あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

行方不明

2008-01-16 08:38:32 | Weblog


♪バガテルop35&鎌倉ちょっと不思議な物語95回

家で寒さに震えていたらピンポーンと音がした。出てみる毛糸の帽子を被ったひとりの男が立っていた。私の近所の住人だ。
「年明けの今月の7日から自分の70代の母親が行方不明になっている。もし心当たりがあったらどんなことでも教えてほしい」といって手製のチラシを置いていかれた。

当地の行方不明者でいつも思い出すのはおよそ30年前の鎌倉花火大会のときに姿を消した戸塚の女子大生だ。当時早稲田大学の文学部に在籍していた彼女は、たしか専攻が考古学で、鎌倉の歴史古道やハイキングコースを頻繁に訪ねていたそうだが、8月10日の夜に由比ガ浜の海岸からふっつりと姿を消し、以来その行方はピーター・ウエアの映画「ピクニック・アット・ハンギングロック」の少女のように杳として知れない。

こういう言葉を安易に使いたくはないが、いわゆるひとつの神隠しにでも遭ったのであらうか。私が近くの里山を歩いている折など、ふとこの事件を思い出し、もしやここらで暴漢に襲われて谷間に転落したのではなかろうか、などと本人はもとより母独り子独りの母親のその後とあわせていつも気になっていた。

今回も地元消防団や町内会の人たち30名ほどがすぐに近くの山や川辺を捜索したのだが見つからなかったという。私も早速近所のハイキングコースをそのつもりで歩いてみたが、やはりなんの手がかりも無かった。

本人は足が悪いのでそれほど遠くにはいけないはずだが、事件発生以来すでに1週間以上が経過しているのでその生死が危ぶまれる。だれか悪い人間に誘拐されたり広域犯罪に巻き込まれた可能性がある。もしこの顔に見覚えがあれば、ぜひとも鎌倉警察署に連絡していただきたい。


♪粛々と死地に赴く銀の船 亡羊
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君の瞳は6万6千ボルト

2008-01-15 08:59:08 | Weblog


♪バガテルop34&鎌倉ちょっと不思議な物語94回

去年の暮れに兵庫県川西市の住民が携帯電話の基地局から放射される電磁波で耳鳴り、吐き気、不眠などの健康被害が出たとしてNTTドコモを訴え、ドコモ関西が撤去したという記事が出ていた。

携帯電話と健康の相関関係については諸説ある。WHO(世界保健機構)は、電磁波を浴びると頭痛やめまい、吐き気などを訴え、皮膚に赤みやチクチク感を訴える人がいることを認め、その国際電磁波プロジェクトの中で、携帯電話などの高周波電磁波についての調査を行なっており、その最終報告を早ければ来年に出すそうだ。

ところがわが国で電波行政をつかさどる総務省は、これらの症状を疾患とは認めず、あまつさえ科学的な原因調査もせずに「証拠はいっさい確認されていない」とそらとぼけているが被害者や国民不在の「あいかわらずの官僚的な態度」はいかがなものだろうか?

かててくわえて、今年に入ってNOAA(米海洋大気局)は太陽が新たな活動期に入ったことを示す焦点を観測したという。太陽活動はほぼ11年周期で変動しており、活動が活発になる今後数年はGPSの混乱や携帯電話、ATMの停止などさまざまな電子・通信機器に障害が起こる可能性があると警告している。

太陽から放出される電子や陽子などの太陽風によって、地上の送電線や電子製品の回路などに異常な電流が流れ、そのような障碍が起こるというのだが、下手をすると電磁波を上回る騒動になるかもしれない。

私が毎日のように散歩するハイキングコースの途上にある高圧電線塔も、
「今年はちょっとやばいんでねえの。あんたもあんまりおいらに近寄らないほうがいいよ」
と、心配そうに警告してくれた。

♪どすこい6万6千ボルト君の傍にはあまり近寄りたくない

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ある丹波の女性の物語 第41回 大売出し

2008-01-14 09:53:57 | Weblog


遥かな昔、遠い所で第63回

 31年2月の問屋の招待旅行には、両親のすすめで夫婦揃って、修善寺熱海旅行に出かけた。

東京の結婚式から綾部の披露宴に帰る途中、強羅ホテル、奈良ホテルに宿泊して以来12年ぶりの事であった。三津港から眺めた富士山の姿が心に残った。帰路、鎌倉材木座に兄達を訪ね、寒い風の中、江ノ島見物をした。ついでに足を伸ばして、東京自由ヶ丘の姉の所で、次の兄や、妹達とも久し振りにあい楽しい時を過ごした。

