あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

夢は第2の人生である 第54回

2017-12-31 10:19:09 | Weblog


西暦2017年皐月蝶人酔生夢死幾百夜 



私は貧乏人だったのにもっと貧乏そうな人に車とお金を上げてしまった。その車の中には「探せば車内に50万円あります」という置手紙をしておいたので、彼は今頃大捜索をしているに違いない。5/1

「お客様、まずはこのモデルさんのお顔をよくご覧ください。そしてこう、このようにお顔のお手入れをなさってください」と、その化粧品メーカーのマヌカンは熱弁をふるった。5/2

突然編集部に闖入してきたその男は、私らの作っている雑誌の値段が高すぎるのは、私らの月給が高すぎるからだ。その分を価格値下げに回せと叫んで、その場に座り込み、いっかな動こうとしなかった。5/3

「自然界にはさまざまな情熱と無邪気が存在しています。それでは只今からその不可思議をこの手に取り出してみましょう」と、その女性は言うのであった。5/4

大阪湾付近で右側の島を削って左側に持ってくるという大工事が行われていたことを、私はケート台風がやって来るまで、ちっとも知らなかった。5/5

晴の結婚式の当日、婚約者に逃げられてしまった私がガックリしていると、婚約者の父親が恐縮して平身低頭した後で、「うちのあんなバカ娘より、こっちの方が遥かにいいですよ」と、同席していた親戚の妙齢の美女を薦められたので、「ま、いいか」と思って式を挙げた。5/6

グラグラになった奥歯が、なにかの拍子にポロリと取れてしまった。驚いて驚きついでに隣の歯に力を入れると、これもポロッと取れる。その隣も、そのまたまた隣も次々に取れて、私はあっという間に歯抜け爺になってしまった。5/6

突然歯が痛くなって、会社を休む。今日あたり今期の宣伝費が決まっているから、早く営業と打ち合わせをしないとヤバイのだが、と思いながら、今日も会社を休んでいる。5/7

エレベーターは、阪神百貨店のある5階に到着したが、5人の女たちは誰一人降りようとせず、8階の阪急百貨店を目指していた。5/8

その蓆の上では、50年代から現代までの各種の雑誌が叩き売られていたが、それでも雑誌の値段は、古いものほど値が高かったので、いたく感心したことだった。5/10

私は、猛烈な歯の痛みを鎮静剤が押さえている間に、消化を促進しようと、自分の胃をトクホの巨大な胃腸に取り替えようと提案したのだが、上層部では、てんで評価してくれなかった。5/11

僕の座席の列をまっすぐにしようと、「えいやっ!」と動かしたのだが、右側の座席に激突してしまった。どうやらこの劇場では、対立する2つの流れが存在しているようだ。5/12

私が乗り組んだ国内初の原潜の内部では、熾烈な権力闘争が起こり、多数の死傷者が出たが、けっきょく艦長派が副長派を制圧して、母港のある横須賀湾に帰着した。5/13

講習会が終ったあとで、テキストと答案を回収する必要があったので、出口での受け取り方を考えていると、コバヤシ君が「ああそれはねえ、こおこおこおすればいいんだよお」と親切に要領よく教えてくれたので助かったが、彼はもうだいぶ前に死んでいる人なのだ。5/14

デモやテロが激発したために大学入試が中止になったので、我々学生の他に一般人も大勢押し寄せて、職員や機動隊と乱闘になったために、「凶暴罪」が発動されて、大勢の民衆が逮捕された。5/15

「そんなにいうなら、投げてみろ」と私が挑発したら、彼奴は時速200キロ相当の猛スピードボールを投げたので、私はそいつを右方向に打ち返して、ランニングホーマーにしてやったら、彼奴はガックリうなだれていた。5/16

この仕舞屋では、冬だというのに使用人たちは、店の土間の藁の上で、ガタガタ震えていたので、その家の息子たる私は、畳の上で安眠できる特権と贅沢を、身に沁みて感じた。5/17

どういう風の吹きまわしか、出張先で女性の上司とホテルの同室に泊まる羽目に陥った私は、これから朝までどういう風にふるまっていいのか、おおいに悩んでいた。5/19

我らが決起集会の出席者は、300名だった。私は一刻も早く決起せねばと焦ったが、出席者の大半は落ち着き払って、いつまでも地面に腰を下ろしたままだった。5/20

コンサート会場では、3種類の座布団が販売されていて、その売り上げが財団に報告されていなかった。おそらく事務局の誰かがくすねているのだろうが、まだ誰もそのことを言いだそうとはしない。5/21

私たちの羊を彼らに送ると、彼らはその見返りに、よく肥えた牛を送ってくれたので、私らは非常な好感を抱いた。5/22

その漫才師は、2つの青い風船のエピソードなどをうまく即興で取り込みながら、異常に長い噺を物語った。5/23

私は稀代の女殺しになって、並みいる美女たちを片っ端からナンパしてはナニしていったが、誰からも文句は言われなかった。5/24

「電車に乗って、微動だにしなければ無料、ちょっとでも前後左右に揺れ動いたら、有料になるのよ」と、ヤスナガさんいわれた。

イケダノブオ・ブランドの評判が悪いので、ベビー子供部隊では、担当MDとデザイナー、営業のなり手がなくなり、マネージャーの私は、往生していた。5/24

ナベショーが、ゴルフのできない私を勝手にゴルフコンペに招待したので、こいつなにを考えているのか、と不審に思って出かけてみると、ナベショーは、自分が開発したゴルフグッズを、だれかれなしに売りつけようとしているのだった。5/25

カナカ人のおばさんを、子供たちの算数の先生として雇ったのだが、彼女は3ケタの引き算すら出来ないことがすぐに判明したので、首にせざるを得なかった。5/26

この国では、突然小文字の使用が許されなくなったので、あらゆる出版物の小文字を大文字に換えることになった。すると、つぶれかかっていた印刷屋に大量の仕事が舞い込んだので、大喜びしているそうだ。5/27

「やすらぎの郷」という死にかけ老人ドラマがヒットしたので、立木義浩カメラマン撮影の浅丘ルリ子さんのヘアヌード写真集が発売されたが、ほとんど売れなかったそうだ。半世紀前ならベストセラーになっただろうに。5/27

「上野駅マラソン大会」のゴールに、大勢の選手たちが飛び込んでくるが、タイム判定員はたった一人しかおらず、その時計はちょっと遅れているので、現地は大混乱だった。5/28

オグロ氏は、おらっちの書いた拙い脚本を映画にしてやると公言し、有名監督やトップスターを世界中から召集して、製作発表記者会見とパーティを開いたので、私はとうとう彼を裏切れない舎弟となってしまった。5/29

せっかく景勝地にやって来たというのに、岩の上の親たちは、幼い子供が岩から落ちて渓流に流されていることも知らずに、釣りに夢中になっている。5/30

夜の演奏会を前に、港までクルーザーで乗り付けたアンタル・ドラティ一家だったが、ドラティ老夫婦は、会場付近を悠然と散策していた。5/30

天上から「お前が死んだら迎えに来てやる」と言う声がした。じつはその前に、天の声が別の人に「百歳になったら迎えに来てやる」と言うのが聞こえていたのだが、私に対しては「百歳」という言葉は遣われなかった。いつ迎えが来るのか、楽しいようでもあり、怖いようでもある。5/31


 イザベル・ファウストは1704年製のストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティ」を使っている 蝶人

 しみじみと心に響く音がするイザベル・ファウストの「スリーピング・ビューティ」 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2017年師走蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-12-30 09:51:05 | Weblog


