あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

2008年水無月茫洋詩歌集

2008-06-29 20:29:28 | Weblog


♪ある晴れた日に その30


つめは死んでからも伸びるというムクの爪何センチになりしか

知恵遅れで脳障害で自閉症の息子が弾いているショパンのワルツ作品164の2

白皙の美青年天に召されディオールとシャネルの左に座すかな

去年の今日は蛍舞いたり今年の蛍はどうしているかな

父母逝きてたったひとつの慰めはもはや訃報に怯えぬことなり

ちんぽこを7つ並べて砲射する我らの姿は珍なるものかな

イージスを全部競売で叩き売り社会福祉施設に入金せよ

老人も障碍者も死にかけておるというに外国人に大盤振る舞いするものかな

もっとちゃんとしつけて欲しかった特に食事のマナーといわれてしまい赤面するしかない私

死刑まで国にゆだねてよろしいのか巨悪なんぞは心のままに討ち果たすべきでは

どのオケで何度聴いてもつまらない真面目だけがとりえの指揮者ブロムシュテット

長男を突然死で喪いし母親よ赤いセーターのろのろ動く

崩落の危険はいずくにもあり我が庵にもわが心にも

たまさかの狭心症の発作は意外に苦しい母もきっとこれで死んだのだろう

じゃあねと言いあいて別れたのだがそれが永訣の時であった

親というはげに因果なるものよ25にもなりし息子の所業をわがことと詫ぶ

栗の花にダイミョウセセリがとまる日よ女子大生泣き蛍地に墜つ

丸の内線の四谷三丁目こそうれしけり地獄より出て3丁目に着く

ホラ泣くぞホレ泣けよとばかりズームアップするカメラマンの下種な心

アジアには絶対旅行したいですとほざく日本人お前はアジア人ではないのか

白いポロを着たらルリタテハがついとやってきて右肩にとまったよ 

お前もっと大局を見ろなどと上司から言われ素直に頷きし日もありしが呵呵

毒喰わばさろうてご覧と鳥兜がいうた

太刀洗にひとつ落ちたるタイヤかな

岩煙草煙草忘れし星の使者

いずみ橋蛍1匹拾いけり


♪くたびれてしなびてよどみてゆきなやみくちはてそうなわたしのじんせい 茫洋

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きのう見た夢

2008-06-28 20:36:34 | Weblog


♪遥かな昔、遠い所で第73回

昨日久しぶりに見たのは白い大きな蛇の夢だった。

私が例によって異境の地で途方に暮れて彷徨っていると、(いつも見る夢だ。いつも出てくる場所だ)路地の奥まった小さなアゴラの右側に、土蔵を改造した商店とも半分壊れた土蔵とも見える一種の祝祭的空間があった。

腰にひらひらだけまとったアラビア風の土民が笛を吹いている。聴いたこともないわびしく哀しくどこか懐かしい旋律を奏している。

私が「いかなる神ならむ、いかなる祭祀ならむ」といぶかしみながら祭壇の前に立ち、目を挙げると、その眼の少し上の位置にオオサンショウウオに似た面妖な貌をした真っ白な大蛇が横たわっていて、うろんな眼つきで私を睨んだ。

美白の外貌なのに眼だけは黒々と、また爛々と輝いている。こいつが大蛇であるとはすぐに見当がついたが、胴体や尻尾は奥のほうにとぐろを巻いていてどれくらいの大きさなのかはまったくわからない。

しかし薄暗い空間の奥にじっと眼を凝らせば、蒼白の大蛇のとぐろの上に横たわっているのは、灰色と薄緑が混じった色をした4羽の白鳥であった。

かつては白鳥と呼ばれたであろうその大型の鳥は、いまや死せる黒鳥となってその4本の長い首と風呂敷のようにぺっちゃんこになった紫色の胴体を、冷たい血管が透き通るような大蛇の皮膚の上に静かに横たえているのだった。

思わず身震いした私が、なおもその異様な光景に見入っていると、そのオオサンショウウオに似た白い大蛇が美白の分厚い唇をぶよぶよと動かしながら、なにやら呟いたようだったが、何を言うておるのか聞き取れなかった。