 同年6月、27、28の両日には、「開業80周年記念半額大売出し」を行った。開店前から列が出来、朝日新聞京都版に写真入りで報じられる程の大賑わいであった。今では半額売り出し等珍しくないが、40年程前では画期的な催しであった。

正札そのままを半額にするのでレジは大変で、沢山の人に手伝ってもらったが、大盛況裡に終わった。

カレンダー 最後のページに なりしとき
 いよよますます かなしかりける 愛子

虫の音も たえだえとなり もみじばも
 色あせはてて 庭にちりしく  愛子

(深き朝霧の中)11月27日 長男立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
 やがては深く 霧がつつみぬ  愛子


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藤原伊織著「名残り火」を読む

2008-01-13 16:46:37 | Weblog


照る日曇る日第88回

藤原伊織の最後の長編が本書である。著者はいったん雑誌の連載を終えてさらに推敲中に没したそうで、ある意味では未完だが物語はいちおうの結末には達しており、その全貌をうかがい知るうえでの問題はないだろう。

仔細に点検すれば、殺人の動機、プロットの強引さなどの瑕瑾はあっても、登場人物の人間性は見事にえぐられているし、なによりもストーリの吸引力が抜群で、巻末まで一気に読ませてしまう筆力はただものではない。現代の代表的な企業物サスペンス小説であり、恐らくは彼の最高傑作であろう。

作者の最大の武器は、玲瓏玉のごとき音楽性に富む文体である。それは、

「口笛を吹いていたことはおぼえている。なぜ吹いていたかもおぼえている。オーティス・レディングの『ドッグ・オブ・ザ・ベイ』。危うく命をおとしかかった人物のもとに向かう途中、口ずさむものとしてふさわしいかどうか。それは考えもしなかった。自然に口もとから洩れていた。前夜にさんざ聞かされたのが、その理由だったように思う」

という冒頭を一読してもあきらかに感得できよう。

この小説の主人公は四ッ谷駅から医大病院に向かって歩きながら無意識に口笛を吹いている。さうしてその数分後には瀕死の重傷を受けた親友の死に直面し、そこからこの長編ミステリー説がおもむろにスタートするわけである。

口笛だのオーティス・レディングだのドッグ・オブ・ザ・ベイだを引っ張り出し、「さんざん」とは書かず、あえて「さんざ」といなせに記す著者のダンディズムに注目されよ。なにやら村上春樹か欧米の人気作家を思わせる、そのおしゃれで軽快な筆致が、いきなり読者を「ジャージーな」世界に引きずりこむ。

しかしそれはいいとしても、この文章はどこか嘘っぽくはないだろうか。どことなく空虚ではないだろうか?

なぜならわたしたちの人性的直観によれば、ふつうひとは無意識に口笛を吹くことはないし、仮にもしそそうしていたとしても、どういう因果関係でその日そのときその曲を吹いていたかを考察する切実さを持たない。万が一持ったにしても、そのことは人性上も小説のうえでもまったく重要性を持たない。

にもかかわらず、日常の生活感覚からは嘘であり、小説の登場人物の内面性とも無縁な単なる修辞を、著者が大長編の死命を制する冒頭の一文にあえて掲げた理由はなんだろう?

それはひとえに読者サービスのためである。この文全体のベクトルは、自己にも、愛犬ムクにも、飢餓と戦争に苦しむ世界にも、天にも向かわず、読者に向かっている。自分の小説を愛してくれる読者だけに一直線に向かっている。さうしてそのことが、(あらゆる大衆小説と同様の)一定程度の軽薄さと品性のなさにつながっているのであらう。

ちなみに作文のベクトルが自分自身に向かうものを私小説といい、読者に向かうものを大衆小説といい、犬猫座敷わらしに向かうものを童話といい、金に目がくらむものを金権小説、賞や名誉に走るものをリスペクト小説、労働者人民に向かうものを「ああ堂々の社会主義文学」、世界に向かうものを世界文学といい、最後に(なにが最後かは私にもあなたにも分からないが)宇宙もしくは「天」に向かうものを純粋文学という。

天の下に独り座し、天があなたに命じて筆を走らせ、書かせてしまう文章。そこには読者も金も名誉もない。これぞ天知る地知る純粋文学の境地であらう。

どの文学が高尚でどれが劣等という分別はできないにしても、私がもっとも好むものは
この純粋文学である。童話にして純粋文学(宮沢賢治、漱石の猫など)、私小説にして純粋文学(小島信夫など)は十分にありうると思うが、大衆小説にして純粋小説(大菩薩峠?)というのはあまりないようであるなあ。

閑話休題。急いで表題作に戻ろう。

地上から数センチではなく、数インチ浮いた国籍不明の中空の領域こそが作者の得意な、また少しく無理無体な居場所であるが、著者はこの宙ぶらりんの苦しさに耐えながらとうとう最終ページまでたどり着き、さうして結局07年5月17日に俗塵に塗れた生からけざやかに離陸したのだった。

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特報「A@A アート・アット・アグネス アートフェア2008」本日6時まで開催中!