ある晴れた日に 第488回


クリスマスの門扉の飾りひとつ残し近隣の家全焼したり

20冊を同時並行で読むというあな恐ろしや奥村晃作

月曜の朝に出かけてすぐ電話「金曜夜はカレーにしてね」

おのおのがたなうなうなんぎなよのなかじゃふんどしのひもきりりしめませ

上京して半世紀以上経つさかい丹波弁なんか忘れてしもうた

すんまへんあやべの言葉忘れてしもたおとうちゃんおかあちゃん許してえな

コッチコイと呼ぶからそっと近寄るとバタバタ逃げだすコジュケイ一家 

タンカーとイージス艦がぶつかればいまのところはタンカーが勝つ

耕君は昔は偉大な僧なりきもっと修行をせよと自閉症児に生まれ変わったという

瑠璃も玻璃も照らせば光る人あれどわれはさしずめ嚢中の錐

バーキンが寂しく歌う「ロストソング」あれには多少の思い出がある

唾棄すべき週刊誌を出している書肆より文芸良書を購いにけり 

お馴染みの「最大限の圧力」ですか ポチでも言えるぞワンワンワン

モモちゃんもマルヤマさんも辞めました我が家の行きつけキシモト歯科

12345678910 1時間おきに小便するわれ 

ヴェルディはベルディではなくヴェルディでベートーベンはベートーヴェンなり

Beethovenはベートホーフェンなんだけどとりあえずベートーベンではなくベートーヴェン

竜王戦は羽生優位を伝えているが3勝1敗では勝負は分からぬ

限界だ団地集落自治体も日本全国限界なのだ

若者はなべて自民を支持するという鴈首揃えて地獄へ行きな

韓国を激しく嫌う人たちも弥生時代にそこから来た人

大変だいつもアマゾンで買い物をしていなければ不安で不安で

「内閣に賛成20%」を多数派に押し上げているのが「どちらともえいえない30%」

結局は「どちらともえいえない30%」が政治を決めているのかも知れない

年寄りはどんどん死にゆき若者はどんどん年寄りとなりどんどん死にゆく

「おのれの欲の海で立ち泳ぎしてな」と言われてから葉山の海で立ち泳ぎしているひと

なんでもかでもマイウーと叫んでいる君 たまにはマズイーというてみよ 

なんか確かな証拠でもあるんだろうか「私絶対失敗しないので」

貴乃花がどうたらこうたらもう沢山相撲より大事なことが他にあるだろ

イザベル・ファウストは1704年製のストラディヴァリウス「シリーピング・ビューティ」を使っている

しみじみと心に響く音がするイザベル・ファウストの「スリーピング・ビューティ」


  「滅びるね」と広田先生また言うだろう平成末期の混沌を見て 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第53回

2017-12-29 16:06:47 | Weblog


西暦2017年卯月蝶人酔生夢死幾百夜 


若い二人の結婚式で、人世の幸福の秘訣は「A=B、B=C、butC≠A」という公式の解読にある、と私がスピーチすると、マエセイゾウが、「そんな馬鹿な話があるものか」と文句をつけたので場内は騒然となったが、新郎新婦をはじめ、彼のすべての部下が立ち上がって反論したので、彼はこそこそ逃げ出した。4/1

私が半生を費やして確立した「A=B、B=C、butC≠A」というこの公式は、22世紀の世界コードとして内外から高く評価され、結婚式場の特別席に「安倍=トランプ、トランプ=プーチン、プーチン≠安倍」という具体例と共にプレートに刻まれていた。

しかし結婚式の出席者たちは、式が終ると全員で鹿狩りに出かけてしまったので、私たち中年の召集兵たちおよそ50名は、谷間の集会所に整列させられ、彼らを追跡して全員逮捕せよと命じられた。

深い谷間の麓から高い山の頂上まで登っていくと巨大な洞穴があったので、めざす連中はその中にいるのかと思ったら、あにはからんや京大史学科卒のヤマグチ先生が、たった一人で下手くそな日本画を描いていた。4/1

また雨だ。いくら洗濯しても乾燥が終らないのでいらいらした私は、日本のどこかに晴れた場所が1か所くらいあるはずだ。今のうちならまだ間に合うと思い、すべての洗濯物を引きずり出して旅立った。4/2

私は、めざとく少年になった白い蝶を発見したので、首根っこを捕まえて、「こんなところでウロウロするな。県道の脇道を辿って山に戻るんだ」と囁きながら、軽くハグして別れた。4/2

ハシモト氏は結構名の売れた作家なのだが、アルバイトでやっているCM企画のほうが金が入るので、止めたくてもなかなか止められないでいるようだ。私が彼なら、きっぱり止めてしまうのだが。4/3

清明の日にふさわしい心温まるような凄くいい夢を見たんだが、いくら思いだそうとしても、ひとかけらも思い出せない、その悔しさだけが、夢の形見。4/4

私がちょっと留守していた間に、誰かが我が家に忍びこもうとしていたので、私は大声で怒鳴ると、男は気を失ってその場に倒れてしまった。しばらくするとようやく息を吹き返したが、またしても気を失ってしまった。4/5

何度も何年もこの国のこの町を訪れているというのに、定宿のホテルが見つからないので、あちこちほっつき歩いているうちに、とうとう夜になってしまった。4/5

どうやら私たちは命を狙われているようなので、なんとか殺されないようにしようと、一晩中考えていたが、妙案はなかった。4/6

芝居の出演が終った私がしばらく休憩していると、必ず誰かが茶椀を運んでくるのだが、そのお茶の中には、必ず毒が入っているので油断できない。何日も経つ間に、私はある男がその犯人であることを知った。4/7

いつの間にか私は、その男と親しく口をきくようになったのだが、男は相変わらず私が休憩していると、毒入りのお茶を運んで来るのだった。「これには毒なんかまったく入っていませんよ」というような顔で。4/7

税関で「アメリカの製品を何点くらい買ったのか?」と聞かれたので「さあ、10点くらいかなあ」と答えたら、肥ったおばはんが、いきなりバッグの中身をその場でぶちまけたので、私はまたしても、「もう二度とこんな国には行かないぞ」と思った。4/8

1980年、その男が神さまだった頃、村人たちは男を全裸にしてから、真っ白な紙で覆ってしまった。彼が時間を元に戻せるようになったのは、その時からだ。4/8

今日から新学期だというのに、朝寝坊してしまった。授業は8時からだというのに、もう7時半だ。教務に連絡しようと思ったが、大学のヒジョウキン講師などもうやるはずがないと思って、携帯も捨ててしまっていたから、どうしようもない。4/9

私は大きく突きだした岩磐の登攀を目指しているうちに、夜になったので、切り立った壁の下で我が身を固定し、ジャコウアゲハの蛹のようにぶら下がったが、到底眠れるものではなかった。4/10

新入社員の私のところに朝日新聞の記者がやって来たので、私は舞い上がって、自分でもよく分からない会社の機密情報をペラペラしゃべりはじめた。するとその記者は、メモを取る手を休めて、まじまじと私の顔を見つめている。4/11

長男と一緒に、手をつないで行列に並んでいた。前の方に嫌な奴がいるので、注意しながら。しばらくすると、行列は猛烈に長くなり、大混乱が起こって、気がついたときには、長男と離れ離れになっていた。焦る。4/12

大混乱の中で私が呆然としていると、その女は、私が持っていたマイクを奪い取り、「あたしこそがあ、人々の苦難を救うのですう!」と絶叫するのだった。4/13

久しぶりに神田神保町を訪れ、集英社辺りを歩いていたら、通用口から出てきた見覚えのある男性から、「おや、佐々木さんじゃないですか。昼飯でも食いませんか?」と誘われたので「いいですね」と答えて、一緒に歩きはじめたのだが、彼の名前が出てこないので激しく焦っている私。4/15

松林の中で虚無僧生活を送っていた私は、ある人に3人の美女と1日3食の美食付きでスカウトされて、新しいプロ野球チームの主戦投手兼4番バッターに抜擢されたのだが、まもなく引退して、のんちゃんと一緒に雲に乗った。4/16

久しぶりの乱交パーティだったが、なんせ真っ暗闇なので、みんなすぐ傍の相手としか出来なかったので、大いなる不平と不満が残ったようだった。4/17

「よく気をつけないと、鬼さんに呑みこまれてしまうからね」、とあれほど注意したのに、わが新人どもは、次々に凶暴な鬼さんに呑みこまれてしまった。4/18

私は出てくる女たちと、次々に枕を交わしていったが、別にどうということもなかった。そしていまでは、あれは嘘か、それとも真だったのか、それすら分からなくなってしまった。4/19

青年と老婆の対話を、なんとか詩にしようと悪戦苦闘していたが、うまくいかない。気がつくと朝になっていた。4/21

木下順二の「夕鶴」の新しい演出を考えていた。運ずと惣どには、背広を着せることに決めたが、肝心の鶴はどうしようかと考えても、考えても、なかなか結論が出ないうちに、朝になってしまった。4/22

