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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2013年弥生 蝶人花鳥風月狂歌三昧

2013-03-31 06:22:18 | Weblog



ある晴れた日に第125回



これやこのロック縄文時代のシャウトなりジェームズ・ブラウン『Out Of Sight』

狂気のきわみにあらず冷徹の叡智が光る出口なお「お筆先」

貧者の一灯のごと天上の音楽ごと美しき夢に満ちたり王仁三郎の碗

ママ友が「ドメバ」にさんざん殴られて逃亡するが「ハピネス」にだんだん近づく話なりけり

果樹園を車で走るのはよせと勧告すれど管理人はしたたかに居直る

藪椿万朶の赤が墜つる日に一枝の桜咲きにけり

ホト突かれアクメに達せしヒロインの絶叫哀し白昼の映画館

電通に都市文化デザイン部があるといういったい誰が何するところ?

磯風は雪風の砲雷撃にて撃沈されたり四四年四月七日坊ノ岬

一国に一つの核をあげませうそれとも全部捨てますか?

なにゆうてけつかんねんAbbé蚤糞おんどりゃどたまかち割ってくりょうか

御所人形、張子に芥子に加茂人形、お江戸の春は人形尽し

さらば市川團十郎そこにはいつも江戸の春風が吹いていた

ソロモン沖津波注意報でズタズタにされたモーツアルトを聴いているところ

クライバーン、マリ=クレール・アラン、サヴァリッシュ、今宵賑わうクラシック冥界

スタインウエイの鍵盤の上でもつれる男女ジョン・ケージの音楽のように

小鳥らの卵も木の皮もむさぼり食うめあな憎たらしタイワンリスめ

わが街で作っておりし口紅をこれからはベトナムで作ると資生堂がいう

なにゆえにユネスコ遺産登録に拝跪する鎌倉に鎌倉時代の遺物なし

大量の空気を運ぶバス多しこれもこの国の豊かさなるかや

ツイッツターで発句をバンバン叩き出すそんな貴方は平成の西鶴

地に紅き星々散らす花なればドウダンツツジを満天星と読むらめ

わが庵に美人姉妹並び立つ紅白の梅とつおいつ眺めて

恥ずかしそうに咲いていました「スーパースタア」という名の赤きバラ

九十越えしそば屋夫婦張り紙したり「五十六年間有難う」

六十年の歴史を閉じた浅羽家よこんなことならもう一度鰻を食うておけばよかった

さようならさくらもひともたてものもみんなみんなきえさってゆく

弥生三月ほうやれほ仕事よ早く飛んでこい

とろとろと柚子を煮てゆく昼下がり

柚子煮ればやがてジャムとなるめでたさよ

悪き奴眠れる間は悪事せず

3.11に歌を歌えぬ歌人かな

日銀の総裁に上り詰めたる味気無さ

節分や追われた鬼はどこへ行く

いざいかむルリビタキ遊ぶ朝夷奈峠

生れたての春風運ぶや無人バス

春一番御所人形のごとき童かな

わが妻が己に飾る内裏雛


――北冥に鯤ありてその名をタカシ・オカイとなす。その大いに遥遊すること幾千里なるを知らず。

歴歴と地層を貫き刻まれしわれらが痛苦なるZeitgeist1994―2003

腰をかがめよろよろとそこを行くのは満身創痍のオイディプス王にあらずや?

