あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

なにゆえに第27回~西暦2016年皐月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-05-31 11:39:54 | Weblog


ある晴れた日に第379回


なにゆえに江の電はあんなに混雑する昔はいつでもガラガラだったのに

なにゆえにモーツァルトをモザールと打つキーボードでァを打つのが面倒くさいから

なにゆえに安倍蚤糞は外国で金をばら撒くあれは我らの税金なるを

なにゆえに三羽となると喧嘩する二羽の鴛鴦夫婦なりしが

なにゆえに若宮大路は蝉が鳴かぬ幼虫の棲む土壌を処分したので

なにゆえに社会詠は詠まれないたちまち古びて自然詠と化すゆえ

なにゆえに今年はホタルカズラの花が咲かぬ花盗人が根こそぎにした

なにゆえに謝罪なしでも良しとするオバマ大統領の広島訪問

なにゆえにサイコロキャラメルをやめてしまう久しぶりに舐めたいと思っていたのに

なにゆえに人の親切を仇で返す人間は愚かなるいきもの

なにゆえにパソコンがキーキーと悲鳴を上げる厳しい渡世に耐えてきたから

なにゆえに賞金の束を見せつける下種の極まり横綱白鵬

なにゆえに右翼がうようよ台頭する理想を投げ捨て下衆に堕ちたり

なにゆえに立派なおうちをブルドーザーで壊す更地に2棟新築するとさ

なにゆえにウインドウ10が勝手にインストールをはじめるざけんなよマイクロソフト

なにゆえに海老の背ワタがちゃんと取れぬ昨日あれほど練習したのに

なにゆえにいきなり映画グループから削除された毎日どっさり投稿したから?

なにゆえに第三者委員会にげたを預ける自分も他人も不在なので

なにゆえに大一番に必ず負けるいい加減にしろ大関稀勢の里

なにゆえに○○さん大好きと叫んでるほんとは○○さんが嫌いだから

なにゆえに平家蛍が輪舞する愚かな我らを嘲笑うがごとく

なにゆえに五輪やサミットにお金を捨てるその金でもっといいことがいっぱいできる

なにゆえにシューベルトは死ぬ前にハ長調交響曲を書いたのか大蛇がのたうつあの超大曲を

なにゆえに7月1日に選挙を行う消費税撤回で媚びを売るため

なにゆえに老被爆者は涙を流す大統領にそっと抱かれて

なにゆえに伊勢志摩広島で目先を変える安倍蚤糞の失敗を誤魔化すために

なにゆえに代替インキを受け付けないなんとかしろよエプソンプリンター


 なにゆえに可愛ければすべて許される可愛くなければ可愛くなりなよ 蝶人
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西暦2016年皐月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-05-30 11:20:22 | Weblog


ある晴れた日に第378回



身自らやられない限りは所詮他人事

君も僕も日一日と歳をとり顔面ぐちゃぐちゃのでぶでぶとなって死んでゆくのさ

「百犬図」数えてみればおよそ六十 五捨六入しましたね若冲さん

リヒテルのバッハやハイドンが腐ってゆく盤面に醜い亀裂が生じて

トランプがジョーカーを切る黒魔術世界はたちまち暗黒と化す

なんとか宮家のなんとか嬢がなんとか展を見に行ったとさそれがどうした

喉も潰れよ弦も切れよ江戸の昔をいまにかえす「絵本太功記」

大いなる歯痛に耐えつつ眺めたり国立劇場「絵本大功記」

無くなると聞けば急に食べたくなるあの懐かしい明治のサイコロキャラメル

1964年自由が丘の道場に私が預けた柔道着いまどこにあるんだろう

新宿のバー「ペルル」に「丹波高原」の名前で預けたジャック・ダニエル誰に呑まれてしまったんだろう

半世紀ぶりに旧全共闘仲間とそぞろ歩く皐月朔日新宿の夜

広島で米大統領が読みあげる嗚呼堂々の平和哲学

障ぐあいの本質などはさておきていたずらに屋上より垂らす怪しげな眼薬

正月の家族旅行で会議する仕事熱心な我らが都知事

全身をガンに冒された老人が今日もリストを弾いている

もしかすると大雨になるのではないかと案じていても朝には予報通りに晴れている

十指に余る巨乳を揺らすねえチャンがセフレになろうよと迫る広告

酔っ払いが切断された両足を呆然と眺めている昼下がりの小田急桜が丘駅

デロンギのエソプレッソマシン30周年断線しつつもまめに仕える

メーデーメーデーと救助信号を発しつつ労働者たちはとぼとぼ歩く

円よ上がれ株価よ下がれ安倍蚤糞を粉砕するべく

その方が上手な歌になるけれど稚拙なままにしておきたいんだ

憲法を冒涜し侮辱し毀損する者どもを厳罰に処すべし五月三日

ゲートルを足にぐるぐる巻きながら壮丁は兵士になっていった



もう二度とカメラを向けたくない光景にどんどん変えていく赤いブルドーザー 蝶人

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イーストウッド2連発

2016-05-29 12:05:52 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1017,1018



○クリント・イーストウッド監督主演の「アイガー・サンクション」をみて

クリント・イーストウッドがなんとアイガー北壁に登ってお尋ね者を探すという山岳サスペンスずら。

いい歳してあんな山に登る、あるいは登ったふりをするだけでも元気があるなあと感嘆したが、なにこれは1975年製作のハリウッド映画だから、彼もまだまだ若かったのだ。ジョージ・ケネディが渋いところを見せている。