いよいよ個展が始まるというのに、まだ1枚も絵が描けない。困った困った、どうしようと苦悶しているうちにも、情け容赦なく時計の針は進むのであった。4/23

マエダさんが、突然「図書館の本の在庫を減らします!」と宣言したので。驚いた私は、反対しようとするのだが、その反対の論拠をどこかに置き忘れてしまったので、周章狼狽している。4/23

もう古稀を過ぎているのに、私は「おらっちはまだ20代だ、ぐあんばれば、まだまだなんとかなるさ」と、自分自身に何度も言い聞かせているのだった。4/24

真夜中なのに、例の街角に辿りついた。この道はループしている、と分かった。ようやく自転車屋を見つけたので、欣喜雀躍して、トイレを借りたり、おやじさんにタイヤに空気を入れてもらったり、色を塗り替えてもらったりした。4/24

私は、毎週湘南鎌倉病院の院長から、新着のDVDを送ってもらっていた。それは、この病院が起こした不祥事を反省するために、全患者に寄贈しているもので、最新号はウグイス啼く果樹園をバックに、院長が、お詫びの言葉をぶつぶつ呟いているものだった。4/25

私は自分の会社を人跡稀な森の奥に移転し、そこで受注した製品の製造と販売を始めたのだが、社員がてんで集まらないのには閉口した。4/26

私ら3人は、朝8時からの勤務に出社できず、毎日午後1時から8時ごろまで勝手に働いていたので、真面目な上司のイマイさんから解雇されてしまった。4/27

どうやら日本では、戦争になっているらしい。13人いた仲間の大半は帰国し、パリに残っているのは、私とイノウエとヨシカワ、それにオオミチの4人だけで、去就に迷って全員オルリー空港の中で途方に暮れていた。4/28

原口組と宮前組の対立で、ハラグチとミャマエは一時お互いに宿敵に拉致誘拐されて、尻の穴からビシバシ犯されたのだが、そういう因縁も手伝ってか、双方が和解してからというものは、無二の義兄弟になった。4/29

半年前に、適当にシャツと帽子を作ってしまったのが、拙かった。いよいよショウが始まるというのに、それがネックになって、他のアイテムにも悪影響を及ぼしたので、私は改めてシャツと帽子のデザインをやり直した。4/29

鴈治郎が「気の毒じゃが、おぬし覚悟せい」と刀を引きぬくと、雀右衛門が黄色い悲鳴をあげて、「強欲じゃあ、ごうよくじゃあ」と、叫びながら逃げ出した。4/30


  貴乃花がどうたらこうたらええ加減にせえ相撲より大事なことが他にあるやろ 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第52回

2017-12-28 16:04:47 | Weblog


西暦2017年弥生蝶人酔生夢死幾百夜 


「マーサ製造所」という看板はいったい誰が掲げたのか? うどんそばを製造している我が家にはにふさわしくないのでなんとかしろ、とさっちゃんに迫るのだが、知らん顔してそっぽを向いているのだ。3/1

「なぜおれはなにをやっても成功するのか? それはおれが絶対に他人の真似をしないからだ」と、その男は吹きつける風に向かって叫び続けていた。3/2

ベンチで寝ころんでいる女の上を乗り越えてなおも進んでいくと、ストに参加した5、6人の労働者たちが、プラットホームにマグロのように横たわっていた。3/3

部屋の中のニイニイが鳴き始めると、屋外のニイニイも一斉にニイニイ鳴き始めたので、今年は豊作だと分かった。3/3

半年前に渋谷でモザールの2台のピアノのための協奏曲を弾いていた青年と一緒に、同じ曲を演奏している。彼はこの半年間のことは全然覚えていないというので驚いた。3/4

そいつは私がつけた値段をコピぺしたものに?マークをつけて送って寄越した。3/4

我われは、敵を見おろす高台の陣地にあって、一晩中篝火を焚いて警戒していたが、それは平原の覇者と称されている敵だけに、一瞬の油断も許されなかったからだ。

アライサの元芸人は、ブースの中に一室を与えられていたが、特に仕事はなさそうだった。私がシエラザードのビデオをかけると、珍しそうに眺めていたが、お互いに一言も交わさずに別れた。3/5

そのホテルの支配人は、「うちでは1年間どんな忘れ物でもお取り置きしてあります」と言って、様々な貴金属や本やカバンを見せてくれた。3/6

展示会では5社中2社からのサンプルが間に合わず、バイヤーからクレームが殺到した。3/7

サルマ川に着いたのは、もう夕方だったが、急激な引き潮の余波で、浅瀬には無数のバルウオが、バチャバチャと跳ねまわっていたので、私らは手当たり次第に収穫して、晩御飯のおかずにした。3/7

久しぶりに7人の妾を「夜の友」としようと、呼び出しをかけたのだが、誰一人としてやって来ないので、7軒の家を訪ねて次々にベルを鳴らしたが、誰も出てこない。きっとどこかで、7人で談合しているのだろう。3/8

予約しようと思って帝国ホテルへ行ったら、どういうわけだかフロントに大勢の子供たちが列を作って並んでいたが、夜になると、子供もフロント係もお客も誰もいなくなった。3/9

夏の夜、体育館でブラブラ遊んでいると、誰かがこのパンツを私に穿かせようと叫んだので、私は「僕は嫌だ。Tに穿かせろ」と言いながら逃げ出したが、とうせんぼしていたY子が、私の胸をドンと突いたので、ひっくり返ってしまった。3/10

空を眺めていると、世界中からタイキ者がやってくる。何をなぜ待機しているのか知らないが、アルゼンチン、アメリカ、イタリア、ウクライナ、ウズベキスタンのアイウエオ順で世界中からタイキ者がやってくるのだ。3/11

アマゾンのタイムサービスで、私は一瞬の隙をついて日本列島全域の不動産を買収してしまったのだが、その資金繰りに七転八倒することになってしまった。3/12

河出の文学全集の欠本をアマゾンで検索したら、ぬあんと7億円の超高値がついていたので、これは妙だなと思いながら、宝籤で7億円を当てたばかりの私は、ひょいとクリックしてしまった。3/13

自室に戻ると、数人の男女が談笑しながら煙草をふかしていたので、私は激怒して「お前たち、誰の許しを得て入って来た。ここは、おらっちの部屋だ。即刻出ていけ!」と怒鳴ったのだが、彼らは知らん顔している。3/14

九龍ホテルに連泊している私の部屋には、毎晩見知らぬ客が訪れたが、ある晩電通のフルカワと名乗る男から、私は2本のラジオ・ドラマの脚本を依頼された。しかし私は、生まれてこの方ドラマのシナリオなんて書いたことがないので、はてどうしたものか、と悩みに悩んだ。3/15

下宿のおばさんは、万年床の少女探偵にほとほと愛想を尽かしていたが、かといって、彼女を追いだそうとはしなかった。3/16

建築業界の若きボスとなって君臨しているように、世間では噂されている私だったが、しかしてその実態は、若い情婦の言いなりになっている哀れな男奴隷なのだった。3/16

死の床に就いていた老将軍は、私を招いて遺言しようとしていたが、そうはさせじ、と悪代官がうろちょろするので、私は、酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせている将軍の枕元に、なかなか近づけないでいるのだった。3/17

「ウスイと申しますが、キョウセンさんはいらっしゃいませんか?」という声がした。すると路地の奥から声がして「おや、あのときのウスイさんですか。あれは10年前でしたね。でも昨日のことのようによく覚えていますよ。今日の出物は何ですか?」という声が聞こえた。3/18

中国へ飛んだら、大きな変化が起こっていた。それは「情から無情」ということで、これが、政治経済社会に決定的な影響を及ぼしていたのである。3/19

久しぶりに春闘で満額回答を勝ち取ったというのに、米原産業の労働者諸君に喜びの表情は、これっぽっちも見えなかった。みんな安倍蚤糞の所為だった。3/20

私が眼を瞑っていると耳元で「センセ、ワダエミのこたあ、もうお忘れになったほうがよござんすぜ」という男の声がした。ワダエミって誰だろう? 眼を見開いた私は、早速検索してみようと思ったのだが、あいにくどこにもPCなど見当たらなかった。3/21