「混沌」あるいは「偉大なる暗闇」とでも称すべし 闇の底に微かな光あり

知らざりきわがミク友の加藤、大辻両先生岡井門下の逸材なるとは

知らざりき元社青同解放派のゲバルト隊長小嵐九八郎岡井門下とは

名古屋、京都、大阪、東京、維納、激烈な羈旅のまにまに生まれし歌どち

前衛も古典も仏足石歌体も横書きも英数俗語入りもいち早くみなやり尽くされたり

ある時はヤハウエの如く激情に駆られ またある時はブッダの如く微笑えむ われらを激しくインスパイアーする君よ

短歌俳句詩評論音楽美術性愛テーバイのアルス・ノヴァ七つの大門ここに集う

<秋風や煉瓦につよく惹かれゆく>俳句のオルドルよりも短歌のアナルコサンジカを選び給えり

生くるため男は不条理を耐え忍ばねばならん歌人悩ます深夜の沈黙電話

若すぎる愛人に挑む老詩人たとえ壮年の騎乗に及ばずとも

ぬばたまの夜のいくさは熾烈ならん城を枕に討ち死にするのみ

ぬばたまの闇の奥より流れいで曙の春に溶け入る歌のはかなさ

バッハ聴きベルク、ペルトを好むきみ などてモザールを愛し給わぬ

われもまた美しき女流ヴァイオリニストの右腕の脇の窪みの暗がりを見ている

いくたびも青森核燃訪ねたる歌人にして きみWHYなおも原発に拠るる?

白鳥は冥府の王プルートに虐殺された それでもあなたは原発依存派なるか

飯島の耕一うしならずとも眉ひそめむ きみなぜ宮廷歌人になり給ひしか

差し出される手はためらわず握るとうso whatそれでは詩人は乞食坊主にあらずや

その歌は時代精神と世界苦に引き裂かれたるが その顔は仏のように笑っている

反米愛国植民地国家てふ旧態依然たる日共民青的政治観? 国旗をフレー、フレー逆さに振ればなんか新しき愛国愛郷の新人類転がり出るか? さにあらず世は既に闇の底

帝国はひそかにリンコルンの国雛離り矮小なリリパット国を樹立しておりまするぞ 殿

国家神道がものいう前のかむながらひとすじのなおの道いまなお辿るか竹取りの翁

竹取りの翁がいつくしみ育てしは玉のようなるかぐやの歌姫

嗚呼、黒鉄の国家などはそもそも無かったのだ 鞭声粛々夜河を渡る似非国歌

かつてわれら永世中立の夢を見たのではなかったか? むしろかのスイッツランドのごとく針鼠のやうに武装し、おのが集愚的Raison d'êtreを見い出せ

さらば米帝!さらば中ロ!われらいずれの国の陰謀にも加担せず独立不羈の道を歩むべし

侵略の共同性と集団性の罠を限りなく遠ざけ、自らが衛り、自らの安全を保障せよ<永世中立国ジャパン>

秋津洲大和の国を眺むればものみななべて黄昏ゆくめり大和しうるわし

シューマンの「歌の年」のごと歌いに歌う いつか自己励起の回路を逸脱するまで

なるほど歌はわれらの臓器なり/さてこの人の腹は黒いか白いか/いずれにしても臓器的祖存在

Oh Yeah!ノートリアスにいこう!デンジャラスでセンセーショナルにいこうぜ!と八十五翁shout!

実験工房はけふも大きく開かれておる Il y a beaucoup de machines à coudre et parapluies sur cette position de la dissection

ともあらばあれ朱筆を入れながら本を読むようにして人世を相渉る人でないことだけは確かだ

<歌え歌え、歌いつづけよ!>と唆さるるや いくたびか日経歌壇で私の歌を選び呉れしその人


全身を鋭き針で武装せし花なき薔薇に春風よ吹け 蝶人
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半藤一利著「日露戦争史2」を読んで

2013-03-30 09:06:21 | Weblog


照る日曇る日第578回

この本を読んで痛感するのは、一朝事ある時(例えば第2次大戦)のわれら大衆は容易に情動化(例えば橋下現象や民主自公大転換)し、一時の毀誉褒貶に激動して抑制を忘却するということである。