2008-01-13 09:50:25 | Weblog


地下のマーガレットホール「ART@BASEMENT FLOOR」「ギャラリー・カウンタック」のコーナーへ急げ!!

東京神楽坂「アグネスホテル アンド アパートメンツ東京」
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂 2-20-1
TEL: (03)3267-5505
FAX: (03)3267-5513

→ART@AGNES事務局公式HP(http://www.artatagnes.com/)

♪ホテルアグネスのアート展愛犬ムクの絵売れ残りたり 亡羊

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ポール・セロー著「ワールズ・エンド(世界の果て)」を読む

2008-01-12 09:53:54 | Weblog


照る日曇る日第87回

生まれてきて済みません、だの、ここはどこ、私は誰?といった違和感、場違い感は誰しもが人生に懐く感慨だが、ポール・セローの場合は筋金入りだ。おそらくは生まれながらにこの世界に対する複雑なねじれを感じつつこれまで生き延びてきた人なのだろう。

アメリカのマサチューセッツに生まれ、1963年に良心的反戦主義者として平和部隊に入り、アフリカに派遣されてマラウィとウガンダで英語教師をし、ケニアで知り合った英国人女性と結婚して3年間シンガポールで教職についたのちにロンドンに住むという彼の経歴ひとつとっても、あるいは本書に収められた9つの短編のどれを読んでもそのことが強烈に感じられる。

表題の「世界の果て」ではアメリカを引き上げてロンドンのワールズ・エンド(キングズロードに実在する地名)に移住した夫がようやく見出したはずの安住の地で突然見舞われる身震いするような災厄が描かれ、「緑滴る島」では二〇になるやならずで妊娠した、させたニューヨークの若いカップルが、灼熱の地プエルトリコに逃げ出し、サンファンのホテルでボーイをしながら暮らすうちにお互いの愛もさめ、ますます深刻な事態に陥る話だし、「真っ白な嘘」はボストンからアフリカにやってきた男の全身の皮膚から新種のハエの幼虫がぞろぞろ湧いて出るという、まるで悪夢のような、しかも実話である。

このようにセローは私たちがなにかの拍子に陥るかもしれない日常生活の不気味な落とし穴や不条理の裂け目を恐ろしくリアルに描写するが、だからといってどうこうするわけではない。あたかも「とかく世間は昔からこんなものですよ」とでもいうように、主人公も読者もその絶望的な状況に置き去りにして、あっというまに悲喜劇の現場から立ち去るのである。

 ポール・セローほどクールな作家は珍しい。

暗黒層を掘れど光明現れず 亡羊
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メンズウエアの現在

2008-01-11 09:32:44 | Weblog


ふあっちょん幻論第6回


現在の小売業の市場規模はおよそ133兆円、そのうちファッションの市場はテキスタイル、アパレル、身の回り品を含めて約11兆円である。

さらにその内容を見ると婦人6兆、紳士3兆、子供ベビーなど1兆円、という大雑把な比率であるから、やはり主力はなんといってもレディスということになる。それもマスコミなどで話題になるのは外資系の婦人服や雑貨、時計、アクセサリーなどに限られ、国産の紳士服などは長らく氷河期の低迷を続けてきた。

事実メンズ市場は15年連続の前年割れに喘ぎ、中長期的にはメンズ市況の展望は暗い。
国を挙げてのクールビズ、ウオームビズ運動は多少の需要増に繋がったものの、これから団塊世代の一斉退場がスーツの売り上げを大きく奪うだろう。

メンズ専門店のアオキは店名をメンズプラザ・アオキからAOKIに変更して婦人子供服を強化。家族連れの取り込みを図っているし、青山商事なども将来はメンズ比率を5割以下に引き下げようと計画している。

しかし最近の伊勢丹メンズ新館のリニューアルはメンズウエアの昨対300%増につながり、婦人服が不調のアパレル大手も樫山の紳士服売上が久しぶりに昨対増に転じるなど一定程度の回復を見つつある。レディスでヒットした美脚&脚長パンツなどのメンズ版投入がそれなりに実った成果であろう。