満月の光に煌々と照らしだされて、真昼のように明るい大空の彼方から、突如巨大な惑星が大接近してきたので、驚いて見詰めていると、その惑星から打ちだされた無数の岩石が、我が家に押し寄せてくるので、私は妻子ともども、命からがら逃げ出した。3/22

銀座で4人でお茶していたら、紅一点のイラストレーターのカワムラさんが、突然「男根の世代よね!」と、よく通る声で叫んだので、われわれ男どもは、手に持った紅茶のカップを、思わず取り落とすほど動揺した。3/23

昔のDurbanの服を着てみたら、思いのほか塩梅がよかったので、「なかなかいいなあ」と呟くと、そんな私をじっと見つめている女性がいるので、誰かと思ったら、もうとっくにこの世の人ではないコンドウ嬢だった。3/24

新書館と打ち合わせをするために、原宿の竹下通りを歩いていた私は、突然アオキ嬢がいなければ行っても無駄だと気付いたので、急いで会社に引き返そうとしたのだが、歩いている途中で、なんのために引き返すのかを忘れてしまった。3/24

生死を賭した菊人形劇の最終番で、私はコースを外れてしまったので、途方に暮れている。果たして、本来の道筋に戻れるだろうか。3/25

そこはまことに夢のような楽園であったが、私は涙を呑んで、泣く泣くそこから立ち去らねばならなかった。3/26

犯人の井桁の紋どころの男は、どさくさまぎれに逃げ出そうとしたが、私が背後から首をギュッと締めたので、ようやく大人しくなった。3/27

「カルメン」でドンホセを歌った私は、カーテンが降りるや否や、気を失ってしまったが、劇場全体を覆い尽くすブラボーで意識を取り戻し、一緒に手をつなごうとカルメンを探したが、どこにも見つからなかった。3/28

昼飯を食おうと思って、パスタを注文したら、真っ白な肩を出した白雪姫が、席まで運んでくれたのだが、真っ赤な唇を開いて、1本ずつおいしそうに吸い込んでしまうので、「早くくれよ」と催促したのだが、皿を持ったまま、引き返してしまった。3/31


     限界だ団地集落自治体も日本全国限界なのだ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集」No.19

2017-12-27 14:54:26 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.278



○永年勤続表彰式における社長のあいさつ


本日、石井俊介さん、中山順二さんの勤続25年の表彰式に際し、ひとことごあいさつさせていただきます。

*1おふたりはいずれも昭和44年にわが綾部証券に入社された大先輩でございます。と申しますのも、私が岡村銀行から当社にやってきましたのは、その5年後の昭和49年の4月のことだからです。そして石井さんは、広報室部門で広告宣伝担当として、中山さんは国債部門の本店窓口担当として、ながきにわたって誠実に職務に取り組んでこられました。

*2私が知る限り、石井さんの最大の業績は、従来経済新聞中心であった当社の宣伝媒体を、昭和56年よりテレビ宣伝主体に転換し、当社イメージの底上げと当社ファン獲得の地ならしをされたことであります。

そうして、中山さんは、石井さんが敷かれた株式の大衆化路線の上に立って、機関投資家ではなく個人投資家本位の国債販売戦略を企画、立案、実行され、昭和60年度に当社始まって以来の部門別、個人別対前年比売上増をマークされ、当社の課題であった「21世紀にAクラス大証券へ」の道の尖兵として多大の貢献をなしとげ、当社始まって以来の業績を達成されたのであります。

お二人の活躍はもちろんこれにとどまるものではなく、バブルを経て、平成に入りましてからもそれぞれの専門領域における最重要のヘッドクオーター役として、私ども経営陣の意を体しつつ、多くのスタッフを練達の手際で鮮やかに指導し、優秀な後任を育成しながら年々めざましい成果を収めてこられました。

つきましてはここにおふたりの四半世紀にわたる当社への輝かしい貢献と献身的なご努力を称え、永年勤続感謝状および景品、特別社長賞としまして金一封を贈らせて頂きます。

*3一口に25年と申しますが、今回の快挙の陰には言語に尽くしがたいご家族のご苦労、とりわけおふた方の奥様の内助の功を忘れる訳には参りません。

よって石井光子様、中山清香様にも金一封を贈らせて頂きます。どうかこれからも健康に留意され元気に活躍して頂きますようお願いいたしましてお祝いの言葉と致します。


○アドバイス
* 1 たまたま社長が、表彰者よりも年少の途中入社であった点を強調して、あえてへりくだることによってベテランに敬意を表してみせた。
* 2 単に長期にわたって勤務したことのみを褒め称えるのではなく、実際にめざましい成果や貢献がある場合には、それを全員の前で声を大にして評価、賞賛することがのぞましい。それは表彰者はもちろん、社員への励ましにもなるだろう。
  *3 晴れの席で配偶者の協力を称え、ささやかであっても顕彰の言葉と感謝の辞を 
    贈る企業はなかなか見識があるといえよう。ことに配偶者の名をフルネームで呼
    ぶところが素晴らしい。



 耕君は昔は偉大な僧なりきもっと修行をせよと自閉症児に生まれ変わったという 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邦画7本+洋画1本おまけの歳末ムービー大安売りずら

2017-12-26 11:48:54 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1263~1270



1)相米慎二監督の「夏の庭」をみて

ラストの井戸の底から相米、三国、ザード、淡島の精霊がざわざわと立ち上がって来るような不思議な映画。相米にはもっと長生きしてほしかった。

2)山田洋次監督の「母べえ」

戦前戦中の日帝の知識人弾圧の実態をいまさらのように描くが、こういう政治と歴史にかかわるいわゆる反戦映画を普通に撮る監督は少なくなった。そういう意味で貴重なり。吉永小百合が好演。

3)田中光敏監督の「サクラサク」
さだまさしの小説の映画化だが、予定調和の演出が気になる。家族のうるわしき絆のためにカッコよく会社を辞めた緒方直人はその後どうなったのだろう。

4)古澤憲吾監督の「日本一のホラ吹き男」
植木等が演じる日本一のホラ吹き男の底知れぬパワーに1964年当時の日本の訳の分からぬアナーキーを感得できる貴重な映画ずら。

5)古澤憲吾監督の「大冒険」をみて
国際偽札グループをめぐるう植木等&クレイジーのドタバタだがちっとも面白くない。越路吹雪がギャング団に出演している。

6)劇団ひとり脚本・監督・助演「晴天の霹靂」をみて
劇団ひとりなんて馬鹿にしていたが、なかなか才能があると分かった。この調子でイーストウッド、さらにはチャプリン級の作り手になってほしい。

7)庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」をみて
このゴジラの眼はまるで漫画で嘘っぽいが、映画自体もまるで空虚な漫画ずら。ゴジラを敵に想定して戦争ごっこに夢中になっている。まるで自衛隊のPR映画だ。

8)ギャレス・エドワーズ監督の「Godzilla」をみて
2014年製作のハリウッド映画ずら。暗闇から現れて暗闇に帰っていったゴジラならぬGodzilla。終始まっ黒けの画面でいったい何がどうなっているのかさっぱり分からんちんの映画なりい。


     20冊を同時並行で読むというあな恐ろしや奥村晃作 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

降誕祭の音楽

2017-12-25 14:44:57 | Weblog


音楽千夜一夜第404回



Sさん、いかがお過ごしでしょうか?
12月といえばクリスマスの季節。そちらはもう雪が降りつみ白一色のホワイトクリスマスではないでしょうか。

そこで今宵は、北国の降誕祭にふさわしい音楽をピックアップしてみたいと存じます。

まずはなんといってもビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」ですね。
1941年にアーヴィング・バーリーが作詞作曲し、クロスビーが晴れやかな声で歌いあげたこの名曲は、我が国の内村直也作詞・中田由喜直作曲の「雪の降るまちを」にも似た古閑で鄙びた趣もあって、世界的にヒットしたのではないでしょうか。

 https://www.youtube.com/watch?v=CuIn95h10ZQ&t=202s

次はドイツの作曲家、セバスチャン・バッハのオルガン曲です。
「小川」という名前をもつこの偉大なドイツの作曲家には、その名も「クリスマス・オラトリオ」という大曲もありますが、この季節に私が聞きたいのは、教会の礼拝の前にオルガンで演奏されるコラール前奏曲です。