その先例が日露戦争の連合艦隊で、明治37年5月に東郷が戦艦初瀬、八島を失った時やウラジオ艦隊の跳梁に手を焼いている時などは袋叩きにされている。

ところが8月の黄海と蔚山海戦で奇跡の大勝利を挙げてウラジオ艦隊を撃滅すると手のひらを返したように上村艦隊を激賞する。

乃木大将についても同様で、この典型的な「やさしい日本人」タイプの凡庸な指揮官を、大衆はある時は無能、またある時は軍神呼ばわりしてやむときがない。

彼の無能さにあきれ果てた大山と児玉が、乃木の権限を剥奪して直接指揮を執ることになって初めて旅順奪還が成ったわけだが、この拙劣極まりない「兵隊皆殺され作戦」を企画、立案したのはほかならぬ児玉(とそれを追認した大山)であった。

もっと衝撃的な事実は、203高地奪取以前に、本土から運ばれてきた28センチ巨大榴弾砲の集中爆撃によって旅順港のロシア艦隊は壊滅的な打撃を受けていたことで、もしこのことを事前に日本軍が知っていたら、旅順で死傷者7万4千8百(それに先立つ瀋陽で2万3千5百、沙河で2万571名)の「鬼哭啾啾」「死屍累々」の犠牲者を出さずに済んだということである。これら当時の戦争指導者が(大東亜戦争当時よりは優れていたにせよ)、もう少しましな人物であったなら、民草の犠牲は大幅に減っていただろう。 

それにしても、またしても愛国主義が高揚してそれが戦争に転化すれば、我人俱にもはや誰にもとどめることのできない狂乱の渦に巻き込まれていくに違いない。


わが街で作っておりし口紅をこれからはベトナムで作ると資生堂がいう 蝶人
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「春の鎌倉文学館ツアー」で材木座を歩く

2013-03-29 08:04:22 | Weblog


茫洋物見遊山記第115回&鎌倉ちょっと不思議な物語第279回


今回は材木座近辺の半日文学散歩です。若き日の大佛次郎が教鞭をとっていた鎌倉高等女学校(現鎌倉女学院)を出発して、放浪中の泉鏡花が寄宿していた日蓮宗の妙長寺を訪れました。彼はこの時の体験を小説「星あかり」に書いていますが、夜は潮騒に包まれ無数の蟹が現れたそうです。

小説家の林不忘は結婚後、この近くの向福寺に一部屋を借り、新婚生活を送ったそうです。この辺は日蓮宗のお寺が多いのですが、ここは珍しく時宗でした。

歌人の吉井勇、作家の横溝正史も一時材木座界隈に住んだようですが、当時東京の博文館に勤めていた横溝正史は月給をもらうとまず銀座で呑み、次に横浜で呑んですっからかになり、鎌倉を乗り過ごして横須賀まで行ってしまい、そこからいつも大佛次郎の家に電話したそうです。

すると大佛次郎が「奥さーん、横溝君がお金がないから持ってこいと電話してきましたよお」言いながら走って来るので、奥さんはとても恥ずかしかったそうです。

夏目漱石は夏になると家族と材木座の別荘に滞在しましたが、そのうちの1軒は現存しており、彼の「行人」や「彼岸過迄」に当時の思い出が書かれています。

「ビルマの竪琴」で有名なドイツ文学者竹山道雄の旧居も昔懐かしく現存しており、ここは訪れる都度なんとなく文藝の薫りが漂っているのが貴重です。

いよいよ材木座の海岸に近づけば、かの「鎌倉アカデミア」の教室があった光明寺の本堂と庫裏が見えてきます。鶴見事故で亡くなった三枝博音、高見順、村山知義などの鎌倉在住の哲学者、作家なども教授を務めましたが、昭和24年から廃校まで4年間教壇に立った歌人の吉野秀雄などは、夏季休暇中も蒸し風呂のような暑さの中、4時間ぶっ通しで裸で文藝を論じたそうです。

できることなら私も学生の昔に戻って、吉野先生の歌論を拝聴してみたかったなあ。


一朝万朶の椿落ちて一枝の桜咲きにけり 蝶人
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鎌倉雪の下の鏑木清方美術館で「清方描く桜の風情」展を見て