○ブライアン・G・ハットン監督の「荒鷲の要塞」をみて

こちらはイーストウッドはまだ監督せず(できず)にリチャード・バートンとタッグマッチを組んでナチスと秘術を尽くして戦っている。

敵の要塞に入り込むために敵を騙すために味方を騙したりしていろいろ苦労する訳だが、なんだか画面全体が暗くてよく見通せない戦争映画ずら。



 「百犬図」数えてみればおよそ六十 五捨六入しましたね若冲さん 蝶人
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近藤成一著「鎌倉幕府と朝廷」を読んで

2016-05-28 11:35:53 | Weblog


照る日曇る日第867回


 岩波新書の新企画「シリーズ日本中世史」の第2巻で、鎌倉幕府の成立から滅亡までのおよそ150年を駆け足で叙述している。

 モンゴルの侵攻や徳政令による社会不安、後醍醐天皇による討幕計画がなくても、当時武士が困窮化せざるを得ないような分割相続の構造があったから、それが原因で遠からず自壊していったのではないかという仮説はなかなか興味深いものがあった。

 しかしそもそもこの新書の中世史シリーズは、一般の読者を対象とする通俗的な啓蒙書であり、専門の学者や研究者相手の学術的な専門書ではない。

 にもかかわらず素人に伝えるべきその内容が、著者の脳髄の内部で十二分に咀嚼されておらず、表現や文体もかなり生硬で読みずらいのには閉口した。

 「あとがき」の中で著者は、専門的な史料の解釈と考察に支えられた筋の通った通史を目指したと書いているが、彼がその理想を実現するのにはまだまだ多くの時間と成熟を必要とするだろう。

 同じ岩波新書から出ている亡き網野善彦選手の「日本社会の歴史」などをもう一度勉強し直してほしいものである。


    その方が上手な歌になるけれど稚拙なままにしておきたいんだ 蝶人

       広島で米大統領が読みあげる嗚呼堂々の平和哲学 蝶人
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谷崎潤一郎著「谷崎潤一郎第24巻」を読んで

2016-05-27 16:23:44 | Weblog


照る日曇る日第866回



「瘋癲老人日記」「台所太平記」「雪後庵夜話」の3本を柱として雑編をコラージュした本巻です。

「瘋癲老人日記」はマゾ小説の傑作。嫁の悪魔のように美しいおみ足に欲情し、頬っぺたを平手打ちされて興奮する老爺の哀れな晩節を悦びと共にあらわにする老作家のいきざまは見事である。

「台所太平記」は、谷崎家の歴代の女中群像を生き生きと描いてまことに面白い。むかし丹波で下駄屋を営んでいたそれほど裕福でない我が家にも田舎からやってきた女中さんがいましたが、この小説を読みながら、彼女たちはその後どんな人世を歩んだんだろうなあと思ったことでした。

 昭和42年に刊行された「雪後庵夜話」は遺作集ゆえいろいろな思い出話がごった煮のように並んでいるが、京マチ子と淡路恵子を比較した話などは面白い。

 映画「春琴抄」での京マチ子は、自分の夢の中の美女がそのまま生きて出てきたようだった、と称えているのだが、「痴人の愛」ではどうして淡路恵子にしてくれなかったのかと恨んでいる。京への賛美を惜しまないものの、谷崎の理想の女体はどうやら若き日の淡路恵子らしい。

 源氏物語は偉大な小説ではあるけれど、女とみれば見境なしに調子の良い台詞を囁いてあっけなく落としてしまう光源氏は、フェミニストである自分は好きになれないと告白している「にくまれ口」での発言も興味深い。

 余談ながら、谷崎は遅筆で丸1日かけて3枚しか書けなかったそうだ。御蔭でその時間を遊びや勉強に費やすことが出来なかったと嘆いているのだが、彼と親しかった芥川龍之介は1日やっと1枚の超遅筆だったのに、たっぷり遊んだり勉強していたのはなぜだろう。

    全身をガンに冒された老人が今日もリストを弾いている 蝶人
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Bunkamuraザ・ミュージアムで「ボストン美術館所蔵―俺たちの国芳わたしの国貞」展をみて

2016-05-26 16:25:51 | Weblog


蝶人物見遊山記第206回


誰が考えたのか知らないが妙なタイトルをつけるもんだ。その俺たちのなかにおらっちは入っていないから念のため。

歌川国芳の兄弟子が国貞で見比べると国芳のほうが技量も藝術性も上回っているように感じられた。されど極めて紛らわしい作風なので、国芳は黒、国芳は木の額縁に入れられているが、それに気づかぬ客もいるようである。ま、どうでもいいけど。

中では「鯨が為朝を救う図」や海に沈んだ平家の落ち武者が海底から恨みを込めて見上げている「大物之浦海底之図」、「和田合戦」などの国芳の武者絵の想像力が見る者を圧倒する。

しかし170点も並んだ浮世絵の中でいちばん心に残ったのは、国芳の「八代目市川團十郎死絵」。嘉永7年8月6日、32歳の若さで突如謎の切腹自殺を遂げたこの人気役者の蒼白い首絵はどうしたって死出の旅の路次にある俺たちのわたしたちの関心を捕えずにはおかない。

首絵に添えられた枯れ薄の一つひとつに関係者の追善の句が添えてあるという古今稀なる異色の幽霊画である。


    正月の家族旅行で会議する仕事熱心な我らが都知事 蝶人

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神奈川近代文学館で「100年目に出会う―夏目漱石」展をみて