そこで私が「えっ」と聞き返すと、そいつは、もういちど確かにこう言うたのだった。

「眼は、動くまなこなり。」              


父母逝きてたったひとつの慰めはもはや訃報に怯えぬことなり 茫洋
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小国寡民  

2008-06-26 19:23:40 | Weblog


照る日曇る日第134回&♪バガテルop64


萩原延壽著「精神の共和国」によれば、1946年に敗戦による栄養失調で死んだ河上肇の絶筆は、
「冬暖かにして夏涼しく、食甘くして服美しく、人各々その俗を楽しみその居に安んずる小国寡民のこの地に、無名の一良民として、晩年書斎の傍らに一の東籬を営むことが出来たならば、地上における人生の清福これに越すものはなからうと思ふ。私は日本国民が之を機会に、老子の所謂小国寡民の意義の極めて深きを悟るに至れば、今後の「日本人は従前に比べ却って遥かに仕合せになるものと信じている」
というものであった。

小国寡民は、老子の「小国寡民、その食を甘しとし、その服を美しとし、その居に安んじ、その俗を楽しむ。隣国相望みて、鶏犬の声聞ゆるも、民、老死に至るまで相往来せず」に由来するそうだが、萩原氏とともに私は、敗戦後のわが国から、この老子と河上の後世への遺言がいつの間にか虹の彼方にはかなく消えうせたことを悲しむ。

全世界を敵に回して絶望的な戦いを戦い、すべての資源と武器を失って敗れた大日本帝国の臣民がたどるべき道は、極東のこの小さな島国にひっそり閑と閉塞し、グリムの童話の誇大妄想にとりつかれたかの蛙のごとく破裂した夜郎自大な愚かさを何世紀にもまたがって反省し、世界人民に迷惑を掛けず、いついつまでもおのれを殺して逼塞隠遁し、かの美空ひばりの歌のやうに穏やかに、謙虚に生きていくことであったろう。かつて7つの海を制覇した栄光の大英帝国が、誇りを失うことなく胸に手を当てながら悠々と黄昏ていったように。

さうして、吾等が理想の小国寡民にとって最強の武器とは、皮肉なことに戦勝国が吾等に呉れたパンドラの箱たる憲法第9条であったのだが……。


アジアには絶対旅行したいですとほざく日本人お前はアジア人ではないのか 茫洋

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♪バガテルop62

2008-06-25 22:46:28 | Weblog


夕方、1日の仕事を終えて地下鉄に乗っていたら、新宿駅の手前でごとんと音を立てて停まってしまった。

しばらく動こうとはしなかった。

アナウンスもなかった。

すこし不気味であった。

私は思った。

もしどうしても電車事故で死ななければならないとしたら、自分は地下鉄でなく、地上の電車を選ぶだろう。

「どうして?」

「浮かばれないから」



お前もっと大局を見ろなどと上司から言われ素直に頷きし日もありしが呵呵 茫洋

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♪ある晴れた日に その29

2008-06-24 20:52:05 | Weblog


短い午睡から醒めるともはや無用の人間になったような気がした。
白いポロシャツを着て、朝比奈の滝まで行ったが、誰にも会わなかった。
ハンミョウたちは、道案内ができないので退屈そうだった。

今日は大雨のあとなので、滝からは白い水がじゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ湧いて出た。
いつまでもいつまでも湧いて出た。
藻屑蟹を呼んだが、1匹も出てこなかった。

初夏だというのに、コナラの樹上には1羽のゼフィルスも飛んでいない。
そのかわりにとでもいうように、
尾羽打ち枯らしたルリタテハが私の右肩にひょいと止まってしばらく遊んで
やがて青い青い空の高みに飛び去った。


♪白いポロを着たらルリタテハがついとやってきて右肩にとまったよ 茫洋

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萩原延壽著「精神の共和国」をわが田に引く

2008-06-23 20:14:16 | Weblog


照る日曇る日第133回

「頼むところは天下の輿論、目指す讐は暴虐政府」と遺言して、亡命の地フィラデルフィアで若い命を散らしたのは、わが敬愛する孤高の自由思想家、馬場辰猪だった。

その馬場を「我が党の士」と呼んだのが福沢諭吉で、福沢は彼が身につけていた「気品」をなによりも愛惜したのであった。

「君は天下の人才にしてその期するところ大なりといえどもわが君におきて忘るることあたわざるところのものは、その気風品格の高尚なるにあり。君の気品は忘れんとして忘るるあたわざるところにして、百年の後なお他の亀鑑なり」(追弔詞)と福沢が称えた馬場の気品とは、「知識や思想に命をかよわす強靭な精神のちから」であった。

