのだ。それは丸田さんが昭和39年生まれであることを思うと、不思議な気がするはず。

そう、この写真集のほとんどの「廃電車」は、丸田さんが小学生から中学生だった頃に撮ったものなのだ。少年カメラマンの作品集と言っていい。小・中学校時代、すでに廃電車に魅せられ、全国を撮影して回っていたことに驚く。

当時撮られた、公園の片隅や、高架下で朽ち果てている路面電車たち。その凄絶な風景は<昭和の残影>そのものでもある。


廃電車で思い出すのは、以前ボスニアのサラエボで見た風景だ。

93年頃の内戦で、サラエボは壮絶な市街戦の場となり、多くの市民が犠牲となった。昔からの墓地では、市民の遺体が収まりきらず、急遽、オリンピック公園の敷地を掘り起こして新しい墓地を作ったほどだ。

この市街戦で、大量の路面電車が、砲弾や銃弾を受けて動けなくなった。サラエボ市内には、その廃電車がまとめて置かれた「電車の墓場」と呼ばれる場所があった。

どの電車も、車体の側面は銃弾の穴だらけで、ガラスは一枚も残っていない。この中に乗客がいたなんて信じられないほどの有様だ。

電車と電車の間を歩いたり、車内に入ったりしてみたが、天気のいい日だったにも関わらず、そこだけ重たい空気が満ちていた。今はもう、静かに朽ちていくのを待っているだけの路面電車だったが、内戦の痛みを語っているようだった。

かつて、そこに人が乗っていたからこそ、せつない風景。丸田さんが、この写真集に、「レクイエム(葬送曲)」というタイトルを付けた気持ちが、少し分かるような気がする。

廃電車レクイエム―昭和の空地にあった不思議なのりもの
丸田 祥三
岩波書店

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生きていくからには、こういうことはあるんだよ

2008年09月06日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日は、大学院修士課程の院生たちの中間発表だった。

15分間のプレゼン、5分の質疑応答。全員がパワーポイントだが、その使い方というか”使いこなし”には結構な差がある。

書き込み過ぎたパワポは見づらい。さすがに院生だから、話していることが、そのまま文字になって表示されることはないが、ずらりと文字が並んでいると、こちらも、ついそれを読もうとして、説明を聞くほうがおろそかになってしまう。

修士論文のプレゼンテーションもまた、一種の<ストーリーテリング>である。物語の向こうに、未知の世界を見たいのだ。「そうか、そういうこともあるのか」と言わせて欲しいのだ。てなことを、次々と大量のパワポを見ながら思っているほうもヘンだけど。


佐高信さんと田中優子さんの共著『拝啓 藤沢周平様』(イースト・プレス)が出た。お二人の本は、それぞれ読ませていただいているが、共著ってところが興味を引いた。しかも、お題が藤沢周平だ。

藤沢作品を、それほどたくさんは読んでいない。しかし、『海鳴り』『孤剣 用心棒日月抄』『蝉しぐれ』などは、腹にどーんときた。

この本には、藤沢周平をめぐる対談と、佐高さん・田中さんそれぞれのエッセイが収録されている。特に、この対談が面白い。それは、ときどき佐高さんの「過去」「実話」が話の中に顔を出すからだ。佐高さんは、なぜ故郷を離れざるをえなかったのか・・・。

肝心の藤沢作品についてだが、佐高さんは、こんなふうに言う。「負けて初めて知る人生」「渋が転じた甘さ」だと。

また、田中さんは、主人公たちが「大志を抱かない」「いつも何かに後悔している」、さらに「自分を優先させずに、しかし、しっかりと自分自身を生きている」とおっしゃる。

確かに、このあたりが藤沢文学の魅力かと思う。

こんな言葉も出てくる。「時代小説を書くことで、現代では視えなくなったものが、よく視えてくる」のだと。だから、「リストラが進行し人々が追い詰められている状況で、藤沢文学が人々に切実に読まれる」のだ。