2013-03-28 08:44:06 | Weblog


茫洋物見遊山記第114回&鎌倉ちょっと不思議な物語第278回


ここ数日でいっきに桜が開花した。絶好のタイミングで開催された本展ではあるが、その中身をみてがっかり。見ごたえのある作品なぞほとんどなかった。

このような出品作の半分くらいが下描きやデッサンで、完成品のほうが少ないような展覧会では、眺める価値も半減してしまう。同業の画家かその見習いにとっては勉強になるのだろうが、われら一般ピープルにとっては鼻白むばかり。

学芸員は収蔵品をやりくりしながらの品ぞろえに苦労しているのだろうが、もう少し全体のバランスをよく考えた充実したコレクションにして頂きたいものである。



果樹園を車で走るは野蛮なりと警告すれど管理人はしたたかに居直る 蝶人
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ホ・ジノ監督の「四月の雪」を見て

2013-03-27 08:36:42 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.417


不倫などという言葉はよして浮気にするが、浮気していた男女が交通事故で入院し、その間に付き添いの男女、すなわち浮気相手の夫婦が浮気するというお話の韓国映画である。

別に韓国の映画でなく日本でもアメリカでもいかにもありそうなプロットだが、この場合、浮気をされて怒ったり泣いたり悲しんだりしている当の夫婦が美男美女でないと彼らの浮気はありえない。現実にはありうるかもしれないがそれは映画にはならないだろう。

白いブラをおずおずと脱ぎ始めるヒロインを見ながらそう思いました。また余計なことながら、このブラジャーの素材とデザインなんとかならないのかな。これにつまずいて浮気に至らない男子がいるかもしれないなあと思ったりもしました。まる。



雪降る庭に美人姉妹並び立つ紅白の梅とつおいつ眺めて 蝶人


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鎌倉芸術館で「出口なお展」を観て

2013-03-26 08:05:05 | Weblog


茫洋物見遊山記第113回&鎌倉ちょっと不思議な物語第277回



大本教の開祖出口なおのあの「お筆先」の実物を、とうとうこの目で見ることができました。

重労働と極度の貧困に追い込まれていた55歳の丹波の綾部の女性に、一夜突如「艮の金神」が降臨し、神がかりとなった彼女がその神の言葉を狂気のように書きつづったと思いこんでいたのですが、アクション・ペインティングのような解読不能な文字を想像していたら、あにはからんや、半紙の上に筆で冷静に書き下ろされた普通の文字だったので、ちょっと驚きました。

彼女が折々に書き継いだ「お筆先」は半紙で約20万枚に及び、これを彼女の最高のオーガナイザー出口王仁三郎が編集して教典に編集したことによって「大本教が成立するわけですが、それにしてもいかなる神秘がこのような奇跡を可能にしたことかと、不可思議なオーラを漂わせる歴史的ドキュメントの前で私はしばし呆然と佇んでおりました。

この展覧会にはその出口王仁三郎が晩年に製作した楽焼茶碗も並んでいましたが、素人ならではのその大胆な意匠、自由奔放な色彩感覚に打たれます。

こうした茶碗は現代の人間国宝などによっても手掛けられ高値で売買されているのですが、王仁三郎のそれは「芸術をやるんだ」とか「傑作をモノすのだ」というような要らざる邪念が一切介在していないために、このような融通無碍の作陶が可能になったのでしょう。

キャッチフレーズの「古今独歩」はいささか褒めすぎですが、作品としてかなりいいものだと私はにらみました。

*なお同展は3月24日に終了しましたが上野の「東光苑」にて常設点を開催中。




狂気のきわみにあらず冷徹の叡智が光る出口なお「お筆先」 蝶人

貧者の一灯のごと天上の音楽ごと美しき夢に満ちたり王仁三郎の碗
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「岡井隆歌集第四巻」を読みて詠める 後篇

