照る日曇る日 第1043回
福島県相馬の刀鍛冶の後裔が上京して、学生運動に遭遇し、波乱万丈の政治闘争の季節をなんとかかんとか生き抜いた半生の記録で、私としては、これを他人事だと思って笑ったり馬鹿にしながら読めるひとがうらやましい。
私は著者に会ったことはないのだが、本書に出てくる大口昭彦とか自殺したフランケン高島とかいうような人とは、まるっきり知らない仲ではないので、ある意味では懐かしかった。
若き日にこの身に落ちかかってきた学費学館闘争や、駒場から生れてはじめて「武装」して出撃した佐藤訪ベト阻止羽田闘争などは、あんまり思い出したくもないが、お茶の水方面から雲霞のごとき日大全共闘を主力とする怒涛のデモ隊が、東大安田講堂前に駆けつけてきたとき、私や(恐らく鈴木正文氏ら)が確かにこの目で見た本郷通りの蠕動と轟音は、この国が最後に夢見た「革命の幻影」だったのかもしれない。
しかしそこからいっさんに離脱を図った私と違って、後退する前衛運動の渦中にあって進撃を止めなかった著者のその後の道程は、本書を読むといかにも苦渋にみち満ちたものだったようだ。
それにしても1967年5月18日、早稲田大学構内の革マルとのゲバルトで、当時の三派全学連が敗北を喫した理由は、藤原隆義が用意した女子投石隊の奇襲攻撃によりものだとは知らなかった。竹竿は石に敵わないことは当時はまだ知られていなかったのである。
自殺したフランケン高島が夢にきて「経哲草稿どうだった?」と尋ねる 蝶人