福沢が西南戦争を率いた西郷南州の行動にみた国民抵抗の精神、明治政府に出仕することを潔しとしない旧幕の遺臣栗本鋤雲の進退に感じた「痩せ我慢の精神」は、いずれも彼がいう「気品」にかかわっている。

気品とは「学問のすすめ」以来、慶応義塾を創立した福沢がもっとも頻繁に口にした「精神の独立」の別名でもある。

馬場、福沢死して1世紀、軽々に「品格」を口走る平成人輩の胸中に、そもいくばくの「気品」ありや?


穏健な保守の論客にして心の奥底で真の革新を夢見ていた、なんだか懐かしく不可思議なインテリゲンチャのことを、私は大仏次郎の「天皇の世紀」が未完で終わったあと、朝日新聞で長期連載された「遠い崖」を読んで、はじめて知ったのだった。

そしていつまでも続いて欲しいと願っていたあの素晴らしいアーネスト・サトウの物語がついに終わってしまったときはがっかりしたものだった。

さてこれで荻原延壽氏の全著作を読んでしまったことになるが、本当にもうこれでおしまいなのだろうか。なんだか名残惜しいことだ。


長男を突然死で喪いし母親よ赤いセーターがのろのろと動く 茫洋

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万歳! ドイツ・ハルモニア・ムンディ創立50周年

2008-06-21 20:55:11 | Weblog


♪音楽千夜一夜第37回

ワーグナー・バイロイトコレクションはデッカレーベルから発売されていて、旧ドイツグラムフォンやフィリプスで出たものも一括しているが、なんといっても1枚当たり300円以下の低価格がうれしい。

ところがそれを大幅に下回る?バジェットプライスが目の前にならんでいた。ドイツ・ハルモニア・ムンディ創立50周年記念50枚組み消費税込み5790円の超廉価版である。私はすばやく電卓を取り出しメガネをかけて計算してみた。なんと@115円80銭ではないか!
これを買わずにいらりょうかとばかり、掌にずしりと重い1パックをむんずとわしづかみにしてレジに向かった私は、その日の午後のしがない賃労働を終えてから家に帰ってさっそくパンドラの箱を開いてみた。

するてえと、出てくるは出てくるは、バロックやら古楽の名曲名演奏の数々が。
アストルガのスターバト・マーテルからはじまって、ペルゴレージ、デユランテのマグニフィカト、ヴィヴエのレクイエム、リュリ、ラモー、ゼレンカ、ペレストリーナ、パーセル、ラスス、モンテヴェルディ、マショー、ヴィバルディ、バッハ、ヘンデルのいつか聴きたいと思っていたあれやこれやがじゃんじゃん飛び出してきたではないか。

たたいまカメラータ・ケルンのバッハのオーボエコンチエルトを聴いたばかりだが、うっとおしい梅雨の暗雲を吹き飛ばすような胸のすく演奏でした。

クイケン・トリオの音楽の慰め、レオンハルトのゴルドベルグ、鈴木秀美のチエロソナタ全曲も楽しみ。それに大好きなゼレンカのミサ曲やスカルラッティのカンタータ、ヨハネ受難曲なんて秘曲?も入っている。

演奏者はアルフレッド・デラーやターフェルムジーク、ホグウッド、プチット・バンド、ビルスマなどは知っているが、そのほかは初めての団体や演奏家ばかりだが、もうなんだっていいや。なんせ50枚だもんね、115円だもんね。


♪岩煙草煙草忘れし星の使者 茫洋

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ワーグナーとアーネスト・サトウ

2008-06-20 23:46:11 | Weblog


♪音楽千夜一夜第36回

先般タワーレコードで購入したバイロイト音楽祭におけるワーグナーの楽劇、オペラライブシリーズ33枚は名曲、名演奏の一大コンピレーションで、とりわけベームの「トリスタンとイゾルデ」「ワルキューレ」のそれは聴き応えがあった。しかし諸事多端にとりまぎれ、まだ「ニーベルングの指輪」の残りと「パルシファル」はまだ聴きそびれている。聴き終わるのが待ち遠しいような、聴いてしまいたくないような複雑な気持ちだ。