2016-05-25 16:59:39 | Weblog


蝶人物見遊山記第205回



いつ訪れてもガラガラの当館ですが、没後100年を記念して去る5月22日まで開催されていた漱石展は私と同年輩の後期高齢者がかなり見受けられました。おそらくみな漱石の愛読者なのでしょう。

会場はお馴染みの漱石山房の書斎の再現からはじまりほぼ時系列に忠実に漱石の生涯と作品にまつわる展示を延々と並べていくのですが、さすがに偉大なる国民作家の足跡だけあってひとつひとつが興味深い。

小中学時代の成績表や赤の入った漢詩の習作、子規が赤を入れた発句の下書き、「道草」の素材となった義父の証文、小ぶりのフロックコートとシルクハット、倫敦から娘たちに出した愉快な絵葉書、中川選手の元原稿を徹底的に修正した「文学論」の荒々しい原稿、細字で几帳面に手帖に記された日記、そして「吾輩は猫である」から絶筆の「明暗」に至るまでの小説の生原稿、その折々の記念写真まで、その夥しい資料の数と内容には圧倒されました。

 その中で注目すべきは、彼が倫敦留学に際して作らせた長さ8センチ、幅4センチほどの婦人用かと思われる細みの名刺です。

 表はやや筆書風に傾いた欧体楷書で「夏目金之助」、裏面はそれに合わせた英字で「Mr.Kinosuke.Natsume」と印字されているのですが、その微妙な小ささとレイアウト、繊細な美しさを持つ書体は、彼の有名な俳句「菫程な小さき人に生まれたし」を想起させずにはいません。

 たった1枚の小さな名刺が、漱石という人の生の本質にまっすぐつながっているのです。

 展示の終わり近くには、有名な彼の南画がぶら下っていますが、精確さを求めるあまりほとんど顕微鏡的な細密画に近づいていくその異様な筆致を辿っていると、彼の神経の病的な異常さが生々しく感受され、あまり長く見詰めてはいけないような気持ちになってくるのでした。


       円よ上がれ株価よ下がれ安倍蚤糞を粉砕するべく 蝶人
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夢は第2の人生である 第33回 

2016-05-24 10:31:38 | Weblog


西暦2015年葉月蝶人酔生夢死幾百夜


北野白梅町の親戚の黒い犬を散歩させていたら、そいつがいつのまにか居なくなってしまい、同じくらいの大きさの白い犬が私に尻尾を振っている。あわててあたりを探したら遥か向こうの川の中に黒犬が飛び込んだので、私は白犬を抱きかかえたまま駆けつけた。8/1

鉄の船の艦長は、「まもなく戦闘が始まるから6時まで寝とけ」と、子供たちに優しく声をかけた。8/2

会社の私の席にチビで小太りの男が座っている。電通の営業のTだ。業者が「課長はどちらにおられますか?」と尋ねると、「首になったそうだよ」と答えたりしているので、頭に来た私が、「お前という奴は!」と怒りをぶつけると、「ハハハ、冗談冗談」と笑ってごまかそうとするのだった。8/2

夜行で富山へ急行して駅周辺の重要施設を抑えた私は、黒部側からの進攻を未然に防ぐために立山駅を制圧しておいたが、これが反乱軍との最後の攻防において決定的な勝因になろうとは、そのときは夢にも思わなかった。8/3

戦前戦中を通じて「66羽の大白鳥と3人の莫迦大将」はこの国の一大人気見世物だったから、戦後もなんとかいけるだろうと思い、私たちは乾坤一擲の全国一巡興業に打って出た。8/4

「ノンノ」の編集長が八幡宮で御神籤をひいたら「鶴は千年亀は萬年つるかめつるかめ」とだけ書いてあったので、人類が滅亡した萬年後にも「ノンノ」は発行されるという御託宣なのか、と思って喜ぼうとしたが、なぜか喜べなかったという。8/5

ここで聴くモザールのピアノソナタの素晴らしさ! そして続いて演奏されたのは、まだ一度も聴いたことがない作曲家の作品だった。8/6

子細に観察してみると、そのブランドの色・柄・素材・デザインは、1年前のそれとほぼ同じで、ごく一部だけが、微妙に変えられているのだった。8/6

有島武郎情死の報道を聞いたので、「よーし、オラッチも精をつけてぐあんばろう!」とおねえちゃんに餃子を頼んだが、「すみません、生憎皮がないので出来ません」と断られてしまった。8/7

英国ランカシャー地方の蝶の生態を研究しに現地を訪れたのだが、日本産の蝶とはまるで違う品種ばかりなので、びっくり仰天してしまった。8/7

アパレル販売部長の私が、いつものように品番別売上高を検索すると、カタログで道端ジェシカが着ていたアッパッパアが、断トツで首位だったが、それが南仏サントロペにおける強盗事件の影響によるものか否かは、分からなかった。8/8

とうとう安倍戦争が始まった。彼奴は戦時中は国民の誕生祝いを禁じたのだが、もはや独裁者のいいなりになっている国民は、誰一人その法律にあえて逆らおうとはしなかった。我われ以外は。8/9

「カール・ドライヤー」ブランドの洋服を素敵に着こなしたその少女の顔には、スーラの点描画のドットのようなそばかすがちりばめられていたが、そよ風に吹かれた彼女の金髪が私の頬を気まぐれに撫ぜるたびに、私は彼女を絶対によそへやりたくない、という気持ちが募るのだった。8/9