2013-03-25 08:41:53 | Weblog


照る日曇る日第577回&ある晴れた日に第124回


その歌は時代精神と世界苦に引き裂かれたるが その顔は仏のように笑っている

反米愛国植民地国家てふ旧態依然たる日共民青的政治観? 国旗をフレー、フレー逆さに振ればなんか新しき愛国愛郷の新人類転がり出るか? さにあらず世は既に闇の底

帝国はひそかにリンコルンの国雛離り矮小なリリパット国を樹立しておりまするぞ 殿

国家神道がものいう前のかむながらひとすじのなおの道いまなお辿るか竹取りの翁

竹取りの翁がいつくしみ育てしは玉のようなるかぐやの歌姫

嗚呼、黒鉄の国家などはそもそも無かったのだ 鞭声粛々夜河を渡る似非国歌

かつてわれら永世中立の夢を見たのではなかったか? むしろかのスイッツランドのごとく針鼠のやうに武装し、おのが集愚的Raison d'êtreを見い出せ

さらば米帝!さらば中ロ!われらいずれの国の陰謀にも加担せず独立不羈の道を歩むべし

侵略の共同性と集団性の罠を限りなく遠ざけ、自らが衛り、自らの安全を保障せよ<永世中立国ジャパン>

秋津洲大和の国を眺むればものみななべて黄昏ゆくめり大和しうるわし

シューマンの「歌の年」のごと歌いに歌う いつか自己励起の回路を逸脱するまで

なるほど歌はわれらの臓器なり/さてこの人の腹は黒いか白いか/いずれにしても臓器的祖存在

Oh Yeah!ノートリアスにいこう!デンジャラスでセンセーショナルにいこうぜ!と八十五翁shout!

実験工房はけふも大きく開かれておる Il y a beaucoup de machines à coudre et parapluies sur cette position de la dissection

ともあらばあれ朱筆を入れながら本を読むようにして人世を相渉る人でないことだけは確かだ

<歌え歌え、歌いつづけよ!>と唆さるるや いくたびか日経歌壇で私の歌を選び呉れしその人


クライバーン、マリ=クレール・アラン、サヴァリッシュ、今宵賑わうクラシック冥界 蝶人
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神奈川県立近代美術館鎌倉の「実験工房」を見て

2013-03-24 09:24:16 | Weblog


茫洋物見遊山記第112回&鎌倉ちょっと不思議な物語第276回

久しぶりにここを訪れるとほっとする。どんな展覧会であろうが、周囲の環境と見事に調和した坂倉準三設計の美しい建物なので、こころはつねによろこびにみたされるのである。

 しかし噂によるとこの美術館の地主である鶴岡八幡宮が神奈川県に立ち退きを迫った結果、当美術館は数年後に撤退し、少し離れた場所にある分館(超狭い!)と葉山館(超遠くて不便であまりデザインが良くない!)に集約されるという。

 そりゃあ地主だから出て行けという権利はあるのだろうが、いったいこのわが国有数の芸術品のような美術館を鶴岡八幡宮はどうしようというのだろう。まさかぶっこわして結婚式場にするというんじゃあるまいな。

 神様に歯向かうのも業腹だが、ともかく地主は天下の名建築を永久保存する義務と責任があると思うし、それは現状の美術館というかたちがもっともふさわしい。八幡宮と神奈川県はよく話し合って最善の解決を見出すべきである。

 ということで展覧会の感想どころではなくなったが、現代芸術の扉を開くエポックとなった大辻清司、北代省三、駒井哲郎。福島秀子、山口勝弘、武満徹、湯浅譲二、園田高弘、秋山邦晴などの前衛的な芸術活動の一端を偲べる興味深い作品が目白押しだった。

*なお残念ながら本展は本日24日までです。



さようならさくらもひともたてものもみんなみんなきえさってゆく 蝶人
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「岡井隆歌集第四巻」を読みて詠める 前篇

2013-03-23 08:59:20 | Weblog


照る日曇る日第576回&ある晴れた日に第123回


――北冥に鯤ありてその名をタカシ・オカイとなす。その大いに遥遊すること幾千里なるを知らず。


歴歴と地層を貫き刻まれしわれらが痛苦なるZeitgeist1994―2003

腰をかがめよろよろとそこを行くのは満身創痍のオイディプス王にあらずや?