もうひとつの要因は、シルエットの根本的な変化である。婦人服では80年代に全盛であった肩パッドを基軸にしたゆったりシルエットが流行遅れとなり、90年代前半にはボディにぴったりフィットするスリムなシルエットの時代がとっくの昔に訪れていたのだが、メンズの世界ではそのシルエットの導入がおよそ10年の長きに渡って遅れ、(私はこれを「失われた阿呆馬鹿メンズの10年」と名づけている)遅れた代わりにナロウ&フィット革命の進行がレディスよりも激烈で、その余波はいまなおヤングからアダルトのシルエット転換に及んでいる。

80年代後半の偉大なるジョルジョ・アルマーニのタック入りのゆったりシルエットは、2000年代に入ってはじめて世界の大衆から否定され、と同時にメンズデザイン業界は大いなる構造変革の時期に突入したのだが、それはわが国ではかの悪名高きライオン丸内閣の成立と期を一にしていたのである。

日本アパレル産業協議会によると、現在の成人男性の保有スーツは平均10.9着で、うち4.2着が不要になったと回答しているが、実はこれこそが女性の肩パッド入りドレスと同様のアウト・オブ・ファッション(シルエット変化による時代遅れ)物で、この偽不用品を強引に電機業界にあてはめると薄型テレビに対するブラウン管テレビに該当するだろう。

従ってもしアパレル業界がこのメンズ不況期を絶好の新規需要転換期ととらえなおし、新しいデザイン企画による新しいマーチャンダイジングとマーケティング戦略を発動すれば、禍転じて福=服となる絶好のチャンスかもしれないのである。

♪千両、万両、億両 子等のため母上は金のなる木を植え給えり

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ぐあんばれ野茂!

2008-01-10 09:54:36 | Weblog


♪バガテルop33

長い長い蹉跌と雌伏と忘却の時期を経て、われらがヒーロー野茂英雄が大リーグのマウンドにまもなく帰ってくる。

1月4日の彼のホームページによれば、彼はカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を交わし、3年ぶりにメジャーリーグに返り咲く大きなチャンスをつかんだ。

ロイヤルズといえば昨年日本ハムを2年連続でパリーグ優勝チームに導いた有能なヒルマン監督が大リーグで初めて采配を執るチームである。万年最下位ではあるが、もう上を見上げるしかない絶望的希望のチームだ。思う存分腕を振るえるに違いない。

野茂は06年6月に右ひじを手術し、07年にはかの偉大なる文学王ガルシア・マルケスゆかりのベネズエラのチームに入団し、成績は悪かったが、黙々とトレーニングに励んでいた。最初のチャレンジャー野茂が、最後にメジャーで勝ち星を挙げたのはデビルレイズ時代の05年6月27日の対ブルージェイズ戦だが、あの火の玉竜巻投球で大リーガーをきりきり舞いさせた野茂のことだ。体調さえ良ければまだまだやってくれるだろう。

昨日の夕刊によれば同じ39歳の桑田真澄投手もパイレーツと正式にマイナー契約を交わしたそうだ。ロッテのエース黒木は去ったが、私の大好きな大洋ホエールズの斉藤もドジャースのリリーフエースとして健在だ。(岡島よりこっちの活躍のほうが凄かった!)

そして私は、松坂や両松井、イチロー、福留、黒田などの旬の選手よりも、一度、二度、そして三度と一敗地にまみれた超ベテラン選手たちが、一球入魂、今生の思い出のように死力を尽くして投げ込むその雄姿と、かなうものならその泥だらけの頬に光る一掬の涙を見たいのである。


闘争を紛争、敗戦を終戦と言い換える人が嫌いだ 亡羊
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ある丹波の女性の物語 第40回 家族の写真

2008-01-09 09:06:02 | Weblog


遥かな昔、遠い所で第62回

昭和30年頃のアルバムの中に、京都岡崎動物園で2匹の象をバックに、私達親子5人を撮った写真がある。これが私達5人揃って外出した、最初で最後の記念写真である。
その頃の小さい個人商店では、家族揃って遊びに出る事など珍しかったのである。

 その年に、鎌倉に住む夫の兄夫婦が、綾部を訪問してくれた。私は留守居役にまわり、みんなで天橋立へ案内した。男の子達は土産物屋で、「岩見重太郎の刀」を欲しいとせがんだが、兄嫁は、平和日本には刀は不要と、買ってくれなかったそうである。如何にも東京女子大出の姉らしいと思った。

 私達夫婦は兄達を京都まで見送り、共に観光バスで京都見物をさせてもらった。土地の物は却って名所には不案内で、東本願寺、清水寺、広沢の池、嵐山の風物は、私達の心を和ませてくれた。