「オルゲルビュヒラインBMW599-644」などのコラール前奏曲は、昔から著名なオルガニストによって演奏されてきましたが、私がひそかに愛聴してきたのはアルベルト・シュヴァイツァー博士の演奏です。

「生命への畏敬」を唱え、赤道直下のアフリカ・ガボンで医療と伝道に尽くし、ノーベル平和賞を受賞した「密林の聖者」は、優れた医師・哲学者・神学者・音楽学者であったばかりか、知る人ぞ知るオルガン奏者でもあったのです。

 https://www.youtube.com/watch?v=ySRsQlgx6hk

シュヴァイツァー博士が弾くコラール前奏曲は、技術をひけらかすどころか、聞きようによってはむしろ下手くそといえるかもしれません。

しかしそれにじっと耳を傾けていると、村の古い小さな教会でオルガンを弾きながら子供たちと讃美歌をうたっている小太りの老人セバスチャンの姿が、おのずから浮かび上がってくるような古拙な演奏で、これこそ神様が嘉し給う敬虔な調べというものではないでしょうか。

バッハの音楽の本質は神への尽きせぬ感謝とひそやかな祈りであり、その名の通り小さな川のように流れる日々の頌歌にこそあるのでしょう。


最後はご存じ管弦楽の神様、ヘルベルト・フォン・カラヤンが、名手ウィーン・フィルを指揮したクリスマス・アルバムです。独唱は黒人ソプラノ歌手、レオンティン・プライスですが、彼女が無心に歌う「清しこの夜」や「アヴェ・マリア」を聴いていると、文字通り心の底から清められていくような気がいたします。

 https://www.youtube.com/watch?v=hzv7qoAHow8&t=80s

それではSさん、今日はこの辺で。どうぞ良いクリスマスと新年をお迎えください。

      主よ人の望みの喜びよわが心に流れる一筋の川よ 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉小町通り脇の鏑木清方記念美術館で「清方と祝う正月」展をみる

2017-12-24 11:30:54 | Weblog


蝶人物見遊山記第266回& 鎌倉ちょっと不思議な物語第394回


まだ歳の暮れだというのに、早くも恒例の清方正月展が開催されています。今回もメインは、清方作品をもとに名押し絵作家の永井周山が製作した押絵羽子板でしょうね。これら「明治風俗12カ月」が描かれた優美な作品を眺めていると、明治というより江戸の新春の薫りがそよぎくるような気がするから不思議なものです。

しかし会場の片隅にさりげなく展示されていた「文藝倶楽部」第21巻第1号の付録、「軍国をんな雙六」をみていると、大正4年1915年現在の我が国の文芸が、すでに猛威をふるう軍国主義体制の膝下に組み敷かれていたことが如実に実感されます。

あったりまえだのクラッカーですが、他の大多数のアーテイストと同様、風雅の日本画家鏑木清方も、戦争とファシズムに抗する種類のひとではありませんでした。

そういう意味ではきのう突然ウーマンラッシュの村本選手司会のabemaTVの土曜日の番組が無くなったのも、平成29年が大正4年であることに直通しているように感じられます。

なお本展は明年1月14日まで寂しく開催中。



  クリスマスの門扉の飾りひとつ残し近隣の家全焼したり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第51回

2017-12-23 10:40:01 | Weblog


西暦2017年如月師走蝶人酔生夢死幾百夜 



世にも恐ろしい化け物に襲われて命からがら逃げかえったのだが、地方局の報道を使ってそいつを退治する志願者を募ったら、Aさんが早速協力すると申し出てくれたので、来週一緒に出かけることにした。2/1

少数精鋭の突出主義によって権力を掌握したオグロ選手は、「このホテルにいる貴人を捕虜にすれば、なお80日間クーデターを延長できるはずだ」と力説したが、私だけは断固反対して戦列を離れた。2/2

不倶戴天の敵将と対決しようと盛り上がっていたら、そこへ大勢の難民たちが逃げ込んできたので、戦闘どころではなくなってしまったのだが、そこへ現われたカトウテンメエ氏が「有難う、お蔭で助かったよ」と礼を言う。なんのことやらさっぱり分からない。2/4

試合の冒頭でいきなり私がゴールしたので、安心しすぎたのか、わがチームは終盤に同点、逆転打を決められて、もろくも初戦で敗退してしまった。2/5

地下球場で練習試合をして、疲れ果ててゴロゴロ雑魚寝していたら、「あらイチローがいるじゃない。サインしてもらおう」と人々が押しかけたのでジロウ、サブロウ、シロウたちが拗ねた。2/6

茶の間で飯を食っていると、突然長男が発作を起こしたので、飛んで行って抱き起していると、やはり彼を助けようと身を伸ばした妻も、パニック障害を起こして倒れてしまったので、私が右ひざで隣の父親をつつくと、私に向けたその顔は、私そっくりだった。2/7

「能登の猛将」と称された私だったが、このたびの戦を前にして、なぜかまったく意気消沈し、押し寄せる敵に立ち向かう気力が、どこからも湧きでてこないのだった。2/10

新型爆弾を抱えたドローンを、上空から猛スピードで次々に墜落させると、さしもの難攻不落の地下要塞も、一夜にして陥落してしまった。2/11

上司があるページのレイアウトについて、写真と文章の比率がどうじゃこうじゃ、と難癖をつけるので、それがどうしたこうした、と押し返しているうちに、戦争が始まって廃刊になってしまった。2/12

核戦争で廃墟と化した新宿の元高層ビル付近を、加藤嬢と歩いていると、3名のチンピラに襲われたので、私はベルトから3本のナイフを取り出して投げつけると、狙いは過たず、彼奴等の心臓にズンと突き刺さった。2/13

ある日、殿が敵に襲われそうになったので、私は殿の刀の刃の中に潜り込んで、敵が斬りつけるたびに、刃の中でハッシハッシと受け止めたので、殿は危うく一命を取り留め、私は殿より褒賞を賜った。2/13

真っ暗な野原を歩いていると、うしろから野良犬が猛烈なスピードで走って来て、私を追い抜いて、深い川に飛び込んで水を飲むと、今度は私に飛びかかって来た。2/14

どういう風の吹きまわしか、私はチンポコをおっ立てたまま、4枚のパネルを別宅まで運んだという「鉄の男」として、みんなから尊敬されるようになった。2/15

とうとう万人が万人の敵となるホッブスの夜がやって来たので、私たちは数十人づつに別れて、夜の闇の底を足音を立てずに歩いた。

ランチをとろうと、放送出版の若者と一緒に急な階段を下りていく途中で、私は足を踏み外して宙ブラリンになってしまったので、若者たちに助けられた。彼らの後を追ったが、行方が分からなので、どこかでランチを取って事務所に戻ると、彼らも戻っていた。2/16

放送出版の若者たちは、新譜の宣伝を担当しているのだが、試聴盤が少ないので、自分でCDやDVDに焼いて、それを局や識者や評論家たちのところに届けるのだ、といって、私にもオランピアのテスト盤を呉れた。2/16

歴代3代にわたるわが社の宣伝担当が、久しぶりに一堂に会し、激論を交わしながら、丸1日がかりで最新のCM企画案を作り上げたのだが、考えてみれば、そこには現在の担当者など誰もいないのだ。2/17

私は昔とった杵柄で、クリスマスの幻想的な空間を見事に演出してのけたので、周囲の絶賛を博して、いい気になってしまった。2/18

私は革命的フィルムの開発に没頭して、家庭をてんで顧みなかったのであるが、半年ぶりに帰宅したら、妻君が夢中でぺんてるでお絵描きをしていたので驚いた。2/19

私は、「今日のイベントの内容を、このビデオにすぐに取り込め」と、部下のムラタに指示したが、ふくれっ面のムラタは、返事しなかった。2/19

2017年2月某日午前1時、リンチョン氏は、開口一番こう喚いた。「べらぼうめ。てやんでえ!」2/21

村人たちは、思い思いに自分の大切な人を車に乗せて、いずこへか逃れ去って行きました。2/23

ヤフオクに出品したら、早速落札者が出たのだが、送料が分からないから発送できず、いらいら焦っているわたし。2/24

クォーターバックに新人の平岡を起用してからというもの、わがチームは連戦連勝で、あろうことか、とうとうリーグ優勝まで果たしてしまった。こういう男こそ、真のラッキイボーイというべきなのだろう。2/25