「混沌」あるいは「偉大なる暗闇」とでも称すべし 闇の底に微かな光あり

知らざりきわがミク友の加藤、大辻両先生岡井門下の逸材なるとは

知らざりき元社青同解放派のゲバルト隊長小嵐九八郎岡井門下とは

名古屋、京都、大阪、東京、維納、激烈な羈旅のまにまに生まれし歌どち

前衛も古典も仏足石歌体も横書きも英数俗語入りもいち早くみなやり尽くされたり

ある時はヤハウエの如く激情に駆られ またある時はブッダの如く微笑えむ われらを激しくインスパイアーする君よ

短歌俳句詩評論音楽美術性愛テーバイのアルス・ノヴァ七つの大門ここに集う

<秋風や煉瓦につよく惹かれゆく>俳句のオルドルよりも短歌のアナルコサンジカを選び給えり

生くるため男は不条理を耐え忍ばねばならん歌人悩ます深夜の沈黙電話

若すぎる愛人に挑む老詩人たとえ壮年の騎乗に及ばずとも

ぬばたまの夜のいくさは熾烈ならん城を枕に討ち死にするのみ

ぬばたまの闇の奥より流れいで曙の春に溶け入る歌のはかなさ

バッハ聴きベルク、ペルトを好むきみ などてモザールを愛し給わぬ

われもまた美しき女流ヴァイオリニストの右腕の脇の窪みの暗がりを見ている

いくたびも青森核燃訪ねたる歌人にして きみWHYなおも原発に拠るる?

白鳥は冥府の王プルートに虐殺された それでもあなたは原発依存派なるか

飯島の耕一うしならずとも眉ひそめむ きみなぜ宮廷歌人になり給ひしか

差し出される手はためらわず握るとうso whatそれでは詩人は乞食坊主にあらずや



電通に「都市文化デザイン部」があるといういったい誰が何するところ? 蝶人
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「グレン・グールド・コレクション第15集」5枚組を聴いて

2013-03-22 08:49:06 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第299回

グールドさん、そんなに急いでどこへ行く? と聞いてもこの天才児は絶対に耳を傾けないであろう。それにもうとっくの昔に死んじまってるし。

彼は管弦楽でチェリビダッケがやったと同じようなことを、ピアノでやった。異常に早いテンポも、異常に遅すぎるテンポも、音楽的には正反対であっても音楽創造的にはまったく同じことで、通常のテンポでは体験できない異常な世界を切り開きたいからなのである。

ここに収められたモザールのソナタの大半が、そうしたミクロの決死圏を快速でとばしたり、超鈍足で昼寝したりしてみせるが、それでもモザールの音楽は充分に美しい。

それにつけても、たった1曲だけ普通のテンポで演奏されたk491のハ短調の協奏曲の素晴らしさよ。それはとりもなおさず、彼がバッハで大成功したそのやり口が、モザールでも成功するとは限らないということを証明しているようなものだった。


これやこのロック縄文時代のシャウトなりジェームズ・ブラウン『Out Of Sight』 蝶人
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桐野夏生著「ハピネス」を読んで