藤沢文学に関して、「生きていくからには、こういうことはあるんだよというふうに書いてある小説」というのが、この本で一番気に入った一言だった。

読了後は、当然、藤沢周平が読みたくなった。

拝啓藤沢周平様
佐高 信,田中 優子
イースト・プレス

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20世紀少年たちは、どこかで21世紀を生きている

2008年09月05日 | 映画・ビデオ・映像
映画『20世紀少年』を見た。

浦沢直樹さんの原作漫画は、1999年の連載開始から2006年まで、ずっと「ビッグコミックスピリッツ」で読んできた。

映画になってもおかしくない面白さだけど、本当に映画で見られるようになるとは思っていなかった。やや、感無量。

しかも、堤幸彦監督は、漫画の読者も裏切らなかった。

60年代、70年代、90年代、そして2015年と、時代も軽々とワープしつつ、複雑になりそうな物語展開も見事にさばいている。

出演者も、こうなってみれば、「これしかないかも」と思えるほどのハマリ具合だ。特に69年当時の少年たちの顔、姿、動きが素晴らしい。

子どものころの遊び。子どものころの夢。大人が決めつけるような意味では、素朴でも単純でもない少年たちのこころが、その闇の部分まで含めて描かれる。

また、使うべきところで有効に使われるVFXもいい。ちゃちな感じや手抜きもなし。「本格科学冒険映画」の面目躍如だ。

見終わって、もう明日にでも「続編」が見たくなった。Tレックスの「20th Century Boy」が頭の中で流れ続けている。来年1月が待ち遠しい。

20世紀少年―本格科学冒険漫画 (1) (ビッグコミックス)
浦沢 直樹
小学館

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連日、メディアが伝えるのは自民党総裁選ばかりだ。しばらくはこれが続くと思うと、うーん、困ったねえ。

以前の、安倍さんから福田さんへの時もそうだったが、自民党のトップが、そのままこの国のトップとなる現行システム、そろそろヤバイんじゃないか。

漫画好きの麻生サンは吉田茂の孫。与謝野馨サンは与謝野鉄幹・晶子の直系。石原伸晃サンはパパの東京都知事と共に「父子で東京と日本のダブルトップ」かい? 

どうにもユーウツになりそうなキャスティングだが、一方の民主党も、なんだかピリっとしてないしなあ。

こんなとき、『20世紀少年』に出てくる<友民党>みたいなのが実際に登場したら、現在の政治や政党のテイタラクにあきれている若い人たちを吸収してくかもしれない。

人と人の距離、過去と現在の距離

2008年09月04日 | 本・新聞・雑誌・活字

ミステリー小説、警察小説を読んでいると、物語の中でさまざまな「殺人現場」に遭遇する。当然、被害者の状態も千差万別だ。そういう意味で、今回の被害者の様子は”凄惨であること”で抜きん出ている。

香納諒一さんの新作長編『血の冠』(祥伝社)。

物語の舞台は青森県弘前市である。ちょっと珍しい、というか私は初めてだ。

この町で殺人事件が発生する。被害者は元警察官の男だったが、その遺体が尋常ではない。頭蓋骨が切断された上に、露出した脳みそに沿って円状に釘が挿し込まれていたのだ。それはまるで被害者が被った王冠のように見えた。

この「血の冠」こそ、26年前に起きた連続猟奇殺人事件と同じ”飾りつけ”だった。当時、「キング」と呼ばれた犯人は結局捕まらないまま、事件は風化していった。

捜査の指揮を執るのは、東京から送り込まれてきた警視庁警視正・風間次郎だ。このエリートは弘前の出身。地元警察署の会計課に勤務する小松一郎とは幼馴染だった。

警察小説の主人公が会計課勤務というのも珍しい。しかし、風間の要請で、小松はこの事件の捜査に加わることになる。

実は、風間と小松には、ある共通体験があった。それはキングとも大きく関係している。それは他人に言えない深い傷として、今も彼らの内に生きているのだ。

やがて、第二の被害者が発見される。これは26年前と同じ「連続殺人」なのか。そして、犯人はあの「キング」なのか・・・。

この小説、舞台が弘前で、主要人物も弘前の人間だから、そのほとんどが方言で、弘前弁でしゃべる。しかも、これだけ全編にわたって方言が頻出する警察小説は珍しい。

「んだばって、俺(わ)だげこごから帰るわけにもいがねべな」てな具合だ。

決して読みやすくはない。ただ、地方都市のもつ土俗的雰囲気、背後にある濃密な地縁や血縁、人間関係などを、強烈に感じさせてくれる。地方の町では、人間同士の距離も、過去と現在の距離も、あまり遠くない。いや、驚くほど近い。 

小松一郎という平凡な名前の主人公が、仕事でも私生活でも、まあ、よく悩む。そして迷う。こんなにヒーローらしからぬ男が事件の真相を追っていく警察小説も珍しいのではないか。

いくつかの「珍しい」が並ぶ本書だが、そのことも含め、力作であり佳作であるのは確かだ。

血の冠
香納 諒一
祥伝社

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中学生はもちろん、オトナたちも、これを読め!