島根鳥取の山奥にある何軒かの親戚を訪ねたら、いずれも山紫水明の地にあってこの国の理想的なリゾートではないかと思われたが、いくら扉を叩いても誰も出てこない。8/10

村上春樹を巡るミステリーツアーを企画した私が、青木さんと蓮池君を招待すると、「おお、これは、これは」などと言いつつ、2人とも大喜びで巨大なショウボートに乗り込んだ。8/11

突如依頼された翻訳の仕事だったが、その内容がチンプンカンプンでさっぱり分からず、途方に暮れていたら、見ず知らずの四方田という人から「もうそれは僕がやっておいたずら」というメールが舞い込んできたので驚いた。8/11

「若い恋する2人がこのまま別れてしまうのはあんまりだ」と、塩見牧師は丹陽教会に密かに2人を呼び寄せ、結婚式を挙げてから野に放った。8/12

これまでは国内撮影だった。今回初めて海外でカタログ撮影をすることになったのだが、飛行機の中にはいつもの製作スタッフの他に、販売員をはじめ食堂やお掃除のおばさん、保健師まで乗り込んで楽しそうにはしゃいでいるので、プロデューサーの私は頭をかかえた。8/13

「アブラカタブラ」ではないが、それさえ唱えておればいかなる戦いもトラブルも乗り切れるという重宝なマントラを神様から授かったというのに、眠りながらそれを唱え続けていたというのに……。8/14

道場には秘密の治療塔があり、そこではインキンタムシから四十肩五十肩、肩コリ、頭痛、右翼小児病の脳タリンまで、ありとあらゆる難病奇病を治してくれるのだが、人々はそれを救急車のようには多用せず、最重度の癌や自閉症などに限って使用していた。8/15

私が田舎のお年寄りに昨日新聞で読んだこぼれ話を尾ひれをつけて面白おかしく語って聞かせていると、さっきからそれを背中越しに聞いていたらしい今井さんが、「エヘン」と咳払いしたので、私は思わず赤面してしまった。8/16

「うるさい! 黙れガビチョウ」というコピーの広告を気に入って即決した私だったが、店長が「そんな広告を出せば、中国人が爆買いしてくれなくなるぞ」というので、仕方なく「もっと小さな声で鳴け、ガビチョウ」に変更した。8/17

わが社に向かって歩いてくる女性が、みな若くて美しく、しかもみな顔にほくろがあることに気付いたが、あとで人事課長の内田に尋ねたら、「いやあ、その3つが今回の人材募集につけた社長の求人条件なんですよお」といって頭を掻いた。8/18

このバーのマスターと私が毎晩密談しているうちに、会社の経営方針や社内の人事や海外スタッフの異動などが決まっていくことが多くなっていったので、とうとう私はここに引越すことに決めた。8/19

世界作曲コンクールへの応募作が、ようやく完成した。締め切りぎりぎりで投稿を済ませてホッとしていると、親友がやって来て「ぜひ聴かせてくれ」というので、最新作おまんた音頭をピアノで演奏していると、顔色を変えて「それは僕のとまったく同じ曲じゃないか」と叫んだ。8/20

秋葉原から国電に乗ると、中尾ミエによく似た女性が、いかにもな横顔を見せてもっともらしいたたずまいで横座りしていたが、そこへピョンとやって来た巨大な野兎が、私の体に身を押しつけて窓の外へ投げ捨てようとするので、私は懸命に堪えていた。8/20

私が愛犬モバスルーと世界の山々を旅する映画「モバスルー」は、幸いにもそこそこヒットしたようでうれしい限りだが、次回はできれば美貌の女社長ともども出演したいものである。8/21

「それで、うちの広告はどこに入れてくれるんだい?」とフレンチ・ヴォーグの営業マンに尋ねると、彼は「ここです」と言いながら表2見開きを指差したので、私は「それならいいだろう」と納得した。8/22

にっくきイトレル猪八戒が、小説に続いて詩集の発刊を禁止したので、まだ一冊の詩集も出していない私は、恨みを呑んで泣く泣く地下に潜ったのだった。8/23

頭の中で蝉が鳴いているのか、窓の外で鳴いているのか、よく分からない。8/24

BSプレミアムの「アナザーストーリーズ運命の分岐点」で案内娘を務める真木よう子の能面冠者のような顔つきを眺めているうちに、はたと思い当たった。これは金井克子の「他人の関係」を真似しているんだ。8/24

私が初めて書いた小説を、ブルータスの小黒氏に見せたのだが、「いやあ、あの緑のインクには参りました」と言うばかり。没にした小説の代わりの原稿をお気に入りのライターに依頼している姿を見せつけられた私は、激しく落ち込んだ。

小黒選手が別れの言葉も告げずに立ち去ったあと、私はトボトボと歩いて原宿駅にやってくると、山手線を牽引する小さな機関車が止まっていたので、それに乗り込むとすでに何人かの先客がいた。誰が乗っても構わないようだ。

やがて機関車は、15両の客車をカブトムシのようにとがった角で押しながら、代々木駅に向かってゆるゆると発車したが、私の心は相変わらず憂鬱だった。8/25

「わが社では内定した学生には「いいね!」マーク、駄目だった学生には「もうちょっとぐあんばろう」マークを夜中にメールで送っているんです」と、人事課の内田がイヒヒ笑いをしながら教えてくれた。8/26