2013-03-21 07:49:47 | Weblog


照る日曇る日 第575回

江東区の湾岸にそびえる超高層マンションに棲息する「ママ友」たちの生態をあからめようとする著者の最新版の小説である。

ママ友とは育児する母親の仲間の謂いだそうだ。昔はだいたいおばあちゃんが嫁の育児を支援してくれたが、最近はそういう関係が崩壊しているので同世代の若い女性が育児を素材にして繋がっていく。赤ちゃんが大きくなれば自動的に解散する賞味期限付きの交わりではあるが、その裂け目から垣間見る人間関係はなかなかに趣深いものではあるようだ。

「ママ友」にもいろんな種類があって、超セレブは超高層の超セレブマンションに住み、青山学院幼稚園(なんでも日本一の難関たしい)の3年保育なんかを目指すそうだが、その下には松竹梅のセレブがあり、またその下には一般ピープルのママが巨大な階層を構成しているんだと。

こうやって書いているだけでヘドが出るほど気色が悪いが、いっけん仲良く付き合っているように見えるママ友たちの下部構造には、先祖代々の身分や氏素性、非民などの隠微な階層差異、学歴や資産や勤務先や住居の経済格差に起因する差別意識が沈殿しており、本作ではそおゆー彼女たちさらなる高みをめざす熾烈な生存競争の実態をいくつかのサンプルを提示しながら明るみに出そうとしている。

んで、どうなるかって? 超セレブにもそうでない普通のママにも悩みは腐るほどあり、結局は世間からどう思われようとおのがじしのささやかなるハピネスをしっかり握りしめようと、てな別に目新しくもない教訓とやらに、われひとともにいつの間にか辿りついていくのだった。

おまけ。「ママ友」てふ日本語も相当けったくそ悪いが、家庭内暴力を振るう男を「ドメバ」と称するそうだ。ったく。


 ママ友がドメバにさんざん殴られて逃亡するがハピネスにだんだん近づく話なりけり 蝶人

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フレッド・カヴァイエ監督の「この愛のために撃て」を見て

2013-03-20 09:26:09 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.416

サザエ「普通の犯罪映画だと悪い犯人を正義の味方のおまわりさんが逮捕するんだけど、この映画では犯人が悪い刑事で普通の市民がこいつらに命を狙われて酷い目に遭う。」

マスオ「刑事が妊婦を誘拐して窓から突き落とそうとしたり、ともかく全篇無茶苦茶に残酷で残虐。見ていて不愉快になる。こんなののいったいどこが面白いのかしらね。」

波平「原題は「À bout portant」だから、日本語ではまあ「すれすれ」ってとこかな。普通の市民に地獄の恐怖が間近に迫る、という世界を描きたがっているらしいよ」

ワカメ「刑事が別の組織の刑事をいきなり拳銃で撃ち殺す。そんなのあり? そういえば以前もそういう組織内犯罪映画を何本か見たことがあるわ。」

カツオ「こういう内ゲバ映画はアメリカでは少しはあるけど、日本ではなさそう。映画がどうこうじゃなくて、実際にフランスの警察とか司法組織ってどうにかなってるんじゃないの。」

イクラ「いや日本だって怪しいよ。パブーン」



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川島雄三監督の「とんかつ大将」を見て

2013-03-19 09:01:55 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.415

いつでも誰に対しても親切できっぷのいい怪男子を演じるのは、私が(特に小津作品などでは)あまり好きではない佐野周二。とんかつが大好物の主人公は、本作では老若男女、とりわけ若くて美しい女性たちにもおおいにもてる。

病院の拡張工事にともなう反対運動に、美人院長(津島恵子)や料亭のおかみ(角梨枝子)などがからんで、貧民は大騒動。それが一段落したところでわれらが「とんかつ大将」は父の葬儀に出るために去っていくのだが、面白いのは突然登場人物が流行歌にあわせてミュージカルのように歌い出すこと。

一九五二年にいまは亡き松竹大船の撮影所で製作されたのらくらじゃなかったモノクロ映画である。しかし川島雄三の映画は、面白いんだか詰まらないんだかよく分からないところがあるね。本人も分からなかったんじゃあないのかな。