いま読んでいる荻原延寿氏の本にアーネスト・サトウの音楽マニアぶりの話が出ているが、明治12年7月16日にサトウは同じ駐日英国大使館員のチエンバレンとベートーヴェンのハ短調交響曲の最初の2楽章を連弾して楽しんだりしている。場所は泉岳寺の向かいの下宿であるからあの運命のダダダダーンを耳にした人たちは驚いたことだろう。

そのサトウが生まれて初めてワーグナーの音楽に接したのは、彼が1883年にロンドンに帰国していたときである。ちょうどワーグナーの弟子のハンス・リヒターが英国におけるワ氏音楽の普及とバイロイトの資金集めのためにやってきて、前半に「ファウスト序曲」、「トリスタンの死」、「ジークフリートの死」、「同葬送行進曲」、後半にベ氏のその「ハ短調交響曲」を演奏した。

サトウは大いに感動したようで、「桁外れなほど壮大で神秘的ななにか、じつに意表をつく効果の数々、このワ氏の音楽に比べるとあの素晴らしい旋律と活気にあふれたベ氏の音楽さえ色あせてくる。まるで自分の神々がより強大な権力によって突然玉座から放り出されたような感じを受けた」(荻原延寿「精神の共和国」)と書いている。
永井荷風と同様、聴くべきところは精確に聴いているようだ。

しかしそれほど強力な印象を受けたにもかかわらず、サトウはついにバイロイト音楽祭には行かなかった。
彼の朋友チエンバレンの弟でワ氏の娘エヴァと結婚したヒューストン・チエンバレンが熱烈なワグネリアンだったから、当然何度も招待されたはずなのにとうとう祝祭劇場詣でをしなかったのは、そのヒューストンが狂信的な反ユダヤ主義者でありナチ賛美者であったからだと伝えられる。


♪どのオケで何度聴いてもつまらない真面目だけがとりえの指揮者ブロムシュテット 茫洋

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篠田節子著「ホーラ 死都」を読む

2008-06-19 17:38:36 | Weblog


照る日曇る日第132回

エーゲ海の孤島パナリア島に眠る死と亡霊の都ホーラを舞台にした「カルチャー×ホラー×ラブストーリー」である。

基本は壮年建築家と閨秀バイオリニストの許されざる恋の物語であるが、そこに観光名所やらギリシャやヴェネツイアやオスマントルコの歴史やらキリスト教との宗教&文化衝突やら沈没船から引き上げられた悪魔のヴァイオリン銘器だのその呪いだのがてんこ盛りに盛り込まれたサービス精神満点の娯楽読み物である。
料理にたとえると松花堂弁当か具の多いラーメンライスのようなものだろうか。すぐに腹いっぱいになるが食べた瞬間にどんな味だったか忘れてしまいそう。
しかし知性も教養も向学心も品格もある女流作家の作品だけに、最近の痴呆的ヤン・グーどものあほばか日本語とは2らんく上の読ませる文体と文章で磨き上げてあるのがなによりである。


死刑まで国にゆだねてよろしいのか巨悪なんぞは心のままに討ち果たすべきでは 茫洋

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よしもとばなな著「サウスポイント」を読む

2008-06-17 21:00:27 | Weblog


照る日曇る日第131回

今晩は蛍が4箇所に8匹いた。そのうち3匹がもつれ合いながら谷間の蒼穹に消えていく姿はまことに美しかった。それで私はなんとなく宮崎と坂口という死刑囚のことを思った。

鳩山という法相は大量の蝶類を殺戮してきたので、人類もわりあい抵抗なく死に追いやることができる人ではないかと私は確信している。ともかく蛮勇の持ち主である。たいしたもんだ。

さて本書である。

昔この人は吉本ばななであったのに、いつからひらかなに変えたのだろうか。高島流かそれとも新宿の母だか銀座の母に占ってもらったんだろうか。いずれにしても、私は姓名判断に頼る奴はきらいだし、にやまひろし、とかかまやつひろし、とか、なだいなだとか姓名をぜんぶひらくやつはきらいだ。きらいだきらいだ、全部きらいだ。