逗子芸術文化会館の竣工式の日に、桜尾源兵衛の葬式があったが、彼の棺は、大勢の若者たちによって、まるで神輿のように担がれて、自宅から会館まで運ばれていった。2/26

ようやくバスがやって来たので、乗ろうとしたが、あまりにもぎゅうぎゅう詰めの超満員だったので、私だけが乗りきれず、バス停に取り残された。2/27

隣の家の男の子と女の子が、トルコのメヴレヴィ教団のセマーのように、ぐるぐる回りながら踊っているので、私も仲間に入ろうとしたのだが、輪の中に入れなかったので、はじめて歳を感じた。2/27

「そういえば、吉藤さんチのお庭の左奥には、池があって、鯉や金魚がたくさん泳いでいましたね」と尋ねたら、吉藤さんから「そうでしたっけねえ」という素気ない返事が返ってきたので、私は、自分の記憶に急に自信がなくなった。2/28


Beethovenはベートホーフェンなんだけどとりあえずベートーベンではなくベートーヴェン 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.18

2017-12-22 11:49:20 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.277



○姪の成人式を祝う伯母のスピーチ

陽子ちゃん、成人式おめでとう。お父さん、お母さんもおめでとうございます。

*1おばさんはね、普通の姪が成人式を迎えた日の普通のおばさんよりは、きょうずっとずっとうれしいんです。何故っていうとね、それはあなたも知ってのとおり、おばさんはあなたの名付け親だからです。

*2あなたのお母さんはね、長女であるあなたが誕生した時、会社の仕事を続けようか、それとも専業主婦になろうかといろいろ悩んでいました。
この時期の女性ならみんな経験することだけど、心身ともにとてもナーバスになっていたのね。ふだんはとっても元気な人なのに、すっかり落ち込んでいたのよ。
せっかくあなたがこの世に登場しようと意気込んでいたのに失礼しちゃうわね。

それでやっとあなたが生まれて、さてどんな名前にしようかという段になってもやれ四柱推命がどうだの字画がどうだのって、いつまでたっても夫婦でぐちゃぐちゃいってたの。役所に名前を登録する締め切りに遅れそうだったのよ。それで私は、よせばいいのにおせっかいを出したというわけ。

*3むかし平塚雷鳥という女性社会運動家が、雑誌『青鞜』を創刊して女性解放や婦人参政運動に尽力したのね。彼女は、夏目漱石の小説『三四郎』のヒロイン美禰子のモデルと言われていますが、その雷鳥に「元始、女性は太陽であった」という有名な言葉があります。おばさんはこの言葉を母親から聞かされてけっこう感動したことがあるのね。それで思いついたのが『陽子』という名前でした。

*4そうだ、女性って太陽なんだ。太陽のように明るく、元気で、どんな困難にぶち当たってもけっしてめげない前向きな存在になってほしい。陽子ちゃんも、そしてちょっぴり落ち込んでいたあなたのお母さんも、親子ともども元気はつらつ新しい人生を歩んで欲しいーー20年前そんな思いを込めてあなたの名前が誕生したのです。

陽子ちゃん、これからも陽子らしくのびのび生きてください。おばちゃんはいつもあなたを見守っているわ。

○スピーチのポイント

①②サプライズ発言を行うときは、周りの人を傷つけるないようによく注意し、事前に必要な了解を取っておきましょう。

③名前の由来を明かすところが、このスピーチのハイライト。当事者には周知の事実でも、第三者には初めての話題が意外な感銘を呼ぶことがあるものです。

④エピソードを生かして、明るく元気な結びにしましょう。     


 「コッチコイ」と呼ぶからそっと近寄るとバタバタ逃げだすコジュケイ一家 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第50回

2017-12-21 14:19:10 | Weblog


西暦2017年睦月蝶人酔生夢死幾百夜 



白い顔の女と宿屋に入ったら、なぜだかもうひとり顔のない女も一緒に入ってきた。他には誰も客がいない2階のだだっぴろい大広間に布団を敷いて、まだ夜にもならないのによもやま話をしていたら、急にその気になったので、私が白い顔の女の上にのしかかると、顔のない女は気を利かせて、別の部屋に逃れ去ったのだが、宿屋の女将がいきなり部屋の襖を開けはなったので、私たちはひどく興ざめしてしまった。1/2

私は大統領との面会を果たべく延々と待たされているのだが、いつまで経っても名前を呼ばれないので、だんだん頭に血が上って来た。1/3

真冬だというのに、真っ白な百合が、巨大なサソリの形で咲き誇っている。そしてその花弁の奥のメシベの一つひとつに、ウラナミシジミが長い口吻を伸ばしていた。1/4

落城が間近に迫った城内では、敵軍の侵入で自分の命が危ぶまれるというのに、兵士も城民も、城中のどこかに隠されているという財宝を求めて、狂ったように宝探しに狂奔していた。1/5

我が右手の長剣を振りかざしながら、2度までも突撃したけれど、武運つたなく、私は敗軍の将となった。1/6

亡命ロシア人のオリガ姫が、「私ももう歳でくたびれたからそろそろ故国へ帰りたい」とレストランのオーナーに訴えたが、これまで通り日露のスパイを続けてほしいといわれて、泣く泣く引き下がった。1/7

正月にやってきた親戚の子供たちに、気前よく300万円もお年玉をばら撒いてしまったので、私は今年に予定していた詩集の処女出版を諦めざるを得なくなってしまった。1/9

オグロ選手は、私を美味い料理屋に連れて行ってやろうと考えていたのに、私が勝手にそこいらの一膳飯屋で晩飯を済ませてしまったのを腹立たしく思っていたとみえて、あっという間に行方をくらましてしまった。1/10

取り残された私は、裏通りをふらふら歩いているうちに、まわりが純白に輝くジュラルミン回路に入り込んだが、逝けども行けども出口に辿りつかないし、時々は背後から高速弾丸列車が通過するので、危なくて仕方がない。1/10

そのうち、前方の踊り場のような空間に濃紺の顔をした、ウルトラセブンの姿が見えた。私が「一刻も早くここから出て地上の駅まで行きたいのだが、どうすればいいか教えてくれないか」と尋ねると、ウルトラセブンは「もうすぐオグロがここにくるはずだ」と教えてくれた。1/10

十二所でいちばん早く咲く白梅を見に行ったら、花も木も枝もあとかたもなく消え失せていたので、こりゃ大変だ、夢から覚めて朝が来たら、すぐに現場へ行ってみなくちゃ、と焦った。1/10

ヤフオクの競売に、またしても500円差で敗退してしまい、悔しくて悔しくて、てんで眠れなかった。1/11

かこっこいい俺様は、有名な建築家がデザインしたかっこいいトップホテルのバーで、かっこいい服着て、かっこいいポーズを決めていたが、誰一人その俺様を見ている人はいなかった。1/12

「ああ、まんべんなく焼けたビーフカツを食べたいなあ」という要望が寄せられたので、うちの軍の料理人に頼むと、早速美味しいビーフカツを作ってくれた。1/12

野原であおむけになって、お天道様の激しい光を感じながら目をつむっていると、私の唇の上に、数多くのてふてふがとまって、羽根を休めているのに気付いた。1/13

マージャンなんて何十年もやっていなかったのに、サトウ君にヤクマンを振りこんでしまい、お金の持ち合わせなんか全然ないからどうしよう、困った困った、と冷汗をかいていると、有難いことに夢から覚めて夢だと分かった。1/14

敵の追跡から逃れるために、わしは長い間ほら穴の中に隠れ住んでいたが、その快適さがすっかり気にって、穴から出るときに、読み残したたくさんの書物を、そのまま穴に置いてきたほどだった。1/15

好いた女と奈良に旅立ち、昼間から旅館に部屋をとって、早く寝ようと思ったのだが、まだ女中が掃除しているので、布団が敷けない。仕方なく、夕方まで時間をつぶそうと町中を散歩していたら、女の父親と出くわして、女を無理矢理奪われてしまった。1/16