 その頃、店は順調に売上を伸ばし、暮れの31日には用意した商品が、すっかり売り切れるほどであった。


―リエちゃんと山新さんへ行く
病みし身も 次第にいえて 友とゆく
 秋の丹波路 楽しかりけり 愛子

山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
 きびしき秋の みのりを思ふ 愛子

雅子さんご成婚
いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして   愛子     

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島田雅彦著「佳人の奇遇」を読む

2008-01-08 09:26:40 | Weblog


照る日曇る日第86回&♪音楽千夜一夜第31回


「佳人之奇遇」なら明治時代に元會津藩士の東海散士が書いた金髪美人が大活躍する政治小説だが、島田雅彦のそれは金髪や黒髪の美人が大活躍しこそすれまったく非政治的な泰平の御世の音楽小説である。

その音楽とは、私も大好きなモーツアルトの、しかもオペラの傑作である「ドン・ジョバンニ」だから、これを読まずして「なんの己のお正月かな」である。

本作では一夜サントリーホール(コンサート方式のオペラ?)で上演される「ドン・ジョバンニ」の公演を巡る、指揮者や、ドン・オッターヴィオ役のテノールや、そのマネージャーや、会場に集う老若男女の聴衆たちを続々と登場させ、公演のライブ本番をピークとする同時多発的ラブストーリーをグランドホテル形式でいわば映画的に描いている。文体も形式も、小説というよりはまるでシナリオのように要領よく上手に書かれ、エンディングなども鮮やかな切れ味だ。

それでここからは私の想像だが、この作家は現在お金に困っている。あるいは、もっともっとお金がほしいのだ。そこで今回、恐らく著者は映画化とその著作権獲得を期待しながらこれを雑誌に連載したのだろう。

しかし不幸なことに、まだその企図は実現されていない。でももし実現されたなら、お手軽なB級恋愛映画がまたひとつ誕生することだろう。
本質的な紋切り型であり、クリシェであり、よく言えばウエルメイドの音楽ネタ、クラシックネタ、新のだめネタによるスノビッシュな恋愛譚なのだ。

島田はデビュー当初の小説でもこのオペラの登場人物ドンナ・アンナを取り上げたが、ドン・ジョバンニに犯されたドンア・アンナへの執着がこの小説でも継続していて2人のアンナを登場させ、あまつさえこないだのザルツブルク音楽祭で話題になったアンナ・ネトレプコに対しても鋭いふくらはぎフェチ視線を飛ばしているのが、いかにも、な感じだ。余談ながら、大江健三郎もこのふくらはぎフェチで、彼の初期の小説に「自涜型のふくらはぎ」へのこだわりが熱く表明されている。

登場人物のマエストロはどこかハンガリー人のゲオルク・ショルティを思わせる。シカゴ響を世界最高のオケのひとつに育てたショルティは、指揮も見るからに精力的だったがあちらのほうもお盛んで、ある日曜日に自宅にインタビューに来た30歳以上年下の美しいBBCの女子アナと一目ぼれで再婚し、たちまち子をなしたのだった。
また死ぬ前年にサントリーホールにやってきたカラヤンの知られざる姿など、クラシックファンを唸らせる数々のエピソードが、このブレヒト流三文音楽小説の気の利いたスパイスとなっている。

最後のおまけだが、島田は平成の芥川である。しかも芥川と違って長編が得意だ。
されど島田は、可哀相なことに平成の小説家としてはあまりにも知が勝ちすぎるので、偉大な小説家の要件である「小説馬鹿野郎」にはけっしてなれず、そのために一流作家になれず、またそのために血が不足していると誤解されているほどだ。

卒璽ながら、私は芥川は長編が書けない自分に絶望して自殺したと考えている。

左耳の聴こえぬその歌手を音程悪しと罵りしわれ 亡羊

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「A@A アート・アット・アグネス アートフェア2008」へのご案内

2008-01-07 09:42:39 | Weblog


すでにご存知の方も多いと思うが、今週土日の12、13日に「アグネスホテル アンド アパートメンツ東京」で「A@A アート・アット・アグネス アートフェア2008」が開催される。
東京神楽坂の瀟洒なホテルの一室をギャラリーに仕立て、選りすぐりの現代美術作品が多数出品されるのだが、最近のブームを反映して毎回超満員の人気である。

4回目の開催となる今回は、コミッティーによる選考を経たベテランギャラリーをはじめ、 オープンしたての若手ギャラリストが運営するギャラリーが数多く出展し、これまでにないにぎやかで新しい顔ぶれとなっているようだ。