どうしてきらいなのか我ながら理由が分からないので、あとでゆっくり考えてみようと思うが、たぶん考えても分からないだろうし、それにその「たぶんあとで」、はないだろうな。人生ってそういうものだ。いまこそそれを考えるべきとき、実行するべきとき、と思っていたって結局はずるずるずるずる一日のばし、二日のばししているうちに10年、20年が過ぎていってしまう。人生ってそういうもんだ。

ばななはハワイが好きらしい。とりわけオアフ島ではなく、ハワイ島の南端のサウスポイントの黄昏に魅惑されているらしい。そこには人々を父母未生以前の原初の状態に還元してくれる精霊が宿っていて、現代の苦難に生きる人々の心身を洗濯し、解放してくれるらしい。

ばななは多少スピリチュアルな世界に影響を受けているようで、そこのところは気に喰わないが、たとえば村上龍のような大きな小説から遠く離れて、小さな小説の小さなよろこびと小さな悲しみをきりきりと生き、切々と抱きしめるところが樋口一葉のようで涙ぐましい。

>私はあの日、サウスポイントではっきりとそれを見た。
海と空、天界とこの世、風と潮、いろいろなものが美しく混じり合って溶けていたあの地点で、私はこの世を支配している力がもたらす、また別の裂け目を見たのだ。ふたつの世界の巨大な力が混じるところを。この世には別の世界をかいまみせるたくさんの裂け目があり、それに感応する魂を抱いている限りは、まだこうしていろいろなものをただ見ていたい、愛する人たちを助けていたい、そう思った。きっとこの場所は、たまに人間にそんな不思議な力を見るのを許してくれる、とっても稀で、厳しくして優しいところなのだろう。(p233)

この前段がいささか紋切り型のばなな流であるけれど、後段の「そう思った」とぬけぬけとためらいもなく言い放つところが、ばななの真骨頂である。そこにはこの魂の単純明快さと強さときよらかさが息づいており、世界と未来への天真爛漫な信頼が輝いている。

前作の「まぼろしハワイ」と違って今回はプロットの構成や時間軸の構築の仕方に技術的な難があるけれど、その破綻を覚悟してあえて突き進んでいるところにこの小説家の勇気と良心が認められる。

♪崩落の危険はいずくにもあり我が庵にもわが心にも 茫洋

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平成蛍日記

2008-06-16 22:06:21 | Weblog


♪バガテルop61&鎌倉ちょっと不思議な物語133回

ここ数日私は毎日毎晩ほたるがりに熱中していた。

「かり」ったって狩るのではない。遠くからそおおっと平家蛍の点滅を見守っているのである。

蛍という昆虫はかなり行動半径は広いのだが、不思議なことに毎晩同じ場所に宿る。
♪蛍の宿は川端柳、とはよく歌ったものだ。

川端柳の同じ葉っぱにおよそ1週間から10日滞在してうまくいったら交接してこの世に別れを告げるのである。

昨夜は雌雄2匹が楽しみながら前後左右に移動しながらゆっくり交接するのをうっとりと眺めていた。

1週間前はたくさん飛翔していたが、ここ数日は2匹か4匹になってきた。あと数日で当地の蛍の季節は終わりを告げることだろう。


たまさかの狭心症の発作は意外に苦しい母もきっとこれで死んだのだろう 茫洋



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松浦理英子著「犬身」を読む

2008-06-13 23:35:21 | Weblog


照る日曇る日第131回

私は犬が好きだ。かつて息子が天園のハイキングコースの茶屋近辺をねぐらにしていた野良犬を拾ってきたときも一目見るなり大いに気に入って、もっとも新しい家族の席を占めたのだった。

いらい二十年近く生活を共にしたが、日々新鮮な驚きがあり、愛犬ムクのおかげで我が家は無上の幸せを味わうことができたのであった。最晩年の老犬は両目の視力を失い、体力も臭覚も衰え、餌が目当てで同棲したドラネコに食物を奪われ、大好きな散歩に外出しても歩くのがやっとというていたらくで、飼い主の息子が帰宅するのを待っていたように一声上げて絶命したわけだが、その最後の瞬間もムクは私たちの心と共にあったと確信している。