2008年09月03日 | 本・新聞・雑誌・活字

札幌に「くすみ書房」という本屋さんがある。

私も北海道で暮らしてみるまでは知らなかったが、いわゆる町の本屋さんだ。しかし、ただの本屋さんではない。「主張する本屋」「ココロザシのある本屋」なのだ。

本屋の命は棚。どんな本を、どんな風に並べているか。そこに、店主の意思というか、志が見える本屋はいい本屋さんだ。くすみ書房はまさにそれ。

まず、独自の「ブック・フェア」をばんばん実施する。思わず「ワオ!」と叫びそうになるのが、「なぜだ!?売れない文庫フェア」。

<地味だけと味のある「ちくま文庫」800点>とか、<文庫の王様「新潮文庫」の売れ行き順位1500位から最下位までの700点>とか、嬉し涙モノの企画が迎えてくれる。

さらに、くすみ書房を有名にしたロングラン企画が、「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」だ。もう、まんまタイトル通りで、「中学生にオススメの本」を、どどーんと並べている。

「元気になれる本」としては、マーク・トウェイン『トク・ソーヤの冒険』をはじめ、重松清『流星ワゴン』、色川武大『うらおもて人生録』、橋本治『青空人生相談所』などなど。

「新しい自分に出会える本」には、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』はもちろん、小澤征爾『ボクの音楽武者修行』、水木しげる『ねぼけ人生』、みうらじゅん『正しい保健体育』などが入っている。

こんな本が500冊も並ぶ棚の前に、中学生が突っ立って、呆然としている光景を思い浮かべるだけで、えらく楽しい。

いや、それだけじゃない。この「中学生にオススメの本」は、我々オトナにとっても必読の本ばかりなのだ。

500冊は更新され続け、このフェアも、今では北海道内だけでなく、静岡県や愛知県の本屋さんでも実施されている。


こうして、くすみ書房は、本屋さんという既成概念を超えて、進化していく。

3年前には、「ソクラテスのカフェ」という喫茶店を、本屋の地下にオープンした。ここでは、「講演会」も、「朗読会」も、「語学教室」も、「文章講座」も開催される。いわば、町の文化サロンだ。

こんな愉快な本屋さんが存在するのは、一にも二にも、とんでもないことを発想し、実行するトンデモ店主がいるおかげで、それが久住邦晴さんだ。

本屋は人なり!

札幌駅の周辺には、紀伊国屋、旭屋といった大型書店がある。その一方で、こういう元気な町の本屋さんが健闘しているってのが嬉しいじゃないの。

先日、札幌で入手してきたブックレット『中学生はこれを読め!』(北海道新聞社)を開く。例のブック・フェアが本になったものだ。

巻末の<これ読め!500選 2008年版>リストを目で追う。未読の傑作がごろごろしている。あれも読みたい、これも読みたい。そう、本読みのココロは、いつだって中学生なのだ。

中学生はこれを読め!

北海道新聞社

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民主主義は「人並み」のレベルが高くないと判断を間違う

2008年09月02日 | 本・新聞・雑誌・活字

昨日は、五反田で、総務省情報通信政策局情報通信利用促進課(長い!)による「情報通信人材研修事業支援制度助成事業採択」(これも長い)に関する委員会に出席。

帰り際、五反田駅前のブック・ファーストで、漫画家・しりあがり寿(ことぶき)さんの新著、『人並みといふこと』(大和書房)というエッセイ集を入手した。

東海林さだおサンをはじめ、漫画家のエッセイは面白い。漫画を生み出す独特の<発想>や、<ものの見方>や、<ユーモア>が、文章にも生かされているからだ。

「人並み」というキーワードを持ってくるのは、相当人並みじゃないし、実際、エッセイの中身はちっとも人並みじゃない。

たとえば、トモダチというのは結構面倒な存在だって話をしているうち、「でもはっきりいって、オトナになったらトモダチなんかいらないんだよね」なーんて言っちゃう。

トモダチがいなければ、自分がトモダチにどう思われるかで、ぐじぐじすることもなくなるからだ。で、「さびしくないもんな。かえってさっぱりしてるもんな」だって。そりゃまあ、極論だけど、何となく分かるではないか。

そして、こんなことも書いている。

「人並みといえば多数派。多数派が勝つのが選挙。ということは、選挙というのは優れた人が当選するんじゃなくて、人並みの人にとって優れているように思える人が当選するんだろうね。(・・・)民主主義は人並みのレベルが高くないと、いろいろと判断を間違うような政府ができちゃう」

読みながら、「ふーむ、深いぞ、しりあがり寿」などと思っていたら、突然、福田首相の辞任のニュースだ。

また投げ出しちゃったぞ。前総理もそうだったけど、世襲制議員という世界での「人並み」をやらかしたわけね。

苦しいとか、カッコ悪いとか、いじめられてるとか、周りは自分よりバカばっかりとか、そういう環境に弱いんだねえ。「じゃ、いいもん、やめてやる!」って、アンタは子どもか。

自民党内の総裁選挙より、本当は総選挙でしょ。どうしても、選挙で世に問うことはせず、自民党という壜の中で、何とかコトをおさめようとする。それも、もう限界だろうに。

期せずして、しりあがりサンが書いていた「民主主義は人並みのレベルが高くないと、いろいろと判断を間違う」を絵に描いた、いや漫画に描いたような話になってしまったのだ。やれやれ。