今回最大の目玉は、地下の「ART@BASEMENT FLOOR」で出展される「ギャラリー・カウンタック」のコーナーである。入場したらまずは地下のマーガレットホールを目指そう。

ただし入場料が1000円で、しかも入場するためには、前もって事務局のHPにネットで予約が必要なので要注意。当日いきなり現地に行ってもだめだそうです。

→ART@AGNES事務局公式HP (http://www.artatagnes.com/)


ART@AGNES アグネスホテル アートフェア2008 概要

主催:A@A実行委員会  共催:株式会社アグネス 協力:株式会社ライゾマティクス
コミッティー:オオタファインアーツ/ギャラリー小柳/児玉画廊/小山登美夫ギャラリー/シュウゴアーツ/タカ・イシイギャラリー/タロウナス/ヒロミヨシイ/山本現代/レントゲンヴェルケ

会場 東京神楽坂「アグネスホテル アンド アパートメンツ東京」
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂 2-20-1
TEL: (03)3267-5505
FAX: (03)3267-5513

会期:1/12(土)11:00~19:00
   1/13(日)11:00~18:00
両日ともに受付は終了の15分前まで

入場料:¥1,000


♪小便の泡で描きたる髑髏かな 亡羊

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G・ガルシア=マルケス著「迷宮の将軍」を読む

2008-01-06 09:59:38 | Weblog


照る日曇る日第85回

ラテンアメリカ諸国の統一を夢見て1830年、サン・ペドロ・アレハンドリーナの別荘で47歳の生涯を終えた偉大な革命家であり、軍人であり、政治家であり、詩人であり、歌手でもあったシモン・ボリバールが本作の主人公である。

現在のベネズエラのカラカスに新大陸でも屈指の名家の末子に生まれたボリバールは、その生涯の大半を国内の敵対者や占領者のスペインと戦いながら、1819年36歳の暮れには現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドルを統合した大コロンビア共和国を創設し、国会によってグラン・コロンビア共和国大統領に選出される。

しかしスペインのみならずアメリカ帝国主義に対峙する巨大な南米共和国連合を目指すこの理想主義者の美しい夢は、相次ぐ内外の分離主義者の敵対と裏切りと反乱に遭遇して次第に蝕まれ、政治的にも軍事的にも後退を余儀なくされ、彼の孤独な死によってついに完膚無きまでに潰えたかに見えた。

しかしその後欧州連合の成功に刺激されたMERCOSUR(南米南部共同市場)の大同団結は、ある意味ではシモン・ボリバールの理念と理想の21世紀版ともいえるだろう。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラで構成されたMERCOSURは、人口2億5千万、GDP1兆ドルの実力を備え、アメリカ、カナダ、メキシコのNAFTA(北米自由貿易協定)国と熾烈な競争を繰り広げているのだから。

1989年に発表されたこの小説において、マルケスは長期にわたる取材と膨大な資料の渉猟、研究をつうじて実在した英雄の生涯の最期に肉薄し、「なぜシモン・ボリバールが死に至る病に冒されていたとはいえ、過酷な政治と現実との戦いから逃避し、すべてを放擲するようにして自滅していったか」という謎を明らかにしようとしたが、その執拗なまでのエネルギッシュな追求が、将軍の心の闇に潜む迷宮の秘密を解明することに成功したとは言いがたい。

しかしながら、この小説の冒頭で、

「古くから仕えている召使のホセ・パラシオスは、薬湯を張った浴槽に将軍が素っ裸のまま目を大きく見開いてぷかぷか浮かんでいるのを見て、てっきり溺れ死んだにちがいないと思い込んだ。それが将軍の瞑想法のひとつだということは分かっていても、恍惚とした表情を浮かべて浴槽に浮かんでいる姿を見ると、とてもこの世の人間とは思えなかった」

というくだりを一瞬でも目にした読者なら、たとえ途中で日本列島に大隕石が激突し、関東大震災が再来し、悪夢の2党大連合が実現し、原節子と山口百恵が2人そろってカムバックして仲良く共同記者会見したとしても、最後の最後まで読み続けようと願うに相違ない。


♪道野辺の木の葉を拾いて河に捨つ愚かな人と蔑むなかれ

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森見登美彦著「有頂天家族」を読む

2008-01-05 12:43:27 | Weblog


照る日曇る日第84回

この人の小説は初めて読んだが、とても面白かった。

かつて私がケネディ大統領が暗殺された年に暮らしていた京都を舞台に、主人公である狸の一族と鞍馬に住む天狗と人間の3つの種族が、表向きは人間の姿かたちをしながら現実と空想が重層的に一体化された悲喜こもごも抱腹絶倒の超現実物語が展開されていく。

具体的には実際にぜひ手にとって読んでいただくしかないのだが、血沸き肉躍るカタリこそが小説の本来の魅力であることをこれほど雄弁に証明しているロマンは、この糞面白くもない平成の御世にあって数少ないのではないだろうか?