横浜港へ見送りに行くために西口の階段を懸命に乗り越えようとしたが、右肩に激痛が走って何度も崩れ落ちるし、敵に照準を定め/て射殺したはずなのに、発射が数秒遅れて当た
らない。体が急激にガタがきているのだ。8/27

たった一人の読者を持つその男がSNSにかぶりついて、いくら読んでも意味不明の高論卓説を朝から晩まで24時間怒涛の勢いで撒き散らすと、その唯一の友が、いちいち「いいね!」をクリックして返すのだった。8/28

わが尊師は、それがいかに高価な衣服であろうとも、染め斑のある長衣に袖を通そうとはなさらなかった。8/28

隣の家の犬がワンワン吠えてあまりにもうるさいので、道端ジェシカと一緒に覗きこんでみたら、家族全員がワンワンファミリーになっていた。8/29

健君は、まるでましらのように自在に大樹に登っては降りて、あっという間にどこか遠くへ行ってしまった。8/29

私は巨大な倉庫の上層まで聳える在庫の山の中から、「サブウエイMIⅩ」と「なんちゃらMIⅩ」、「かんちゃらMIⅩ」の3種の詰め合わせお菓子を買ったのだが、それぞれがあまりにも重いうえに、大きすぎてどこへも動かせないのだった。8/30

私が駅から会社に向かって歩いていると、営業部の女性が「あなたの部下のA子さんは、お昼になるのにまだ出社していないんですよ」とチクったので、「それはそうでしょう。彼女は昨日の夜からついさっきまで私と一緒だったんだから」と言うと、驚きのあまり絶句した。8/30

潜水艦に囚われていた婦女子を救助しようと小舟で接近した私は、なんとか彼らを脱出させることに成功したのだが、私自身を救出することができず、いつまでも潜水艦の排水溝にしがみついていた。8/31


もしかすると大雨になるのではないかと案じていても朝には予報通りに晴れている 蝶人
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夢は第2の人生である 第32回 

2016-05-23 10:54:26 | Weblog


西暦2015年文月蝶人酔生夢死幾百夜


「ここにあの毒持ち大蛇がいるからちょっと見てきてくれないか」「エッ、毒持ちですか?それはちょっと勘弁してくださいな」「いや、どうしてもあんたに見てきてもらいたいんだ。あいつをやっつけないかぎり俺たちの国に仕合わせは戻ってこないんだ」7/1

こらワタナベ、こらマエ。そんなに偉そうに俺に物を言うな。お前らと俺とはもうとっくの昔に赤の他人なんだ。赤の他人にお願いするときには、まず帽子を取り、「どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げるんだ。分かったか、このボケなす。7/2

「南無南無社会保障」なるテレビ番組をみていたら、元気よく喋っていた出演者が突然何者かに撃ち殺されてしまった。きっと誰かが「潰した」のだ。7/3

酔っぱらった村雲太郎選手がテレビ番組に出てきて、「あのお60年代は、やっぱりそのお、いろいろあったね」とか呟いていると、スタジオにいた若い男がいきなり立ち小便したので、村雲選手は「あ、こりゃまた失礼いたしやしたあ」と言いながら、自分もしょんべんした。7/3

久しぶりに横須賀線に乗ってみたが、駅の名前が分からない。1つの駅に3つくらいの異なった表示が出ている。仕方がないのでとりあえず目の前のに乗り込んでみたら、電車だったはずがいつの間にか船になったり、突如飛行機になって空を飛んだりするので驚いた。7/4

「わが社の最大の特徴は複合マーケティング体制にありまして、ターゲットを1つに絞らず、男と女、ヤングとシニア、和と洋、都会と田舎、静と動、光と影、神と仏のような2つの相反する要素を同時並行的に追及するよう努めております」と、その男は語った。7/4

家の隣が映画館なので、毎晩こっそり忍び込んで一番後ろの座席に座っていると、嵯峨三智子とか井上正夫の顔を見たが、今夜は株式課の川口さんだった。総会屋にお中元を渡してきた帰りだろう。川口さんは「久しぶりだね。奥さん元気?」と人懐っこい笑顔を浮かべたが、その顔は蒼白だった。7/5

退屈すると、我われは女子大の寮にストームをかけた。人魚のような半裸の女子が横たわっているベッドの上を、「ドドシシドッド」と駈け抜けると、彼女たちはうれしそうに歓声を上げるのだった。7/6

私たちは2人でどんどん沖合に出て、波の上でゆったりと寝そべっていたので、そこがいつ沈んでしまってもおかしくない不安定な海の上であることを、すっかり忘れていた。7/6

あまりにも多くの観光客が押し寄せるようになったので、当局はすべての道路を立ち入り禁止にしていたが、私は平安時代からの獣道や江戸時代の秘密の抜け道を知っていたので、自由自在に出入りすることができた。7/8

死んだサカイ君やまだ生きているだろうセキノたちと野球をしていた。セキノが「僕はボールが怖くてたまらないんです」と言ったので、私は「そうなの、僕はちっとも怖かないけどね」と応じたら、セキノは妙な顔をして私を見た。7/9

敵と戦うその戦士の武器は、2つの火器であったが、戦時ではなく平時にその火種を消そうとしても、けっして消えることはなかった。7/10

私がその鳥小屋に入っていくと、尻尾のむやみに長い尾長鳥をはじめ無数の鳥たちが、私の頭や両肩に止まろうとして、激しく争うのであった。7/10

中国人のお金持ちの結婚式に招待された私が、上海の式場にたどりついたら、物凄い爆竹の音が鳴り響き、白衣の花嫁が朱に染まって倒れている。どうやら爆竹ではなく爆弾が炸裂したようなので、皆我先に逃げ出した。7/11