それで仕方なく知人のナラさん宅に逗留していた私は、ある日、ナラ宅を訪れた妙齢の美女と意気投合したので、一刻も早く寝たいと思ったが、まだ真昼なので、仕方なく、夜が来るのを待っていた。1/16

ところが夕方になると、東京からフマ君がやって来て、「これからナラ宅で、全世界アナキスト同盟の日本支部総会を開催する」と宣言したが、私はあまり興味がなかったので、くだんの美女と手に手を取ってフケた。1/16

会社の忘年会の余興に、地元の去年のものつくりコンクールで佳作に選ばれたひょっとこのお面を被って「アイハブアメン踊り」を歌って踊ったのだが、てんで受けなかった。1/17

留学はしたものの、現地の言葉がてんで分からないので、私は急いで語学学校に通うことにした。1/18

洞窟の奥に棲息していたその猛虎は、安全な隠れ家だと信じ込んでいた人々を、次々にゆっくりと喰い尽くした。1/20

コンサート会場には、大勢の人々がたむろしていたが、ここでは受付で名前を呼ばれた限られた人しか入場できなかった。「ミスタ・スティング」という名前が呼ばれると、私の隣にいた男が黙って入場していった。1/21

トランプ大統領の就任演説を聞きながら、刑事コロンボの妻がボタンをつけていたのは、冬物のガウンではなく、よれよれのレインコートだった。1/22

わが劇団では、今回木下順二の「夕鶴」を舞台にかけることになったが、座長が「今回は団員1名につき100名分の切符代を負担してほしい」といいだしたので、「与ひょう」役の私は、即座に退団した。1/23

ヤフオクで買ったばかりのCDプレーヤーのボリュウムを上げると、いきなり再生が停まる。何回やっても停まってしまうので、眼がさめてから実際にやってみると、やっぱり停まるので、夢にも値打があることが分かった。1/25

私は中国の田舎に派遣されて、土地を測量することになったのだが、あまりにも広大過ぎて、どこから手をつけていいのか考え込んでいるうちに、早くも3カ月が過ぎてしまった。1/26

私はその地方の「がっつき踊り」を踊るために、全速力で坂を下って皆と合流した。1/27

せっかくのメンズウエアの新ブランド発表会なのに、突然の大雨で出席者一同ずぶぬれになってしまった。すると新作のウエアを一着に及んだお寺の坊主たちが、徒党を組んで行進してきたので、雑誌の編集者やプレス関係の連中も、その後に続いていなくなってしまったから、主催者は泣いたり怒ったりしている。1/28

私は、夢中になってサボテン狩りをしていた。恐らくトップは私だろう、と思いこんでいたのだが、なんと最後の最後でナガオ氏に抜かれてしまい、虎の子の1万円札を取られてしまった。1/29

我が家を訪れた柔道家が、ぜひ私の家にも来てくれ、と言うので、訪問すると、庭の真ん中に、柔道着をきてポーズを決めた彼の銅像が建っていた。1/30


    月曜の朝に出かけてすぐ電話「金曜夜はカレーにしてね」 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「八軒谷戸」の歌~荒川洋治著詩集「北山十八間戸」を読みて歌える

2017-12-20 13:57:30 | Weblog


照る日曇る日第1019回&これでも詩かよ第228番


今日は朝から木曜日
アクアに乗ってお買いもの*
おらっちはかみさんと
アクアの歌をうたいつつ
上郷生協でお買い物**

  おおアクア おおアクア
  お前の名前は なぜアクア? 

  アクアはラテン語で水だけど 
  しかしアクアには 水色がない***

  あるのは どぎつい青
  誰も買わない エグイ青

  青色は水色ではありません 
  断じて水色ではありませぬ

  仕方がないから 
  おらっちは

  白いアクアを 買ったんだ
  泣く泣く 白にしたんだよ

  おおアクア おおアクア
  しかしお前は よく走る

  お前は 奥さんの運転で
  忍者のように するする走る

生協は毎週木曜が売り出しデー 
ほかの曜日よりお得です
上郷生協は、「八軒谷戸」の交差点のすぐそばさ
右にイタチ川、左にワークマンが見えたなら
ワークマンの歌をうたいましょう****

  広がる世界に 
  夢が溢れてる

  家族を思えば 
  頑張れるはずさ

 (ワークマンでいこう!)

  この町で 暮らそう 
  みんな住む町で
  行こうみんなでワークマン!

すると鼬川のイタチたち
一族郎党身を乗り出して
ブラボー、ブラボーと喝采拍手!
うれしくなったおらっちが、
歌うはご存知ワットマンの歌*****

  テレビにラジカセ、レコーダー
  掃除機、洗濯機冷蔵庫

  パソコン、インクにプリンター
  電化製品なら なんでも揃う

  きみもぼくも ワットマン
  (みんなで行こう ワットマン!)
  ラララ、ランラン、ワットマン

すると見よ!
「八軒谷戸」の交差点のそばにある
金魚専門店の琉金 出目金 その他大勢
金魚鉢から身を乗り出して
ブラボー、ブラボーと拍手喝采!
みんな聴け!
今度はナップマンの歌であるぞよ******

  ラララ、ランラン、ナップマン
  朝の次には昼が来る 昼の次には夜が来る

  夜が来たならナップマン
  おしゃれでシックなパジャマです

  ラララ、ランラン、ナップマン
  夜が来たならナップマン

  楽しい夢を朝までみよう
  ラララ、ランラン、ナップマン

ちょいと出ました童子8人
上郷生協から飛び出して
ブラボー、ブラボーと拍手喝采!
そこで一発かましたね
誰も知らない「八軒谷戸」の歌*******

  さてお立ちあい 皆の衆
  平安時代の昔から この谷戸は「光明谷戸」と呼ばれてた
  谷戸の奥には 聖徳太子の像があって 
  キンキン キラキラ 光り輝いてた 

  朝な夕な 谷間の奥で 
  あやしく輝く 太子様!
  ありがたや ありがたや
  霊験あらたか太子様! 太子様!

  谷戸の中には 八軒の家
  大谷戸、神戸、新家、神主、
  谷戸の前、井戸窪、下の井戸窪、谷戸の元屋敷
  全部で8つの家が あったげな 

  ところが いつの間にやら 
  聖徳太子像が なくなった
  いつの間にやら なくなった
  影も形も なくなったとさ 

  「光明谷戸」には 光も輝きもなくなったが
  相も変わらず 8つの家は残ってた
  八軒の家が 残っていたので
  江戸時代には「八軒谷戸」と呼ばれたそうだ

  その八軒家 今では遠く忘れ去られたが
  大谷戸、神戸、新家、神主、
  谷戸の前、井戸窪、下の井戸窪、谷戸の元屋敷
  8つの家名を 今に伝える8人の童子

  今でも童子は いるそうだ
  「八軒谷戸」の交差点の前
  上郷生協に隠れ住み
  夜な夜なうたう「光明谷戸」の歌

  光り輝く 聖徳太子の歌
  遠い昔の 懐かしい歌
  ラララ、ランラン、谷戸の歌
  ラララ、ランラン、谷戸の歌

さて皆の衆 お立ちあい 
おめえさんの「八軒谷戸」の歌なんか、メじゃないヨと
8人の童子たちが 一斉に
うたいだしたよ「生協の歌」
うたいだしたよ ア・カペラで

  生協 生協 生協 
  セコ セコ セーキョー

  牛肉、ブタ肉、ゆめぴりか
  ドラ焼き、カステラ、富有柿
  なんでも揃うよ上郷生協

  今日は朝から木曜日
  特売品がいっぱいだ

  ポイント2倍のおまけつき
  他の日よりお得です

  生協 生協 生協 
  セコ セコ セーキョー

  おむすび、天ぷら、鮭切り身
  蜜柑にパスタにアイスクリーム

  生協 生協 生協
  なんでも揃うよ上郷生協

  生協 生協 生協
  セコ セコ セーキョー


*没落する帝国中産階級のためのトヨタ製自動車。燃費は良いが、長時間乗っていると腰が痛くなる。

**「上郷生協」とは、正式には横浜市栄区上郷の「ユーコープ上郷店」。

***「ただごと歌」で知られるわが敬愛する奥村晃作氏に、「水に色なけれど全く色なしと言へるかどうか色とは何か 」という思索的な短歌がある。

****「ワークマン」のCM
https://www.youtube.com/watch?v=Oiedds6wMGw

*****「ワットマン」は、逗子駅の近所にある家電販売店で、私は以前よくビデオテープなどを買っていた。

****** 某アパレルメーカーの紳士物パジャマのブランド名。

*******「八軒谷戸」についての情報は、横浜市栄区のホームページおよびライターの立花真弓(橘アリー)さんが、「はまれぽ.com」にお書きになった情報を参考にさせて頂きました。




「おのれの欲の海で立ち泳ぎしてな」と言われてから葉山の海で立ち泳ぎしているひと 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.17