そんな犬とのうるわしき交歓を堪能した私も、松浦理英子さんの犬に寄せる熱烈な思いと強烈な想像力には遥かに及ばないと知った。

本書の女主人公は、愛する女性の愛犬になる夢を抱き、あれよあれよという間にその途方もない夢を実現してしまう。いったいどのような魔法を使ってそれが可能になったのかは、この本を手にとって読んでいただきたいが、ともかく人間が犬に変身したり、女主人に忠誠を誓うその犬が人間語を解したり、ヒロインの数奇な運命に巻き込まれて異常な体験をしたりする非現実的で不条理極まりない物語を、いかにも真に迫って本当の話のように描いてしまう作者の強烈な想像力と驚くべきは筆力には脱帽せざるを得ない。

私だってこのムクが人間だったら、ムクが言葉を話せたら、と思ったことは何度もあったが、この私が犬になってムクと会話したり愛し合ったりしようとは夢にも思わなかった。松浦理英子さんはこの境界をいともたやすく飛び越えて、人畜同体世界に侵入し、人畜運命共同体という前人未踏の交信領域を開拓することに成功したのであーる。


♪じゃあねと言いあいて別れたのだがそれが永訣の時であった 茫洋

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♪バガテルop60

2008-06-11 23:48:26 | Weblog


親というはげに因果なるものよ25にもなりし息子の所業をわがことと詫ぶ

栗の花にダイミョウセセリがとまる日よ女子大生泣き蛍地に墜つ


いずみ橋蛍1匹拾いけり 茫洋
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岡田暁生著「恋愛哲学者モーツァルト」を読む

2008-06-10 19:54:49 | Weblog


照る日曇る日第130回

―18世紀がどれほどはちゃめちゃで、ぶっ壊れていて大胆でエッチで絶望的で、でも優美で比類ないバランス感覚と人間愛にあふれていて、少し哀しげだけど微笑みを忘れず、しかし途方もなくラディカルで、人間観察においてぞっとするほど冷酷かつ徹底的でそしてどれだけ現代的であるか、つまりモーツアルトの音楽そのものであるか。

という著者の言葉を、著者がゲーテやスタンダールやカントやヘーゲルやラディゲやキルケゴールやアドルノなどの文学者・哲学者の思想を自在に引用しながら、「後宮からの脱走」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」という5つのオペラの登場人物たちの愛の試練の分析を通じて明らかにしていく、なかなかに興味深い音楽哲学書である。

「後宮からの脱走」におけるフィナーレで高貴な太守はひっそりと身を引き、その結果2組の恋人たちは船に乗ってトルコを去っていく。これはいちおうの愛の勝利ではあるが、けっして完璧ではなく、ある和解の不在をそれとなく示唆している、と著者はいう。

「フィガロの結婚」のあまりにも神々しいフィナーレはまるで夢の中の花火のようにあっけなく過ぎ去ってしまう。かつてあれほど愛し合った伯爵夫妻の愛は、おそらくもはや復活しないだろうし、フィガロとスザンナの若い愛もどうなることやら誰にも保証できない。けれど、とりあえず狂乱の一日を終わらせてやろうじゃないかと、モーツアルトは一気につじつま合わせの第4幕の終曲に突入するのである。

「ドン・ジョヴァンニ」は騎士長の死からはじまり主人公の英雄的な地獄落ちに終わる死のドラマであり、ドン・ジョヴァンニという永遠のドンファンによっておおいに活性化された貴族や農民たちの恋愛は、彼の死と共に死んでしまう。
つまり愛の共同体という視点から見たとき、「後宮からの脱走」はとりあえずその建設であり、「フィガロの結婚」はその再建であったが、「ドン・ジョヴァンニ」はそれらすべてを破壊してしまった、と著者はいうのである。地獄落ちととってつけたようなフィナーレの間には、橋の架け様もない深い断絶が生じているのである。

その結果、「コシ・ファン・トゥッテ」の世界では、恋人たちはもはや絶対的権威が存在しない世界を生きなければならない。何が起きようがもう絶対悪のせいにはできず、頼れる庇護者・後見人・王様も悪魔もいない世界において、カントのいうように「未成年状態から脱して大人として自立すること」が恋人たちに課せられた課題になる。
女も、男も、世の中も、所詮はこんなもの。アドルノのいう「絶対主義と自由主義の間の一種逆説的な均衡状態」こそが「コシ・ファン・トゥッテ」を特徴付ける礼節の世界、英国流のゼントルマンの世界であると著者はいうのである。