「綾部にもオペラハウスが出来たそうだから、一度見に行こう」と前田選手が勧めるので、急いで駆け付けたのだが、ここは映画館の三丸劇場で、観客は一人もいない。いったいどこでオペラを上演しているのだろう、と激しく焦っているわたし。7/12

「お前は絶対にそのライフル銃で人を撃ったに違いない、さあどうだ白状しろ」と警官がいい募ったので、私は自分はすでに最愛の人を撃ち殺してしまったことに気づいて、激しく動揺したのだった。7/14

学校へ行って講義を聞いても、ろくでもない教師の詰らない噺ばかりなので、失望落胆した私は、もう一切の授業には出ず、学校の近くの雀荘に通いつめて、朝から晩まで賭けマージャンに興じていた。7/15

部長の私は、妻のフォーマルウエアの買い物を手伝うようにと課長に命じたのだが、彼は自分が勝手に選んだ商品を妻に届けたので、頭に来た私は、そいつを彼奴に突き返し、改めて妻とデパートへ一緒に行って彼女にふさわしいドレスを買ってやった。7/16

就活戦線は依然として熾烈であるが、この大学の俳句研究会の自由律メンバーはいつもい
いところに就職しているという神話があって、ある学生が最終面接で「オットー(夫)と/呼ばれし日本人」という句を即興で詠んだのだが、あえなく落とされてしまった。7/17

若き日に伊豆の温泉を出るとき、宿の娘から手渡しされた「しきみ」の実を取り出して眺めるたびに、あの娘はどうして私にこれを呉れたのだろう、と謎は深まるのだった。7/18

犬と猫の詩を書いていたらチャウチャウとチャシュー猫が取っ組み合いの大喧嘩をはじめたので、せっかくの名編が台無しになってしまった。7/19

うちの奥さんが、崖の穴ぼこに潜んでいた五位鷺をうまくつかまえたので、ハラハラしながら見守っていた隣の奥さんと飼い猫たちが、拍手喝采した。7/19

「その緑色のプラナリアに早く水を掛けないと、死んでしまうぞ。死んだら、お前のデザインを創造する力は、枯れてしまうんだぞ!」と叫んだが、イタリアの富裕ブランドのデザイナーの耳には届かない。7/20

その悪党が、組織をちょっといじっただけで、うちの会社はめちゃくちゃになってしまった。7/20

人殺しをし合う戦争が怖くて怖くて、一目散に前線から逃れてきた私は、軍服や武器弾薬を駅の近くに隠したのだが、他に行くところもなくて軍営に戻った。7/21

私が東京五輪に反対していることを知りながら、隣のオバハンが私のパソコンに侵入してのっとり、「どうぞ私の家を潰して新国立競技場にしてください」というメッセージを拡散したので、私は怒りに震えた。7/22

私が猛烈な速さで夢をみ続けていると、「お客さん、もうちょっとゆっくりにしてもらえんかね、メモができんのでね」と、誰かが文句を云うた。7/24

リーバイスをはいたその男は、挨拶もせず、私を完全に無視して、あたりの女にちょっかいを出しはじめたので、私は「このバルバロイめ、俺の女に手を出したら容赦しないからな」と警告した。7/24

どういう風の吹きまわしかノーマ・カマリというブランドが復活したというので、私はさっちゃんと一緒にオンボロ車に乗って、全国巡業キャンペーンに旅立つ羽目になったのだった。7/25

ラジオ番組の下打ち合わせがあるというので、某局に出かけたらプロデューサーとかディレクターとか出演者などがわあわあ騒いでいて、結局これがどういう番組で、私は何をすればいいのか分からないまま帰宅した。7/25

安倍蚤糞の御蔭でさっぱり仕事が無くなってしまったので、仕方なく大学の就職課へ無職の息子と相談に行ったら、「親子で就活とは、こりゃ珍しい」と職員から珍獣扱いされ、写真を撮られたり、取材を受けたりしたので、ほうほうの態で引き揚げた。7/25

久しぶりに回転寿司屋に行ったら、寿司の代わりに懐かしい故郷の写真が次々に流れてくるので、手に取ろうとするのだが、ついと流れ去ってしまうのだった。7/26

NHKの海外放送局のサウンドロゴを作ってほしいというリクエストがあったので、三波春夫のオマンタ囃子を薦めたのだが、「局内で検討させてください」という返事があったきり、連絡がない。7/27

巴里に到着した夜に、クライバーが「薔薇の騎士」を振るというので、ガルニエ宮に駆けつけたのだが、私の目の前で当日キャンセル券が売れてしまい、私は泣く泣くホテルに引き返したのだった。7/28

暑い、暑い。こう暑くては脱水症になってしまう。うちの奥さんは「喉が渇いたと思った時に飲んだのでは、もう遅すぎるのよ」と警告するのだが、ではいったいつ水を飲めばいいんだろう。7/28

社員旅行のお昼に入った和食屋には、寿司、天ぷらからラーメン、餃子、精進料理までありとあらゆるメニューが取り揃えられており、しかも安価で美味しかったので、こういう店が家の近くにあったらなあと、私は羨ましく思った。7/28