人並みといふこと
しりあがり 寿
大和書房

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明日はこないかもしれない、そう思って生きたひと

2008年09月01日 | 本・新聞・雑誌・活字

9月だ。9月ってことは、もう秋なのか。「おいおい、早すぎるよ」と思うけれど、雨が降るごとに季節は進む。こころして、9月に入っていかねば。

川村二郎さんの新刊『いまなぜ白洲正子なのか』(東京書籍)が出た。昨日の日曜日、濃密な北海道2泊3日の休息も兼ねて、ゆっくりと読ませていただいた。

白洲正子と聞いて、すぐ分かる人、「え、誰?」という人、それぞれいるはずだ。それと、「よく知らないけど気になっていた」という人も多いだろう。この本は、そのいずれにもオススメできる<白洲正子入門編的傑作評伝>だ。

白洲正子については、最近だと「白洲次郎の奥さん」という説明もできる。戦後、吉田茂の懐刀としてGHQと対峙した男。数々の伝説に包まれた”風の男”。

その白洲次郎の妻だった正子は、明治時代に樺山伯爵家のお嬢さんとして生まれた。今でいう幼稚園の頃にから能に親しむ。大正時代にアメリカ留学。昭和4年に白洲次郎と結婚。戦中・戦後の昭和、さらに平成を生きた88年の生涯。

文筆家として、能はもちろん、西行、匠の技など、日本の古典、日本の美をめぐる多くの本を書いている。美の優れた鑑賞者、美の目利きでもあった。

白洲正子の著作の一つに、彼女が自らの”師匠”について書いた『いまなぜ青山二郎なのか』(新潮社)がある。今回の川村さんの本のタイトルはそこからきた。そして、「いまなぜ白洲正子なのか」という問いに、見事に答えているのだ。

正子の生い立ち(これが凄いのだが)。時代背景を思うと信じられないような幼少期と娘時代。そして白洲正子となってからの日々。

特に、上記のジイちゃんこと青山二郎や小林秀雄などに接する(というより修行だ)様子は、読んでいて、美や文化について思うこと多く、また決して届かぬ世界への憧れに似た感情が沸き起こる。

著者の川村さんは、「週刊朝日」の編集長や、朝日新聞編集委員などを歴任し、現在は文筆家だ。もちろん白洲正子とも交流があった。随所に、川村さんが接した”実物の正子”が登場し、そのときの正子の”生の言葉”を紹介しているのも、この本の嬉しいところだ。

   「文化とは日々の暮らしよ」

   「明日はこないかもしれない。
    そう思って生きてるの」

   「井戸を一つ掘り当てたと思ったら、
    別のところも掘るのよ」

現実には聞いたことのないはずの正子の声が聞こえてきそうだ。

ただ、実は、たった一度だけ、白洲正子を<目撃>したことがある。会ったのではなく目撃。見かけたのだ。

それは赤坂のそば屋さん「赤坂砂場」でのことだった。ここの「ざる」が大好きで、ときどき行っていたのだが、いつものように食べ終わり、お勘定のお釣りを待つ間、広くない店内をふと見回したら、テーブルの一つに白洲さんがいた。

両側には、一緒にいらしたらしい女性がいて、白洲さんは(じっと見たりはしなかったのでよく分からないが)「ざる」か「もり」かを食べているところだった。

かつて、戦後の占領期における吉田茂を追ったドキュメンタリーの制作に参加していた。その番組で白洲次郎を知り、白洲正子を知った。そして、こんな人たちがいたことに驚いた。

当時、20代後半だった自分にとって、白洲正子は、いわば”歴史上の人物”だったと言っていい。その女性が、目の前でおそばを食べている。ほんの一瞬だけ見た光景は、信じられないような、ちょっと幸運のような、不思議な感じだったことを覚えている。

白洲さんを目撃してからも、数え切れないほど「赤坂砂場」には通ったが、二度とその姿を見つけることはなかった。

この本で、白洲正子という人がなぜ気になるのか、知りたくなるのか、読みたくなるのか、が分かってきた。川村さんは、こんなふうに言っている。

   それは、
   多くの日本人にとって
   「羅針盤」であり、
   「モデル」であり、
   「一陣の風」であり、
   ときに「精神安定剤」であるからだ

いまなぜ白洲正子なのか
川村 二郎
東京書籍

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いまなぜ青山二郎なのか
白洲 正子
新潮社

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そうそう、余談だが、この本の著者である川村二郎さんと、今年2月に亡くなったドイツ文学者で文芸評論家の川村二郎さんは、それぞれ別の人物である。

ある訃報サイトには、亡くなった川村さんの著書として、この本が紹介されていて、びっくりした。ご注意のほどを。