白梅の紅梅に遅れること五、六日 蝶人
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三谷幸喜著「清須会議」を読んで

2013-03-18 09:07:24 | Weblog


照る日曇る日 第574回


織田信長が本能寺で明智光秀に斃され、その光秀が羽柴秀吉に斃されたあとで、織田家の宿老達が清須城に集まって後継者を決めた「清須会議」。ここにドラマを見出し、自在な想像をふくらませて一場の物語を仕立ておおせるとは、まことに才人三谷らしい思いつきであり、また鮮やかな手際をみせつけている。

ここでは重厚で頑迷な「親父殿」柴田勝家と軽薄にして機略自在の秀吉を両極に据えて、織田家の兄弟や丹羽長秀、前田利家、池田恒興、黒田官兵衛、寧々、お市の方などのいずれも一癖もふた癖もある多彩なキャラクターが、まるで芝居の登場人物のように思い思いのモノローグをつぶやき、それがそのまま小説になっていく。

秀吉が三法師をかついで登場するお芝居でお馴染みのシーンももちろん出てくるが、当初信長の次男信雄を支持していた秀吉が、途中で三法師に切り替えるあたりの伏線もまるで史実のように巧妙で、これが演劇や映画になればさぞ面白いだろう。



    生れたての春風運ぶや無人バス 蝶人
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「ドナルドキーン著作集第6巻 能・文楽・歌舞伎」を読んで

2013-03-17 02:09:57 | Weblog


照る日曇る日 第573回

 
私は西洋音楽が好きで、殊にモザールのオペラを愛していて、電脳上のあざ名を「あまでうす(あざーす)」と名付けているくらいだが、その大好きなモザちゃんの遥か高みを天駆けるのが浄瑠璃と江戸歌劇場の下座音楽である。ちなみに三島由紀夫の最愛の音楽は「人形抜きで演奏される浄瑠璃」だったが、さすがと膝を打たずにはいられない。

よしんばそれがどんな下らない演目、下手くそな演奏であろうとも、その最初の太夫の一声、三味線の撥の一撃、太鼓の一打を耳にした途端に全身が蕩けて陶然となってしまうこと、かのエーリッヒ・クライバーの棒の一閃による「フィガロの結婚」の序曲の開始のエラン・ヴィタールの比ではなく、これこそ私たち日本人の原始心母に先天的にうがたれた天然情動装置の仕業に違いない。

さて本書には、最近晴れて日本人となられたキーン翁が若きアメリカ人時代から孜々と筆を進めた能と歌舞伎と人形浄瑠璃に関する論文やエッセイが粛々と一巻にまとまられているが、かくも私たちを理屈抜きに感動させる古典芸能の成立史やその魔術の謎、世界に冠たる芸術の特性についてきわめて精緻に解き明かされている。

例えば能の役に応じて使用される衣装の色彩の「位」や、文楽の人形を操る三人の人形遣いの実際の仕事がこれほどきめ細かく具体的に記述されたことが、かつてあっただろうか。

また翁が若き日にものされた「文学的主題としての継母の横恋慕」と題する論文では、聖書、古代エジプト・インド神話と文学、ホメロス、エウリピデス、ラシーヌ、今昔物語、源氏物語、大唐西域記、宇津保物語、摂州合邦辻などを縦横無尽に引用して、東洋と西洋におけるヒッポリュトス的三角関係を見事に論じ切って去っている。

この本は読んで為になるばかりか、読者に一刻も早く能や浄瑠璃が上演される舞台や劇場に駆けつけたいと思わせる不思議な魅力に満ちているが、その原動力とは翁が本邦の古典芸能に寄せる無類の尊崇と愛情だろう。

さあて木が入り太鼓が吼えて幕が開く。つま弾く三味に野太い太夫の声がして、 さあさ浄瑠璃のはじまりはじまり 



春一番御所人形のごとき童かな 蝶人
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