私は、鳥になって撃たれたふりをしていたが、人々はいつまでたっても、それを私だとは気がつかなかった。7/30

お兄さんたちのテントでは大いに盛り上がっているのに、我われ子供は、やたら焼き肉を食べさせてくれるだけで、仲間には入れてくれない。お兄さんの意地悪!7/30

世界一周旅行の途中神戸に寄港したので、ワールドの展示会場を訪ねたら、旧知のデザイナーやバイヤーがまじまじと私を見つめるので、その視線の先を辿ると、私の半ズボンの半開きの社会の窓があった。7/31

NYのセントラルパークの中に「シェ・フィガロ」という安レストランがあって、ここを訪れると、フィガロよりもファルスタッフに似たビヤ樽ポルカに似た老僕が、私をぎゅぎゅっと抱きしめてから、安くて美味いフレンチを御馳走してくれるのだった。7/31


    半世紀ぶりに全共闘仲間とそぞろ歩く皐月朔日新宿の夜  蝶人
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鎌倉国宝館で「禅と心とかたち―總持寺の至宝」展をみて

2016-05-22 10:57:02 | Weblog


蝶人物見遊山記第204回

 總持寺は鎌倉時代に能登国の現輪島市に開かれた永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山ですが、明治31年の大火を転機に横浜鶴見の丘の上に引越し、爾来1世紀を越える歳月が経ちました。

 おりしも今年が開祖ノの700回、二祖の650回遠忌に当たるということで、その寺宝の数々をなぜか鶴見でも川崎でも横浜でもなく鎌倉で公開する運びになったのは、深い訳でもあったのかと首を傾げてみたものの、てんでなーにも無さそうです。

 鎌倉は我が国の禅宗発祥の地ですが、同じ禅でも栄西ゆかりの臨済禅が主流で、道元さんなどの曹洞禅とは縁もゆかりもないはず。私などそもそも禅宗に無縁の徒はその違いなど知るよしもなく、まあ禅仲間のネットワークでつながったのが今回の展覧会の特色でしょうか。

 總持寺に行ったことすらない私には、「總持寺の至宝」と大きく出られても、山本リンダじゃないけど、こまっちゃうナ。

 ずらずら並んだ仏像や禅画や墨書は、いつもここに展示されているそれらと全く同じ表情をしていて、その細かな相違や値打についてなんの知識の持ち合わせもない私は、ただ「ありがたや、かたじけなや」と一礼して、青葉若葉の陽光の下にアオバセセリのように飛び出したことでした。

       あら尊と達磨大師の目玉かな 蝶人

   大いなる歯痛に耐えつつ眺めたり国立劇場「絵本大功記」 蝶人
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スピルバーグ監督の「リンカーン」をみて

2016-05-21 13:19:06 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1016



黒人も白人も黄色人種も神の前にあっては生まれながらにして平等であるという常識を貫くために悪戦苦闘する孤独な大統領の半生を粛々と描く。

にんげん頭の中では正邪の理屈がわかっていてもなかなかその通りに手足が動くものではない。反対派の領袖がリンカーンに寝返ったために奴隷解放令はぎりぎりの逆転多数で可決されるのだが、その寝がえりの理由は黒人女性を愛人にしていたというのはいかにもと納得できる。

中国や朝鮮を大嫌いな連中も、その国誰かを愛するようになれば、ただちにヘイトを止めるようになるだろう。情は知よりも強いのである。

リンカーン当時の米国は奴隷制の是非を巡って真っ二つに南北に割れていたが、トランプ台頭の現在、再びそういう国家分裂の危機に瀕しているといえよう。


 トランプがジョーカーを切る黒魔術世界はたちまち暗黒と化す 蝶人


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国立劇場で文楽「絵本太功記」をみて

2016-05-20 14:37:53 | Weblog


蝶人物見遊山記第203回


 稀代の暴君、織田信長を討った明智光秀とその家族の苦衷を、荒唐無稽なエピソードもありながら、我々にも身近なちょっと近代的な感覚でつらつらと描いて、最後まで惹きつける時代物の秀作です。

 荒唐無稽なエピソードというのは、例えば冒頭の「本能寺の段」で信長と一緒に宗祇が出てくるとか、光秀が、秀吉と間違えて老母を、よりによって自分も小栗栖で刺し殺されることになる竹槍で突き刺す、とかですが、まあいろんな「太閤記」からの自在な脚色なので、目くじら立てずに見物していることができます。

 御承知の通り、文楽というのは歌舞伎と違って、芝居の解説も役者の台詞も太夫が浄瑠璃で語るのですが、「夕顔棚の段」の冒頭では、黒子が「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!」と大声で唱えるのでちょっと驚きました。

 今回はいつもの常連ではなく中堅若手が中心の公演でしたが、全体的には人形遣いよりも、太夫と三味線が健闘。特に最後の「尼崎の段」の後で登壇した三味線鶴澤清介と竹本津駒大夫の義太夫は、喉も潰れよ、弦も切れよ、と歌いに歌う大熱演で、ものの見事に物語のクライマックスを支えきりました。

 なお本公演は来る23日まで半蔵門国立劇場で開演中です。


  喉も潰れよ弦も切れよ江戸の昔をいまにかえす絵本太功記  蝶人
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武内&川村監督の「のだめカンタービレ最終章」前・後編をみて

2016-05-18 15:56:59 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1014,1015


別にどうでもいい映画だったが、あのベーム、バーンスタイン、クライバーが立ったウイーンの楽友協会ホールの指揮台で玉木宏が棒を振り回すなんて許せないずら。金を払えばなんでも出来ると思う方も思う方だし、金を貰ってそれを許す方も莫迦たりだ。