著者の内部に血肉化された古今の文藻や和漢の典籍の素養、1300年の古都の歴史や土地の記憶が、若き魔法使いの杖の一閃によって縦横無尽に出現し、またたちまちにして消え去る疾風怒濤のありさまを迎え入れ、うたた呆然と見送っているうちにこの奇跡の平安幻想ゴシック小説は大団円を迎えるのだが、とりわけ私は絶体絶命のピンチを脱した狸一族が、狸特製の「偽の叡山電鉄」にうちまたがって丸太町から寺町通りへと全速力で乗り込み、木屋町界隈を風神雷神扇子の暴風で吹き飛ばして金閣、銀閣一家をやっつけるシーンなどは思わず手に汗を握ったことであった。

ちなみにかつて京都の東大路には重厚長大な市電の6番が高野、北白川まで走っており、猛暑の8月には百万遍の交差点から叡電前辺りで鉄路がぐにゃりと曲がっていたことを覚えている。叡電はいまもなお出町柳から叡山に向けて走っているが、本書の内容には叡電よりもこの豪奢な市電のほうがふさわしかっただろう。

それはともかく、金曜倶楽部の面々や冷たい美貌のヒロイン弁天、主人公の恩師赤玉先生、元許婚の海星などなど、すべての登場人物の造型もくっきりと心に残る。作者がいうように、「ああ、面白きことは良きことなり」。小説を読む醍醐味が、ここには満載されている。 
この本の背後に古のカルガンチュアとパンタグルュエルやトリストラム・シャンディの面影を感じる読者も多いことだろう。


♪誕生日に息子が持て来しフリージア母の心に永遠に馨るよ

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ケルアック著「オン・ザ・ロード」を読む

2008-01-04 06:55:07 | Weblog


照る日曇る日第83回

東京の明治通りの千駄ヶ谷小学校の交差点をビクターの録音スタジオ、明治公園方向に下っていくと左側の交差点に河出書房がある。じつはこの近所に私が勤務していたかなり大きな会社があって、よくここまでランチを食べに来たものだった。

さうしてこの一度つぶれて新社になって再出発はしたものの、はかばかしいヒット作を出せないでいるこの小さな出版社を、「いまにつぶれるだろう、そのうちつぶれるだろう」と思っているうちに、あにはからんや私の会社のほうがどどーんと倒壊してしまい、私自身も弾き飛ばされたばかりか、いまやその社屋の跡形もない有様を見るにつけ、人の浮世のはかなさと私自身の読みの甘さとおろかさをふたつながらに痛感する次第である。

その、小さいけれど不倒翁の如きその出版社から、2度目のジャク・ケルアックの代表作が出た。前回は福田実の訳でタイトルは「路上」、今度は青山南の新訳で題名が原題をカタカナに変えた「オン・ザ・ロード」になったが、訳者や全集編集者の池澤夏樹ががたがたいうほど大きな変化があるわけではない。中身はおんなじジャク・ケルアックのロード小説である。一人の海のものとも山のものともつかない若者がなにかに憑かれたように何度も何度も北米大陸を横断する話である。

「ディーンに初めて会ったのは、妻と別れてまもない頃だった。ひどい病気から立ち直ったばかりのときだが、その話はあまりしたくないので、くたくたに疲れた別れのごたごたと、なにもかもおしまいだというぼくの気分が原因の病だった、とそのくらいにしておく。ディーン・モリアティの登場で、ぼくの人生のもうひとつの章、路上の人生とでも言えそうなものが始まったのだ」という出だしの文章を読んだだけで、村上春樹じゃないが、「やれやれ」という気分に駆られるのはなぜだろう。

なんだか分からないけれどここに人生に行き悩んだ若者がいて、その仲間もいて、ワアワア騒いでいて、突然春が来て、モンシロチョウなんぞがひらひら舞って、「そうだ、京都行こう」ならぬ「そうだ、サンフラン行こう」と喚いて無一文でヒッチハイクの旅に出る。あとはお決まりの女と酒と大冒険という、それだけの与太話である。