モーツアルトは最後の作品「魔笛」では、一転して清く正しく美しい愛の世界を描き出す。散文化されたオペラの世界は、ふたたび一つの宇宙として神話化され、フィナーレではありとあらゆる音楽形式がめまぐるしく呼び戻され、最後はまるでベートーヴェンの第9のフィナーレを先取りするようなオラトリオ的な交響が世界にこだまする。

しかしベートーヴェンやワグナーと違って、モーツアルトはロマン派や恋人たちが大好きな感動フィナーレを冷徹に排除する。「いつの日か全人類が本当に子供のように無邪気に互いに仲良く暮らしていける日が来るかもしれない」という希望がほんの一瞬つかの間にきらめいて、フィナーレはあっという間に終わってしまうのである。

♪太刀洗にひとつ落ちたるタイヤかな  茫洋

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五味文彦著「躍動する中世」を読んで その2

2008-06-09 20:48:58 | Weblog


照る日曇る日第129回

昨日酷評した「躍動する中世」であるが、細部の記述はとても勉強になる。
以下は本書の落ち穂拾いである。

京の祇園社は外部からやってきて祟りをなす天竺の神牛頭天王、婆梨采女を祭った。

中世人はことのほか童、子供を大切にした。

宇佐八幡宮の八幡神が東大寺や春日社、神護寺、石清水寺に祭られるとともに、神仏習合が深化していった。由比若宮は源氏の基礎を築いた源頼義が由比ガ浜に石清水八幡宮を勧請したことにはじまる。同じ八幡神でも若宮であった。本地は十一面観音である。

頼朝はまず由比ガ浜の鶴岡若宮を祖宗を崇めるために小林卿に移し、毎年元旦に参詣したがこれが本邦の初詣のはじまりである。頼朝は1187年に鶴岡八幡宮で放生会を行なったがこれが山野河海にいくる自由民の支配と殺生を業とする武士の支配に直結したのである。

白拍子の起源は信西入道で、彼がいくつかの舞の手を創作し、磯禅師に伝え、これが娘で義経の妾である「天下の名仁」静に伝承された。静が頼朝夫妻の前で舞ったのは文治2年1186年4月8日であった。

鎌倉の和賀江島を築いたのは勧進上人の往阿弥陀仏と長谷大仏をつくった浄光の二人である。建長4年1252年8月に完成したと伝えられる大仏は当初は木造の釈迦如来と記されているが、現存するのは金銅の阿弥陀仏である。

1214年二日酔いに苦しむ実朝に良薬として抹茶を勧めたのが栄西であった。茶は養生の仙薬なり。延命の妙術なり。本邦の喫茶はここにはじまる。

一遍の踊念仏である踊躍歓喜は身体と宗教の一致である。当時の放下の禅師にはササラ太郎、夢次郎、電光、朝露などがいた。

宝治合戦1247年の際に頼朝の法華堂に立て籠もった三浦一族は浄土宗に帰依する武士の行なう法事讃にもとづいて念仏を唱えつつ全員自害を遂げた。三浦泰村を滅ぼし名門足利氏を失脚させ幕府官僚制を確立し、建長寺を設立して禅門を擁護した。北条一門と得宗の外戚、得宗に仕える御内人から構成される秘密の会議、寄合も時頼の創設で、北条一門の出世コースは引付衆→評定衆→寄合衆であった。

武士の伸長は、11世紀後半に白川天皇が源義家と平正盛を院殿上人として登用したことにはじまる。平正盛の子忠盛は貴族にも取り立てられ平家興隆の基礎を築いた。

中世都市の3つの典型は中央政治都市の京、境界港湾都市の博多、宗教異界都市の奈良であり、それぞれ人・物・精神がその基軸をなしていた。

鎌倉将軍は関東武士団連合に擁された王であり、実朝のように善政・徳政にもとづく新政策を打ちだし親裁権を行使して連合を疎外しようとすれば退けられたのである。幕府政治の本質は談合であり、これがいまなお現代に続いている。


♪ちんぽこを7つ並べて砲射する我らの姿は珍なるものかな 茫洋

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