 正月3日の慰安旅行で会議していたと13日の金曜日に弁明する東京都知事 蝶人
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澤井信一郎監督の「早春物語」をみて

2016-05-17 11:02:40 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1013



初々しい女子大生原田知世の切ないラブストーリーずら。

鎌倉駅構内でロケするという、今では考えられないのどかな時代の作品だ。

ヒロインの相手役の林隆三も、おととし70歳で死んでいる。どんな人もついには儚くなるが、死んでも銀幕で在りし日の姿を遺せる役者はある意味では仕合わせであるなあ。

でも、ついせんだって原田知世がテレビで歌っているのをみたら、この映画の面影はまるで失せていたので愕然としたのであるが、それも自然の理であることよ。

「徹子の部屋」を見ていると、これが往年のあの美しかったスタアの成れの果てなのかともっと愕然とさせられることが多いので、極力見ないようにしているのだが。


 君も僕も日一日歳をとり顔面ぐちゃぐちゃのでぶでぶとなって死んでゆくのさ 蝶人
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日本自閉症協会・木村一優編「いとしご増刊・かがやき「自閉症と医療特集」号」を読んで

2016-05-16 11:06:16 | Weblog


照る日曇る日第865回&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 229


 序論の田中容子氏の「自閉症スペクトラム障害に対する有効な治療は存在するか?」は、1943年のカナーの「小児自閉症」、44年のアスペルガーの「自閉的精神病質」報告にはじまるこの障がい研究の、誤算と過誤に満ち、さしたる実りなき不毛の歴史を駆け足で振り返っているが、「当面は過去に犯した過ちを繰り返すことのないように自省しながら日々の地道な関わりを続けるのが最良の策」というまとめには苦笑するほかない。

 これに比べると大倉勇史氏の「診断から治療までの流れ」は豊富な事例を列挙しながら年齢や症例別の具体的なケーススタデイをレポートしているので、障がい者の親としてはよく分かる。
 その結語には、「高収入を得るための職場ではなく、能力を最大限生かせるための職場が必要」とあるが、まったく同感。余談ながら最近、障がい者一人ひとりひとりの障がいに向き合わず、まるで労働工場のように生産性や売上、利益の向上に腐心する社会福祉とは名ばかりの本末転倒した施設が増えてきたように思う。

 「薬物療法」の最新情報をレポートした宇佐美政英氏は、薬物療法には長所と短所があるのでしっかりと見極め、過分な期待をしないで上手に付き合うことを薦めているが、私の周囲を見渡してもその通りだなあ、と頷ける。しかしながら文中2か所に出てくる「病態」という用語は疑問。自閉症は「病気」ではなく「器質の障がい」であるから不適切といわざるをえない。

 生地新氏の「自閉症スペクトラム症を持つ人への心理療法」では、彼が実践している「支持的心理療法」と「精神分析的心理療法」の概略を述べているが、著者が告白しているように、それなりの価値はあるとしても、日暮れて道遠しの状況であろう。

 伊地知信二氏他二名が「自閉症治療から学ぶべきこと」なる共同論文を書いているが、我われ素人にはよく分かない生硬な表現が乱発され、繰り返し読んでもいったい何が言いたいのかよくわからない個所が多く、全体的にはあまり信用できない印象だけが残った。
 最後に掲げられた「これからの子育て」九カ条のような平易な文章で、もういちど全面的に書き直してもらいたいものである。

 最後の木村一優氏の「入院治療」で明らかにされているように、現在我が国では依然として自閉症に対応する専門的な病院がないので、いざとなれば一般の精神科病院を利用せざるをえない。

 著者は「課題は多くとも医師、看護師と十分に話し合っていける可能性はある」「自閉症だとしても、本質的にはすばきことは同じなのですから」というのだが、「可能性はある」とか「同じなのですから」と書かれた文字を見つめているうちに、だんだん疑惑の黒雲が頭をもたげてくるのはなぜだろう。

 以上5つの記事をかいつまんで自己流に紹介してきたが、もっとも重要かつ致命的なことは、それらの著者たち自身が認めているように、自閉症という障害の根本原因は(「脳の器質的障害」と称されてはいるものの)、症者発生以来半世紀以上が経つのに依然として解明されず、絶望的なまでに深い闇と霧に包まれていることである。

 その間医師や研究者がやってきたことは、母源病や砂糖病、ウイルス説をはじめとする荒唐無稽を含めた様々な仮説の提案と検証、そして症状の定義と内容の限りなき「書き換え」であり、肝心かなめの障害の本質の摘出と喝破どころか、それからのますますの逸脱と漂流であった。

 その拠って来る原因の究明がなされないのに、その症状の根本治療など医学的にはありえない。

 にもかかわらず、階下の盲人に向かって2階から目薬を流すような怪しげな対症療法や金儲け本位の「自閉症ビジネス」、はては怪しげなる新興宗教の暗躍は、当事者としてまことに情けないが、専門家たちがうえに述べたような状況がこの障がいの偽らざる実態であるから仕方がない。

 偉そうに専門家などと称していても、所詮は盲人が巨象のあちこちを手探りしながら分かったような御託を並べているにすぎない。嗚呼なんと虚しく哀しいことよ。


 障ぐあいの本質などはさておきていたずらに屋上より垂らす怪しげな眼薬 蝶人


*ご参考までに
http://www.autism.or.jp/autism05/hajimete.htm
http://www.autism.or.jp/autism05/handan.htm
http://www.autism.or.jp/autism05/201409-honda.htm
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