誰だって旅には出たいし、世界一週旅行をやりたいし、実際にやるやつはやっただろうが、そのやったリアルな話が誰にとっても面白おかしいわけではありません。同じ旅行記でもスイフトや芭蕉ならホラも交えて面白く読ませてくれるが、自分の体験よりは友人の実体験をぐだぐだ書き連ねただけの実録メモランダムが、現代の大方の読者を楽しませてくれるとは私には思えない。

なんでも英語の原文で読めば珠玉の名文であるらしいのだが、全然外国語を解しない私にはこの小説めいた駄文に1950年代という時代に生きたビート世代の生の記録以外の文学的価値があるとは到底思えない。当時の「KY」という時代の空気が彼に書かせ、時代が支持しただけの吹けば飛ぶよな一過性の文章であるよ。

訳者のあとがきによれば、ケルアックはアレン・ギンズバークの詩集「吠えるHowl」やウイリアム・バロウズの「裸のタンチNaked Lunch」も「ビート・ジェネレーション」という言葉そのものも命名したそうだ。彼の最大の手腕は、本文そのものではなく、「On the Road」というタイトル作りに存分に発揮されたのである。


♪おみくじを引かずに帰る鎌倉宮 亡羊
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神津朝夫著「山上宗二記入門」を読む

2008-01-03 09:30:54 | Weblog


照る日曇る日第82回

お正月といえば、なんとなく初釜やお茶の会などを思う。

もうずいぶん昔になるが、私は東京の裏千家のお茶の会の末席を汚したことがある。どんなものかと興味津々だったが、しかしてその実態は、書画や茶碗を無暗に褒めたり、その凡庸な茶碗をひっくり返して無名の銘をしかつめらしく確認したり、飲む作法にもいちいち勿体を付け、あまつさえ主人のくだらない俗悪至極のいわゆるひとつの人生訓を長々と垂れ、さらには菓子の切り方だの座り方だの、手水の使い方だのの瑣末な規則が次々に東海の粗野な蛮人(私のことです)の前途に入れ替わり立ち代り登場し、文字通り痺れが切れた私はほうほうの体でその「こていなお座敷」を逃れ去ったのだった。
以来表も裏も真ん中の千利休も千昌男も忌み嫌って茶席をごめんこうむっている。

ところが、かつて私が憎み軽蔑していた某国のトーリー党党首の獅子のごとき髪の持ち主が、「お茶なんて自分流に勝手に飲めばいいんですよ」と豪語しているのを聞いて、彼の主張と政策に対する全面的な敵対者であった私も、そのときばかりは珍しくも共感したことを覚えている。

たかがお茶である。くだらない能書きや儀式なぞ実力で粉砕して、ただぐいっと飲んじまえばいいのだ。

と思いつつ、この本を読みました。

さて山上宗二は天文13年(1544年)生まれの堺の商人兼茶人で、師匠である辻玄哉から乗り換えて兄弟子の千宗易(後の利休)に師事した。信長、秀吉に重用され一時は千宗易、津田宗及、今井宗久など堺の10人の会合衆の上位にランクされる茶道の指導的な役割を果たしたが、秀吉の小田原北条氏攻めの際に気狂い太閤の常軌を逸した怒りをかい、鼻耳を削がれつつ哀れ非業の死を遂げた。尊師利休の死に先立つことわずか一年であった。

宗二はおそらく当時唯我独尊の境地に酔っていた秀吉の行き方を批判的に直言してこのような極刑を受けたといわれているが、幸いにも日本茶道の黎明のありかを伝える一冊の本を遺した。それが「山上宗二記」で、茶の湯の歴史や茶室の変遷、古今の茶人の来歴、茶道具名物のその所有者と伝来、茶人心得などについて書かれた本邦最初の書籍である。

私は立花実山が元禄時代に編纂した利休直伝の茶道書「南方録」を一読して、これぞ茶道の極意と勝手に考えていたのであるが、著者によればこれは偽書であり、茶道の始まりは「南方録」が唱えるように足利義政ではないというので驚いた。その義政にわび茶を伝授した村田珠光が元祖であり、そのあとが大名茶の武野紹鷗、そしてそのさらにあとを否定的に継承したのが辻玄哉や千宗易、田中宗二という流れになるそうだ。

また著者によれば茶の湯は禅宗とはまったく無縁の存在で、茶道中興の祖紹鷗は浄土宗だし、そもそも禅院茶礼では釜を据えて客の前でお点前が行なわれることはないという。
 おまけに、幕末の大老井伊直弼に「茶湯一会集」という茶道本があり、ここで直弼は茶の湯の交わりは一期一会と喝破したことで有名だが、この考え方は「山上宗二記」の引用によるとものだということを、私は本書によっておそまきながら知ったのだった。

♪初日の出今年も市中に山居せむ

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