2017-12-19 14:04:22 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.276



新製品発表会/食品メーカー開発担当者のスピーチ


テーマ=意欲的な新製品のセールスポイントを分かりやすく解説する



本日はお忙しいなか、当社の新製品発表会にご出席いただきましてまことにありがとうございます。

*①さて早速ですが、このたびわたしどもが鋭意開発いたしました新製品「ニッポンの天然のおいしさ」シリーズをご紹介いたしたいと思います。

*②最近は私どもの業界でも、いまはやりのグローバル経済と同様に、「早い、安い、うまい」のファストフードが一世を風靡いたしております。確かに、現代食にとって簡便性と経済合理性は非常に大切なポイントです。
しかし、いくら安価だからといって、世界中のビジネスマンが、同じようなランチを大急ぎで喉に流し込むような食生活がはたして健全かつ幸福なものなのかは議論のあるところです。

*③たとえば今から15年程前にイタリアの田舎で始まったスローフード運動は、多国籍企業の食種の均一化に抵抗し、その地方の風土と伝統に根ざした独特の食材と食文化を守ろうとしていて、世界68カ国、7万人の会員が活動中だそうです。
日本でも坂本龍一さんが「ニッポン東京スローフード協会」を発足されたそうですが、世の中の流れもだんだんスローフードになっていくと思います。

*④そこで改めて当社におきましても、いま急速に失われてゆく「和」の伝統食にもういちど注目し、かつての日本人の味覚と栄養を幾世紀にもわたって支えてきた古典的なメニューを、装いも新たに復活させようと考えた次第です。

題して「ニッポンの天然のおいしさ」。シリーズの第1回は、茨城県に伝わる名物料理の「しもつかれ」と秋田県男鹿半島の「ハタハタ」を当社の最新の製法技術を駆使して製品化いたしました。
「しもつかれ」は、「酢憤(すむつかり)」あるいは「すみつかり」という郷土料理で、おろし大根に炒り大豆を加え、酢醤油を加える古い調理法を当社が復活させました。
また「ハタハタ」は、ご存知のようにお正月料理に欠かせない秋田特産の魚です。

いずれも現地の特産物を当社が保存加工したものを全国の百貨店、スーパーなどの特約店に直送いたします。旬の食を旬に召し上がっていただくために賞味期限、食品の安全性などには細心の注意を払っております。

*⑤さあ、こちらにできたての試作品をご用意させていただきましたので、どうぞ試食なさってみて下さい。

○ スピーチのポイント
① 冒頭にあいさつを終えた後、すぐに具体的な説明に入ります。とりわけ新製品の現物が手近にある場合は、あまり難しい話を長々と続けないようにしましょう。
② なぜこの新製品を企画したのかを分かりやすく解説しましょう。
③ 新しい業界情報などを豊富に盛り込みながら発表すると喜ばれます。
④ ここで改めて新製品の内容を要領よく紹介します。このとき、スライドなどの映像を使って解説するといっそう理解しやすいでしょう。
⑤ 百聞は一見にしかず。それまでのスピーチは、お客さまが新製品と直接対面し、味わっていただくための計画的な準備段階といえましょう。


  なんか確かな証拠でもあるんだろうか「私絶対失敗しないので」 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木下龍也著「つむじ風、ここにあります」を読んで思い出すこと

2017-12-18 10:43:35 | Weblog


音楽千夜一夜第403回 &照る日曇る日第1018回




木下龍也著「つむじ風、ここにあります」という短歌の本を読みました。
木下さんは山口市在住のことし29歳、すでに2冊の歌集を出し、2012年には全国短歌大会大会賞を受賞したという、文字通り新進気鋭の歌人です。

どんな短歌を作っている人かというと、これはなかなかいわく言い難い。じつにさまざまな歌を詠んでいる人なので、ページを開いたところにある歌を、行き当たりばったりに紹介しましょうか。

  あたらしいかおがほしいとトーマスが泣き叫びつつ通過しました

機関車トーマスに託された現代人の痛切な孤独と嘆きが伝わってこないでしょうか。
じっと耳を澄ますと、「ああ、いちど貼られたレッテルは二度と変更できず、一度定められた行き先も変更できず、同じ道行きを死ぬまで繰り返すのみである」というような叫びが聞こえてくる。
ユーモラスな外見に秘められた人生の惨劇は、私たちのまわりにいくらでも転がっているようです。

  数千のおにぎりの死を伝えないローソンで読む朝日新聞

その前に「鮭の死を米でくるんでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい」という歌があり、次にこれが来ます。
コンビニに並べられている商品はことごとく死んでいることの発見の歌。私たちの日常を静かに囲繞する「乾いた死の歌」といえるでしょう。

  後ろから刺された僕のお腹からちょと刃先が見えているなう

悲劇を達観し諦観する軽妙なニヒルこそ、われらの時代の唯一の処世術なのでしょう。おのおのがた、なう。

  つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる

これは本書のタイトルにもなった短歌ですが、私はすぐに「誰が風を見たでしょう?」という昔の歌を思い出しました。

英国ヴィクトリア朝時代の女流詩人、クリスティナ・ロセッティの作詞を、西条八十が訳し、草川信が作曲した唱歌です。

けれども、ここでつむじ風が通り過ぎることを教えてくれるのは、もはや木の葉や木立ではなく、無機的な菓子パンの袋に変わっている。
いっそセレナードならぬ、「都市ルンペンプロレタリアートの哀しき叙情」といってもよいかも知れませんね。

今宵はこの懐かしい歌を聴きながら、皆様とお別れしたいと存じます。

  https://www.youtube.com/watch?v=Fw6kHkqe2Cw


おのおのがたなうなうなんぎなよのなかじゃふんどしのひもきりりしめませ ちょうじん


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐野夏生著「デンジャラス」を読んで

2017-12-17 10:43:59 | Weblog


照る日曇る日第1017回


偉大なる文豪、谷崎潤一郎を生涯にわたって支え、インスパイアーした松子夫人の妹重子とその義理の嫁渡辺千萬子を軸に、その芸術と人生の内幕を鋭くえぐる。

谷崎の創作の女神は周知のごとく「蘆刈」「春琴抄」の頃は松子だったが、「細雪」「鍵」は重子、「瘋癲老人日記」からは若くて生意気な千萬子に変わっていった。伊吹和子によれば最晩年の作家は、千萬子をモデルにした「天児閼伽子の小説」を書こうと最後の創作の焔を燃やしていたが、潤一郎の視野にはもはや松子・重子の老残の姿など欠片すらなかった。はずであった。

ところが本書によれば、死んだはずの重子さんが文豪に最後の逆襲をかけ、本家に縁もゆかりもない異邦人の千萬子を輝けるミューズの王座から引きずり下ろし、作家を奴隷のように跪かせるのである。
「あなた様こそが、私の創作の源流でした。あなた様がいらしたからこそ、松子が輝き、私たち夫婦が仲睦まじくしていられたのです。あなた様ほど大事な方はおりません。あなた様ほど複雑で素晴らしい女人はおられません」

土下座して告白する谷崎の左肩の上に、重子は足袋を穿いた右足を置いて足先に力を籠め、本命の女神は「なら、千萬子はどないするんや」と脅迫して「千萬子はもう二度と会わないようにします。どうぞ私を信じて、お許しください」と言わせるのであるが、これって本当に本当だろうか?
フィクションであるとはいえ、当の渡辺千萬子本人の協力を得て書き上げた小説だけに、とても気になる本書でもっともデンジャラスな個所である。

   上京し半世紀以上経ってしもて丹波弁なんか忘れてしもた 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする